クリスマスに
* * * * * * * * * *
ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、
おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン。
個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。
寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます。
* * * * * * * * * *
ファンタジーとは少し違いますが、クリスマス向きの児童文学といえばこれ!!
ドイツの男子の寄宿学校ギムナジウム、と言えば
私のような萩尾望都ファンには「トーマの心臓」などのイメージ、
それだけでなんだかうれしくなってしまいます。
クリスマスに「飛ぶ教室」というオリジナルの劇を披露しようとしている仲間たちは
ギムナジウムの5年生。
ギムナジウムは日本の小学5年生から中学・高校生くらいまでの9年制と言いますから、
5年生といえば年齢からすると15歳くらいでしょうか。
個性豊かな少年たち。
育った環境も性格も何もかも違うのに、
お互いがそれを認め合い尊重しあっているのです。
青少年向けの作品というのに、いきなりよその学校との乱闘騒ぎというのにも驚かされます。
考えてみると最近の作品はそういうところが配慮されすぎているのかもしれませんね。
けっこう乱暴なシーンもありますが、
この年令の男の子たちで、これがなければウソのようにも思います。
この歳で本作を読み直して思うのは、少年たちの魅力もさるところながら、
彼らを取り巻く大人たちのなんとステキなこと!
教師で舎監もしている<正義さん>、
近くの公園の客車車両に住む<禁煙さん>。
かつて同じところで暮らした自分たちと彼らを重ね合わせることもあるし、
だから一人ひとりに幸せになって欲しい。
そっと見守って、まちがいそうなときはさり気なく修正。
包容力があります。
そしてなにより彼らは、元気でユニークな少年たちの言動を見るのが大好きなんですね。
彼らの活力を自分のエネルギーにしているようにも思われる。
うーん、実に本当の「大人」とはこういうものだなあ・・・と思うわけです。
他の先生方もそうなんですよ。
クロイツカム先生はいつもいかめしい顔をして、決して表情を崩さない。
だから一見怖いのだけれど、実はそうではない。
ある時、教室に入っていきなり生徒の一人、ウーリが
ゴミ箱に入れられて天井から吊り下げられているのを目にするのです。
しかし先生は慌てず騒がす授業に入り、
あえて、ウーリに質問を投げかけてから始めて、
彼が天上からぶら下げられたのに気づくふりをする。
それからことの顛末を聞いてこういいますね。
「平和を乱すことがなされたら、それをしたものだけでなく、
止めなかった者にも責任はある。」
なんと重い言葉でしょう。
訳者あとがきで池田香代子さんもおっしゃっていますが、
本作が書かれたのはドイツがナチス政権下にあった時。
ケストナーが人々に向けていいたかった言葉なのでしょう。
ちっともなくならない「いじめ」のためにも、キモに命じたい言葉です。
そして、これは私の今の年齢だからこそなのかもしれませんが、
マルティンがお金がなくてクリスマスに帰省できないというシーンでは
泣けて泣けて仕方ありませんでした。
ごく親しい仲間にも彼はそれを打ち明けることができません。
家が貧しいと打ち明けることができないのは彼のプライドです。
でも、世間では誰もが幸せに過ごしている(と思われる)クリスマスに
たった一人で寮にいなければならない、
また本当は一人息子の帰りを待ち浴びている両親も
さぞかし寂しい思いをしているだろうという思い・・・。
これには、さすがの彼も劇のセリフが上の空になってしまうくらい胸が潰れてしまうのです。
「泣くこと厳禁、泣くこと厳禁」
と自分に必死で言い聞かせているマルティンの代わりに
私が涙を流しているような気がしてきます。
でもそんなマルティンの様子がおかしいと、ちゃんと気づいてくれるのが、<正義さん>。
やはり、さすがです。
日本ではクリスマスといえばサンタが来たり、パーティーのどんちゃん騒ぎがあったりと、
そんなイメージなのですが、キリスト教圏ではこんな風に、
家族で過ごす特別に大事な日なのでしょう。
特に、寮で生活している子どもたちにとってはなおさら。
というわけで、クリスマスにちなんだ読書としては最適!
「飛ぶ教室」エーリヒ・ケストナー 岩波少年文庫
満足度★★★★★
![]() | 飛ぶ教室 (岩波少年文庫) |
ヴァルター・トリアー,Erich K¨astner,池田 香代子 | |
岩波書店 |
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ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、
おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン。
個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。
寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます。
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ファンタジーとは少し違いますが、クリスマス向きの児童文学といえばこれ!!
ドイツの男子の寄宿学校ギムナジウム、と言えば
私のような萩尾望都ファンには「トーマの心臓」などのイメージ、
それだけでなんだかうれしくなってしまいます。
クリスマスに「飛ぶ教室」というオリジナルの劇を披露しようとしている仲間たちは
ギムナジウムの5年生。
ギムナジウムは日本の小学5年生から中学・高校生くらいまでの9年制と言いますから、
5年生といえば年齢からすると15歳くらいでしょうか。
個性豊かな少年たち。
育った環境も性格も何もかも違うのに、
お互いがそれを認め合い尊重しあっているのです。
青少年向けの作品というのに、いきなりよその学校との乱闘騒ぎというのにも驚かされます。
考えてみると最近の作品はそういうところが配慮されすぎているのかもしれませんね。
けっこう乱暴なシーンもありますが、
この年令の男の子たちで、これがなければウソのようにも思います。
この歳で本作を読み直して思うのは、少年たちの魅力もさるところながら、
彼らを取り巻く大人たちのなんとステキなこと!
教師で舎監もしている<正義さん>、
近くの公園の客車車両に住む<禁煙さん>。
かつて同じところで暮らした自分たちと彼らを重ね合わせることもあるし、
だから一人ひとりに幸せになって欲しい。
そっと見守って、まちがいそうなときはさり気なく修正。
包容力があります。
そしてなにより彼らは、元気でユニークな少年たちの言動を見るのが大好きなんですね。
彼らの活力を自分のエネルギーにしているようにも思われる。
うーん、実に本当の「大人」とはこういうものだなあ・・・と思うわけです。
他の先生方もそうなんですよ。
クロイツカム先生はいつもいかめしい顔をして、決して表情を崩さない。
だから一見怖いのだけれど、実はそうではない。
ある時、教室に入っていきなり生徒の一人、ウーリが
ゴミ箱に入れられて天井から吊り下げられているのを目にするのです。
しかし先生は慌てず騒がす授業に入り、
あえて、ウーリに質問を投げかけてから始めて、
彼が天上からぶら下げられたのに気づくふりをする。
それからことの顛末を聞いてこういいますね。
「平和を乱すことがなされたら、それをしたものだけでなく、
止めなかった者にも責任はある。」
なんと重い言葉でしょう。
訳者あとがきで池田香代子さんもおっしゃっていますが、
本作が書かれたのはドイツがナチス政権下にあった時。
ケストナーが人々に向けていいたかった言葉なのでしょう。
ちっともなくならない「いじめ」のためにも、キモに命じたい言葉です。
そして、これは私の今の年齢だからこそなのかもしれませんが、
マルティンがお金がなくてクリスマスに帰省できないというシーンでは
泣けて泣けて仕方ありませんでした。
ごく親しい仲間にも彼はそれを打ち明けることができません。
家が貧しいと打ち明けることができないのは彼のプライドです。
でも、世間では誰もが幸せに過ごしている(と思われる)クリスマスに
たった一人で寮にいなければならない、
また本当は一人息子の帰りを待ち浴びている両親も
さぞかし寂しい思いをしているだろうという思い・・・。
これには、さすがの彼も劇のセリフが上の空になってしまうくらい胸が潰れてしまうのです。
「泣くこと厳禁、泣くこと厳禁」
と自分に必死で言い聞かせているマルティンの代わりに
私が涙を流しているような気がしてきます。
でもそんなマルティンの様子がおかしいと、ちゃんと気づいてくれるのが、<正義さん>。
やはり、さすがです。
日本ではクリスマスといえばサンタが来たり、パーティーのどんちゃん騒ぎがあったりと、
そんなイメージなのですが、キリスト教圏ではこんな風に、
家族で過ごす特別に大事な日なのでしょう。
特に、寮で生活している子どもたちにとってはなおさら。
というわけで、クリスマスにちなんだ読書としては最適!
「飛ぶ教室」エーリヒ・ケストナー 岩波少年文庫
満足度★★★★★