足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等は、かなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に、漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。
「清少納言のきつーい一言」・まんがゼミナール「枕草子」 その34
第267段 「世の中に、なほいと心憂きものは」
他人から受ける愛と憎しみについての随想の段。清少納言は、常に他人から愛され、目立つ存在でありたいと願っていた女性だったのだろうか。人に憎まれるということは、「いと心憂き」ことと述べている。一方、現実には、愛される人と嫌われる人が存在している分けで、そのことは、「いとわびしきや」と受け止め、親や仕える主人や仲間等みんなに愛されることを、「めでたきこと」として、夢見ている。
この世の中で一番つらくて憂鬱なことは、人に憎まれることでおます。
どない偏屈サンかて、憎まれるのを、自ら望む人はおまへん。
せやけど、宮仕えでも、家族やお友達の間でも、
かわいがられるのと、そうでない者が、でけてしまうのは、寂しいことや。
これは、家柄もよく恵まれた人やったら言うまでもあらへんし、
下々の者かて、親などかわいがる子は、人の目を引いて、
粗末にはされへんどす。
見栄えのする子が、ちやほやされるんは、当たり前やし、
どういうこともあらへん子かて、親なればこそ、いとしく思うものや・・・。
何はともあれ、親にも、仕える主君にも、語り合えるすべての人にも、
人に愛されるということほど、めでたいことはおまへんどす。
原文だよーん
世の中に、なほいと心憂きものは、人に憎まれむことこそあるべけれ。誰(たれ)てふ物狂(ものぐる)ひか、我(われ)人にさ思はれむとは思はむ。されど、自然に、宮仕へ所にも、親、兄弟(はらから)のなかにても、思はるる。思はれぬがあるぞいとわびしきや。よき人の御(おほん)ことはさらなり、下衆(げす)などの程も、親などのかなしうする子は、目立て耳立てられて、いたはしうこそ覚ゆれ。見るかひあるはことわり、いかが思はざらむと覚ゆ。異なることなきは、またこれをかなしと思ふらむは、親なればぞかしとあはれなり、
(注釈)
世の中で、何と言っても、大変つらいものは、人に憎まれるということであるだろう。一体、どんな変わり者が、自分は人に憎まれたいと思うだろうか。そんな人はいない。だけど、自然と、宮仕えの場所でも、親兄弟の間でも、愛される、愛されないということが有るのは、実に情けないものだ。身分の高い人の場合はもちろんのこと、下衆等の身分でも、親等がかわいがっている子は、他人に注意注目されて、大事にすべきもののように思われる。そういう子が世話のしがいが有る場合は当然で、また、格別のこともない子は、またこれをかわいいと思うようなのは、親だからだなあと思うと身に染みることだ。