たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

裏高尾 木下沢梅林

2020年03月12日 12時27分38秒 | 散歩・ウオーキング

当地 今日も 好天、絶好のお出掛け日和である。
午前中、病院予約有りの妻の送迎、その後、好天に誘われて、ちょこっと車を走らせて 裏高尾の「木下沢梅林(こげさわばいりん)」に 立ち寄ってきた。
新型コロナウイルス感染症拡大予防対策のため 毎年行われている「高尾梅郷梅まつり」は 中止になっており 「木下沢梅林」も 園内に入ることは出来なくなっているが 林道から眺めることは 出来る。やはり 梅満開の時期、三々五々訪れる人は 絶え間ない。

滞在時間、十数分、
コンデジで やたらカシャ、カシャ撮って、引き返してきた。

「木下沢梅林」は 
約1400本もの白梅、紅梅が有る梅の里で 
「高尾梅郷梅まつり」の特別解放日のみ
梅林の中を散策することが出来る。

 


もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし

2020年03月12日 09時51分44秒 | 懐かしい小倉百人一首

書棚整理中に 息子が学生の頃 使っていたと思われる「小倉百人一首」(解説本)が目に止まり 
ページを捲ったところ、懐かしくなってしまい、「ミイラ取りがミイラに」。
結局 廃棄処分出来ず、座右の書になっているが、今更になって 「へー!、そうなんだ」、目から鱗が落ちている爺さんである。

小倉百人一首で春を詠んだ歌 その9

もろともに あはれと思へ山桜
花よりほかに 知る人もなし

出典
金葉集(巻九)

歌番号
66

作者
前大僧正行尊

歌意
私がおまえのことを心なつかしく思うように
おまえもいっしょに 私をしみじみとなつかしく思っておくれ、
山桜よ、このような山奥では 桜の花のおまえよりほかに
わたしの心を知ってくれる者もいないのだから。

「もろともに」・・一緒に、お互いに の意。
「あはれ」・・しみじみと心にしみてなつかしい の意。
「花」・・山桜のこと、

注釈
「金葉集」の詞書(ことばがき)には 
「大峰(おおみね・奈良県吉野郡にある修験者の道場)にて
おもひをかけずさくらの花咲きたりけるをみてよめる」とある。
「花」を「人」に見立てて呼びかける擬人法。
大峰入りした作者が 険しい自然の中で見出した可憐な山桜の美に 
無限に懐かしさを感じてしまい、孤独に徹しようとしながらも 
人恋しさという僧侶として邪念の感情を捨て切れず、
せつなく訴える歌になっている。

前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)
参議源基平の子、
12歳で三井寺に入り、17歳から諸国を遍歴、
天台座主から大僧正に叙せられた。
山伏修験の行者として有名で
白河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇 三大の天皇の護持僧となった。


参照・引用
「小倉百人一首」解説本(文英堂)


(とりあえず おわり)

書棚整理中に 
息子が学生の頃 使っていたと思われる
「小倉百人一首」(解説本)が目に止まり 
ページを捲ったところ、懐かしくなってしまい、
「ミイラ取りがミイラに」。

結局 廃棄処分出来ず、座右の書になっているが、
今更になって 「へー!、そうなんだ」、
目から鱗が落ちている爺さんである。

 

 

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3月11日の庭の花

2020年03月11日 20時50分00秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

2011年(平成23年)3月11日に 東日本大震災が発生した。
あれから今日で9年目になるが、あの日、あの時のことが 昨日のように蘇ってくる。
国内観測史上最大マグニチュード9.0の巨大地震、それに伴う津波災害、さらに福島原発事故、死者・行方不明者 2万2167人、そんな世界史上にも刻まれるような未曽有の大災害が 自分の生涯の内に有ったことを 今更になって改めて深く思ったりする。
今も尚 4.7万人の方々が避難生活をされておられるという。復興の道半ば。前日までの平穏な暮らしをほんの一瞬で失った被災者の方々の9年間を思うと心痛む。
決して他人事では無い。大災害は 忘れた頃にやってくる。忘れてはいけない。

花は咲く(YouTubeから共有)

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当地 今日は ポカポカ、4月の陽気だった。
猫の額程の、放ったらかしの我が家の庭だが、
ちゃんと季節を感じ 健気に咲く花もある。

スノーフレーク
別名 鈴蘭水仙、大待雪草、

オオアラセイトウ(大紫羅欄花) 
別名 ムラサキハナナ(紫花菜)、ハナダイコン(花大根)

ユスラウメ(山桜桃梅)
一輪、二輪 咲き始めている。


ジャガイモ植え付け他

2020年03月11日 17時50分33秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地 今日は 快晴、
日中の気温は 20度前後まで上がったようだ。
相変わらず 日替わり天気が続いているが 今日は文句無しのポカポカ陽気。
今年は 異常な程の暖冬だったため、
春先の植物の生育や開花は おしなべて例年より1週間から10日位は早いようだ。
野菜の種蒔きや植え付け時期も 加減して少し早めた方がいいのかも知れない。
関東西部山沿いの当地、冬期の気温は平地よりやや低く、
元々の地元の人から 「ジャガイモの植え付けは お彼岸の頃が最適・・」等と教わり 毎年右へ倣えでしてきたが 今年は 少し早くしよう・・ということで
今日 ジャガイモ植え付けと 相成った。

(1)ジャガイモの植え付け、
   先日下準備しておいた畝5畝、基肥を施し、種イモを置き、
   土を被せて 完了。

(2)イチゴの草取り、捕植、追肥

マルチングは 次回にすることにして・・、

しゃがんだり、中腰の作業ばっかり・・、
足、腰、痛!、痛!、
体力限界、時間切れ・・、
撤退
明日、明後日、筋肉痛、腰痛 発症必至。

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今日の収穫

ホウレンソウ

大根

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畑の周りも 春の花


七十六の瞳と「仰げば尊し」

2020年03月11日 07時33分32秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

毎年 2月下旬から3月の今頃になると 必ず思い浮かべる情景(イメージ)がある。

雪解けが進み、ところどころに黒い土が見え始めた校庭、まぶしい陽光と雨だれの音、音楽室から聞こえてくる足踏みオルガンの音色「仰げば尊し」の歌声、卒業式を控えて 各学年が合唱の練習をしている情景である。

昭和20年代から30年代前半、M男は 北陸の山村の1学年1クラスの小さな学校、しかも 体育館(講堂)、音楽室、教員室、玄関、便所・・等々共用の 小中併設校で学んだ。



当時は 転入転出等ほとんど無かった農村のこと、結果、小学1年生から中学3年生までの9年間、ほぼ不動の同級生と机を並べて 過ごしたことになる。
因みに M男の中学卒業時の同級生は 38人だった。
運動会も、文化祭も、学芸会も、全て小中学校合同で行われてはいたが、中でも卒業式が一番心に残っているような気がする。
小さな体育館(講堂)で 中学卒業生、小学卒業生が 一人一人卒業証書を授与され、最後に 「仰げば尊し」を 卒業生と在校生が交互に合唱・・・、1番を卒業生が、2番を在校生が、3番を全員で・・だったと思う。
周辺の高い峰々はまだまだ白く、春は名のみの風の寒さの山村だったが、長い冬からようやく解放され始めた喜びと「仰げば尊し」の旋律が重なり合って 子供心にも深い感慨を覚えたのだと思う。
「仰げば尊し」は 春を待つ心情と郷愁を誘う1曲になっているのある。

「仰げば尊し」(YouTubeから共有)

仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば

互いに睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

朝夕馴れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば


ヒメリュウキンカ(姫立金花)

2020年03月10日 13時13分56秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

当地 今日はまた、昨日の好天とは打って変わって、朝から雨が降り続いている。相変わらず、日替わり天気の日日だ。
新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため、図書館も、プールも、各種公共施設も、どこもかしこも休館中、閉鎖中、中止中・・・、
キョウヨウ無し、キョウイク無し、(今日出掛ける用も無し、今日行くところも無し)
さて、さて・・、

記憶力減退爺さん、もともと花や植物にも極めて疎く、一度や二度教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れる類であるが 知った瞬間、分かった瞬間は とりあえず、「すっきり!」するというものだ。

毎度 コンデジで やたらカシャ、カシャ撮っている写真の中には 名前も 知らない、分からない、忘れてしまった花が 次々有り、その都度 「君の名は?」状態となる。
花に詳しく、さっ!と 名前が出てくるような方からは 「そんな花も知らないの?」と言われそうだが、仕方無い。 
昨日 川沿いの土手で撮った黄色の花もそうだ。
「春の花」・・・、「黄色」・・・、で ネットで調べてみた。


ヒメリュウキンカ(姫立金花)

キンポウゲ科、キンポウゲ属 多年草、
    リュウキンカ(立金花)に似ていることから付けられた花名だが
    属は異なる。
    別名 「オオシュウキンポウゲ(欧州金鳳花)」、
原産地 イギリス、ヨーロッパからシベリアに分布
    日本には園芸種として渡来したものが野生化、
    山地の林の中や川沿いの草原等に自生している。
花色 光沢有る黄色、
   8枚~9枚、花びらのように見えるものは咢片、
開花時期 2月頃~5月頃
花言葉 「あなたに会える幸せ」「会える喜び」「富」「必ず来る幸福」


 

 


花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

2020年03月10日 10時59分46秒 | 懐かしい小倉百人一首

小倉百人一首で春を詠んだ歌 その8

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり

出典 
新勅撰集(巻十六)

歌番号
96

作者
入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)

歌意
桜の花を誘って吹き散らす山嵐が吹く庭の 
降りゆく花の雪ではなくて 
本当に旧り(古)ゆくのは(老いてゆくものは) 
私自身であることよ

「花さそふ嵐」・・桜の花を誘い散らす嵐。
「雪ならで」・・雪ではなくて 桜の花が散るのを雪に見立てている。
「ふりゆくものは」・・桜の花が降りゆく(ふりゆく)と 
自分が旧(古)りゆく(ふりゆく) の掛詞。
「・・は・・・けり」・・は そのことに初めて気がついたという
気持ちを表している。

注釈
「新勅撰集」の詞書(ことばがき)では 
「落花をよみ侍(はべ)りける」と有るが 
作者にとっては、桜の花を詠もうとしても 
雪を連想するより 人の命のはかなさが身につまされるという
実感がこもっている歌である。
当時は すでに政治の実権は鎌倉幕府に移っていたが 
太政大臣にまで昇進した作者。
上の句の華麗さと 下の句の嘆きが対照的で 
花の美を老残の悲哀で否定した作品といえる。

入道前太政大臣
藤原公経(ふじわらきんつね)
藤原定家の義弟。
内大臣坊城実宗(ぼうじょうさねむね)の子。
源頼朝の妹婿藤原能保の娘を妻としたため、
後鳥羽院に嫌われたが、
承久の乱で鎌倉方に内通、
鎌倉幕府の権勢を背後に栄華を誇った人物。


川柳
「花さそふ 所で聟(むこ)は たち別れ」
町内で花見に出掛けての帰り、
権力の無い聟さんは 
花の里(遊郭等遊び場所)へ行くことが許されず 
皆と別れてすごすご家に帰るという哀れな句。


参照・引用
「小倉百人一首」解説本(文英堂)


「へー!、そうなんだ」
今更になって 目から鱗が落ちている。


ポカポカ陽気に誘われて・・、

2020年03月09日 16時12分25秒 | 散歩・ウオーキング

当地 今日は、昨日とはまた打って変わって 4月並みのポカポカ陽気の1日だった。
ここのところ、閉じ籠り気味、今日こそは・・・、
鈍った老体に鞭を入れて、近くの川沿い等を ちょこっと歩いてきた。
毎度のこと、
「右左、上見て下見て 爺散歩」
コンデジで カシャ、カシャ撮りながら・・、
スマホの歩数計で 約10,000歩。
天気予報では 天気下り坂、夕方には雲が広がり出したが、
日中は 長袖シャツで汗ばむ程、
多分 場所によっては 20度前後まで上がっていたのかも知れない。
早咲きの桜が 一気に満開になっている。

ヒュウガミズキ(マンサク科)

ペチコート水仙、


デジブックを見る その34 「夜に咲く花カラスウリ」

2020年03月09日 05時45分30秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

数年前に初めて知り、利用してきた「みんなのデジブック広場」は もう直ぐ、2020年3月31日をもって、全てのサービスを終了するという。せっかく見様見真似で作ったデジブックではあるが 改めてじっくり見る・・・なんていう機会もほとんど無いまま、消えて無くなってしまうことになりそうだ。消えて無くなる前に 見納めのつもりで ボチボチ見ておこう等と思っているとことろだ。

花や植物にも疎い爺さん、数年前までは そんな花が有ることすら知らなかったものを、ある方のブログ拝見で知った花があった。
夜咲き、翌朝には萎んでしまう花、カラスウリ(烏瓜)、いわゆる蔓性の雑草の類である。それまで全く気が付かなかったが、それが、なんと 隣りの駐車場の隅で蔓延っていた。昨年の夏の夜、蚊に刺されながら 撮った写真をデジブックにしてある。何しろ、ヘッドランプ、コンデジ、手持ち撮影で、ピンボケ写真ばかりであるが。

デジブック「夜に咲く花カラスウリ」 → こちら


「コーヒー・ルンバ(Coffee Rumba・Moliendo Caf'e)」

2020年03月08日 15時16分20秒 | 懐かしいあの曲

当地 今日は 朝からずっと冷たい雨降り続き、
冴えない日曜日になっている。
雨の中、午前中は あっちだ、こっちだ 買い物に付き合い、
午後は 暇、暇、暇
手持無沙汰な時間、
コーヒーでも飲みながら・・・、

ふっと思い浮かんだ曲、「コーヒー・ルンバ」

昭和30年代後半から40年代頃 ラジオ等から盛んに流れてきていて 脳裏に焼き付いた曲であるが、
今更になって ネットで調べてみると
「コーヒー・ルンバ(Coffee Rumba)」は アルバ奏者のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)演奏で 世界的に大ヒットした曲であり、原曲は ウーゴ・ブランコの叔父であるベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ベローニ(Jose Manzo Perroni)が 1958年に作詞・作曲した「モリエンド・カフェ(Moliendo Caf'e)」(コーヒーを挽きながら)なのだという。
多くの歌手や楽団にカバーされているようだが 日本では 西田佐知子、ザ・ピーナツが歌った「コーヒー・ルンバ」が 最も知られているような気がする。
曲名では 「ルンバ」となっているが ルンバのリズムとは程遠く ウーゴ・ブランコが生み出した「オルキデア」という独特のリズムの曲である。

ウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)の「コーヒー・ルンバ(Moliendo Caf'e)」

西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」

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