たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

池波正太郎著 「あいびきー江戸の女たち」

2023年01月26日 18時30分22秒 | 読書記

図書館から借りていた、池波正太郎著「あいびきー江戸の女たち」(立風書房)を、読み終えた。本書には、すべて女性が主人公の、「おせん」「平松屋おみつ」「おきぬとお道」「梅屋のおしげ」「蕎麦切おその」「出刃打お玉」「あいびき」「御菓子所・壺屋火事」「狐の嫁入り」「伊勢屋の黒助」「お千代」「烈女切腹」の12篇の短編時代小説が収録されている。男中心の江戸の町にあって、精一杯、恋と生を貫こうとした女性達の健気な人生を描いた作品群である。のちに、「おせん」と改題されて、新潮文庫でも発刊されているそうだ。

「おせん」
▢主な登場人物・おせん(主人公)、川口屋金蔵、弥四郎、おこん、おみね、山口有吉(定廻り同心)
▢あらすじ・紅白粉問屋の福田屋庄助に金を無心する脅迫状が届いたが、その曲者は、飾り職人の弥四郎という男で捕らえられた。余罪多数の弥四郎の取り調べで、呼び出されたおせんは迷惑顔、かって弥四郎がおせんの客だったからであるが、弥四郎は島送りとなった後、弥四郎の女房おこんが、弥四郎の母親おみねをおせんに押しつけてきた。なんで?、おもわぬ展開に、おせんは迷うのだが・・・。

「平松屋おみつ」
▢主な登場人物・おみつ(主人公)、徳之助(おみつの父親)、甚五郎、柳屋平兵衛、平松屋利七、おりん、利太郎、お千代、安蔵
▢あらすじ・煙管師だったおみつの父親徳之助が殺された。犯人は侍か?、復讐心に燃えるおみつだったが、まったく手がかりがないままに月日は流れてしまう。やがて、おみつは小間物問屋平松屋に奉公することになる。内儀のおりんは口やかましい人間だったが、おみつはよく仕え可愛がられた。ある日、平松屋の店先に行き倒れの老人安蔵が・・・。その安蔵は、三人組の浪人に襲われた平松屋の長女お千代を助け、致命重傷を負い死ぬ。死の直前、懸命に看護するおみつに安蔵は、身の上や過去を打ち明けるのだったが・・・。

「おきぬとお道」
▢主な登場人物・お道(主人公)、木村万次郎、木村徳之助、よね、おきぬ
▢あらすじ・御家人木村家の次男坊万次郎に結納金不要の縁談が持ち込まれる。相手は、御家人平山甚五郎の、容姿に問題有り娘お道で、万次郎はそれを確かめ、げっそりするが、もう一つ、支度金百両を用意するという縁談が飛び込んできた。相手は菓子屋松尾山寿の娘で美人のおきぬ。万次郎は商人になるつもりで迷いもなくおきぬを選んだが・・・・。まさか・・・。万次郎は、江戸から姿を消してしまった。大政奉還、鳥羽伏見の戦い、江戸城開城、徳川征討大号令、時代は激動、8年が経過し、江戸へ帰ってきた万次郎は?・・。おきぬは?、お道は?

「梅屋のおしげ」
▢主な登場人物・おしげ(主人公)、おうめ(おしげの姉)、宗助、友五郎
▢あらすじ・幼い頃に疱瘡を患って、顔いちめんあばたの13歳のおしげ。そのおしげを宗助という男がつけてきた。おしげの姉おうめを探していたのだが、姉が宗助にずいぶんひどい仕打ちをしたことを知り、姉を捜し当て、そのことをなじると、おうめは邪険な態度を取り、暴言を吐き、かぁーとなったおしげがおうめを金火箸で刺してしまい、身投げをはかる。漁師の友五郎に助けられ、江戸を脱出、15年後、東海道藤枝宿に、おしげと友五郎の姿が有るが、ある日、「お前、おしげじゃないかえ?」・・「あ・・・・、ね、ねえさん・・・・」、おうめは生きていた。

「蕎麦切おその」
▢主な登場人物・お園(主人公)、治太郎、おない、相模屋幸右衛門
▢あらすじ・信州飯山から遠縁の東海道藤沢宿の桔梗屋に女中奉公しているお園は、蕎麦粉と酒だけしか受け付けない体質の片輪者だったが、そのお園のつくる蕎麦切りは大評判となり、桔梗屋は大繁盛。本陣や同業者からは、反感、妬み、やっかみが日増しに強くなり、そんな中で、お園は身籠った。桔梗屋の女将おないは、亭主治太郎が相手だと思いこみお園を追い出してしまう。お園は、小田原宿、戸塚宿でも、他の店に奉公し、評判を得たが・・・・、浪人者に・・・。相模屋幸右衛門が「お前、いま、何を食べているのだい?」・・・「旦那、もう、死にません」・・・。
後年、軽業女太夫玉木小新一座を束ねている小新の母親の右腕が無い・・、

「出刃打お玉」
▢主な登場人物・お玉(主人公)、増田正蔵、森藤十郎、順庵、新助、おろく、
▢あらすじ・けころ(娼婦の店)みよしやのお玉のその日の口あけの客は、信州飯山藩足軽小頭増田喜兵衛の一人息子で返り討ち覚悟で敵討ちに臨むという若者増田正蔵だった。お玉の放ったアジ切包丁が、森藤十郎の右眼に突き刺さり・・・。20年の歳月が経過、飯山藩江戸屋敷定府取次役に出世した増田正蔵と再会したお玉(55歳)・・。畳針が正蔵の右目に・・・。お玉は、若い頃、軽業女太夫玉木小新一座で出刃打ちの芸を身に着けていたのだった。

「あいびき」
▢主な登場人物・お徳(主人公)、扇屋仁兵衛、覚順、井筒屋文吉
▢あらすじ・菓子屋の扇屋仁兵衛の女房お徳が覚順とあいびきをしているのを見ている者がいた。それは幼なじみだった井筒屋の文吉であったが・・・・・、脅迫、ゆすりを常習とする人間になっており・・・、お徳は、金蔵から三十両を持ち出し・・、ところが・・・。文吉は?、覚順は?

「御菓子所・壺屋火事」
▢主な登場人物・おしま、お伝(主人公)、惣次郎、壺屋小兵衛、よね、渡辺寅之助(同心)、鎌吉(御用聞き・岡っ引き)、
▢あらすじ・惣次郎は、壺屋小兵衛の女房よねの贔屓で手代となって有能ぶりを発揮していたが、これに、小兵衛以下他の手代から嫉妬、やっかみを強め、衝突、事件が起きる。小兵衛は、同心、御用聞きをも金で巻き込み、惣次郎を処刑に追いやる。惣次郎の前の勤め先加賀屋友蔵の女房おしまのもとへ、壺屋小兵衛の元女中お伝が訪ね、真相が明らかになり・・・。許せない・・・。

「狐の嫁入り」
▢主な登場人物・おだい(主人公)、弥治郎、おせつ、清次郎、おみつ、牝狐
▢あらすじ・笠屋弥治郎は、夢で牝狐が向う一年間この家においてくれと言われる夢を見る。女房のおせつは病床にあり、何をやらせてもダメな下女おだいをあてに出来ず、弥次郎は、商売、家事、看病に追い回され疲れ果てていたが、その夢の後、驚くべきことが起こった。・・・。おだいが別人に・・・。おせつが死去し、弥次郎は・・。そして、1年後、また夢を見た。おだいが・・・。

「伊勢屋の黒助」
▢主な登場人物・弥助、伊勢屋久兵衛、黒助(猫)、おきぬ
▢あらすじ・裏長屋で一人暮らしの棒手振り魚屋の弥助は、金は一文も無く病気で瀕死の状態だったが、枕元に小判が3枚?。お得意さんの紙問屋伊勢屋久兵衛で飼っていた黒猫が気になり訪ねると・・・。「まさか」。3年後、おきぬという女房ももらい、男の子が生まれ、名を「黒助」とした

「お千代」
▢主な登場人物・おかね(主人公)、松五郎、お千代(雌猫)、大喜喜兵衛(大工の棟梁)、吉田道竹、おふさ、
▢あらすじ・飼い猫のお千代との生活で満足していた、大工の松五郎がおかねと所帯を持ったのは棟梁喜兵衛から強制されたためだったが・・・。事件発生、姦通?、殺人?・・・。後妻のおふさは逃げ出し・・・。12年の歳月が経過、恩赦で三宅島から江戸に戻ってきたおかねに、「おかね、さすがのあいつも、五年前にあの世へ行ったよ」

「烈女切腹」
▢主な登場人物・りつ(主人公)、渡辺茂太夫、大須賀五郎兵衛、高山儀右衛門、
▢あらすじ・りつは、武州岩槻藩江戸屋敷内の長屋から鎖帷子を純白の衣装の下に着込み、側用人の渡辺茂太夫の長屋を訪ね、茂太夫と嫡男の権之丞を脇差しで斬殺した。藩主阿部対馬守正重は激怒、りつに切腹を命じるが、家中で評判の良くなかった奸臣渡辺茂太夫にそれまで牛耳られていた家老家臣達が、こぞってりつの助命運動が立ち上がった。しかし切腹は撤回されなかった。切腹前夜、りつは、許すことの出来ない大須賀五郎兵衛との面会を許され・・・。りつの決意は、決して、御家のため、殿のための忠義では無く、夫と子供を理不尽に退けられた恨みだったと・・・・。
江戸家老高山儀右衛門が馬を駆って本所下屋敷に駆けつけたが・・・・、「法には道義がふくまれてのうてはなりませぬ。人・・・人の道義あればこそ・・・・人は法を、信ずるのでございます」


4日振りの散歩・ウオーキング

2023年01月26日 16時23分48秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は、6時47分頃、
早朝の気温は、ー6℃前後、天気は、快晴。
今冬最強の寒波襲来で、北海道や東北の日本海側、北陸、山陰から九州に至るまでの広い範囲で、一昨日、昨日、大変な風雪被害、交通混乱が生じたが、今日は、全国的に寒波も緩んで、正常に戻りつつあるようで、ホッとしているところだ。
当地も、降雪や異常低温注意報等が出されていて、身構えていたものだが、
今朝、周辺の山並みを見ても、降雪積雪の様子は見えず、路面凍結も無く、一安心。
ただ、緩めておいた屋外の水道の蛇口から流れ出た水は氷りついていた。

寒さに縮こまり、家籠もり、
もう3日も歩いていないし・・・、
いかん、いかん、
午後になってから、やおら重い腰を上げ、
近くを歩いてきた。
風は無く、陽射しは、体感的には温かく、
スマホの歩数計で、約9,300歩。

ツバキ

 

ジョウビタキ(メス)            ジョウビタキ(オス)

 

ヤドリギ(宿り木)

おまけのおニャン子
日向ぼっこ?・・かい

 

 


あの人の どこがいいかと 尋ねる人に どこが悪いと 問い返す

2023年01月25日 10時37分21秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸(どどいつ)」を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」「落語」「漫才」「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に、初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。「ことわざ」の感覚で、これまで聞いたことが有る、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。


都々逸作品例その6 
「あの人の どこがいいかと 尋ねる人に どこが悪いと 問い返す」


(ネットから拝借イラスト)


「都々逸」で、ネット検索していたところ、
偶然見つけた傑作?都々逸 (再)

平成22年2月25日の、テレビ番組「笑点」で
出演者が、有名な都々逸
「お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪が 生えるまで」の
「お前」と「わしゃ」を生かした替え歌を
発表していたようだ。会場は、大爆笑だったと思われる。
一部、引用させていただいた。

お前歯ぎしり わしゃ大いびき ともに奏でる 二重奏

お前山形 わしゃ新潟で どうりで家庭が ガタガタだ

お前ひまわり わしゃ月見草 ノムさん家でも ボヤいてる

お前寄せ鍋 わしゃおでん鍋 似た者フーフー 息が合う

お前有るのか わしゃ金無いよ いちにのさんで 食い逃げか?

お前富士子で わしゃ歌丸よ 白髪どころか ハゲチャビン

ワハハハハ・・笑いが止まらない。
円楽?、小遊三?、好楽?・・・
だいたい、誰の作品か、見当がつく・・・。


振り返り記事

都々逸作品例その1 ⇨ こちら
都々逸作品例その2 ⇨ こちら
都々逸作品例その3 ⇨ こちら
都々逸作品例その4 ⇨ こちら
都々逸作品例その5 ⇨ こちら


 

コメント (3)

「明るい表通りで(On the Sunny Side of the Street)」

2023年01月24日 17時57分12秒 | 懐かしいあの曲

当地、今日は、朝の内、曇っていたが、次第に青空が広がり出し、
まずまずの天気だったが、気温は上がらず、冷え冷えした1日だった。
散歩・ウオーキングに出掛けようか、どうしようか、迷った挙げ句、
寒!、寒!、で 取り止め、
結局、家籠もりで終わってしまい・・・、
夕食前の手持ち無沙汰に時間、相互フォロワー登録している方のブログ拝見していて、
「アッ!、そうだ」、久し振りにジャズを聴きたい気分になり、古いCDを引っ張り出して聴いているところだ。その内の1枚、「ルイ・アームストロング(Luis Armstorong)」

「セ・シ・ボン」、「ハロー・ドリー」、「セントルイス・ブルース」、「バラ色の人生」、「アルベリー・・ヒル」、「浮気はやめた」、「セント・ジェームス病院」、「明るい表通りで」、「アラバマに星落ちて」、「ベイズン・ストリート・ブルース」、「夢を描くキッス」、「マック・ザ・ナイフ」、「聖者の行進」、「キャバレー」

その内の1曲、「明るい表通りで」を、YouTubeから共有させていただいた。
今更になってネットで調べてみると
「明るい表通りで(On the Sunny Side of the Street)」は、1930年(昭和5年)に、ジミー・マクヒュー作曲、ドロシー・フィールズ作詞で、ブロードウエイのミュージカルで紹介された曲なのだという。その後、数多のジャズの巨匠により演奏され、ジャズのスタンダード・ナンバーになっている。

ルイ・アームストロングの「明るい表通りで」

 

 


百人一首で「冬」を詠んだ歌(まとめ)

2023年01月24日 09時26分43秒 | 懐かしい小倉百人一首

「小倉百人一首」で、「冬」を詠んだ歌と言われているものは少なく、一般的に6首とされている。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきた記事を振り返り、まとめてみた。


百人一首で「冬」を詠んだ歌

心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 ⇨ こちら

田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ ⇨ こちら

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば ⇨ こちら

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 ⇨ こちら

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関守 ⇨ こちら

鵲の 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける ⇨ こちら


 

コメント (2)

「真白き富士の根(嶺)(七里ヶ浜の哀歌)」

2023年01月23日 18時16分09秒 | 懐かしいあの曲

1月23日「今日は、何の日?」
ネットで検索してみると、「電子メールの日」「八甲田山の日」「真白き富士の嶺の日」「アーモンドの日」「ワンツースリーの日」等々、いろいろ有りだが、
「真白き富士の嶺の日」・・・???、
解説を読むと、1910年(明治43年)1月23日に、神奈川県鎌倉市七里ガ浜で、逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆し、全員が死亡する事故が有った日なのだそうだ。その追悼式に、開成中学の系列校の鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)の教師だった三角錫子が鎮魂歌として作詞した「哀歌(真白き富士の根)」が歌われ、1915年(大正4年)には、そのレコードが発売されたのだそうだ。
子供の頃、「真白き富士の嶺」を、学校で習ったものかどうかの記憶は曖昧だが、何故か強烈に脳裏に焼きついている楽曲のひとつである。そして、「泣ける歌」でも有る。
メロディーの原曲は、アメリカの讃美歌なのだそうだ。

三角錫子 作詞
「真白き富士の根(嶺)(七里ヶ浜の哀歌)」

             真白き富士の嶺、緑の江の島、
             仰ぎ見るも、今は涙、
             帰らぬ十二の、雄々しきみたまに、
             捧げまつる、胸と心、

             ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)、
             風も浪も、小(ち)さき腕(かいな)に、
             力も尽き果て、呼ぶ名は父母、
             恨みは深し、七里ヶ浜辺、

             み雪は咽(むせ)びぬ、風さえ騒ぎて、
             月も星も、影を潜め、
             みたまよ何処に、迷いておわすか、
             帰れ早く、母の胸に、

             みそらにかがやく、朝日のみ光、
             暗(やみ)に沈む、親の心、
             黄金(こがね)も宝も、何にし集めん、
             神よ早く、我も召せよ、

             雲間に昇りし、昨日の月影、
             今は見えぬ、人の姿、
             悲しさあまりて、寝られぬ枕に、
             響く波の、音も高し、

             帰らぬ浪路に、友呼ぶ千鳥に、
             我も恋し、失(う)せし人よ、
             尽きせぬ恨みに、泣くねは共々、
             今日も明日も、かくてとわに、

「真白き富士の根(嶺)(七里ヶ浜の哀歌)」・唄 ミス・コロムビア(松原 操)

コメント (8)

古い写真から蘇る思い出の山旅・その31

2023年01月23日 11時36分52秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真がブログから消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。

「gooブログ」に引っ越してくる以前、「OCNブログ」時代、2012年2月17日に、書き込んいた記事、「伊豆ケ岳と武川岳」が、目に止まり、懐かしくなってしまい、コピペ、リメイクすることにした


古い写真から蘇る思い出の山旅・その31
「伊豆ケ岳(いずがたけ)と武川岳(たかがわだけ)」

今から21年前2002年4月29日に、妻と二人で、奥武蔵の「伊豆ケ岳・武川岳」を訪ねたことが有った。事前に計画したものでは無く、連休の前半、自営の仕事の合間、朝思い立って、気晴らしドライブを兼ねて、急遽出掛けたような気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、写真は、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだもので、拙劣写真が数枚しか無い。記憶はどんどん曖昧になっているが、写真や当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。                                       

コース・歩程等

県立名栗少年自然の家前駐車スペース→ツガの木台→長岩峠→(男坂・鎖場)→伊豆ケ岳山頂→山伏峠→前武川岳山頂→武川岳山頂→(オオクリ沢コース)→県立名栗少年自然の家前駐車スペース 
(標準歩行所要時間=約4時50分)

(昭文社の「山と高原地図」より拝借)

午前8時頃、県立名栗少年自然の家前駐車スペースを出発、永井谷林道から左に入ると、しばらく、丸太の階段が続いている。ツガの木台付近では、ウグイス、ブッポウソウの鳴き声が聞こえ、
檜林では、チゴユリが見られた。

長岩峠で、正丸峠からのメインルートと合流
尾根上では、展望が開ける、


伊豆ケ岳山頂直下には、男坂、女坂の分岐が有るが、
当然の如く?、男坂(鎖場)の方を登った。

伊豆ケ岳山頂(標高851.4m)
3~4組の家族連れが休憩中、

伊豆ケ岳山頂から、一旦、山伏峠に下山し、武川岳へ登り返す。
2時間余り、急登に喘ぎ・・・・、

11時頃、前武川岳山頂(標高1,003m)を通過、
11時30分頃、武川岳山頂(標高1,051.7m)に到着。
子供の団体、7~8組のグループ、家族連れが居合わせ、
広い山頂もいっぱいだったようだ。

すっかり忘れていたが、
昼食は、ガスコンロ持参、「ラーメン」と書いて有る。
たっぷり休憩し、オオクリ沢コース、樹林帯を急下降

13時頃、県立名栗少年自然の家前駐車スペースに帰還、帰途に付いた。
やはり、数ヶ月振りの山歩きだったため、かなりバテたようだが、
初めての「伊豆が岳・武川岳」、十分堪能出来たのだと思う。

 


読めない書けない難漢字 No.53

2023年01月23日 06時26分28秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

普段、会話や文章で、あるいはテレビやラジオ、新聞等で、ごく普通に使われている言葉で、誰でも知っている言葉の中にも、いざ、咄嗟に漢字で書けと言われると、「???」となってしまう言葉が、結構有るものだ。
もちろん、漢字検定何級、漢字クイズ王なる人達にとっては、御茶の子さいさいなのかも知れないが、一度や二度、聞いても、教えてもらっても直ぐそのそばから忘れてしまう類の爺さんは、たまたまそんな漢字に出会うと、「へー!、そうなんだ・・」、その都度、目から鱗になってしまう。
今は、有難い世の中、漢字不勉強で語彙力の無い爺さんでも、PCやスマホの漢字変換ソフトのおかげで、ブログ等には、読めない、書けない難漢字でも、平気で、知ったかぶりして書ける時代だが、「じゃ、実際、自分で読んでみろ、書いてみろ」と、問題に出されたら、降参してしまうこと多しである。

先日、読んだ時代小説の中で目に止まった言葉「もんどりをうつ」の漢字表記も、そのひとつだ。「もんどりをうってたおれる」等とよく使われる言葉だが、漢字で書いたことも無ければ、あまりお目にかかったことも無い漢字のような気がする。漢字を知らなくたって暮らしで困ることも無し、今更覚えよう等という気はサラサラ無いが、書き留め置くことにする。












(漢字)

翻筋斗を打つ

(意味)

とんぼ返りをする。
「もんどり」は、髪を束ねて結んだ「髻(もとどり)」のこと。
髻を地面にぶつけるようにひっくり返る・・の意。

(使用例)

浪人は、翻筋斗打って、倒れた。

(拡大してみると)

翻筋斗を打つ

コメント (2)

待ち時間鳥撮り散歩で1万歩

2023年01月22日 21時12分11秒 | 散歩・ウオーキング

 

当地、今日も、日中の最高気温は、6℃前後だったようだが、晴天。
風が無かった分、体感的には、やや温かく、
午前中、6ヶ月点検のため、車をディーラーへ入庫した後、
待ち時間(約2時間)、敢えて、代車を借りず、
近くの川沿いを、ゆっくり、のんびり、
鳥撮り散歩で、時間潰しと、相成った。
スマホの歩数計で、約12,000歩、
久し振りに、1万歩超え・・・。

ダイサギ                  アオサギ

 

オオバンとカイツブリ、

 

カワウとオオバン、

 

オオバンが水中に潜ってエサ探しする様子を、
コンデジの動画機能で撮ってみた。(動画撮り練習)
👇
こちら

カルガモ

カワセミ

 


「北帰行」

2023年01月22日 06時48分05秒 | 懐かしいあの曲

相互フォロワー登録している数多のブログを拝見していて、毎年、秋、北から渡ってきて越冬し、春、北に帰る白鳥等多くの渡り鳥の写真を目にする度、必ず思い浮かんでくる曲がある。
「北帰行(ほっきこう)」だ。
昭和30年代、40年代頃、歌声喫茶等で良く歌われたり、ラジオから盛んに流れていた曲である。ダークダックスやボニー・ジャックス等のコーラス・グループや加藤登紀子等も歌っており、知らない人はいない曲だと思う。さらに、昭和36年には、小林旭が歌い、歌謡曲としても大ヒットしたが、それまでのイメージとはちょっと違った「北帰行」に思えてしまい、当時は、少なからず違和感を感じたものだったが・・・。

今更になってネットで調べてみると、
「北帰行」、元々は、旧制旅順高校で歌われていた愛唱歌で、広義では、寮歌だったのだという。1941年(昭和16年)に、開校したばかりの旧制旅順高校に入学した宇田博が、同校の第1回寮歌として作詞、作曲した楽曲なのだそうだ。
「へー!、そーだったの」、目から鱗である。
寮歌と言えば、とっさに、有名な、一高の「嗚呼玉杯に花うけて」や、三高の「琵琶湖周航歌」、「紅燃ゆる丘の上」や、北大の「都ぞ弥生の雲紫に」等が思い浮かんでしまうが、「北帰行」もまさしく、メロディー、歌詞共、旧制高校時代の寮歌である。

宇田博作詞、宇田博作曲
「北帰行」

              窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく
              北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず

              夢は空しく消えて 今日も闇をさすらう
              遠き想いはかなき希望(のぞみ) 
              恩愛(おんない)我を去りぬ

              今は黙してゆかん 何をまた語るべき
              さらば祖国いとしき人よ 
              明日はいずこの町か

              明日はいずこの町か

「北帰行」(YouTubeから共有)


振り返り記事「嗚呼玉杯に花うけて」 → こちら


 

コメント (6)