川西町芸術文化協会の新年顔合わせ会、今年も参加した。町外者だし、分野が演劇と異質だし、顔も名も知られてないからいつだって隅の方に小さくなってる。去年あたりまでは、置農(置賜農業高校)の演劇部の先生って見知られ方がほとんどだったが、今回は、菜の花座見てます!とか、あの舞台は面白かった!とか、次の公演はいつですか?なんて話しかけられて、おお、菜の花座も僕もちっとずつ知名度を上げつつあるな、と心の底で胸を張った。
でも、それはほとんど女性会員のことで、男どもは相変わらず、演劇?知らん!菜の花座?なんじゃそれ?のレベル、隣りに座った写真クラブの大先輩、つまり高齢者、は、置農演劇部の活躍も、まして菜の花座のことも、それどころか、川西に劇団があるってことも一向にご存知ないようだった。向かい合って座った俳句クラブの方が、一生懸命説明してくださったけど、どうも最後まで、菜の花座とか演劇とかって像は結ばなかったみたいだ。それでも、なんか表現活動頑張ってる男だ、くらいの認識は芽生えたようで、ご自慢のミニ写真集をくださった。昨年は鳥居にこだわり、置賜中の神社の鳥居をカメラに納めたとのことで、下から仰ぎ見る鳥居像は空転に飛翔するかのような力強さを感じさせ、印象に残る写真群だった。すべてお一人で撮影に回っていると言う。つい、えっ、車なだ運転してるんですか?と聞きかけたが、そこはぐぐっと自重。
取りなし役を買って出てくれた方は、俳句を始めて10年、最初は句会が回ってくるのが苦痛で、句会ならぬ苦界だったが、今では、月1回仲間と集まって句をひねるのが何にもます楽しみになったと嬉しそうに語ってくれた。お年からして、退職後、何か打ち込めるものをと始めた俳句なのだろう。そう言えば、置農演劇部が演歌舞踊の手ほどきを受けている藤柳美香次さんも還暦間近に始めて10数年と言っていた。確かめたわけじゃないが、50,60の手習いって方は少なくないのかもしれない。踊りなど、若い頃から続けているって人もいなくはないが、伝統芸能、文芸となると、目覚めるのにはそれなりの歳月が必要だってことだろう。
とすれば、芸文協会メンバーの高齢化は当然のことなのかも知れない。先端産業でバリバリやってたシニアたちが農業や園芸に戻ってくるのと同じこと、ロックだダンスだと騒いでいた若い奴らだって、年取ればそれ相応に渋みを加えて、やれ、詩吟だ、やれ、舞踊だ、やれ川柳だと落ち着き所を見つけて行くのだろう。そうそう、詩吟愛好者の伸びは凄いものがあるらしく、ここ置賜でも吟道岳鷹会は数百人の会員がいるって話しを聞いた。そして、今日の会も開会を祝ったのは吟詠三題だった。
さて、出会いは新しい道を開いてくれる。以前からぼんやりながら温めていた、演劇と舞踊のコラボレーション、なんて言うと格好いいが、要するに大衆演劇を一緒に作りましょうって話しだ。菜の花座も、見に来てくれる人たちだけ相手にしてないで、フレンドリープラザに来たこともないって人たちを惹きつける舞台作らないとね、という芸文会長のアドバイスをいよいよ形にしようと思った。舞踊を取り込んだ物語、テーマはじいちゃんばあちゃんがすんなり受け入れてくれる人情もの、こういう舞踊ショーみたいな芝居を作りたいと思って、藤柳流の美香次さんにお願いしてみた。
と、なんと、あちらもぜひやりたい、これまでもストーリー性のあるものを複数で踊ったりもしてきた、もっとしっかりとした芝居の中で踊ってみたかった、と大賛成してくれた。おお、なんとなんと!頭の中にもやっと漂ってたアイディアが一気に姿形を現した。うん、これいいぞ!美香次さんにはいつか、なんて言ったけど、やるなら今年だ。菜の花座若手も殺陣がやりたいっ!って叫んでいたことでもあるし、立ち回りから踊りから、ほろりとお涙頂戴から、お笑いから、できればダンスなんかも、やれるものは何でも取り入れて、一大エンターテイメントを繰り広げようじゃないか。観客たくさん呼び込んで、二日間の公演なんてことになれば最高だ。
狙いは12月公演、夏前までに構想まとめて、台本書いて、盆明けには稽古に入って、クリスマス当日の公演!よしっ、これで決まった。文翔館創作劇場やっぱり予選落ちだったし、くよくよしてねで、今年の目玉はこれだこで。