映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J・D・サリンジャー

2019年01月30日 | 本(その他)

崖から落ちそうな子供をキャッチする

キャッチャー・イン・ザ・ライ
村上 春樹
白水社

* * * * * * * * * *

J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、
村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として生まれ変わりました。
ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、
この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。
雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、
ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、
時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。
さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。

* * * * * * * * * *

今や古典とも言うべき名作。
近く「ライ麦畑の反逆児」という映画を見ようと思い、
それにしても「ライ麦畑でつかまえて」を読んだことがないのは、
まずいのではないかと、手にとった次第。
本好きと言いながらこれを読んだことがないというのはいかにもお恥ずかしいのですが、
学生時代くらいに読もうとしたことはあったのです。
しかし、当時の翻訳がひどかった・・・。
なんというか、「こんなの日本語じゃない!!」と私は思いましたね。
単に英単語を英語に置き換えただけという感じの、
実に日本語としてこなれていないものだったのです。
それで、数ページ読んだだけで挫折。
他にもそんな感じで挫折したものが何冊かあって、
それが、私が翻訳モノを敬遠することになった由来なのです。
私にはそんな状態が、本当にしばらく続いてしまいました。
だからミステリも好きではありますが、
クイーンもクリスティも読んでいないという事になってしまったわけ・・・。
しかしこの頃は、翻訳事情も随分良くなって、
私も翻訳モノ、結構楽しんで読ませてもらっています。
でも本作についてはトラウマがありますので、最も安心できそうな村上春樹版を手に取りました。
もし東江一紀版があれば読んでみたかったですけれど・・・。

前置きばかり長くなってしまいました。
さて本作、16歳のホールデン・コールフィールドが成績不良で学校を退学になり、
家に帰るにも帰れず、クリスマスのニューヨークをさまよい歩く数日間を描いています。
総じてホールデンは、気難しくて、投げやりで、怒りっぽくて、
周りの何もかもが気に入らないようです。
読み始めてしばらく、私は今更この歳で、
この少年に感情移入はちょっと難しいなあ・・・と思いました。
ところがです、大事なところは最後の最後の方にあるのです。


ホールデンはこっそり夜中に自宅へ戻り、敬愛する妹・フィービーと会います。
フィービーはまだ小学生なのですが、ホールデンが自慢する通り利発な子で、
兄に対して、何でまた退学になってしまったのかと問い詰めます。
ホールデンはしどろもどろながら、学校がどんなに嫌なところかをくどくどというのですが、
彼女は言う。
「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」
そうじゃないというホールデンに、なおもフィービーは言う。
「気に入っているものをひとつでもあげてみなさいよ」
しかしそう言われると、ホールディンは何も考えられくなってしまう。
でもなぜか、ある一人のことが思い浮かぶのです。
それは以前の学校の亡くなってしまった友人のこと。
いえ、友人というほどに親しくもなかったのだけれど、
つまりホールデンのすべての混乱の根源はどうやらこの人物の死にある、
ということが読めてくるのです。


ここまで、友人や教師、通りすがりの人々との不愉快な出来事が多く書き綴られてきたわけですが、
事の本質はこの近辺の数行にしかない。
まるでレアメタルの鉱脈を探り当てた感じ。
そこで私は、村上春樹氏の「風の歌を聴け」を思い出してしまいました。
あの作品も実は自殺した女の子のことが根底にあるのだけれど、
文章上ではほんの数行説明があるだけなのですよね。
構造がよく似ている。
なるほど、村上春樹氏の「ライ麦畑」愛を垣間見る感じがします。
だからこそ、翻訳を手がけたわけだったようですね。


さて、更にホールデンとフィービーのやり取りの中で、
「将来何になりたいかみたいなこと」を言ってみてと言われたホールデン。

「ライ麦畑で子どもたちが走り回っていたとして、
間違ってその先の見えなくなっている崖っぷちから落ちそうになる子を、
さっとキャッチする、ライ麦畑のキャッチャー、そういうものになりたいんだ・・・」

と思わず答えるホールデン。
これこそが、本作の題名の由来であり、
崖っぷちから落ちてしまった、あの友人が念頭にあることもわかります。
ここまで、いかにも気まぐれで不安定なティーンエイジャーと思えていたホールデンの、
本当の姿が見えてくるのです。
それは普遍的に人があるべき姿でもあります。
それだから、これまで日本で「ライ麦畑でつかまえて」として親しまれてきた題名を
あえて「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とした村上春樹氏の意図もすごく納得できます。
本来、そういう意味ですよね。

本当にいまさらですが、名作でした。
生きているうちに読むことができて良かった~。


図書館蔵書にて
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J・D・サリンジャー 村上春樹訳 白水社
満足度★★★★★