ステージおきたま

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『戦争は女の顔をしていない』柔な気分じゃ読めないぜ!

2021-09-18 10:50:08 | 本と雑誌

 NHK「100分で名著」で教えてもらった。『戦争は女の顔をしていない』、女は反戦とか、女は家庭とか、女は非暴力、なんて、ありきたりの女性観を期待しちゃダメだぜ。これ読むにゃ相当の覚悟が必要だ。女とか、戦争とか、に対するこれまでの認識がぶっ飛ばされる。

 もちろん、医者や看護婦、衛生兵もたくさんいた。でも、

 女も銃を取る。高射砲を撃つ。戦車にも戦闘機にも爆撃機にも乗る。狙撃兵として敵を狙い撃つ。地雷の処理に地を這う。それも二十歳前後のうら若い女性たち、時には16歳、17歳の少女が、戦場を駆けた。強制されたわけでも動員されたわけでもない。自ら志願し、徴兵事務所に出向き、拒絶されれば軍の指揮者に直訴し、ついには無理やり軍隊の移動に潜り込んで、戦った。パルチザンの一員として銃を片手に森に潜んだ。その数、100万人!

 こんな戦いがあったんだ。こんな女たちがいたんだ。彼女たちの交戦意欲は凄まじい。家族を殺され、祖国を蹂躙されたことへの憤怒が彼女たちを駆り立てた。村が、街が、戦場になる。虐殺につぐ惨殺、男たちが一人もいなくなった地域も少なくなかった。

 女たちが銃を取り、爆弾を抱え、戦車や戦闘機に乗り込む、そんな戦いは、日本では沖縄戦を除けばなかった。暮らしの場がそのまま戦場になることも、沖縄と空襲と原爆を除けばなかった。日本人の戦争のイメージで独ソ戦、ヨーロッパ戦線を、つまり、戦争を、知った気になってはならい。民家の戸をけ破り機関銃を乱射する、見せしめに村人を一網打尽に処刑する、勢力を盛り返したソ連兵もまた、暴虐の限りを尽くした。ドイツ国内で強姦された女性、100万、ベルリンだけでも10万は下らない。ただし、この数字は大木毅『独ソ戦』で得た。

 女についても、戦争についても、まるで知らなかった相貌をこの本は与えてくれる。

 ただ、戦闘の合間に、野の花を摘み、下着を手縫いし、月経に思い悩み、そして恋をする。やはり、戦争は女の顔をしていない!

 女たちを差別することなく同志として共に戦った男たち、それはソ連だからこそ可能だったという事実はもっと考えなければならない。と、同時に帰還した女性兵士たちを待ち受けていたのが、銃後の女たちからの激しい非難と差別だったことも忘れてはならない。

 女も戦争も、生半可の思い入れをはるかに超えたところにある。

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