ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

”落ち込み”には作業が効く!

2009-09-22 17:59:13 | 教育

 僕は教師なので、生徒たちの相談に乗ったり、カウンセリングもどきをしたりすることが少なくない、当然か?悩んでいる生徒、落ち込んでいる生徒、自暴自棄になっている生徒、やる気を失っている生徒、いろんな悩みを聞いて、最後に僕が話す。

 悩みなんて奴は、そうは簡単に乗り越えたり、解決したりできるもんじゃない。でも、悩みを抱え続けることはたしかに辛い。心が疼く。気持ちが滅入る。頭がはち切れる。こんな難敵と正攻法で戦ってたら身が持たない。だから、悩みは悩みとしてこっち置いといて、何か作業に熱中することだよ。

 そう、作業なんだ。体を動かすのがいい。作業をこなすにゃ頭を使うから、悩みが隅の隅までこびりついてた脳のクリーニングになる。その間、しばしの間でも悩みのつらさを忘れることができる。もちろん、それで悩みが解決するってわけではない。作業を止めれば、また、悩みの虫が心をむしばみ始める。でもね、一度そうやって悩みから離れてみると、今までがんじがらめになっていた心に、ちょっぴりだけど隙間ができたりもするもんだ。時には客観視するきっかけになって悩みから抜け出すことができたりもする。

 だから、悩んでいる生徒には、悩みは悩みとして作業や日常活動に精出すようアドバイスするんだ。そうやって心の負担を軽くしながら、悩みと付き合っていく。時には忘れていく。

 何言いたいかって?だから、地区大会敗退のショックからの脱出法だよ。

 まず、僕個人については、昨日今日と稲刈りだった。これは実に効いた。ああだこうだぐじぐじ考えながら仕事してたけど、作業への集中と肉体的疲労は着実に”落ち込み”を薄めてくれた。

 次に置農演劇部員たち。明日から活動再開だ。さあ、どうする?やることなかったら、これ悲惨だよ。でもご心配なく!あるんですよ。今週末にはちゃーんと子どもミュージカルの公演が準備されてるんです。しかも、今回から一年生もキャストにはまる。ってことは新しい台本で稽古もしなくちゃならないし、何よりもかぶり物や着ぐるみ作んなくちゃなんないわけ。ほらほら作業だろ。公演予定は来週の金曜日にも入っているんでね、悩んだり落ち込んでたりする暇はないってこと。ねっ、うまく組んでるでしょ?って、別に負けること予想して組んだスケジュールじゃないけどね。

 その後も学園祭、子どもミュージカル、町芸文祭、敬老会での演歌ショーと続いて、さらには東京町田公演、・・・ここまで突っ走ってれば、”落ち込み”なんてふっとぶさ。

 もっとも、部員たちはとっくに気持ちの整理すませて、明日からの部活にさばさばと取り組む準備できてんのかもしれない。いつまでもじくじくしてんのは先生だけですよ、なんて言われないように、さらに作業を続けようっと。

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不安的中!

2009-09-20 22:24:54 | 演劇

 演劇地区大会惨敗!

 理由は何?審査員からの詳しい講評をもらっていないので今は断言できない。どうやら展開がスピーディ過ぎてわかりにくかったってことのようだ。『きき耳族の少女』は一つ一つのせりふが緊密に絡み合っている。だから、一つ聞き逃すと筋が追えなくなる。それと、たった一つの象徴的な言葉に多くを語らせたりもしている。例えば、「人形は・・・愛を語りませぬ。」というダンカンのせりふで、王女ルルーへの愛を語らせたりしている。あるいはファンジャが過去の挫折を語るシーンなども、ミミンのせりふを引き取る形で語られる。こういったせりふをうっかり受け止めかねると、先が見えなくなる。こういう書き方、難しいのかなぁ。僕としては、いろいろ伏線を張ってずいぶんわかりやすく書いたつもりなんだけど。

 それと、上位二校が不登校といじめという定番中の定番だったことを考えると、やはり『高校演劇』強し!!ってことなのかな。物語や大衆演劇的なかっこよさとかは通じなかったってことだろう。身近な話題に身につまされることが大切ってことか。装置や衣装の優秀さは認めてもらえた。演技の質も悪い評価ではなかった。でも、これらをトータルに見て完成度で評価するという視点は無かったようだ。

 要するに事前の不安が的中してしまったってことかな。つまり、テーマも題材も表現法も、高校演劇の常道からはずれると、危険だってこと。やれやれ。

 予期していたのにその不安を乗り越えるだけの力が、僕の本と演出力に無かったことは確かだ。わかっていたなら、対策を立てればいい。そこに過信があったと言えば言えるだろう。それ以前にそんな作品つくらなければいい。でも、それは結果論ってもんだ。自信があるから書いた。今だってその自信にさほどの揺らぎはない。ただ、そんな冒険に付き合わせてしまった部員たちには済まなく思う。あれほどのエネルギーを費やして僕を信じてやってくれた生徒たちに申し訳ないと思う。 

 結果は出てしまった。もはやこの芝居を今一度観客に問うことはできない。それが何より残念だ。

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終わりました!地区大会初日

2009-09-19 23:09:39 | 教育

 地区大会初日、最後の発表。置農『きき耳族の少女』どうにか終わりました。まずまず見てもらえるものにはなったんじゃないかな。力を入れた装置は多くの方から褒めていただいた。緞帳が上がった瞬間のホーッという嘆声には、ちょっぴりやったね!の心境だった。

 心配した場転も無事終了。なんせ、場転要員は一年生中心だったんでとても不安だったんだ。だから、15分間の仕込み時間を無理矢理延長してもらって、場ミリだけはしっかりとつけさせてもらった。仕込み時間を守ったために、舞台そのものが台無しになったんじゃ意味ないからね。仕込みや搬出の時間制限はあくまで努力目標。守れなかったら失格ってことじゃない。この点は、全国行って直に体験してきているので、図々しく時間を掛けさせていただいた。まっ、上演が最後ってことで他校にあまり迷惑を掛けないで済むってこともあったけど。

 しかし、ミスはたくさん出たなぁ!照明、音響、舞監、それにもちろん役者も。ステージでの練習が少なくて仕方ないな、って部分と、うーん、まだまだ稽古不足って部分とどちらもあった。もし、県大会に進めたら、しっかりと手直ししてミスのない舞台を作りたいもんだ。

 この『きき耳族の少女』がどう評価されるかはわからない。でも、もっともエネルギーが注ぎ込まれた舞台だったことは確かだ。それと、難易度の高い芝居だったことも間違いない。体操競技のように演技に難易度ランクがつけられて、それに応じて点数が付くようなシステムなら、間違いなくトップクラスなんだけど。

 さて、他校の舞台。見たのは九里学園の『たんぽぽとかずのこ』だったかな?タイトル違ってるか?違ってたらごめん。見終わって、暗い気持ちで外に出た。誤解しないでね。九里の部員たちは大いに熱演だった。演技の質も悪くなかった。1,2年生だけでこれだけやれれば上等だと思う。空間のしきり方も中割をせめたことで成功していた。

 じゃあなぜ暗い気持ちになったか?って言うと、台本なんだ。これ、全国大会行ってる作品なんだそうだけと、これが何故??って感じ。最後の10分はまあ、後ろ髪を引かれつつ転校する生徒の思いがそこはかとなく伝わった。でも、残り50分は、何なのこれ?って感じだ。無断で飼ってた猫をあしらったギャグはまあ笑えた。でも、それも何度も繰り返されるとまたか!って感じるし、せりふはほんと、とりとめなくて、ムダな冗舌としか感じられない。伏線とか暗示とかまるでなし。出てくるエピソードも引っ越し屋のアルバイト学生が重い荷物持ってぎっくり腰になるとか、引っ越す生徒は実は飲酒と反抗的言辞で退学になったんだとか、猫にかずのこって名前つけて喜ぶとか、どうして?どうしてそんなんつなげて面白いの?わからない!どうしてもわからない!!で、暗い気持ち。やっばり僕は高校演劇とは、心がふれあわないんだ。まっ、別にいいんだけど。って拗ねた気分で見終わったってわけ。

 明日はどんな舞台見せてもらえるのか?楽しみ、だけど、不安。なんとか納得行く作品でありますように。

 

 

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高校演劇脱線派

2009-09-18 21:06:30 | 教育

 今回の置賜地区大会は、高校演劇主流派に対する脱線派の戦いってことになったね。もちろん、置農は脱線派だ。残り4校のうち3校が高校演劇おなじみの作品てことなので、まさしく主流派対脱線派ということになる。

 主流派に対してなら反主流じゃないのか?って疑問持つ人いるかもね。なんで脱線って言うか、別に主流争い、本道争いをする気がないってこと。て言うか、みんながやってることと違うことしたい、てのが僕の素直な気持ちだからだ。おいおい、そんなの素直って言うか?ひねくれの極地じゃないか。そうそう、ひねくれ根性を素直に表してるってことね。

 コメントで今回の『きき耳族の少女』をアクションファンタジーって呼んでみたんだ。でも、どうも違うって気がしてならなかった。で、今日、装置運びのトラック運転しながら考えたんだけど、要は物語ってことなんだって気が付いた。

 めまぐるしく展開するストーリー、月並みだけど心打つかっこよさ、見る者をぐいぐいと引っ張り込むお話の力。これなんだよ。これが今回置農がやろうとしていることなんだ。細やかな感情のひだなんて関係ない。今の時代の問題意識なんてものとも縁がない。もちろん、高校生だからどうのなんてぜーんぜんお呼びでない。観客がえっ!?なになに、どうなるの?って我を忘れてくれたらそれでいい。見終わった後は、ああ、なんかばかばかしかったけど、面白かった、って言ってくれればそれでいい。あのせりふかっこよかったね、とか、あの悪役、魅力的だった、なんて思ってもらえればそれでいい。

 なに?これって大衆演劇の世界だ?そう、そうなのかもしれない。娯楽映画の世界でもある。劇画の舞台ともきっと近いものがある。小難しい理屈もなければ新しい感情の発見もない。出てくるのは安心して見ていられるおなじみの感情と人間関係だ。

 でも、おなじみだからこそ、落ち着いてストーリーに引きずられていける。揺り動かされるような深い感動はないかもしれない。考え込ませる思いテーマもない。でも、見終わって、良い時間を過ごしたという満足感があればいい。そんなお話が、芝居の原点なんじゃないだろうか。そんな軽さがもっともっと尊敬されていい。評価されていい。そう思うんだ。名作主義も結構!純文学も結構!でも、もっと楽しもうじゃないの、物語の世界を、ぐいぐい引き込まれるストーリーの面白さを。

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今日も手直し

2009-09-17 22:58:04 | 演劇

 明日は地区大会リハーサル、ってことで、今日は学校で最後の稽古。今日もまずは部員全員を集めて台本の直しを伝える。

 そうなんだ、このところ毎日やってる。昨日まではただひたすら切って削ってこそぎ落とすことに精を出していたんだけど、今日は、シーンの復活、せりふの追加を指示した。なんせ、削り過ぎちまったからね。あと2分くらいはのばしてもいいよな、じゃぁなに生かす?ギャグかコントか?って朝方夢うつつの中で考えていたら、はたと思い当たったんだ。そう、削っちゃいけないシーン削ってたんだ。

 主人公が聞いてもいないことを知っていることになっちまってたんだ。いや、恐ろしや恐ろしや。やみくもにせりふ削ってるとこういう失敗をついついしてしまうんだ。ほら、こっちの頭にはすでに全体構造がびたっと入ってるからね。なんか登場人物もわかってて当然って気になってしまうんだね。

 ということで、削ったせりふとシーンを復活。さらに、新しいアイディアも浮かんだので、それも付け加えた。いいのか本番直前にそんな荒療治して?そうね、以前だったらぜったいやらなかった。でも、今はこの程度の手直し、直前どころか、本番10分前だってできる?本当か?10分前はオーバーだけど、まっ、部員たち、かなりの変更には対応できるってわかってるのでね。これが舞台慣れってことなんだろうね。

 生徒ばかりじゃない。僕の方も、どこまでもどこまでもより良いものを追求していくって姿勢が生まれてきた。これ、作る立場としてとっても大切なことだし、この厳しさは部員たちに緊張感の持続をもたらしているように思う。そうか、先生いつでもどこでもこの舞台のこと考えてんだってね。そんなこたぁないんだけど。

 明日はリハ。まずは本番に向けてしっかり準備することだけど、稽古も少しはできる。明日は明日でまた、どっか変わっていくんじゃないかな。おっと、そうだった。照明も今日になって一部変更してもらったんだった。照明の生徒、頭抱えてたけど。なーに、大丈夫!君たちならできる!大船に乗った気持ちで任せたよ。

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