新型コロナウイルス禍が続く中、最近のテレビ番組等でも、新規番組製作が出来ない等の事情?で、過去に放送した番組を再放送しているケースが増えているようだが、ブログネタも限られてきて、このところ、過去に書き込んだ記事をコピペ、再編集したりしている次第。
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んだ記事、17~18年前の話、「中山道を歩く」を リメイクしてみることにした。
追想「中山道を歩く」
その4 第3日目・「桶川宿~鴻巣宿」
第2日目「蕨宿~浦和宿~大宮宿~上尾宿」を歩いてからまもなくの2004年春の好天の休日、切りの無い仕事にケリをつけ、「中山道を歩く」の続きをする気になり、前回の終点JR上尾駅に向かった。
午前9時頃 JR上尾駅を出発→遍照院→雷電神社→(旧中山道・国道164号)→「桶川宿」桶川市境界→富士見通り交差点→竹村旅館→桶川市駅前交差点→旧北本宿碑→本宿交差点→「鴻巣宿」本町交差点→鴻巣駅入口交差点→鴻神社→加美交差点→(旧中山道・国道365号)→箕田観音堂→箕田氷川八幡神社(綱八幡)→吹上駅前交差点→吹上間の宿碑→榎戸踏切→久下・権八地蔵→(久下の長土手)→JR行田駅
JR上尾駅前
「桶川宿」
江戸から6番目の宿場・上尾宿から三十四町、
天保14年(1843年)では
人口1444人、家数347軒、本陣1、脇本陣2、旅籠36軒の
宿場だったという。
「武村旅館」
江戸時代、旅籠「紙屋半次郎」だった建物に大正時代手を加えられたもの。
間取り等はそのままで江戸後期の遺構として貴重であり
国の登録有形文化財に指定されている。
蔵造りの商家、本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡等 旧桶川宿之中心部。
旧北本宿碑・本宿交差点~ 宿が鴻巣に移された後 元の宿という意味で本宿と呼ばれ
桶川宿と鴻巣宿の間、「間の宿(アイノシュク)」として 賑わったという。
多聞寺
北本駅前交差点~浅間神社~鴻巣市境界・深井二丁目交差点
「鴻巣宿」
江戸から7番目の宿場・桶川宿から一里三十町
天保14年(1843年)では
人口2273人、本陣1、脇本陣1、旅籠58軒
の宿だったという。
この宿は 慶長7年(1602年)に
本宿村(現在の北本市の本宿)の宿場を移して「鴻巣宿」とされたという。
人形の町、有名な人形店が軒を連ねている。
江戸時代から 雛人形産地。
関東三大雛市の一つとして繁栄してきた。
本町交差点~鴻巣駅入口交差点~鴻神社~
加美交差点~(旧中山道・国道365号)~箕田地区~ 静かな農村地帯
箕田観音堂~箕田氷川八幡神社(綱八幡)~
「武蔵水路」
町並みが途切れて水田地帯が広がっています。
吹上駅前交差点
「権八地蔵」 歌舞伎で 白井権八が ここで 人を殺し 金を奪ったのを見ていた地蔵に
「このことは 他言するなよ」と話すと
地蔵が 「われは 言わぬが お主も言うなよ」と言ったところから
「物言い地蔵」とも 呼ばれているそうだ。
「久下(くげ)の長土手」 「久下の長土手 深谷の並木 さぞや寒かろ寂しかろ」等と謡われている荒川堤防。
熊谷八丁堤とも言われているようです。のどかな景色が広がっています。
第3日目は 「熊谷宿」まで歩く予定だったが、
久下から「熊谷宿」までは さらに 1時間半程掛かりそうなため
「中山道を歩く」3日目は この辺りで止めることにし
最寄りに駅JR行田駅に向かった。
午後4時頃 JR行田駅に到着。
約20km歩いたようだ。
(「中山道を歩く」(山と渓谷社)から拝借画像)
(つづく)