ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

免許証返納にうろたえぬために!

2016-02-24 09:49:20 | 世の中へ

 免許証返納が人生の上がりだって、前々回に書いた。誰にだってわけへだてなくやってくる。おっと、免許証持ってない人は別だけど。

 人生の上がりである以上、当人の納得が大切だ、ってのが前回のテーマだった。そんじゃ、どうやったらすんなりと、あるいは渋々でも、仕方ねぇな返すしかねえか、って合点するかってことになる。

 まず、免許証を失うことによって生活に困難が生じないようにするってことが一番目の課題だ。日々の必需品を買いに出掛けられなくなる。これはたまらない。生きていけない。が、ここは、配達サービスの広がりが解決してくれるだろう。例えば我が家だが、基本的に買い物には行かない。週に一度生協が注文品を届けてくれている。月1の手作りソーセージ配達なんて贅沢だって享受している。本や衣料品なんかはネットで買う。車に乗らずに過ごす気なら1週間だって1ヶ月だって暮らせる。自炊が面倒になったら、宅配弁当サービスだってある。(僕の場合、これ頼むようになったら、そこがほんとの上がりだって思うけど。)これで暮らしについては解決。

 次に厄介なのは、人とのつながりをどう保つかってことだ。以前ならお茶飲み仲間ってのがあって、ご近所を巡り歩いて、お茶飲みしながら暇をつぶせた。でも、これからの年寄りは、そんな近距離交際じゃ物足りないはず。趣味の仲間であったり、ボランティアグループであったり、それぞれ譲れないつながりってものを持っているんじゃないか。足はもぎ取られた、でも、仲間にゃ会いたい、このジレンマをどう克服するか?

 ここは、やっぱ、若いやつらと同じ、SNSじゃなかろうか。フェースブックとかLINEとか、年寄り向けのサービスであったり、年齢を超えてつながれグループであったり、ともかく、居ながらにしてつながれる力を大いに発揮することだと思う。行政なんかも、年寄りのSNSリテラシーを上げる教育に取り組むべきだし、アプリの開発や新規事業なんかも、この層を狙ったものがどんどん出てくるといい。例えば、オフ会サービスなんてのはどうだろう。一つの高齢者グループが月一とかに集まるお手伝いをする。メンバーの意向をくみ取り、会場を設定し、車を回し、久しぶりの邂逅をお膳立てする、なんてのもけっこう商売になるかもしれない。ネットを通して、趣味や習い事をバックアップするなんてサービスも繁盛しそうだ。肉親ではない小さな子どもたちとスカイプでおしゃべりするなんてのも、年寄りの心を和ませてくれるんじゃないか。子どもたちの情操教育としてもいいんじゃないか?ね、いろいろありそうじゃない、アイディア豊かな人たち、考えてごらんよ。

 ともかく、年寄り=介護って短絡思考から抜け出すことだ。高齢化社会というのは、いろんなレベルの年寄りが生まれてくる社会なんだ。人生上がり、即介護なんかじゃない。上がった後だって、実は様々に人生を楽しんで生きていきたいはずなんだ。年寄りをワンパターンに押し込めるな!豊かな上がり人生を保証する社会の仕組みを作っていくこと、これができてはじめて成熟社会って言えるんじゃないかな。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっちまったよ、37km!

2016-02-23 08:49:48 | ランニング

 昨日は雨、明日からまた崩れるって言うし、走るんなら今日しかない、古河フルマラソン本番まで3週間を切ったし、わかってる、わかってるって。昨晩は天気予報見て、昼間は晴れ、これはぜったい30km走または3時間走だ、って意欲に燃えたぎっていたのに、いざ、そのときになると、この尻込み、もう、いつものことだけど、ほんと心がか細い。夜中降った雪が路面に残ってる、とか、天気予報が曇りに変わったとか、風が強いとか、もう、もう、いい加減にしろ、ての!

 ぐずぐずと11時過ぎまでためらって、よっし、走る!と決めたのはお昼前。昼飯食べてたらとてもじゃないが胃もたれして無理だろうから、軽く自家製こはんパンを一切れ食べて走り出す。気温は4~5℃、ウィンドブレーカーに手袋は手放せないが、帽子は不要のまずまずのコンディション。今日の目標は、ゆったりペース、6分30秒/kmで最後まで走りきること。いつだって、つい調子に乗って、前半飛ばし、最後はめろめろ、その轍は断じて踏まなぬ、と固ぁぁぁく誓った。

 スローペースでゆるりと走ってみると、これいいじゃないか!足も軽い、呼吸も楽々、この調子なら、30km行けそ、ってすぐにいい気になる。これから3時間走るんだよ、3時間!1日睡眠中も含めれば、1/8だから。長いよ、長い。このゆったりペースだと、廻りの景色を眺めるゆとりもたっぷりある。おっ、春の気配!なんて写真撮影のため一時停止も気が咎めない。そっ、どうせ、3時間だもの、30秒やそこらどってことない。

 土手の雑草にもかすかに緑が萌だしはじめているけど、一番に春を感じさせるのは、水!どうどうと水路を流れ下る清冽な水。

 田の雪がとけ、輝く水面の下に黒々と土がのぞき、久しぶりにイネの刈り株が顔を出す。

 川もたっぷりと水を集めゆるゆると流れていく。

 周囲に顔を巡らせば、まだまだ雪をはおった山々。

 こんなところ走れるなんて、田舎ランナーは幸せだ。ほんと、ほんと、車だってほとんど通らない。道路も乾いてコンディション良好。何故かどちらを向いて走っても向かい風になるのがしゃくだが、まっ、先週のように煽られて前に進めないってほどじゃない。10km楽々!15km快適!20kmちょい足が重くなったかな?これまでフルを走ると、ここから急につらくなったけど、それほどではない、が、うっ、ト、ト、トイレ!

 予定のコンビニ、ファミマ夏刈店到着。慌ててトイレに向かうも、使用中!仕方ない、腹ごしらえ。パサパサのあんパンを乳酸飲料で無理矢理飲み下す。まずっ!これだったら、我が家のパン持ってくんだった。もう出たろう、とトイレ。まだ入ってるよ!うんもう、仕方ねえ、予定にゃないけど、次のコンビニローソン吉島店まで我慢か。途中どうしても、ってことになったら、川原に降りて済ませればいいわけだし、そこも田舎のいいとこだ、と走り出す。

 最上川と鬼面川(おものがわ)を渡り、あとはひたすら田んぼの中の直線道路、3km、長い。ローソン到着、待望の?トイレを済ませ、それだけで出るのは気が引けるので、ビタミン補給ジェルを買ってチューチューやりながら、さらに走る。置賜盆地のど真ん中。遠くに蔵王、振り向けば飯豊も朝日も見えるはずだけど、立ち止まるゆとりなし。早く走り終えたい!ってことしか考えられなくなっている。

 こっちを回れば、30kmをオーバーするはず、とはわかってはいたけど、もう、ここまで来れば、走りきるっきゃない。山形新幹線の踏切を渡ったところで、30km!ノルマ達成!でも、まさかここから歩いて帰るってわけにゃいかんしなぁ。ああ、走る恰好も尻が下がって無様になってきた、もっと前傾、もっと足を前に出して!って思ったって、そうは体が言うことを聞かない。

 ペースは7分に落ちる、やばい、頑張れ、目標は6分30秒!32kmを過ぎる。そうだ、この距離がいつだって鬼門なんだ。激しい痙攣に走行不能に陥る地点だ。突如、ジーン!と来るんじゃないかと恐々足を前に出す。いつも左足から痙攣が始まる、てことは、左足に加重な負担がかかるってことだから、と極力左右の足に均一に体重がかかるようフォームを正した。

 さ、高畠3中を曲がって、最後の3km、上り坂。これは7分でも許そう。残り1.5kmで足の張りがきつく、100mほど歩く。だらしない。もう最後まで止まらない、歩かない!辛くなったらそこからが勝負です、自分との戦いです、ってウルトラマラソンのチャンピオンの言葉を思い出しつつ、ただただ、走る。ブドウまつたけラインに入っていよいよラスト300m、一呼吸ごと数を数え、それに集中して、100数え、さらに120数えたところでゴール!

 結局、距離37.03km、時間4時間4分10秒(休憩時間8分含まず)、ペース6分35秒/km、消費エネルギー2416kcal。7分/kmを越えたのは、ラストの急坂だけ、足も攣ることなく走り終えられた。

 と、喜んだのも束の間、部屋に入ったとたん、動けない!足が、足が、攣りそう!明らかに劇症痙攣の初期段階!大慌てでマッサージとストレッチ、呻き声をあげながらの20分間。やれやれ本番のフルが思いやられる。やっぱ、瞬間冷却スプレー、持っていかなくっちゃな。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生の上がりは免許証返納?

2016-02-22 08:57:00 | 世の中へ

 ずっと昔、人生の上がりは還暦だった、多分。ご苦労様、お疲れ様でした、赤いちゃんちゃんこなんか着せられて、奉られて、親戚一同集まって、さっ、もういつ死んだっていいからね。冗談じゃない、今時、還暦を上がりと喜ぶ人なんてないだろう、ちゃんちゃんこだってお義理で付き合ってるだけさ。僕はもちん着るはおろか、そんな祝い事自体断固はねのけたけど。だってそうだろう、再任用、再雇用、まだまだ仕事が続く、て言うか、働かなくちゃ食っていけないだから。60代前半?まだまだフル稼働中だ。

 となると、人生の上がりは、65歳前後の退職時ってことになるのか?人によっちゃぁそうかもしれない。仕事から離れて一気に呆けた、意欲を失ったって話しも聞こえなくはないから。でも、自分が実際その年齢に達してみて、とてもじゃないが、上がりなんてまだまだ先の話しだって感じている。えっ、そりゃおまえの妄想だろ?って、ち、ち、違うとも、なっ、菜の花座団員諸君、だよな?所々虫食いはあるが脳の方も生き生きフル?回転、体だって、まっ、ちょっとはがた来てるけど、鍛え方しだいでまだまだ十分使用可能だ。

 となると、いつなんだ?人生の上がりって。そりゃ死んだ時でしょ?いやいや、それは終わりであって上がりじゃない。ゲームそのもが消滅するってことで、ゲームオーバーとは違う。なーんもなくなっちゃうわけだから。上がりてのはね、みんなで楽しんでいた、あるいは苦しんでいた人生ゲームから足を洗って、高みの見物を決め込む、これでしょ。要するにゲームの構成員ではなくなるってことだ。

 上がりの仕方は人それぞれだよな。僕の場合なら、劇団から手を引く時のような気もするし、マラソン大会を諦める時かもしれない。黒柳徹子なら徹子の部屋が終了する時か?没頭した趣味から遠のく時、ボランティア活動から身を引く時、いろいろだろうが、要するに、自分で結んだ社会との繋がりを断つ時、これが人生の上がりなんだろうな。だから、気力充実、意欲満点の年寄りなんかだと、死んでようやく上がりって場合だってないわけじゃない。それが若い連中から見てはた迷惑かどうか、それはここでの問題じゃない。

 当人の気持ちしだいなんだ、人生の上がりって、そういう側面もあるにはあるけど、当人の意向とはお構いなしに、突きつけられる上がりってもんも厳然として、ある。それは、免許証の返納だ。あんたもう車運転無理だから!ってぺたっとレッテル貼られる瞬間だ。都会の人間にはわからないだろうな。車で動くって習慣ないだろうし、免許なんて持ってたとしてもペーパードライバーだろうし。交通機関網の目だから、免許取り上げられたからって困るってことはないだろう。

 でも、田舎じゃ、これはもう絶対的だ!いや、絶望的だ!車取られたら、どこにも出掛けられない。趣味の集まりどころか、買い物だって不可能だ。バス停まで歩いて1時間、しかも運行は日に数本。タクシー?1回使えば数千円、そんなもん、年金暮らしで贅沢な!免許証を返納したとたん、社会とのつながりが断絶し、暮らしが押しつぶされる。これ、深刻だろう。付き合いとしては、隣り近所でのお茶飲みだけ!宅配の弁当食べながら、テレビ見る暮らし、どう見たって、これ上がりだ。しかも、強いられた、上がりだ。

 だから、年寄りは免許証返納に抵抗する。目も霞んできてる、反応も鈍くなってきてる、そんなこたぁわかってんだよ。でも、だからって、足なくしちまったらどう生きるって言うんだよ。上がりの人生をまったり生きるだけなら、自宅から半径2kmで生きられる。でも、そんな狭いテリトリーで飼い殺されるなんてまっぴらだ!俺はまだ人生上がりたくはねえんだ!まだまだ勝負していたいんだ!って誇り高くも突っ張る年寄りの気持ちもわかろうってもんじゃないか。

 そう、免許証の返納ってやつは、人生最後の周回で折り合いをつけるってことなんだ。ただ、その周回が最後かどうかは誰にも判断できない。年齢じゃない。健康じゃない。呆けの程度でもない。当人が納得する以外、上がりはない。リタイアはない。でも、車は凶器にだってなるんだから、そう、それも現実だ。じゃあどうする?

 わからない。僕だってその時にゃごねるかもしれない。いつまでも、上がりを認めず現役に執着しているかもしれない。なんか、そんな予感がぷんぷんだ。人それぞれの事情がある。だから、これでどうだ!なんてスーパーアイディアを提示したりできない。ただ、言えることは、人生を上がることに対して、それなりの尊敬を払えよな、ってことだ。まかり間違っても、じいちゃん、もう歳なんだから!なんて決めつけだけはしないでほしい。そんなこたぁ、百も承知なんだぜ!って入れ歯をもぐもぐさせながらつぶやいているんだから、きっと。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐るべし!チョコレート!!

2016-02-21 09:05:01 | 暮らし

 た、た大変だぁぁぁぁぁぁ!

 体重が、なんと!なんと!なんと!!55kgを越えたぁぁぁ!なんだ、痩せてんじゃん、なんて言うな!ここは越えてはならない一線なのだ。たとえ、飲み会で手当たりしだい詰め込んだとしても、アイディアが浮かばぬやけっぱちでクッキーをつまみ過ぎたとしても、怠け心に負けて1週間トレーニングをしなかった時でも、55kg超には至らなかった!そう、少なくとも退職してから3年、ここだけは死守してきた。

 前日、ジムで10kg走った後の計測では52.4kg。農作業のないこの時期の体重としては、まずは適性、許せる体重だった。それがたった1日で2.6kgもの増量!スーパー特売並みの5%増量パックだ。あり得ない!信じられない!どうしたと言うのか?

 消費エネルギーどうだった?食事の支度・片づけや洗顔、排便、睡眠、猫のエサやりなんかの日常動作を別にして、カロリー消費した行動としては、薪運び3往復。10kg以上の薪を布バックに入れて部屋まで運び込む、でもまぁ、せいぜいその間せいぜい20mだから、大した運動量とは言えない。あと、そうだ、ネギを取りに貯蔵室の鶏小屋までの往復、100m弱かぁ。おっと、忘れてた、外は雨でウォーキングもままならないので、テレビでサッカースーパーカップを見ながら30分その場ジョギングをした。これはけっこうエネルギー消費したはずだ。ついでにスクワットも10回ほどおまけしたし。そうだ!それと洗濯もした。ても懸命に働いたの機械だしなぁ。うーん、たしかになぁ、あとは、ひたすら椅子にふんぞり返って本を読むかテレビを見るかのぐうたら生活だったなぁ。とは言っても、このくらいの無為徒食は、今回ばかりのことじゃない。これまでだってジムが休みの週末、あっ、金無し暇有りの年寄りは平日会員だ、はこんなもんだった、外ランを決行できた時を除けば。

 出の方に問題ないとすれば、これは入る方に鍵がある。食べたものを朝から逐一数え上げてみた。朝食、チーズ乗せおにぎり2個、とうふとワカメのみそ汁、赤蕪の漬け物、コーヒー3杯。昼、野菜ラーメン、ただし、野菜は油で炒めず茹でたもの、それとタンパク質の補給も考えて卵1個も入れたな。夜はキムチ鍋、豚肉が100g程度と豆腐軽く半丁、それに白菜とネギ、豚肉はバラ肉だったから、カロリーは高かったかもしれない。それと作り置きのキーマカレーをおつまみ程度。ほぼ普段と変わらぬ食卓ラインナップだ。

 と、なると、間食か?手作りごはん食パン1切れ、これにカスタードクリームとジャムを塗って食べた。あっ、こりゃちょっとカロリー過剰気味か。あと、リンゴ、半分。このくらいは毎日の変わらぬお楽しみってもんだ。他に、なんかあるか?2.6kgもオーバーするほどの摂取過剰は?

 そ、そうだ!その場ジョギングしながら、チョコ!チョコレートを食べた!これだ!これが原因だ。一口だけって思って口に入れたんだ。半分で止めよ、って途中袋に戻したんだ。あと、一口だけにしとこ、って・・・で、結局、1ピースぺろり。これだ、いつもと違うって言ったらチョコしかない。なんとなぁ、そんなにもカロリー高かったのか!エネルギーの塊なんだなぁ、おまえ。

そりゃそうだ、ほぼ脂肪分、さらに砂糖だもの、サラダ油100mlぐい飲みするのと同じことなんだ。そりゃ効くよなぁ。ベーグル作りでつい開けた神さんのチョコレート、本日以降、厳禁じゃ、厳禁!おにぎりも小さめにして、ジャムやクリームの塗り方は薄~~~く伸ばして、豚肉は赤身を中心にして、あと、なんだ?

 そうだ、運動だ。その場ジョギングは消費カロリーが小さいなら、こりゃ階段昇降しかないな。2階との往復を10回ワンセット、これを4回はやろう。外は、低気圧の影響で雨と風、やれやれ、屋内ダイエットの週末だ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんな時代でも、人は様々に生きている。

2016-02-20 08:45:51 | 世の中へ

 5月の菜の花座公演では、満洲開拓の話しを書きたいと思っている。なぜ、満洲?なぜ、開拓?かつて、農本主義的な心情に惹かれた時期があったからかもしれない。一から自然と向きあって農地を切り開く、開拓ってものに、ほのかなロマンを感じ憧れてもいた。岩手大学在学中は仲間とともに、前森山の集団開拓農場に調査活動に入ったりもしたし、那須のアジア学院を何度か訪れたのもその意味合いが強かったんだと今は思う。もちろん、その気持ちの軸、農業が大切って信念は変わっちゃいない。だから、どんなに忙しくとも、田畑を作る仕事はせっせと続けている。

 でも、今、満洲を書かなくっちゃって気持ちは、それとはかなり違う。今、世界がぶち当たってる課題、それを先取りした大変な苦難の体験だったと思うからだ。難民!そう、満洲に移住した数百万の日本人が、シリア難民と同様の悲惨な逃避行を強いられた。もちろん、違いはある。住み慣れた土地を戦乱で立ち退かなくてはならないシリアの人たちに対して、満洲からの難民は無理矢理押し入った他人の土地を追われた人たちだ。避難の先が他国なのか自国なのかも大きな違いだろう。でも、難民問題をさらに難しくしている宗教や民族、国家の問題を見据えると、満洲の悲惨な体験は考えねばならない多くのことを埋もれさせているように感じるのだ。

 また、昨今の嫌韓、嫌中感情の盛り上がり、その裏返しとしての美しき日本主義、にもしっかり向き合える論拠も多々見い出すことができるに違いない。ただ、今のところ、なにをどう書くか、まったく未知数だ。決まってるいるのは、女性を書く、それだけ。これは、悲惨な逃避行を強いられた大多数が女と子どもであったことや、日本に帰還できた比率が女性の方がはるかに低かった事実などもあるが、もっと現実的な制約、菜の花座は女性中心の構成だってことが大きい。2ヶ月近くにわたって関連の本を読んできて、いよいよ、構想をまとめる段階、どんな風に転がって行き、どんな風に突き当たるのか、楽しみでもあるが、きっと苦しい作業になるだろう。

 さて、資料を読んでいて、なるほど、知らなかったという事実にそちこちでぶち当たっているのだが、その中で、あっと驚いた事実を紹介して終わりにしたい。それは、敗北の翌年、新京(旧満洲国の首都、現長春)での出来事。帰還を待つ女性たちの中で、なんとダンサーに採用され、中国人上流階級相手に踊り手を努めたり、麻雀のお相手をして日々の糧を得ていた人たちがいたという事実だ。以前から生業としてきた女性たちではなく、難民の中から応募して採用され、一週間の訓練の後、ダンスホールに雇われた女性たちなのだ。手に入れた着物をドレスに仕立て、それを着て紳士淑女のお相手をしたと言う。ただし、そんな姿で行き帰りを歩けば、暴漢に襲われる恐れも大いにあったので、仕事が終われば、垢と埃でずたずたぼろぼろになって布きれをまとって帰路についた。

 我々が知っている避難民の様子と言えば、食うものもなく、寒さに震えながら、狭い避難所で死の恐怖と戦っている人々の姿だが、同じ町の中、同じ収容所に暮らしていても、こういう生き方をしていた人もいた。また、少年たちの中には、中国人商店主に気に入られ飯店の使い走りをしたり、床屋の弟子になってその日その日を過ごしていた者たちもいた。ロシア兵や中国の暴民に狙われる恐れがあるからと避難民から強く勧められ、仲良し女学生5人全員中国人と結婚して難を逃れたなんて話しも知った。

 あんな極限状態の中にあっても、人々はそれぞれ知恵を絞り、勇気を奮い起こして、その場を生き抜くすべを見いだしていたという事実に改めて驚く。当然と言えば当然なのだが、ともすれば我々は典型の中にすべてを埋没させてしまいがちだ。難民ならこんな暮らし、中国人ならこんな対応。そのように割り切って決めつけることでわかったつもりになっている。だが、現実は実に多様で多彩だ。そのとりどりの生き様を一つ一つ大切にしていく、それが今世界がぶち当たっている難問解決の糸口になるんじゃないかとも思っている。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする