ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ダンスも芝居も!シニア4期生

2015-10-08 09:47:22 | 演劇

 シニア4期生、公演に向けて稽古も佳境!今週からは時間も6時から9時半までと大幅延長、さらに、途中ダンスのレッスンも盛り込むという充実ぶりだ。シニアの場合、ダンスの得意不得意は人それぞれ、自信のある人を前に出し、後ろの人はそれを見ながら一瞬遅れでステップをなぞって行く。そんなんでいいのか?いいんだ、これで!下手でもダンスは楽しい。音楽に乗って身体を揺すり動かすのは人間の原初的本能なんだから。

 もちろん、芝居の稽古が中心だ。今は、じっくりと本読みを繰り返している。1行のせりふを何度でも言い直してもらう。アクセントやイントネーションも難しいのだけれど、短い言葉にその場に相応しい気持ちを込める、という点に大いに苦労している。例えば、「そうね、たまにはね。」ってせりふ。素っ気なく言うのか、嬉しげに言うのか、しんみりと言うのか、怒りを抑えて言うのか、悲しげに言うのか、・・・・どこまで書いても切りはない。このせりふを正しく発するには、そこに至るやりとりはもちろん、その役の性格、その場の気分、相手との関係、伝えたい気持ち、・・・・これまた書き出せば切りがないが、実に様々な事柄を配慮しなくてはならない。考えることも大切だし、直感的にとらえることも重要だ。台本を読み込むということでもあるし、人間について深い理解を持っているということも必要になる。この両方を、何度も繰り返しを要求しつつ、伝えていく。時間がかかるわけだ。

 昨日の稽古では、せりふはいかようにも読めるということから、書き言葉でのコミュニケーションの難しさ、といったことを話した。最近使用頻度の高いメールの言葉、例えば、「おめでとう!」って言葉一つでも、心から祝っている場合もあれば、適当に言ってみる時もある。いやいや、嫌みににだってなるし、言いようによっては、いじめの言葉にだってなる。言ってみれば、書き言葉って奴は、むき出しの素材に過ぎないってことで、その表面を仕上げ、加工して、意図する内容を相手の心に届けるには、実際に話される、発せられるということが重要なのだ。

 そこの部分が、どうもよく理解されていないから、いろんな誤解や不具合が発生しているのだということ。特に、若い人たちにはこの傾向が強くて、書かれた言葉には一つの意味しかないと思っている場合が往々見受けられる。書いた人の意図とはまるで正反対の内容を伝えている場合だってあるってことや、意図とは反して受け取られることだって大いにあり得る、ってことをもっともっと教える必要があると思う。

 それと、話し言葉の発し方の訓練も重要だ。言葉を自分の意図に沿って自在に操るテクニックだ。いろんな状況、いろんな場合に応じて、同じ言葉でも微妙に言い分ける能力、これを高める必要がある。これがコミュニケーション力ってものの重要な一要素なのだと思う。で、こういう技術を身につけるには、演劇ってとってもとっても、有効な道具なのだと思う。書き言葉と話し言葉の距離感の理解、意図したように話す力、届いた言葉を受け止める感受性、言葉だけのことでも、演劇の持つ教育力は確実に大きい。シニアだって、納得の表情なのだから。

コメント
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