たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

あっという間にもう1月下旬

2023年01月21日 22時40分24秒 | スイミング

あっという間に、もう1月下旬、
時の過ぎ行く速さに愕然としてしまう。
今日は、1月第3土曜日、
スイミングクラブ成人クラスのレッスン日、
19時~20時のレッスンに出席して
先程、帰ってきたところだ。

若い頃からの持病の腰痛対策、
リハビリ的運動と決め込んで
続けているスイミング、 
脊椎矯正士にすすめられ、始めてから
かれこれ、30年にもなるが、
その効果がどれほどのものか等、
数値に出せるものでないにしろ、
元々、運動・スポーツ苦手な人間が、
ここまで続けてこられたのは、
高齢者対象の格安プール施設が近くに有ったことと、
マイペースで出来るスイミングが、
自分に適した運動、お似合いの運動だったからかも知れない。



今日は、若手のH指導員による平泳ぎ中心のレッスンだったが、
M4グループ、どういう分けか、今日は、出席者少なく、
いつもの半数、男性3人、女性4人だけ、
2レーン使用で、1レーン、なんと3人と4人
毎度のこと 基本、基本の繰り返しだったが、
特に、ストロークの姿勢をチェックされた。
レッスン終了後、H指導員に、
難聴のためよく聞き取れず、アドバイスや説明の度
接近して聞くようにしていることを、
改めて伝え、了解を得た。

レッスン終了後、例によって居残ったが、
今日は、なんと、疲れを知らない80代女性1人と80代の自分だけ。
2人では意気上がらず?、足も攣る寸前となり、
レッスン中に、700m~750mは、泳いでいるはずだし・・、
ということで、
クロール、50m×5本で、止めることにし
引き上げてきた。

泳いで帰ってからの遅い夕食、
毎度のこと、程よい疲労感と それなりのすっきり感、
350mlの格安缶ビールで、いい気分になっているところだ。


ふっと思い出した故郷の言葉 No.84 「こわっぽい」

2023年01月21日 15時44分52秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出しブログ・カテゴリー「懐かしい故郷の方言」に、書き留め置くことにしている。

当時の北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、
根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を 
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。


No.84 「こわっぽい」

「少し硬い」といった意味合いで使ったり、聞いていたような気がする。

例えば

「キョウノゴハン チョットコワッポカッタカイネ」
(今日のご飯、少し硬かったでしょうか)

「キョウトッタコマツナ コワッポイケン タベテクンナイ」
(今日採れた小松菜、少し硬いですが、食べて下さい)

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野菜、採ってこないと・・・、

2023年01月21日 15時12分03秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、早朝の気温は、3℃前後、日中は、7℃前後まで上がり、晴天。
冷え冷えしているものの、まずまずの天気。
収獲野菜の在庫が底をついてきたようで、
   野菜、採ってこないと・・・・・・、
ということで、午前中、Go To 畑! と相成った。

(1)ダイコン収獲、
   残っていたダイコン数本を全部収獲・・・・、
   片付き、すっきり・・・、
   1月下旬まで、よくもったが、
   流石に、かなり、スが入ったり、腐ったりの部分多く、歩留まり悪し。

(2)ネギ収獲、

(3)ホウレンソウ収獲、

(4)コマツナ収獲
   茎、ちょっと、コワッポソウ?

(5)大カブになってしまった小カブ収獲


   


「冬の星座」と「愛しのモーリー(Molly Darling)」(再)

2023年01月20日 20時38分18秒 | 懐かしいあの曲

西高東低の冬型気圧配置が強まると、北海道、東北の日本海側や北陸等に降雪積雪マークが付き、一方、太平洋側はカラカラに乾燥し、夜は、凍てつくように冴え渡った星空が仰ぎ見られることが多くなる。幼少期を雪深い北陸の山村で過ごし、冬の星空を仰ぎ見るような機会等滅多に無かった人間には、時々、普段あまり気が付かない星座等が見られたりすると、ちょっと感動してしまうことも有る。ただ、何分、地上が明る過ぎて、限られたものではあるが・・・。
もう7年前のことになるが、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になり、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社のカナダの紅葉を訪ねる格安強行ツアーに参加したことが有った。夜間、バスで、地上の明かりがゼロのロッキー山地を移動中、ある地点で、全天、宝石をちりばめたような星空を、車窓から眺め感動、眠気がすっとんで歓声を上げた記憶が有る。それは、現代の日本の明るい都市生活では見られない天然の美、その時、瞬間的に脳裏に浮かんだのは、唱歌「冬の星座」だった気がする。
唱歌「冬の星座」
今更になって改めてネットで調べてみると、
唱歌「冬の星座」の原曲は、1872年(明治4年)、アメリカの音楽家、ウイリアム・シェクスピア・ヘイズが作詞、作曲した「愛しのモーリー(Molly Darling)」という楽曲だった。日本では、1947年(昭和22年)に、堀内敬三が、原詞とは全く内容の異なる歌詞を付け、堀内敬三作詞「冬の星座」として、中学の音楽教科書に掲載されたのだそうだ。

原曲「Molly Darling」を、原詞をそのまま日本語訳すると下記のようになるのだそうだ。

愛しのモーリーよ、
僕だけを愛してるって言っておくれ
君を愛してる、君は僕のすべてだ、
愛してるって 言っておくれ
僕の手を取って 気持ちを感じて
君の心が欲しいんだ、
モーリー、最愛の人よ、
僕を愛してるかい?、愛しのモーリーよ、
答えはキスで受け取りたい
星は微笑む、愛しのモーリーよ
夜の闇の中でも
星は笑ってる、愛しのモーリーよ
月の女神が光を閉ざしても、
花々だけが開いている
恥ずかしそうに頭を垂れて
僕は君の名前を呼ぶときは、

原曲は、モーリーという女性を想う男の悶々とした狂おしい心境を歌ったラブソングだったのだ。

一方、唱歌「冬の星座」の方は、「日本の歌百選」の1曲にもなっているそうで、すっかり日本人の心に宿っており、毎年、凍てつき冴え渡った冬の夜空を仰ぎ見る時、必ず脳裏に浮かんでくる曲のひとつになっているような気がする。

木枯らしとだえて さゆる空より
地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
ものみないこえる しじまの中に
きらめき揺れつつ 星座はめぐる

ほのぼの明かりて 流るる銀河
オリオン舞い立ち スバルはさざめく
無窮(むきゅう)をゆびさす 北斗の針と
きらめき揺れつつ 星座はめぐる

カントリー歌手のエディ・アーノルド歌う、「愛しのモーリー(Molly Darling)」
(YouTubeから共有)

島田祐子歌う、唱歌「冬の星座」 (YouTubeから共有)

 

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池波正太郎著 「まんぞく まんぞく」

2023年01月20日 13時44分16秒 | 読書記

図書館から借りていた、池波正太郎著「まんぞく まんぞく」(新潮社)を、読み終えた。つい先日、雨降りの日に、テレビ奉行?の妻が録画しておいてくれた、昨年2022年12月30日放送、NHK-BSプレミアム、ドラマ「BS特集時代劇、まんぞく まんぞく」を観たばかりだが、その原作を読んでみたくなり、借りてきた書だ。本書は、「週間新潮」の昭和60年5月30日号から11月28日号に連載された長編時代小説だった。

 

▢目次
 「白い蝶」「九年後」「稲妻」「復讐」「菊日和」「急迫」「引鶴」

▢主な登場人物
 堀真琴(主人公)、堀内蔵助直照(堀真琴の伯父、旗本)、弥栄、
 鈴木小平太、山口庄左衛門、山崎金吾、
 佐々木兵馬(堀真琴の亡き実父)、元(堀真琴の亡き実母)、
 万右衛門、千代(万右衛門の姪)、
 織田平太郎道良(後に、堀平太郎道良)、織田兵庫、間宮新七郎(道場主)、
 桑田勝蔵(道場主)、関口元道(町医者)、
 友次郎(岡っ引き)、新蔵(岡っ引き)、お兼、小川佐七郎(南町奉行所同心)
 三河屋清七、
 戸田金十郎、井戸又兵衛、中島辰蔵、佐久間八郎(道場主)、
 滝十兵衛、沢井弥五郎、

▢あらすじ
江戸時代、老中田沼意次が権勢を振るっていた時代を舞台にした、女性剣士を描いた作品で、主人公は、大身旗本の堀内蔵助直照(ほりくらのすけなおてる)の姪で、実父(佐々木兵馬)、実母(元)の本当のことを明かされぬまま、後に伯父堀内蔵助の養女となる堀真琴(ほりまこと)
病床の乳母やすの見舞いに行った帰りに、浪人者2人組に襲われ、あわや犯されそうになった時、助けてくれたのは、町医者関口元道だったが、供の山崎金吾が殺されてしまう。真琴は、親とも思っていた山崎金吾を失い、その敵は自分で討つ決心をするが、旗本の娘が、家来の仇討ち等出来るはずもなく・・・・。
「九年後」では、剣術道場に通う男装をした堀真琴の姿を見ることになる。真琴は、実父、実母の本当のことを明かさぬ伯父堀内蔵助に不信感を持ち続け、反発、苛立ち、鬱憤バラシ、身勝手な言動に走る・・・・・、
百姓屋で、万右衛門千代と暮らしたり、縁組の話を持ちかけられた旗本の三男坊織田平太郎からは、「このような女、抱く気にもならぬ」と侮蔑され、お互いに意地を張り合い、関口元道からは、とことん諭され、一方で、逆恨みから命を狙われる真琴、「もはや,これまで」・・観念し・・・、「急迫」「引鶴」が、クライマックスになる。
病身を押して奔走していた伯父堀内蔵助は、後継者が決まって「まんぞく」。真琴、平太郎に、「わが家をたのむ」と言い残し死去。真琴も、意地を捨て「まんぞく」。物語の最後の最後で、万右衛門も、真琴の実父佐々木兵馬、実母元、山崎金吾についての秘密(真琴が知りたがっていた意外な事実)を明かさず胸に抱いたまま死去。「まんぞく」。
「もう わしは、何ひとつおもい残すことはない。・・・。安らかな死顔である。あたたかい日ざしが前庭にあふれ、北国へ帰る引鶴の群れが空をわたっていた。(完)」

 


大寒に まけじと老いの 起居かな  高浜虚子

2023年01月20日 07時42分18秒 | 暮らしの記録

(日本気象協会 「tenki.jp」より拝借)

天気予報によると、今週末から来週半ばに掛けて、今冬最強の寒気が南下して、日本列島に覆い被さってくるようだ。一時的に緩んでいた厳しい寒さが、再びやってきて、北海道、東北の日本海側や北陸等を中心に、大雪が心配されるところでもある。
折しも、今日、1月20日は、二十四節気の「小寒(しょうかん)」から数えて15日目、「大寒(だいかん)」に当たる。
さらに、今日から「立春」までの期間は、二十四節気の最後の節気、「大寒」と呼ばれるが、まさに、冬の真っ只中。まだまだ油断出来ない。
「冬来たりなば春遠からじ」、「春よ、来い、来い」・・、春の到来が待ち遠しい季節ではあるが、もうちょっとの辛抱である。

(ネットから拝借画像)


大寒に まけじと老の 起居(たちい)かな  高浜虚子

年老いて、寒い日には外に出るのも億劫になるが、
そんな寒さにも負けないで日常生活を送っていることよ


「大寒」で、「ブログ内検索」してみたところ、今から11年前2012年1月21日に書き込んでいた記事「特等席」が、出たきた。「gooブログ」に引っ越してくる前の「OCNブログ」時代の古い記事だが・・・・、
「おお!、懐かしい!」・・・、あの頃にはまだ、三毛猫「ノンノン」が、居たんだ・・・。


振り返り記事・2012年1月21日「特等席」 ⇨ こちら


 


冬来たりなば春遠からじ

2023年01月19日 17時58分33秒 | 詩・エッセイ

昭和20年代~30年代の北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、
根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を 
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。


「冬来たりなば春遠からじ」

「つらい時期を耐え抜けば、必ず幸せな時期は来る」というたとえ、長い冬を耐えて春を待つ気持ちの表現としてのことわざ・慣用句であり、若い頃から馴染んでいる言葉であるが、最近になって、それが、イギリスの詩人、パーシイ・ビッシュ・シェリー(Percy・B・Shelley)が、1819年、27歳の時に書いたと言われる長詩、「西風に寄せる歌(西風の賦)」の最後の一節、「If winter comes, can spring be far behind?」に、由来していることを知った。シェリーの作品は、明治時代以来、日本でも、数多の人たちに研究されたり、和訳されたりし、詩題も、訳詞も何通りかが有るのだそうだが、その一つ、平井正穂訳の「西風の賦」を、ネットから転載させていただいた。


「西風の賦」

パーシイ・ビッシュ・シェリー 作、
平井正穂 訳

(1)荒れ狂う西風よ、迸り出る秋の息吹よ、
   枯葉の群れが、今見えざるお前の傍らから吹きまくられ、
   妖魔から逃げ惑う亡霊のように飛び散ってゆく、
   そうだ、黄色く、黒く、青白く、或るいは不気味な赤みを帯びて、
   あたかも瘴癘に苦しむ者の群れのような、
   枯葉の群れがお前に翼をもった種子が暗い冬の寝床へと追いやられ、
   そこで、凍え、地中深く眠ろうとしている、まさに、
   墓場の下で眠る死骸のようにだ、だが、やがて、
   紺碧の空をかけるあの春風が、お前の妹が、やってくる、
   夢を見ている大地に向かって嚠喨たる喇叭を吹き鳴らし、
   (青草を食み勇みたつ羊のように、青空を仰ぐ蕾を萌えたたせ)
   野や山に生色を漲らせ、香気をあたりに撒きちらすはずだ、
   西風よ、お前は天地に充満し躍動する烈しい霊だ、
   破壊者であり保存者だ、聴け、この叫びを聴け、

(2)西風よ、揺れ動く大空を引き裂いて駆け抜ける奔流よ、
   今、その流れの上を、地上の枯葉にも似たちぎれ雲の群れが、
   縺れた枝のように空と海が絡み合った彼方から引き千切られ
   流れてゆく。この雲こそ、雨と稲妻の前触れなのだ、怒涛の、
   ように荒れ狂うお前の面の上に、あたかも恐るべき狂乱の、
   巫女の、天を衝かんばかりの爛々たる毛髪さながらに、
   朦朧と霞む地平線の彼方から中天にかけ、
   まさに今迫ろうとする嵐の振り乱した暗雲が、
   蕩々と拡がり一面に覆おうとしている。おお、西風よ、
   逝かんとすると死を悼む挽歌よ、刻々に迫り来る夜こそ、
   濛々と不気味に湿気のたちこめる、
   巨大な納骨堂の円蓋というべきか、陰々たる、
   その蜜雲から、まもなく暗き雨と閃光と雹が、
   迸りでるはずだ、聴け、この叫びを聴け、

(3)西風よ、お前は夏の日の夢を貪っていた青き地中海の眠りを、
   破った、そうだ、バイア湾に浮かぶ熔岩の小島の、
   ほとり澄明な潮流の渦巻きの音を子守唄と聞きながら、
   海面の波を通して射してくる強い日光をうけて揺れ動き、
   心に描くだけでも感覚が麻痺するような、
   蒼い苔に覆われた、
   遠い昔の宮殿や高い塔の夢をうっとりと、
   夢見ていた地中海の眠りを破ったのだ、
   西風よ、お前がひとたび大西洋の海原を疾駆すれば、
   漫々と漲る溢れる波濤は、忽ち裂けて深い溝となり、
   海底では、大海原の深海独特生気なき、
   葉を茂らせながら揺れる玉藻や海草の群れが、
   お前の怒号を聞きつけ、恐怖の余り突如として蒼白になり、
   うち震え、力を失い、畏怖するのだ! おお、聴け、

(4)私は、自分がお前に空高く舞い上げられる枯葉であり、
   お前とともに天翔ける雲であり、
   お前の恐るべき力を畏れて喘ぎ、お前の猛威に
   呼応して荒れ狂う怒濤であれば、と願う、たとえ、
   西風よ奔放なるものよ、お前の奔放さに及ばないまでも、
   いや、せめて少年の頃の自分であり、あの頃のように、
   大空を翔けめぐるお前の仲間であればと願う、ああ、あの頃は、
   大空を翔けるお前の速さを凌ぐことも、夢ではなかった、
   今こうやって苦境に喘ぎ、祈り、せめてお前にあやかりたいと、
   願う自分のこの惨めさを、私は悲しむ。西風よ、波のように、
   枯葉のように、雲のように、私を軒昂たらしめてくれ、
   私は今人生の茨の苦痛に悶えている、血を流しているのだ、
   永年にわたるこの世の重圧が、余りにお前にも似た者を、
   不羈奔放で誇り高き者を、私を、呪縛してしまったのだ、

(5)西風よ、あの森と同じく私もお前の竪琴にしてくれ、たとえ、
   あの枯葉のように、私から枯葉が散っていても構わぬ、
   それよりも、お前の激しい響きが、森と私の叫びと交じり合い、
   沈痛な、そうだ、悲しみを帯びながらもなお快い、秋の調べを
   奏でることを私は望む、西風よ、烈々たる霊よ、私の霊と、
   一つになってくれた、奔放なる者よ、私と一つになってくれ、
   西風よ、お前が枯葉を撒き散らすように、私の死んだように
   見える思想を全宇宙に撒き散らし、その再生を促してくれ、
   まだ消え去らぬ暖炉の灰燼と残り火と撒き散らすように、
   私のこの詩の呪術の力を用いて、私の言葉を、
   全世界の人々に向かって撒き散らしらてくれ、
   西風よ、私の唇を通して、また醒めやらぬ全世界に対する、
   予言の喇叭を響かせてくれ、おお、西風よ、
   冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ、


 

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待ち時間散歩とJR高尾駅

2023年01月19日 15時39分47秒 | 散歩・ウオーキング

天気予報の天気図を見る限り、日本列島付近は再び西高東低の冬型気圧配置が強まり、北日本や北陸等日本海側では、雪マーク、一方で、太平洋側では、晴マークになっているが、当地、今日は、やや薄い雲が掛かっているものの、まずまずの晴天。
朝、車で妻を病院に送り、その待ち時間、JR高尾駅周辺をちょこっと歩いてきた。
スマホの歩数計で、約3,600歩。

 

JR中央線高尾駅北口

(4年前、2019年3月27日に撮っていた、JR中央線高尾駅北口)

都内有数の観光地、高尾山を控えて、週末等には、ハイキング姿の利用客で大いに賑わうJR高尾駅だが、普段の昼間は静かなものである。JR高尾駅北口駅舎は、国内では、数少なくなっている木造駅舎で、しかも、珍しい寺社建築を思わせる風格が有る駅舎だ。
今更になってネットで調べてみると、
同駅舎は、大正天皇の大喪列車の始発駅として、1927年(昭和2年)に建てられた、「新宿御苑仮停車場」を移築したものなのだそうだ。「大喪の儀」の後、同停車場は、鉄道省(当時)の所管となり、皇室墓地「多摩御陵・武蔵陵墓地」に近いということから、地域の人々の努力などによって、当時の「浅川停車場(現高尾駅)」の2代目駅舎として移築されたのだという。駅舎は、総ヒノキ造りの平屋で、建築面積は約1000平方メートル。内部は、改装を重ねてきているが、基本的な構造は、建築当時のままなのだそうだ。1997年には、「関東の駅百選」にも認定された。
現在、JR高尾駅北口から南口、京王線高尾駅に抜けるには、入場券を買い、改札から入り、跨線橋を渡り、南口改札から出る、あるいは京王線改札に入るか、駅を大きく迂回する必要が有り、市民等からは長年、自由通路整備の要望が強く出されていて、2014年(平成26年)には、地元八王子市、JR東日本、京王電鉄の三者で、「高尾駅南北自由通路整備事業に関する基本協定」が締結されたが、東京オリンピック・パラリンピックの開催などに伴う材料費や人件費の高騰から、当初予定していた約88億円の事業費が約150億円まで大きく膨らんだことなどを受けて、2020年度に予定していた着工は延期されていた。昨年2022年12月、改めて、三者で計画を見直し、再事業化に向けた協定が結ばれたと、発表が有ったばかりだ。
当初の計画では、JR高尾駅北口の現駅舎は、自由通路の整備工事に合わせて撤去し、旧陵南会館跡地(八王子市東浅川町)に移転する予定だったようだが、JR東日本からは、1927年(昭和2年)年に完工、大正天皇崩御の際、大喪列車を走らせるために新宿御苑(新宿区)に設置された仮停車場を移築したという歴史有る建造物であり、現駅舎周辺での再築を検討すると申し出が有るのだそうだ。
いずれにしても数年後には、これまで馴染んできた、現在の高尾駅北口の風景は、変わってしまいそうで、名残惜しくもなる。


陽だまり散歩

2023年01月18日 15時38分07秒 | 散歩・ウオーキング

朝の内、曇っていたが、午前中には、青空が広がり、
風も無く、なんとなく陽射しが柔らかくも感じる1日だった。
買い物に出掛けたついでに、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約6,500歩。

先日まで、干上がっていた川に水が戻り・・・、
対岸に、◯◯亀?

ダイサギとカルガモ

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振り返り記事、「谷根千散策」

2023年01月18日 14時52分37秒 | 街歩記(小さな旅)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、今からちょうど11年の今日、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で初めてブログを開設してからまだ半年程しか立経ってなかった、2012年1月18日に書き込んでいた記事、「谷根千散策」にアクセスが有ったことに気が付き、十年一昔・・・、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


振り返り記事
2012年1月18日
「谷根千散策」

数年前の5月(⇨今から17年前、2006年5月5日)に、古き東京の情緒が漂う下町として有名な谷中根津千駄木の界隈を散策したことが有った。通称、「谷根千(やねせん)」と呼ばれて親しまれているエリアで、以前から1度は訪れてみたいと思っていたものだが、その年の5月の連休中の1日、思い立って出掛けたものだった。

JR日暮里駅から出発、ガイド書を片手に、JR日暮里駅に戻るコースでを辿った。

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御殿坂~

経王寺

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ぎんなん横丁~

朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん)

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忠臣蔵ゆかりの観音寺、

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この付近、寺院が軒を連ねている。

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三崎坂(さんさきざか)

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不忍通り~

根津神社、つつじ祭り

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藍染通り~おかじ坂~

大名時計博物館

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谷中霊園

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天王寺

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ブログ初心者、1ヶ月に数回更新するのが、精一杯で、
やっと、ブログに、写真をアップ出来るようになった頃だったような気がする。
事前の知識情報も乏しく、記憶も曖昧になってしまっているが、
もう一度訪ねてみたいものだと思っているところだ。