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追想「中山道を歩く」その4(再)

2021年01月19日 09時15分18秒 | 旅行記

新型コロナウイルス禍が続く中、最近のテレビ番組等でも、新規番組製作が出来ない等の事情?で、過去に放送した番組を再放送しているケースが増えているようだが、ブログネタも限られてきて、このところ、過去に書き込んだ記事をコピペ、再編集したりしている次第。
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んだ記事、17~18年前の話、「中山道を歩く」を リメイクしてみることにした。


追想「中山道を歩く」
その4 第3日目・「桶川宿~鴻巣宿」

第2日目「蕨宿~浦和宿~大宮宿~上尾宿」を歩いてからまもなくの2004年春の好天の休日、切りの無い仕事にケリをつけ、「中山道を歩く」の続きをする気になり、前回の終点JR上尾駅に向かった。

午前9時頃 JR上尾駅を出発→遍照院→雷電神社→(旧中山道・国道164号)→「桶川宿」桶川市境界→富士見通り交差点→竹村旅館→桶川市駅前交差点→旧北本宿碑→本宿交差点→「鴻巣宿」本町交差点→鴻巣駅入口交差点→鴻神社→加美交差点→(旧中山道・国道365号)→箕田観音堂→箕田氷川八幡神社(綱八幡)→吹上駅前交差点→吹上間の宿碑→榎戸踏切→久下・権八地蔵→(久下の長土手)→JR行田駅


JR上尾駅前

 


「桶川宿」

江戸から6番目の宿場・上尾宿から三十四町、
天保14年(1843年)では
人口1444人、家数347軒、本陣1、脇本陣2、旅籠36軒の
宿場だったという。

「武村旅館」
江戸時代、旅籠「紙屋半次郎」だった建物に大正時代手を加えられたもの。
間取り等はそのままで江戸後期の遺構として貴重であり
国の登録有形文化財に指定されている。    
       

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蔵造りの商家、本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡等 旧桶川宿之中心部。

旧北本宿碑・本宿交差点~                                        宿が鴻巣に移された後 元の宿という意味で本宿と呼ばれ 
桶川宿と鴻巣宿の間、「間の宿(アイノシュク)」として 賑わったという。


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多聞寺

北本駅前交差点~浅間神社~鴻巣市境界・深井二丁目交差点


「鴻巣宿」

江戸から7番目の宿場・桶川宿から一里三十町 
天保14年(1843年)では 
人口2273人、本陣1、脇本陣1、旅籠58軒
の宿だったという。                        

この宿は 慶長7年(1602年)に 
本宿村(現在の北本市の本宿)の宿場を移して「鴻巣宿」とされたという。
人形の町、有名な人形店が軒を連ねている。
江戸時代から 雛人形産地。
関東三大雛市の一つとして繁栄してきた。

本町交差点~鴻巣駅入口交差点~鴻神社~

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加美交差点~(旧中山道・国道365号)~箕田地区~                        静かな農村地帯

箕田観音堂~箕田氷川八幡神社(綱八幡)~

「武蔵水路」
町並みが途切れて水田地帯が広がっています。

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吹上駅前交差点

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「権八地蔵」                                              歌舞伎で 白井権八が ここで 人を殺し 金を奪ったのを見ていた地蔵に
 「このことは 他言するなよ」と話すと 
地蔵が 「われは 言わぬが お主も言うなよ」と言ったところから 
「物言い地蔵」とも 呼ばれているそうだ。

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「久下(くげ)の長土手」                                         「久下の長土手 深谷の並木 さぞや寒かろ寂しかろ」等と謡われている荒川堤防。
熊谷八丁堤とも言われているようです。のどかな景色が広がっています。

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第3日目は 「熊谷宿」まで歩く予定だったが、
久下から「熊谷宿」までは さらに 1時間半程掛かりそうなため
「中山道を歩く」3日目は この辺りで止めることにし 
最寄りに駅JR行田駅に向かった。

午後4時頃 JR行田駅に到着。
約20km歩いたようだ。

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(「中山道を歩く」(山と渓谷社)から拝借画像)
 


(つづく)


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