
当たり前・無意識の言動にも見え隠れ 2025/04/03
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寄付金や脅し、組織 は、何も宗教特有の
話題ではありません。
私は、日常生活にある、私自身の精神的落とし穴
だと思っています。
①寄付金について
一般に、慈善に使われるための、ボランティア的
な金で、見舞金、浄財、寄進、 献金などを言います。
純粋な気持ちから出たものである一方、”寄付させて
もらう”となると、動機などに、思惑がからんでくる
ことも、あります。
先日まで、予算国会で 野党から質問が上がり
話題になっていた、”企業献金”は、こうした思惑
が考慮されていたからでしょう。
たとえば、企業との忖度(そんたく)・・・
その企業の優遇的措置などに、影響を与えたりする
ことが無いように、企業献金の、公表や、一定額
以下を定めるなどの”規制”の必要性が話し合われて
いました。
宗教、企業、などの問題だけでなく、これは、私たち
個人的な生活レベルでも、あてはまることがあるかと
思います。
人から恩義を受ければ、それに対して恩返ししたい
と思うのですが、それが自分の生き方の信条と反対の
ことをしなければならないとき、葛藤が生まれます。
あるいは、貸した金の約束の返済がなされないときは、
まさに、あれは、差し上げたもの、寄付金と割り切れば
さっぱりすることもあります。
寄付金、援助金、など、万が一、見返りを求めたなら、
割り切れない不満が残るものです。
寄付金(ボランティア活動も含む)などをするときも、
自分自身で、動機の純粋性を、確認することが、
その行為の、最初の一歩のような気がします。
②”おどし” は、日常の優しい言葉の裏にも潜んで
います。
たとえば、
”お疲れですね。
顔色が悪いですね。
風邪ひかないでくださいね”と 当たり前の労わり
(いたわり)の言葉。
通常は、”ありがとうございます”で終わるのですが、
時々、これが”脅し”に響くことがあります。
”顔色が悪い” ということは、”元気にみえていない”と、
こと・・・
”お疲れですね” といわれれば、意識していないけど、
普段より、エネルギーが低下しているように、見えて
いるのか?と感じます。
”風邪をひかないでくださいね”‥といわれると、
風邪に意識が飛びますから、エネルギーがダウンして
いるのなら、人混みをさけようなどと、自然と
防御態勢のスイッチが働きます。
その人の言葉に秘められた力で、疲れているのかも?
エネルギーが低下しているかも?
そして、風邪がうつらないように、心しよう・・と、
無意識に、その言葉の裏に潜む ”恐れ”に誘導された
ような気分になるわけです。
これは、私のように、言霊に敏感な人には、一種の
健康に対しての、”おどし” にもなるでしょう。
私は、”病は気から”と 心から信じていますから
相手様のご心配が、心からであるほど、”ご心配
無用”と申し上げたくなってしまうのです。
ここでは、”脅し”という言葉が強ければ、”不安を与える”
と言い換えましょう
つまり、健康への”脅し”は、”言われた相手に不安を
与える”ということでもあります。
”不安”は、すべての病の ”発病の種” と、私は
信じておりますので。
そして、現代社会では、不安を与えながら、その解消
のための動機付けをする・・ことが、当たり前のように
無意識の中で多々、みられるようです。
例えば、テレビのコマーシャルなどで・・・
健康食品、保険、薬、などの広告は、購買力を増す
ために、まず、視聴者に不安 を与えます。
”年々、’~は老化とともに、機能が衰えていきます’”と、
”グラフ”などの統計数字が画面に出ます。
次に、不安解消のための手段として その製品の
科学的成分等が表示され、この錠剤の一粒には、
これだげの含有率があるので飲めば安心・・
となるわけです。
世の中 不安だらけ、自分の健康維持も不安、
人間関係も経済的状態も不安定・・
不安を煽られる材料は、日々のニュースだけで、十分
すぎるほど、聞いたり見たりして得た感情として、
蓄積されていきます。
こうした、不安からくる”ストレス性の病” は、戦後、
生まれた比較的新しいものでしょう。
では、どうしたら良いのか?
こうしたストレスをなるべく、排除するために、
私たちの心は、静かな一人だけの、善きもの 愛なる
もの、護られている事実(誰もが、厳密な意味で
護られています)をみつめる、ひと時が、必須に
なるのでしょう。
神社仏閣へ、訪れ、心を鎮めることは、本来のそれが
目的でもありましょう。
占いが流行るのも、この不安を解消するために、
少しでも、安全で、安心な道に誘導されたいために
人々は、さまざまな手法に頼らざる得ないのでしょう。
でも、本当は、自分は、本当の自分(アートマ)に頼る
時だけ、理屈と次元を超えた、安らぎと へりくだった
感謝に満ちた底力が 得られるようです。
私は、日々、それを求めてます。
③組織について
ここ(グループの場) は、そうした不安をいっとき、
忘れさせてくれる場でもあり、反対に、不安が増上
される場でもあります。
これも各自、それぞれの、心の持ちようで違います。
組織とは、仲間のことでもあります。
年をとって、故郷から離れられないという人の心情は
きっと、仲間と離れたくない、住み慣れた、風景が
変わるのは寂しい、ということでしょう。
一方、”長い物には巻かれろ” という言葉があります。
実は、多かれ少なかれ、誰もが暗黙のうちに、そうせざる
得ない境遇で、生きているのだと思います。
意味は、二つあります。
一つは、権力有る人には逆らわない、
二つめは、自分の身を護るために、妥協していく
私が組織に肌が合わないのは、自分がこの諺どおりに
生きられないからだとわかっているからです。
”出る杭は打たれる” という言葉にあるように、自分
の色(意見や個性)を回りの色調に合わせないと、
突出してしまい、組織を乱すため、嫌われます。
だから、長いものには巻かれる・・大勢の一人でいる
方が楽な一方、そうした自分には、我慢ができない
わけです。
私たちは、学校という、グル-プの中で、自分の入って
いる組織と歩調を合わせることを、学んできました。
それが、調和と和の大切さを学ぶ体験であったと同時に、
もし、周りが汚染された考えにはまっていても、正す
ことができない、自己主張の弱さを生み出していると
思います。
さて、”お金と脅しと、組織”の この三つの存在。
すべてに共通しているものは、不安とエゴではない
でしょうか?
お金は、使い方によっては、エゴの塊(かたまり)と
なり、生活不安の大きな要素になります。
脅したり、脅されたり・・というのは、大げさな方法
ではなく、”不安をあおる”ことだとしたら、言葉一つ
で、それは簡単につくれるでしょう。
そして、”組織” では、それを構成しているメンバーの
一人ひとりの価値観や、その資質が問われます。
価値観は、エゴ的(自分が良ければそれでよい)要素
が少なくなるほど、排他的から利他的な、ものになります。
誰でも、孤島に一人で住んでいない限り、組織の一員
です。
地球星人として、日本人として、そして、地域の住民
として自分の属する組織をよくするためには
利他的な生き方を、各自が意識していく以外、
術(すべ)は無さそうな気がします。