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「風の歌を聴け」 村上春樹

2016年12月19日 | 本(その他)
読み過ごしてしまいそうな重大なこと

風の歌を聴け (講談社文庫)
村上春樹
講談社


* * * * * * * * * *

1970年の夏、海辺の街に帰省した<僕>は、
友人の<鼠>とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。
2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、
<僕>の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。
青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。
群像新人賞受賞。


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村上春樹氏のデビュー作である本作ですが、実は少し前に読みました。
そう長い作品ではないので、サラッと読んで、しかし、う~ん・・・。
先のあらすじ紹介にもあるように、
「ものうく、ほろ苦く過ぎ去って」いく僕と鼠の夏のことが書かれており、
特に何か大きな事件があるわけではない。
こりゃダメだ、私には感想らしきものなんか書けない・・・、
この作品のどこに感慨を持ていいのかわからない・・・ということで
しばらく寝かせてあったのですね。
ところがその後、河合隼雄先生の著作などを少し読むようになって、
この度もう一度読んでみました。
すると少し、思うところがありました。


作中で、「僕」が、これまでに寝た「女の子」が3人いる、
ということで、順番に説明があります。
その3人目が仏文科の女子学生なのですが、文章はたったの4行。
彼女は自殺したのです。
十分すぎるくらいにショッキングなできごとなのに、
彼女について触れられるのはたったの4行で、
また、作中では最後の方にほんの一行、再度登場するのみです。
私は先に読んだときには、このさり気なさに騙されてしまったのですね。
実は、本作でいちばん重要なのはここのところなのです。


つまり、「僕」はこの記憶から逃れられないでいるのだけれど、
表面上ほとんど忘れたふりをしている。
全編が自殺した女の子から来る葛藤の物語であるのに、そうでないふりをしているのです。


そこで登場するのが友人の「鼠」なのですが、
彼は実は「僕」の深層の自分なのではないでしょうか。
「僕」が4本指の女の子と知り合い、少し親しくなっていく頃に、
「鼠」は「僕」に「彼女を紹介したい」というのです。
「鼠」が彼女を連れてきて「僕」と会うことになっていたのに、
その日ついに「鼠」は現れなかった。
つまりこれは「僕」が4本指の女の子と付き合いたい、
新しい恋人として受け入れたいと思い始めたのだけれど、
心の奥の、自殺した彼女に抑圧されている自分は、
やはりまだ受け入れることはできないと、判断したということなのではないでしょうか。
一見何事も起こらない物語でありながら、
「僕」と「鼠」の虚ろな心は癒やされないままに終わる本作。
だからこそ、続きが必要でした。
そこで「1973年のピンボール」があるわけです。


「風の歌を聴け」村上春樹 講談社文庫
満足度★★★★☆