映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

夏時間の庭

2009年06月13日 | 映画(な行)
形は残らなくても、心は受け継がれてゆく

            * * * * * * * *

パリ郊外、大きな庭のある邸宅。
母エレーヌの75歳の誕生日、久々に家族が集まります。
エレーヌは長男フレデリックに言うのです。
自分が死んだら、この家も、大叔父の残した美術コレクションも処分して、
皆で分けるようにと。
そんなことのあと、まもなく本当にエレーヌは亡くなってしまうのです。

さて、フレデリックは母の思い出がいっぱいの
自分が育ったこの家、馴染んだ美術品に愛着があり、
できれば手放したくない。
しかし、長女はアメリカ、次男は中国に生活拠点を移しており、
まとまったお金が入るのはありがたいと思っている。
しかも最大の問題は、莫大な相続税を払うためには、
やはり、財産を売り払うしかない、ということ・・・。
やむなく、美術品も、家も、寄贈したり、売り払うこととなりました。

このあたりは、結構淡々としていまして、
別に兄弟間の遺産をめぐる大喧嘩があったり、
夫婦のいさかいがあったりするわけではないのです。
時の流れの中で、誰もが出会うストーリー。

思い出をつなぐために、私たちは時に、物にこだわるんですね。
お母さんが愛用した机。
いつも居間にかけてあった絵画。
いつも花が生けられていた花瓶。
そういうものが、みな売却されてゆくのは、とても寂しいのです。
人が入り込んで、少しずつ荷物が運び出されていくのは、
見ていてもなんともうら悲しい感じがします。
フレデリックにとって、母が亡くなった上に、
また家も家財もすべて人手に渡ってしまうというのは、
二重の喪失を意味しているのです。

けれどそれでも、フレデリックには彼の生活があります。
妻と、娘と息子。
反抗期で実に扱いにくい子どもたちではありますが・・・。
いつまでも、お母さんの思い出に浸っていられないのも事実。
淡々と「事後処理」という雰囲気でストーリーは進行するのですが・・・。

こんな中、ラストで実に鮮烈な思いを味わいました。
フレデリックと妻が、
家が人手に渡る前、最後に
「子どもたちが友達を呼んでパーティーをするんだって・・・」
といって、クスクス笑うシーンがあるのです。
何がそんなにおかしいのだろう・・・と、いぶかしく思うのですが、
そのあとのパーティーのシーンをみて、なるほど・・・と思いました。
ここは、皆さん、ご自分で確かめてくださいね。
二人は、亡くなったお母さんの感情を想像してしまったのだろうなあ、
と思うのです。

そして、そのパーティーの中で、
実に現代的でクールに見える孫娘が見せた意外な感情の高ぶり。
ここのシーンが鮮やかでした。
結局、別に物にすがらなくても、
思い出はくっきりと心の中にあるものなのですね。
おばあちゃんが愛した家、美術品。
形は残らなくても、
その心はしっかりと、家族に受け継がれてゆくのだと思います。


ところで形は残らないといいましたが、この場合、名だたる美術品の数々。
多くは、美術館に展示されることになるんですよ。
つまり、観ることができる。
これはある意味ラッキーですね。
しかし、フレデリックは、
美術館にひっそりと展示された母の愛用の机をみて、
そのよそよそしさに、また少し寂しさを感じたりするのですが。

生活の中に息づいてこそ、道具としての価値がある。
ただ単に眺めるものとして、
美術館や博物館に展示されたものに、本当に価値があるのだろうか・・・、
そんなことも言おうとしているのかもしれません。

2008年/フランス/102分
監督:オリヴィエ・アサイヤス
出演:ジュリエット・ビノシュ、シャルル・ベルリング、ジェレミー・レニエ、
エディット・スコブ


夏時間の庭 日本版予告編 L'Heure d'醇Pt醇P 2008年 Trailer Japanese



「声に出して笑える日本語」 立川談四楼

2009年06月12日 | 本(エッセイ)
声に出して笑える日本語 (光文社知恵の森文庫)
立川 談四楼
光文社

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著者は、立川談四門下の落語家。
文章も歯切れがあってうまいですね。
この本は、著者が日常の生活の中で見聞きした
言葉にまつわる面白い話が満載。
始めの方の、言い間違いシリーズがまずおかしい。

「海のモズク」
「供養」を「キョウヨウ」
「曲者」を「マガリモノ」
「金字塔」を「カネジトウ」
・・・まあ、これらは言い間違いというよりは、完全に本人の覚え違いですね。
どれも公共の電波に乗って、
日本中津々浦々に流れてしまったものだそうな。

しかし、こういうのは自分自身にもありそうで、手放しには笑えない。
私、つい最近まで、
「大団円」を「ダイエンダン」だと思い込んでいましたから・・・。


こんな話もありますよ。
東京のTVスタジオからニューヨークのMさんを呼び出す。
「ニューヨークのMさん。」
Mさんが映るが、音声がつながっていないらしい。
「Mさん、聞こえますかー」
だから、聞こえてないんですよね。
なんとMさんは髪にカーラーが3個ばかり巻いてあり、
手鏡を持ち、パフで頬をたたいている。
「失礼しました。音声がつながっていないようです。」
必死で言いつくろう東京のキャスター。
まあ、時々こんな光景はありますね。
確かに。
しかし、ここで著者は言うのです。
なぜ、
「Mさんの化粧風景をお届けしました」
と、言えないのだろう、と。
なるほど、これならユーモアたっぷりで、
視聴者もニヤリですね。
多分、アメリカのキャスターならそういいますね。
日本人のユーモアセンスのなさが、こういうところでわかります。


さてそれで、一番私が気に入ったのは、この本の冒頭にある「ズンドコ」。
悲惨な事件を伝えた女性キャスターが
まとめのコメントとして言ったそうです。
「ご遺族は今、悲しみのズンドコに沈んでいます・・・」
「どん底」と言いたかったのですね。
しかし、「ズンドコ」は妙におかしい。
悲しみのズンドコ・・・。
絶望のズンドコ・・・。
でも、これってなかなかいいと思うのです。
例えば、いやなことがあって、落ち込んでしまったときに。
この言葉を思い出すのです。
絶望のズンドコ・・・。
なんだか、気持ちがふとゆるんで、
深刻に落ち込んでいるのがばかばかしくなりそうです。
だから、皆様、この言葉を覚えておくといいと思いますよ!

通勤バスの中で、1人ニヤニヤしながらこの本を読みふけっていた私でした。

満足度★★★★☆


夕陽のガンマン

2009年06月11日 | クリント・イーストウッド
オルゴールと荒くれ男
           * * * * * * * *

さて、これは完璧に前作「荒野の用心棒」のウケを引き継いだ作品のわけですが、
二番煎じかと思えば、さにあらず、
これがまたいいんですね。

ここでのクリント・イーストウッドはマンゴという賞金稼ぎの男。
そして、ここにはもう1人の主人公、
同じく賞金稼ぎの大佐(リー・ヴァン・クリーフ)と呼ばれる男が登場。
この二人が同時に目をつけたのが、
インディオと呼ばれるならず者の一派。
大佐は初老に差し掛かっており、沈着冷静。
一方マンゴはまだ若く、血気にはやっているという役どころ。

この二人が始めに相対するシーンが良いですよ。
お互いに望遠鏡でお互いを見ているんですね。
えっ。何だコイツ、という感じ。
そして、初めて間近で会ったときには、
まず、お互いの靴を踏んで泥をなすりつけたりしている。
こっそり物陰から見ていた子どもたちが、
「遊んでるの?」とささやく。
まったく、子どもの喧嘩みたいな二人。
結局お互いの帽子を打ち合っただけで、流血騒ぎにはなりません。
二人は共同してインディオ一味を片付けることになるのです。
インディオ一味はエルパソの銀行襲撃を計画しているのです。
ここをねらい目に、彼らを始末しようという二人の狙い。

しかし、敵もさるもの。
インディオの銀行襲撃は予想以上に手際が良かった・・・!
インディオは単に悪人というだけでなく、
さすが多くの手下を率いるだけあって頭も良く、
銃の腕も確かなわけです。
そしてなぜか不似合いなオルゴールを大事にしている・・・。
やさしいオルゴールの音色と荒くれ男の銃の撃ち合い。
この対比が効いていますね。
なぜか、大佐も同じオルゴールを持っているんですよ。
なにやら、過去の因縁が・・・?
単なる撃ち合いだけでなく、このような色づけもあるあたりで、
深みも出ているのです。
西部劇もバカにできないなあ・・・、といまさらながら思ったりして。

クリント・イーストウッドの見せ場もたっぷりですね。
ニヒルで、ちょっぴりちゃめっけのあるところもいい。
銃の早撃ちもカッコイイ。
振り向きざまの3連発。
銃を指でくるくると回してホルダーへすとんと収める。
よく西部劇ごっこなんかでやりましたねー。
まさに、それです。
近頃、こういう映像はみないですねー。
こういうのが似合うのが、クリント・イーストウッドだったんだなあ・・・。

1965年/イタリア・スペイン/127分
監督:セルジオ・レオーネ
出演:クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、ジャン・マリア・ヴォロンテ、ルイジ・ピスティリ




ターミネーター4 

2009年06月09日 | 映画(た行)
人間を人間たらしめているもの

* * * * * * * *

先行上映を見てしまいました。
一番初めの「ターミネーター」以来、私はこのシリーズのファンなのです。
なんと、「ターミネーター」は1984年作品ですね。
つまり四半世紀にもなる。
これについては、劇場で見たわけではないんですよ。
おなじみのTVの洋画劇場か何かでしょうね。
当時としてはあの「ターミネーター」のCGと、
追跡劇のスリル・サスペンス、アクション、
そういう見所満載でしたが、
私が心奪われたのはラストシーンです。

サラ・コナーがまだ誰も信じない悲惨な未来を見据えて、
戦士となっていく、そういう悲壮感漂うラスト。
また、未来の自分の息子が自分を助けるために使者を送り込むというこの不思議。
もとより、タイムトラベルものファンの私は
そこですっかり魅了されてしまったのであります。

・・・25年後にようやくその人類対機械の戦争が
リアルタイムで語られる作品を見ることができるなんて、
考えても見ませんでしたね。
アーノルド・シュワルツェネッガーが州知事になっているなんてことも、
予想の外ですけれど。


さて、この作品は“審判の日”から10年が過ぎた2018年。
新三部作の第1章とのことで・・・。
まだ続くんですね・・・。
前作「3」ではまだ青年だったジョン・コナーはすでに30代。
しかし、この作品の主役は、彼というよりは、
マーカス・ライトという謎の男です。
彼は死刑囚なのですが、死後、なにやらの実験に遺体を提供することを承諾。
よみがえった彼はすっかり記憶も失っているのですが、
カイル・リーという少年に出会い、
彼を守る役割を果たすことになります。
そのカイル・リーというのが、後に過去へさかのぼり、
サラ・コナーと結ばれることになるのですね。

このマーカス・ライトがタフでカッコイイ。
それもそのはず、彼の体は・・・。
そもそも人間と機械の戦争です。
しかし、その人間と機械の境界はこうして見るととても近い。
力の点では明らかに人間は劣るけれど、
では、人間を人間たらしめているものは何なのか。
それは矛盾に満ちていても、人を信じること、
あきらめないこと、
人を愛すること・・・。
だからこそ、審判の日以来、未だに抵抗軍は生き延びているんですねえ・・・。
この、近未来の殺伐とした光景、この世界観がなんとも言えずリアル。
なんだか戦争の質量を感じるんです。
よくあるSFでの戦闘シーンは、レーザー光線とかが飛び交い、
現実感が薄いことが多いですから。
ただ単に、逃げても逃げても追ってくる不死身の怪物、
そういうアクションを振りかざすだけでなく、
タイムトラベルの不思議、人間の強さ
・・・そういう骨格に支えられているから、飽きずに、見てしまいます。

カイルがサラ・コナーの下に旅立つのは2029年という想定になっていますね。
まだ、いろいろな物語が隠れていそうです。

2009年/アメリカ/114分
監督:マック・G
出演:クリスチャン・ベール、サム・ワーシントン、アントン・イェルチン、ムーン・ブラッドグッド


【公式】ターミネーター4 最新予告編



「公務員教師にダメ出しを!」 戸田忠雄

2009年06月08日 | 本(解説)
公務員教師にダメ出しを! (ちくま新書)
戸田 忠雄
筑摩書房

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学校を良くするためには、教師を変えなくてはいけない。
そのために必要なのは、学習者による評価制度。
つまり、先生にも通信簿!
・・・と、このような趣旨の本です。

多忙化・・・というようなことで、教員も大変だと思われている一方、
このように、すっかり馴れ合いの教育現場の中でのうのうと過ごしている、
と思われていたりもする。
しかして、その公立学校の教師の実態は・・・?


まず、ダメな教師とは・・・。
こんな風に著者は分類しています。

1 サド系
ヒステリー教師。
切れやすい教師。
サディズム系暴力教師。
相手が自分に抵抗できないという確信があるから、
サディスティックになるという。

2 セクハラ系
こういうのは、ことが起るとすぐマスコミが飛びつくので、
近頃目立ちますね。
スキンシップとセクハラは紙一重のところもあるので、
教師は十分注意しないといけない。

3 無能系
教師としてのリーダーシップが不足しているか、
学力が不足しているか、あるいは双方。
つまり、これでは教師としての基本的な責務を果たすことができない。


さて、引き続いて、ダメな校長、というのもありますよ。
校長というのは、教師としては優秀だったかも知れませんが、
管理職としての適正はまた別物。
児童生徒にいうことを聞かせてきたという経験では
教師集団にいうことを聞かせられない・・と。
また、多くの校長は、学校の進むべき道を指し示す役割なのに、
そもそも、学校は学習者のためにあるという「顧客サービス」の精神が皆無。
そんなダメ校長の3分類

1 威張りん坊系
校長のポストにつくだけが目的の人。
権力の基盤を強固にするために、子分を作りたがる。
権力欲の人。
こうしたボス校長が教員採用や管理職昇格人事に影響力を発揮し、
疑惑の温床となる。
・・・なるほど。

2 保身系
権限やポストは欲しがる一方、責任は取りたがらない。
教師は尊敬されるべき存在という思い込みを未だに持っている。
こういう人に保護者が相談を持ちかけても無駄。
保護者が教師と対立してもめると、教師側についてしまう。

3 無能系
何もしない。
リーダーシップを発揮しようともせず、
ひたすら退職までの日数を数えている。
新しいことは何もせず、敷かれたリールの通りに動くだけ。


やれやれ・・・、と思いますが、実際こんな教師はいますよね・・・。
そこで、教職員評価、あるいは学校評価です。
実は学校ではすでに、
教職員評価や学校評価は義務付けられ、行われています。
しかし、この著者に言わせれば
それはほとんど内部の評価であり、
また、保護者等の意見を聞くといってもおざなり。
第一、記名式であったりするので、
子どもを人質にとられている親は本音を言うことができない。
ほとんど有名無実、意味のないものとなっている。

そうではなく、学習者、顧客側の評価が必要ということですね。
確かに、公立学校の教師は、これまであまりにも安泰でした。
世間の風向きが変わってきていることすらわかろうとしない人も・・・。
しかし思うに、評価というのは、
ダメ教師を振り落とすためではなくて、
先生を育てる、良いところをもっと伸ばす、
そういうための評価ならいいですね。

今時の学校の通知表もそうなっているはずです。
子どもの良いところを、もっと伸ばす、
そういう視点で書くように、学校側も努力しているはず。
なので、「先生にも通信簿」というのであれば、
そういう視点であるべきなのではないかと思います。

・・・ちょっと教師に味方しすぎかな?

満足度★★★★☆

「カラフル」森 絵都

2009年06月07日 | 本(その他)
カラフル (文春文庫)
森 絵都
文藝春秋

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この作品は、産経児童出版文化賞受賞作。
つまり、児童文学として出版されたものなんですね。
私自身は、そのようなくくりは、全く気になりませんが、
でも、普段はあまりそういう本の売り場には行きません。
ですから、児童用図書の棚に並んでいたら、まず、手には取らない本も、
こうして文庫で出されると、目に付いて読むことができるのはうれしいですね。


死んだはずのぼくの魂が漂っていると、
いきなり天使が
「おめでとうございます、抽選に当たりました!」。

なにごとかと思えば、再挑戦のチャンスが与えられたという。
自殺を図った少年の体にホームステイし、
自分の罪を思い出すように、というのです。
ふたたび人の世に舞い戻った僕は、
真(まこと)として、しばしの間生きることになるのですが・・・。

真は自殺を図り、一度死亡宣告まで受けたのですが、
そこにぼくの魂が入り込んで息を吹き返す。
家族は父母と兄。
生き返った真を見てみな大感激、
一見良い家族に思えます。
どうして真は自殺をしなければならなかったのか・・・、
少しずつ、その理由がわかってきますが、
それと同時に、おそらく真が気づかなかったようなことも見えてくるのですね。

それぞれの家族が、どれだけ自分を思っていてくれるのか。
学校に友人などなく、孤独と思っていたけれど、
実は気にかけてくれている人がいる。

暗く沈んだ色、あるいは無色
・・・そんな風に見えていた周りの世界が、
実はそれぞれの色を発していて、とてもカラフル! 
そういうことに気づいていきます。

ぼくは思うのです。
違う、このカラフルな世界を見るべきなのは真であって、僕ではない。
何とか、真にこのことを教えたい・・・。


ひねりの効いたラストは、まあ、予想の範疇でしたが、
なんだか、心が浮き立って幸せ感たっぷり。

真が自殺に追い込まれた背景が、
やや深みに欠ける感はありますが、楽しく読めました。

満足度★★★★☆

路上のソリスト

2009年06月06日 | 映画(ら行)
生きるために必要なのは、お金でも名誉でもなくて・・・

           * * * * * * * *

この映画は実話を基にしています。
ロサンゼルス・タイムスのコラムニスト、スティーブ・ロペスは、
ある日バイオリンを弾いている路上生活者を見かけます。
近寄ってよく見れば、そのバイオリンには弦が2本しかない。
しかし、巧みに美しいメロディを奏でています。
話しかけてみると、たたみ掛けるように言葉が返ってくるのですが・・・。
スティーブは彼に興味を引かれ、
また、コラムのネタにも仕えると踏んで、彼のことを調べるのです。

彼は、ナサニエル・エアーズ。
ジュリアード音楽院に在籍していたのですが、
なぜか中途退学の後、身を持ち崩して、このような生活に陥ってしまっている。
というのも、問題は彼の統合失調症なのでした。
彼の素晴らしい音楽の才能、感受性。
しかし精神の病が、その道を閉ざしてしまった。

新聞のコラムを見た人の好意で、チェロがナサニエルに届きます。
車がビュンビュン行き交う道路わきで奏でられる、美しいメロディ。
スティーブは何とかこのナサニエルをまともな生活に戻し、
音楽家として再起させようとするのですが・・・。

これは単に、コラムのネタのためというわけではないのです。
彼自身、ナサニエルの音楽に対する情熱や
彼の演奏に心揺さぶられてしまったから・・・。
それは止むに止まれぬ気持ちから始めたことではあったのですね。
しかし、スティーブが深入りしようとすればするほど、
ナサニエルの精神状態は不安定となってゆく。

たとえ統合失調症であっても、それはその人の有り様なのかも知れません。
私たちが正常と思っていることがすべてではないし、
それが正しいというわけでもない。
人はそのありのままで、受け入れられるべきなのでしょう。
立派な家に住んで、多くの人の前で演奏し、賞賛され・・・。
音楽の究極は、そういうことではないのですね。
ナサニエルはただひたすらに音楽が好きで、
音楽を奏でられればそれで幸せ。
それ以上は必要ないのです。

最後の方で,ナサニエルがスティーブに投げかける言葉にギクリとします。
「あんたは俺をナサニエルと呼ぶ。
こっちはずっと、ミスター・ロペスと呼んでいるのに。
ミスター・エアーズと言えよ!」
そうなんですね、見ているこちらも、
ほとんど疑問を持たずにいてしまいました。
路上生活者で、統合失調症で・・・、
そんなことだけで、スティーブは自分を相手より優位に置いてしまっていた。
しかし、虚をつかれ落ち込むスティーブは、やはり好人物。


それにしても、ロサンゼルスは路上生活者であふれていますね。
大都会、美しい幾何学模様に張り巡らされた高速道路。
高層ビルの群れ。
しかし、その足元に、
私たちが普段目にしない、ロスの姿がある。
大きな社会問題ではありますが、
でも、そこに暮らす人々の心は
案外にたくましくリッチなような気がして・・・。
自分自身が思っている「幸せの形」って、
いかにも偏った思い込みなのかもしれない・・・と、
なんだか、目からウロコが落ちたような心地がするのでした。

2009年/アメリカ/117分
監督:ジョー・ライト
出演:ジェイミー・フォックス、ロバート・ダウニーJR.
   キャサリン・キーナー、トム・ホランダー

路上のソリスト 日本版予告編 The Soloist Trailer Japanese



もしも昨日が選べたら

2009年06月05日 | 映画(ま行)
もしも昨日が選べたら [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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人生を操るコントローラー

            * * * * * * * *

マイケルは、家族と共に過ごす時間よりも仕事を優先させる仕事人間。
家族を相手に無駄に時間が過ぎてしまうなんて、もったいない。
そう思っている。
そんなある日、彼は最先端の機器を手に入れたのです。
それは人生を操作するコントローラー。
ビデオのコントローラーみたいなものです。
ストップ、消音、巻き戻しに、早送り・・・自由自在。
しかしえてして、こういうものには落とし穴があるものです。
ドラえもんのポケットから飛び出す様々な道具と同じですね。


さて、コメディタッチで、ここから悲劇が始まりますよ・・・。
このコントローラーには、なんと学習装置が内蔵されていまして、
マイケルは一度、昇進が待ちきれず、その間、早送りしてしまったのですね。
早送り期間中は、自分は自動モードになっていまして、
ほぼ無意識、無感動のうちに、やるべきことはやるのですが、
その間の記憶はない!
めでたく昇進し、ふと気がついたら一年も経っていたりする。
その間、何があったのやら、何もわからない。

ところがそのあと、またすぐに、次の昇進の話がでる。
すると、学習したコントローラーの働きで、
また次の昇進まで勝手に早送りが作動してしまう。
しかし、なんということでしょう! 
次の昇進には10年かかってしまったのです。

気がつくと、すでに10年が過ぎている。
まるで浦島太郎だ。
仕事ばかりに夢中で、目はうつろ、
感情のない『自動モード』のマイケルにすっかり愛想をつかした妻は離婚し、
別の男と再婚。
まだ幼かった子どもたちはすっかり大人になっている。
昇進したって何の意味があるのでしょう。
家族はもう彼の元にはいない。
なくしてしまった時間、家族。
それを守るための仕事であったはずなのに・・・。


確かに、嫌なことはすっ飛ばしてしまいたいです。
こんなコントローラーがあったらいいなあ・・・と、
思わないでもないのですが・・・。
世の中地道が一番。
喜びや悲しみを共にすることができる家族や友人。
そういう人たちがいてこそ、仕事に意味もある・・・と。
そういうことですね。

でも、かつて日本のお父さんは、皆こんなだったのじゃないかなあ・・・。
仕事優先。
家族は二の次。
こういうお父さんたちが、日本の高度経済成長をささえてきたわけで・・・。
だからこそ、なんですかね。
もう、仕事は二の次にして、家族を優先させましょう、と。

そうは言っても、このご時勢、仕事仕事でやっと生活が成り立つ
・・・なんてこともありそうで。
なかなか理想通りには行きませぬ・・・。


2006年/アメリカ/107分
監督:フランク・コラチ
出演:アダム・サンドラー、ケイト・ベッキンセイル、クリストファー・ウォーケン、ヘンリー・ウィンクラー

仮面の男

2009年06月04日 | 映画(か行)
仮面の男 [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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上質の冒険活劇、歴史ロマン

          * * * * * * * *

アレクサンドル・デュマの小説を基にしたストーリーです。
何しろ、この原作がとてもよいので、
これで面白くなければよほど演出か俳優がヘボということですが・・・。
ご安心を。
史実をも織り交ぜた、上質の冒険活劇、歴史ロマンですね。


これは「三銃士」のその後の物語でもあります。
ルイ13世に仕え名を馳せた三銃士、アラミス・ポルトス・アトス。
彼らはもう老いています。
ダルタニアンはまだ現役で、
ルイ14世の元、銃士隊長として仕えている。
しかし、その若き王ルイは、フランス国民の貧窮には無関心、尊大で利己的。
全く王としての資質に欠けていた。
そんなある日、バスティーユにひそかに幽閉されていた
鉄仮面の男が連れ出される。
誰あろうこの人物は、ルイの双子の弟フィリップ。
その存在を疎んだルイによって、仮面をかぶせられ、
6年もの間牢獄に閉じこめられていた。
顔が瓜二つのこの二人を入れ替え、国をよくしよう、
そういう密かな計画が練られるのですが・・・。

フィリップは、6年もの孤独な獄中生活を経てなお、
人を思いやる心を持っているのです。
まさに、王としての資質を備えている。
彼自身には、この6年間の「復讐」という気持ちは全然ないのです。
そういうところがすごいですね!

レオナルド・ディカプリオが1人二役を演じているわけですが、
これが見事です。
同じく王の服装をしていても、どちらなのかはすぐにわかる。
さすが・・・というべきでしょう。

あくまでも尊大、
そういうところがいかにも「王」として生まれた感のあるルイ。

立ち居振る舞いは威厳ないのですが、
それでも、自然とあふれ出るような高貴な心を持つフィリップ。

どちらも見所です。

出生の秘密とか、いかにも陰惨なバスティーユ牢獄。
三銃士とダルタニアンの信頼と友情。
愛と勇気。
そして父子の情愛。
・・・なんとまあ、贅沢すぎるくらいのモチーフを集め、楽しませてくれます。

物語の王道ですね。

1998年/アメリカ/132分

監督:ランダル・ウォレス
出演:レオナルド・ディカプリオ、ジェレミー・アイアンズ、ジョン・マルコビッチ、ガブリエル・バーン



「あの日にドライブ」 荻原浩

2009年06月02日 | 本(その他)
あの日にドライブ (光文社文庫)
荻原 浩
光文社

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いつもこの方の本にはハマりますが、このたびもまた、ハマってしまいました。
主人公は、牧村伸郎。
43歳。元銀行員。
たった一言の上司への失言が元で、銀行を辞めるはめになり、
今ではしがないタクシーの運転手。
エリート街道一筋だったはずなのに、このさえない自分。
自分を無視する妻や娘、息子。
人生の曲がり角をどこかで間違えたような気がしてならない。
もう一度あの日に戻れたら・・・。


このシチュエーション!!
なんと、先日見た映画「セブンティーン・アゲイン」と全く同じですね。
ここで、牧村はなぜか突然若返ったりはしないのですが、
夢想の中で若返り、
別の人生の交差点を曲がった自分を様々にバーチャル体験します。

学生時代付き合っていた彼女と結婚していれば・・・。
銀行ではなく、出版社に就職していれば・・・。
あの時、上司にあんなことを言わなければ・・・。

妙にリアルな彼の空想。
当然、彼に都合の良いようにばかり進みます。
そこはおかしくもあり、またちょっぴり哀しくもありますね。
彼のことは笑えません。
誰でも、時々そんな空想に浸ることがあるのでは?

初恋のあの人に、思いを打ち明けていたら・・・。
この人でなくて、あの人と結婚していれば・・・。
今のこの会社でなく、あちらの会社に就職していれば・・・。

「たら」、「れば」、は無益なこと、とは思いながら、
思いはとめどなく流れてゆくものです。


さて、このように随所で現在の報われない状況を逃避し、
空想に浸る彼を描写しつつ、ストーリーは進みます。
ほんの腰掛のつもりのタクシー運転手。
しかし、それは生易しいものではなく、一日のノルマ達成も難しい。
一日おきの勤務とはいっても、その一回はほとんど24時間勤務という激務。
そんな中でも、次第にうまくお客を拾うコツを習得していくんですね。
すると銀行を辞め、タクシー運転手になったことを恥じていた気持ちも
次第に薄れ、また、今の家族もまんざらでもない
・・・そういう気持ちに目覚めてゆく。
このあたりの心境の変化がとても自然で、
こちらの気持ちまで、なんだか温かくなっていくようです。


この本の解説で、吉田伸子さんが言っています。
「そう、あかりはきっとある。
今は見えないかもしれないけれど、きっとある。
見つけにくいところにあるかもしれないけれど、きっとある。
そして、そのあかりは、選ばなかったもう一つの人生にあるのではなく。
今の、この現実の人生の中にあるのだ。
だから、大丈夫。」
名言ですね。
まさに、この本はそういうことを言っています。

さて、伸郎が、上司に投げかけ、
銀行を辞めるきっかけとなった失言とはどんな言葉だったのでしょう。
それが最後の最後で明かされるあたりも、おしゃれです。

これもかなりのおススメ作品ですね!

満足度★★★★★

レイチェルの結婚

2009年06月01日 | 映画(ら行)
トラブルメーカーの帰還

* * * * * * * *

アン・ハサウェイのアップに『レイチェルの結婚』、ときて、
彼女がレイチェルなのかと思ってしまいますが、
そうではなくて、アン・ハサウェイはそのレイチェルの妹、キムでした。

キムは、薬物中毒の厚生施設に入っていて、
姉、レイチェルの結婚式のために、9ヶ月ぶりに帰宅したのです。
家は手作り結婚式の準備でいろいろな人であふれかえっていて、てんやわんや。
しかしそこへ、このいわば厄介者の娘の登場で、
微妙に空気が動いてゆく。
久々に帰宅した家族を迎え入れるのに、この気まずさ、緊張感。
また、レイチェルにしても、なにやら疎外感を感じイライラしてしまうのです。


血のつながりが自然に「愛」を生み出すかといえば、
そういうわけでもないですね。
むしろ、近くにいすぎれば息苦しいし、
はなれて音沙汰がなければ、無視されていると感じる。
切ろうとしても切れない縁が、うっとうしいこともある。
こんなリアルな感情が良く表されていたと思います。
この作品は、ホームビデオ風に撮影されています。
キムの移動と共についてゆくカメラが揺れる。
ごく普通の結婚式の記念撮影の中に、
実は映し出されている家族の葛藤・・・、というところでしょうか。
演技もリハーサル無しのぶっつけだったそうで、
そのために、また緊張感がでていますね。

さて、ストーリーが進むうちに見えてくるのは、
実はこの家には年の離れた末の息子がいたということ。
幼くして亡くなっている。
キムが薬物中毒にまで至ってしまったのは、そのことと関係がある。
これこそが、問題の核心だったわけですが、
このことでキムはもちろん、家族の誰もが傷ついていたのですね。
でも、口に出すことは暗黙のうちにタブーになっていた・・・。

ラストでは、幾分再生の可能性が見えるあたりではほっとさせられます。
これにはやはり「結婚式」の場が力を添えているのかも知れません。
本当に、結婚式のシーン、パーティーのシーンなどが
執拗なほどきめ細やかに描かれているのです。
いつしか、そのにぎやかでありつつも厳粛な雰囲気に
こちらものまれていました。
レイチェルの結婚に、なんだかちょっぴり、涙してしまいましたよ・・・。
結局、切ろうとしても、切れない家族の縁。
確かにうっとうしくはありますが、
でも、それこそが自分のアイデンティティに関わるところで、
最後に返るところはやはりそこなのだろう。
キムはその大きな瞳で、そのことを見極めて、
施設にもどっていったと思います・・・。

2008年/アメリカ/112分
監督:ジョナサン・デミ
出演:アン・ハサウェイ、ローズマリー・デウィット、ビル・アーウィン、デブラ・ウィンガー


レイチェルの結婚 日本版予告編 RACHEL GETTING MARRIED Trailer Japanese