時間を失うとはどういうことなのか
* * * * * * * * * *
時間に追われ、落ち着きを失って、人間本来の生き方を忘れてしまった現代の人々。
人間たちから時間を奪っているのは、実は時間どろぼうの一味のしわざなのだ…。
この一味から時間をとりもどし、人生のよろこびを回復させたのは、
どこからか突然あらわれた無口な少女だった。
時間の意味を問う異色のファンタジー。
* * * * * * * * * *
本作は以前から気にはなっていたのです。
児童文学の中でも、特に取り上げられることの多い作品なので。
しかし、読んでみてオドロキます。
これはもう児童文学という域を遥かに超えています。
まさに、現代の大人達こそが読むべきものと思いました。
まずは「時間どろぼう」。
時間が盗まれるとはどういうことなのか、読む前にはピンときていませんでした。
つまり、使える時間が少なくなってしまうということなので、
人々は少ない時間でより効率的に稼ごうとするあまりに、
どんどん忙しくなり、それが高じるとついにはなにもする気が起こらなくなってしまう。
なにについても関心が持てなくなり無気力になる。
何もかもが灰色で、どうでもよくなって
怒ることも感激することも笑うことも泣くことも失くなり、
心は冷え切って、人も物も、なにも愛せなくなってしまう。
いやはや、これは、ファンタジーの出来事ではない。
正に現代社会の様相そのものではありませんか。
私は、戦慄してしまいました。
この、人々から盗まれてしまった"時間"を取り戻そうと奮闘する少女が、モモであるというわけです。
本作の初めの方にこんな文章があります。
「舞台のうえで演じられる悲痛なできごとや、こっけいな事件について聞き入っていると、
ふしぎなことに、ただの芝居にすぎない舞台上の人生のほうが、
自分たちの日常の生活よりも真実にちかいのではないかと思えてくるのです。」
そうなんです。
ここの「芝居」は、「物語」にも置き換えることができますよね。
だからこそ、私は本作の中に、厳しい現実を見てしまったのです。
まだ記憶にも新しいと思いますが、
休む間も寝る間もなく働き続けていた女性が、ついには「生きる意欲」までもなくして、
自ら命を絶ってしまったという事がありましたよね。
身近な誰かが「モモ」になれたらよかったのに・・・。
また、本作中でモモは人々の「時間」の真の姿である「時間の花」を見ることになります。
素晴らしく美しいシーンです。
この花というのはつまり、人々の感じる力・心ということなのでしょう。
時、すなわち現在・過去を失うとうことは、心をなくすということ・・・。
実際、「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書くのですものね。
本作の冒頭も好きでした。
モモは孤児で、住むところもない、つまりは浮浪児だったのですが、
町の人は彼女を心配し、自分の家に来るように言ったり、施設を紹介しようとしたりします。
けれどもモモの自分一人で暮らしたいという意志を尊重し、
一人で寝泊まりできる場所や、家具を用意してくれます。
そして、食料なども皆で交代に届けてくれる。
モモはこんなみんなが大好きだったし、人々もモモが大好きでした。
・・・それこそ、夢物語のようなことなのですけれど、
なんて豊かな心の人たちばかり・・・、
私まで幸せな気持ちになったのでした。
ところが、その人々が時間を盗まれてどうなってしまうのか。
そういうところに注目しながら、ぜひ読んでみてくださいね。
「モモ」ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫
満足度★★★★★
モモ (岩波少年文庫(127)) | |
ミヒャエル・エンデ,大島 かおり | |
岩波書店 |
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時間に追われ、落ち着きを失って、人間本来の生き方を忘れてしまった現代の人々。
人間たちから時間を奪っているのは、実は時間どろぼうの一味のしわざなのだ…。
この一味から時間をとりもどし、人生のよろこびを回復させたのは、
どこからか突然あらわれた無口な少女だった。
時間の意味を問う異色のファンタジー。
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本作は以前から気にはなっていたのです。
児童文学の中でも、特に取り上げられることの多い作品なので。
しかし、読んでみてオドロキます。
これはもう児童文学という域を遥かに超えています。
まさに、現代の大人達こそが読むべきものと思いました。
まずは「時間どろぼう」。
時間が盗まれるとはどういうことなのか、読む前にはピンときていませんでした。
つまり、使える時間が少なくなってしまうということなので、
人々は少ない時間でより効率的に稼ごうとするあまりに、
どんどん忙しくなり、それが高じるとついにはなにもする気が起こらなくなってしまう。
なにについても関心が持てなくなり無気力になる。
何もかもが灰色で、どうでもよくなって
怒ることも感激することも笑うことも泣くことも失くなり、
心は冷え切って、人も物も、なにも愛せなくなってしまう。
いやはや、これは、ファンタジーの出来事ではない。
正に現代社会の様相そのものではありませんか。
私は、戦慄してしまいました。
この、人々から盗まれてしまった"時間"を取り戻そうと奮闘する少女が、モモであるというわけです。
本作の初めの方にこんな文章があります。
「舞台のうえで演じられる悲痛なできごとや、こっけいな事件について聞き入っていると、
ふしぎなことに、ただの芝居にすぎない舞台上の人生のほうが、
自分たちの日常の生活よりも真実にちかいのではないかと思えてくるのです。」
そうなんです。
ここの「芝居」は、「物語」にも置き換えることができますよね。
だからこそ、私は本作の中に、厳しい現実を見てしまったのです。
まだ記憶にも新しいと思いますが、
休む間も寝る間もなく働き続けていた女性が、ついには「生きる意欲」までもなくして、
自ら命を絶ってしまったという事がありましたよね。
身近な誰かが「モモ」になれたらよかったのに・・・。
また、本作中でモモは人々の「時間」の真の姿である「時間の花」を見ることになります。
素晴らしく美しいシーンです。
この花というのはつまり、人々の感じる力・心ということなのでしょう。
時、すなわち現在・過去を失うとうことは、心をなくすということ・・・。
実際、「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書くのですものね。
本作の冒頭も好きでした。
モモは孤児で、住むところもない、つまりは浮浪児だったのですが、
町の人は彼女を心配し、自分の家に来るように言ったり、施設を紹介しようとしたりします。
けれどもモモの自分一人で暮らしたいという意志を尊重し、
一人で寝泊まりできる場所や、家具を用意してくれます。
そして、食料なども皆で交代に届けてくれる。
モモはこんなみんなが大好きだったし、人々もモモが大好きでした。
・・・それこそ、夢物語のようなことなのですけれど、
なんて豊かな心の人たちばかり・・・、
私まで幸せな気持ちになったのでした。
ところが、その人々が時間を盗まれてどうなってしまうのか。
そういうところに注目しながら、ぜひ読んでみてくださいね。
「モモ」ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫
満足度★★★★★