自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

新しいエネルギーの考え方とアインシュタインの法則

2017年01月05日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

アートマセラピー(自己セラピー)と

科学性/臨死体験と念の速さ の関係      2017.1.5

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 そこに存在している~ということは同じ波動に共鳴することができる

ということだ。

人と人とがひかれあうのは、互いに似たもの、感じあえるもの、共鳴

するものを持っているからだ。 


’自分に無いものを持っているから惹かれる’ という場合でも、その

”ないもの”以外は十分に共鳴できる下地があるから、”自分に無い”

ものを認識できるのだろう。 

あるいは、’自分に無い’のではなく、あるから故に、相手に同質のもの

が見えるのだろう。 

その場合は、正しく言えば、’無い’というよりは、あるのだが、無自覚

でそれを、’発揮できていない’ということだろう。


無視できない相手の存在もそうだ。 

善かれ悪しかれ、気になる人というのは、自分の心のどこかしらに

共鳴しているから。 

自分の心は、すべて善や美でありえないのと同様、共鳴する対象も

善でも美でもなく、その反対でさえあり得る。 

 

音の波動でお話すると、もっとシンプルだ。 

その音に共鳴する音叉を近づければ、音叉は、響きだす。


これと同じ論理がアートマセラピーにも言える。 

アートマという言葉が分かりずらければ、"自己本質に働きかける

純粋波動”と言葉を換えよう。


施術者が自己本質に限りなく近い意識をもって、波動を相手に送る

と、相手(被施術者)の限りなく、その人の自己本質と同派数の

純粋性へ届き、共鳴弦が響きだすというわけだ。 

音叉無料画像 に対する画像結果

それは、言葉を変えれば、その人の身体不調は、改善に向かる一歩

ということになる。

心の波動は、細胞の働きに直接、働きかける、エネルギー体である

からだ。


アートマセラピーを、自分で行うことは可能だ。

自分をまず、浄化したうえで、不調和な精神部分や,身体部分に

その波動を流すことで、それらの、純粋波動が影響を受けて、本来の

調和と、働きを取り戻すことができる。 


こうしたことを、私に、科学的に証明してほしいという人がいる。

その人によれば、科学的成立は再現性、普遍性、客観性の三本柱が

必須だという。 

特に現代では、科学的ではない ということは 胡散臭いという

レッテルを張られるのだから、注意しなさいと言って下さる。 

が、科学的とは何をもっていうのか?
そこに、すでに、そういう体験があるのなら、その体験こそが、
科学的であると、私は思う。


アートマセラピーでいうのなら、100人のクライアントの内、

改善に向かった人たちが90人いるなら、私は、”再現性”

はあると考える。 


 

普遍性というのは、何か科学的方程式を出せるか、どうかと

いうのなら、アートマセラピーに関しては、まだ、それは、ない。


客観性というのなら、ほとんどの方が病院で検査をして、データ的に

改善を見たということであるから、ある程度は、証明されるだろう。


個々人が、自分の内面に、普遍性のある、真の自己の再現性を客観的

に実現しているかどうかのほうが、はるかに大事な問題のような気が

する。 

 

方程式といえば あの有名な方程式を、ご存じだろう。


E(エネルギー)はM(質量) x C(光の速度)の2乗 という

アインシュタインの法則がある。 


ここで注目したいのは Cに、’光の速さ’の代わりに ’人の意識の

精妙さ’を代入したら、どうかということである。


12月31日のブログに少し触れたが、”意識とはエネルギー体”

であるとしたら、そして、”光の速さよりより速いもの”だとしたら?

例えば、t=to√1-(v/c)の二乗 により、光より早い速度

のものは無いといわれる。


tはvの速さで運動するものの時間to は静止するものの

時間cは光速度、だから、光の速度より速いvは,方程式上

成り立たなくなる。


が、先の方程式に、vを光より速い速度、つまり、念の速度 

に置き換えると、これは時間の流れを意味するtはゼロになるから、

“時間を超越した” 次元 に 意識が、はいることを意味する。


よく言われる、死んだ時刻に、その当人が遠く離れた場所に表れて

愛する家族に挨拶をした~という話はまんざら想像ではなく、

科学的な方程式に裏打ちされるかもしれない。


インドの聖者たちが、身体がそのままで、幽体と換えて、遠く離れた

弟子の前に、姿を現して、説教したという話は、科学的に矛盾する

ことではないかもしれない。


ある学者が、臨死体験をした。

その定義を、”人間を動かしていた想念エネルギーが、死後、質量を失い、

時空を超える体験して、また 肉体に入り、生き戻ったこと”と

定義していたが、それもまた科学的なのかもしれない。

 

聖書の中で、イエスがラザロを言葉で死から蘇らした。


アートマセラピーでは時間はかかる時があるが 細胞に確実に’何か’ 

がよみがえり、それが伝播され、有機的につながった身体全体に流れて、

不調は、快方に向いていく。

 

これはまだ今の科学がデータをとる術のない、超次元の中で起こって

いることだと感じる。

時間のない世界とは言い換えれば、超次元の世界であるからだ。


 宇宙光無料画像 に対する画像結果

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風邪をひいたら、自分で気(合い)を流してみよう

2015年11月27日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

 

要注意)自然の経過を乱すもの  20151127

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自己施術ができるようになると、

‘此処に手をまわして気を入れたいけど 届かない“

という箇所が感じられてくる。

セラピーをして、後日来られて、

“どうしても肩甲骨周りに手が届かなくて” 

とおっしゃる方たちがいる。

体は経絡などであるいは、チャクラ線で

つながりあっているので、手が届かなくても、

最終的には

“そこ(たとえば、肩甲骨付近)を解こう”と 

集中的に意識を寄せるだけでも届かないところ

に気がまわることがある。

それが あまり釈然としないときは、

背中の裏側と反対の前身の箇所、たとえば、

肩甲骨あたりなら、前身ごろの、あばら骨当たり

に軽く 掌で気を流すだけでも、通じる。

何故、このようなことが起こるかと言えば、

人の意識、特に、強い念(文字どおり、

今の下に心があるように、今強く発する想い)

は 体に通じやすいからだ。

手を怪我している、片手が不自由だとか

言う方は、その方法で十分 自己施術を

行うことが可能だろう。

それを整体の創始者 野口春哉氏も 

認めていて以下のように書いている。

“体の一部はこわばったままでいる。

そこへ力を集めて抜く。

抜こうとしただけでは弛まないが、

一旦力を集めて抜くと抜ける。

それをこわばったところに順々に行う。 

しかし、只力を入れて抜いても弛まない。

弛むには十序がある。その弛む順序が体

によって違う。

使いすぎているところが、緩まない。 

その方より疲労の度合いで弛む順序が

生ずるのであるから、力を入れて抜いて

弛まぬところを

気張って弛めようとしないで、体の順序に

従って、力を入れ抜く。“ 

つまり、背骨を伸ばしてイスに腰掛け、

あるいは、正座し、体の“緩めたい箇所”

に想念を送るのだ。 

送る際、一度そこに力を物理的にかけて、

息を吸って、少し筋肉を緊張させる。

それから、その箇所にいれた力をぬき

ながら、息を吐いて リラックスさせていく。

息を吸うとき、文字通り、‘

息=いき’は‘生きる気’、つまり、

気をその凝った個所に充満させるような

心持で息を吸うのだ。

但し、ここで 野口氏は 

“体の順序に従って力を入れ抜く”ことが

大切だと、記述している。

確かに、多くのクライアントの方たちが、

施術後、一人で行う場合の解く順番を

お尋ねになる。

大体は頭から首、肩、胸、両腕、腹の

順番に下に下がって気をいれることを

お勧めしているが、中には、傷む箇所

から先に解きたいと考える方も少なくない。

ある個所に慢性的な痛みがある場合、

そこから“ほぐしたい”という思いが

強いので、その前に、腕や首、

腰に、気をいれてみてください~と

お話しすると怪訝(けげん)な顔をされる。

“そこは、特に痛くもなんともないのに

・・ですか?”という質問される。

“体のバランスを考えて”とお答えして

いるが、痛い所だけに気を流しても、

あまり、効果が無い場合が多い。

さらに、痛いところがこっているの

ではなく、ほかに原因がある場合も

多々ある。

つまりや凝りは、時間の経過で体の

異なる場所に症状として出てくる

場合がある。

そのあたりを 以下のように野口氏も

指摘している。

 “肩が凝っているからそれをとろうとか、

腰が痛いから腰から緩めようとか、

初めから決めてかかることは交差点の

交通巡査がさばききれないで、

気張っているのと同じで

目の前の片側のことしかわからない”

つまり、そういう風にしても、

延々と後に車の続いていることが見えない。”

ので、かえって気の渋滞をまねいて

症状が改善されないことになる。

たとえば、風邪を例にとってみると、

”咳が出るから咳を鎮めよう。 

熱が出たから熱を下げよう。

脚が痛むからそれを抑えよう、と

今感じているところにばかり気を取られている

と、整理がつかない。“

つまり感じている痛みや不調、体のその部位が

はっきりしているところを何とかしたいと思って

そこから施術を始めても効果が上がらない

のはそのためだろう。

“その気になったことをいちいち何とか

しようと手を出すから経過が乱れる。

風邪の経過という交通の流れの

全体を捕まえてみていない。

次の交差点の赤青のことをみて、

整理に当たらなければ整理できるものではない。“

だから、

余分なことをすれば経過を乱す。 

何もしないで、ただ体を弛めていた方が、

かえって。すらすらと通る。“

ということにもなりかねない。

体の凝りやつまりを解いて、気を通し、

体が弛んでくると、風邪の症状はどうなるだろう?

“弛んで汗が出ると風邪が通過したのであるが、

余分に頑張っていると熱がでる。

経過促進の自然の方法である。 

肩がこわばっていれば、咳が出て、

鼻がつかえていれば、くしゃみが出る。 

是も弛み発汗する順序です。”

ここでも 野口氏は繰り返しのべているのだが、

私たちが普通 風邪を引いて治っていないと

思う原因の、くしゃみや鼻づまり、

頭痛や咳などの、“症状”は実は、風邪が

うまく経過していっている過程なのだ。

咳が出たり、鼻がつまる。 

くしゃみを連発したり発熱したりする。

場合によっては、関節が痛んだり、

下痢をしたりするのだが、

“腰が痛むのも、そこがまだ弛まないと

いう知らせである。”

肯定的に症状をとれば、心配ばかりする

だけではなく、その通知を受けた箇所を弛ませ、

気を流して解こうとするきっかけになるだろう。

だから、野口流でいけば、あるいは、

自然治癒的療法でいけば、風邪をひいたとき

の心がけと自分で施術する場合、

“風邪を引いたら、まず、身体中の力を

抜いて、体を弛めてしまうのです。

緩めれば汗が出てさっさと経過してしまう。 

ところが自分では緩めたつもりなのに、

体の一部はこわばったままでいる。

そこへ力を集めて抜く。

抜こうとしただけでは弛まないが、

一旦力を集めて抜くと抜ける。

それをこわばったところに順々に行う。 

しかし、只力を入れて抜いても弛まない。

弛むには十序がある。

その弛む順序が体によって違う。

使いすぎているところが、緩まない。 

その方より疲労の度合いで弛む順序が

生ずるのであるから、

力を入れて抜いて弛まぬところを

気張って弛めようとしないで、体の順序に

従って、力を入れ抜く。“

 という方法も有効なのだ。 

実際 具体的にどこに気をいれたら 

風邪に効果的かということを知りたい方のために、

野口氏は次のように書いているのでそれ

ご紹介したい。

“胸椎三と四がくっついているものは

鎖骨付近につまりがある。

下痢がひどくても、頭痛が激しくても、

胸椎三と四がついている場合が多いので

これで大方よくなる。

同じ兆候でも、胸椎五番が飛び出して

いる場合は頸椎(けいつい)六と七に、

胸椎十が飛び出している場合、

頸椎三と四に気を流す。

胸椎十番が捻じれているのは風邪が

体の中で引っかかったことを示している。

泌尿器に異常が現れる前である。 

十番や足の内側に気を流せばよい。“

風邪を上手に経過させるということは、

こうした胸椎や頸椎などのひきつれに

異常を残さないということでもある。

風邪ひいて、腎臓が悪くなったり、

咳だけまだ残っているという場合、

神経痛になったり

呼吸器に不調を感じたりするのは、

きちんと体の整理をつけなかったと

いうことなのかもしれない。

心して、風邪をあなどらず、しかし、

風邪の治りかけを見極め、一層 

健康になるように

体を調整しながら、風邪を経過

したいものだ。

 

参考文献)  風邪の効用 野口春哉 

株式会社 全生 昭和53年改訂6

 

 

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心療内科の目的と暗示訓練法

2015年09月14日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

リラックスする時の暗示法を加味すると・・・・   2015・9・14

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”九大医学部全国で最初の心身医学の研究所(現在の心療内科)が発足して以来、

私どもがただ一筋に求めてきたものは、人間の心と体の結びつきを追求することによって、

心身一如の健康と幸福を実現するための医学的方法を見つけ出すことだった。”

と 池身酉次郎博士は自著に書いている。(*1)

心と体の結びつきに着眼した博士は、すでに日本より先を越しているこの分野での

先進国の自律的療法などを紹介している。

 

ドイツのシュルツ博士の創案である、標準練習は基本的に暗示法の学習は

6段階の暗示のステップからなる。

目的は頭部、心臓部、消化器系等などの自律促進である。

 

第一段階の暗示)

①   できるだけ、静かで、明るすぎない落ち着ける場所を選び、仰向けに横になる

(布団など敷いてよい)

②   目を閉じて“気分が落ち着く”と心でゆっくりと、反復する。

③   気分が落ちついたら、次に、“右腕が重たい”と暗示をかけて右腕が重くなってくる様を感じる。

④   次に同様に“左腕が重たい”と暗示をかける。

⑤   両腕が終わったら、同様にして右脚、左脚と行う。

⑥   時間は5分ぐらい。朝昼晩と行う。

池見博士によると、こうして、両足両腕が重くなるように感じられるには、3週間ぐらいかかるとしている。

 

第二段階の暗示)

①   第一段階の暗示の要領で 重たさの代わりに “これからどんどん暖かくなる”という暗示をかける。

順番は、右腕、左腕、右脚、左脚 の順序で行う。

 

第三段階の暗示)

①   これまでの暗示を一通りかけた後、“心臓がとても静かに打っている” とか、

“心臓は規則正しく打っている” とか、心臓調整の言葉を付け加える。

②   但し、心臓に持病がある人や、血圧の高い人はこの訓練は避けた方が良い場合もある。

 

第四段階の暗示)

①   これまでの暗示を一通りかけた後、“楽に呼吸している”という言葉を添える。

②   その際、意識して呼吸の数や、仕方を変えようとしない事。

③   但し、喘息、肺結核、呼吸器系の障害在る人は専門家と相談して行う方が良い。

 

第五段階の暗示)

①   上記の暗示をかけた後、“腹部が気持ち良い”〝胃のあたりが温かい“と、付け加える。

②   但し、糖尿病、消化器系病気を持つ人は訓練の最後に回した方が良い場合がある。

 

第六段階の暗示)

①   最後に頭部への暗示である。〝頭が涼しい“と付け加える。

②   但し、てんかん、頭痛もち、の人で深いな症状が 起こった場合は、別の手段を専門家に相談する。

 

この六段階の訓練をマスターするためには、早くて2~3か月、通常6か月ぐらいかかると言われている。

この訓練方法を利用して体をリラックスさせる法もある。

これはセラピー協会で行っているもので、心療内科とは関係はない。

最初の第一段階の暗示、もしくは、第二段階の暗示をかけて、重くなる と想定して

そう”思い込んだ意識”を造る集中力訓練、そして、それによって、腕や脚の重さ 、

あるいは、温かさを感じる体験をするのはそう難しい事ではない。

その次に、第三段階の ”心臓の自律を計る暗示”をかける代わりに、

“わたしの体は今リラックスしてくる。” と目を閉じた状態で 

頭部、頸部、肩、胸、腹、臀部、腿、脹脛、足 と徐々に下に向かいながら、力を抜いていく。 

力が抜けているかどうか確かめるのに、一時的にそこに瞬間力を入れてみるのも方法だ。 

体の力が抜けるのと同時に、暗示の力も加わって、その部位の細胞が

休息状態で落ち付いてくるのがわかる。

体を横たえていると、筋肉への付加がないので、やりやすい。

寝る前とか 疲れがたまったとき、こうした方法を取って見ると、

深い眠りに心身誘導されやすい。

 

次に少し、異なる要素を加えたリラックス方法もある。

(これは、スピリチュアル的興味ある人以外にはおすすめできないが)

先の要領で体を上部から解いて行くと、どうしても、なかなか、緊張が高く、緩んでも

すぐ力の入る部位が在る場合に有効だ。

例えば、頸椎(首付近)の力を抜いても、緊張が取れない場合、そこに利き手を置いてみる。

そして、静かに気を流す。

大体、人は無意識でこうした動作を 日常、何気なくしているものだ。

これは、フランスのヨガの指導者だった、Mさんから実際手ほどきを受けた体験があるが、

その手を当てながら、心の中にあるどんな緊張がこの状態を創りだしてみるか、

その部分に尋ねるのである。

すると、“友達”とか、“仕事”とか何となく、直観が伝わる場合がある。

嘘だと思ったら、一度試していただきたい。

 

そして、その時、それをあれこれ詮索することなく、ただ、

“友達、OK.リラックス”とつぶやくのである。

“仕事OK.リラックス”、

“~さん、OK.リラックス”

“金銭問題OK.リラックス”、等・・・・

そしてその部位が次第にリラックスしてきたら、次の部位に移る。

 

次の部位の力が抜けているかどうか心で感じて行く。

こうして 頭から足まで リラックス状況に持っていき、体の緩みを図る。

暗示 というのは、非常に強い影響を心に及ぼす。 心がそう思い込むと

 

実際、そのような状況がつくられるからだ。

ここでは自分の体であったが、この暗示を利用すれば、よくも悪くもいろいろな応用が見られる。

俗に言う、呪い もそうだし、能力開発に用いる手法にも使われているし、

自分の心を縛るのも暗示の一種(思い込み)だし、解放するのも暗示(希望)である。

それを体と心が一体であるという、池見博士の冒頭の信念、心身一如の法則を基に

健康を医学的に造るという原則に暗示力が応用されているのは最もなことだと思った。

 

 *1 ”セルフコントロールの医学″ 日本放送出版協会 池見酉次郎著 昭和57年

 

 

 

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難治喘息の克服=ある種の悟り

2015年02月09日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

 病は気から~不幸も自分の想念次第~それが本当なら苦労はない?       2015・2・9

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Sさんの最後の原稿部分です。

そして、光は境界線がないからすべてがこのアートマで

繋がっているということも実感します。

本当の自分を知る、そういっても、すぐに体が楽に

なるわけではなかったのです。

浄化作用が現れて時にはその辛さに負けそうになったり、

不安が戻ってきたりすることも たびたび、ありました。

でもそんな不安定な自分は 本当の姿ではない。

どんな時も完全な自分こそ、本来の自分だと信じ抜く、

そして前進していく、そうすれば必ず、どんなことも

より良くなっていくほかないと確信します。

苦しみの深い苦しみの中を 幼いときから彷徨い不安の

中を歩いてきた私に、一筋の光を投げかけて導いてくれたのは 

アートマエネルギーの存在でした。

このエネルギーは誰にでも流れている。

つなぎ合って、大きな和にしていきたい~と願います。

私の体験はささやかですが、喘息で苦しんでいる人や

家庭不和で悩んでいる人達にとって、少しでも、

参考になることができれば 嬉しく思います。”

 

 投稿文はここで終わっている。

死を宣告された難治喘息者だった彼女が

何故こんなに元気になっていったのか?

振り返れば、セラピー後さまざまな反応に 

Sさんは、時には、怯(ひる)み、

立ちくらみながら、”自分の本質は何か?”を 

命がけで 問い続けていた。

 

 

そしてその答えは、頭ではなく魂で直覚で納得し、

どんなに身体的に不完全

と見えていても、必ず、本質の自分とつながる

という希望を忘れなかったから

こそ、これまでの長い道のりをほぼ安全に

乗り越えてこられたのだろう。

 

実は先回のブログを投稿した後、Sさんから訂正

か所を指摘していただいた。

それは、セラピー開始後 半年過ぎた頃 

取っていた薬の摂取量

と自己判断による、その減らし方だった。

物質的存在ではないと自分に確信がもてるようになるほど、

ステロイドの錠剤服用が 不必要に思われてきた。

 

そこで、半年かけて8錠の錠剤を医師の許可を得ず、

自分でジョジョに減らして3錠にまで落とした。

そして、前々回のブログの手記にあるように、突然

”頭の血管が切れたかと思う様な半身まひ状況で

起きれなくなる”状況に至る。

それから1か月の間に、わずか、ひと月で 再び 

自分だけの決断で

完全に 服用をゼロにしていたという。

そして大発作が起きて大学病院に運ばれる。

この間の薬の摂取量がきちんとブログ上に説明

されていなかったようだ。

 

しかし、この大発作を契機として、それまで 

ほぼ毎日、通っていた喘息専門医から大学病院へ

拠点をうつし、さらに、新薬を飲むという条件で

ステロイドの服用はかなり軽減された。

そして、新薬に対しても、ステロイドに対しても、

今まで感じたことのない愛念と感謝

を持ったのも、新しい体験だった。

 

 

 

先覚者の言葉がある。

”During physical curing process, the attention should be

not on the disease, but on the infinite powers of the mind."

身体的癒しを求めるとき、病気に注意を向けるのではなく、

心の持つ無限の力に焦点を合わせよ。

 

無限の心の能力とは、潜在意識は心の動きをもさしている。

潜在意識は、無意識に 心と行動を動かす源泉ともいわれ、

90%の情動が潜在意思から、10%が顕在意識から

出ているといわれる。

自分の心といっても、今、意識している心の働きは

氷山の一角に過ぎない。

潜在意識の 汚点(これが弱い、ここが悪い、

生まれつき~病になりやすい)

といった意識をとりのぞくためには、信念 と 

意思 の力が大きいだろう。

心が変われば、手記にあるように、周りの人達、

家族や親せきを含め、軋轢がなくなり、調和の世界が

広がっていったということで 体験談は結ばれている。

Sさんは、今現在、新薬も打ち切り、ステロイドは

半錠の服用まで減らすことが

できている。

 

 

 

ある人は聞くだろう。

そんなこと言っても、不幸や悲しみはいくらでもある。

想念や念力で幸せになれるのなら、苦労はしない”と。

 

あなたの目の前に何があるだろう?

テーブル? 椅子? 本? テレビ? 

確かに、信念・想念や念力を強くして 

それらのものを目の前から消そう

としても消えないだろう。

同様、自分の病や境遇も消すことはできないと、考える。

 

テーブルも椅子も本もペンも、どうしてそこに

存在しているのだろう?

それは他者の念が加わって、そこに存在しているからだ。

他者の念とは、たとえば、それを設計した人、

商品として開発した人、必要とする人(あなた)、

の念があるだろう。

それぞれ、”良い製品をお役にたてるものを” と

心に置いて、その物品と面してきた

人達の心が一つになって、それは完成された。

そして、最期にそれが”欲しい”と手に取った

あなたの心が加わって、そのものは

今ここに、存在している。

 

 

 

皆の想念といえば、国民意識や、社会常識というものも同様だ。

たとえば高熱を出した子供を氷に体ごとつけるのが

良いとあるフランス人はいう。 

一方では、梅ぼしとほうじ茶を飲ませて、温かくして発汗

させればよいという人もいる。

子どもがハクションとくしゃみをしたらすぐ、医者に連れて行く

母親もいるし、良く寝ていれば治ると平然としている祖母もいる。

こうした時の、決断も 自分の決断といえども、案外、無意識に、

一般的・大衆的電波の大きな波動のエネルギーに

知らずに同調してそれにしたがっている場合が多いのでは

ないだろうか。

 

想念で 不幸やSさんのように難治喘息が改良されル原動力も、

先ほどの、目の前のペンや本が存在する原動力も同じ、

念、想念の力だ。

何が違うかと言えば、前者は、自分の想念、後者は多くの

人達の念がかかわっていることだろう。

 

自分自身の心身に関する個人的問題を解決するのに、

回りのいかなるエネルギーをむしろ押し返すだけの強さが

持てるかどうかは、

その人自身の信念次第だ。

それはその人の心の力による。

自分の本質は生命だ。

生命というのは生かそう生かそうとするエネルギーの流れだ。

滞ったり、腐ったりするのは、そこにそのエネルギーが

流れなくなったときに起こる。

それは愛の裏返しだ。

愛は決して周囲を傷つけない。 反対に、生かそうとする力だ。

生きとし生けるものを生かそう生かそうとする太陽の

エネルギーと同質だ

 

覚者はだから私たちに問う。

汝は自分のイメージをどうとらえているか?”と・・・。

Sさんが3年かけて到達した今のステージも、

この問いを常に自分に投げかけて

きたからに他ならないだろう。

 

念という字は、分解すると、縦に上から下に、今の心 と書く。

今の心、今、どういう信念で自分をとらえているか、

その連続が念力という念の

力になるのだろう。

 

 

 

 

 

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難治喘息(3)”アートマエネルギー体感”

2015年01月31日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

血痰となり、体よ、激しくてもよい、出し尽くして浄化の道へ!  2015・1・31

******************************

 

2010年6月にSさんは初めて

アートマセラピーを受けた。

そして先回にもあるように、

理論の勉強も始めて魂が毎回

喜ぶのを自覚していた。

真理(病と心の関係:人間の本質:

本来の生体が持っている力の話)が

ストンと心にはいっていったという。

 

こうして、表層意識から潜在意識

にまで 真理が浸透していくにつれ

自然治癒力が活性化され、体内の

毒素やゆがみ、凝りの原因になって

いるつまりなどを 自らほどこう

とする自然治癒の力がよみがえって

きた。同時に、”反応” と呼ばれる

浄化作用が強く現れてくる。

それが激しいさまざまな 症状と

なって 一見、Sさんの状態が

悪化したように回りの眼には

映ったに違いない。

 

しかし、心の軸をきちんと固定しよう

と平静心を持つ闘いをしながら、

Sさんは”浄化反応”を

果敢に受け止めていった。

多少の疑いがあっても、必ず、

良くなる前触れと自ら言い聞かせ、

反応の出る、苦しい時期を乗り越えて

いった。

今日の手記はそこから始まる:

 

”最初の一番強い症状は 痰 

でした。8年の間に味わった過酷な

喘息経験でもなかったほど、想像を

絶する大量な痰が出始めたのです。

昼夜片時も休む間もなく、睡眠さえ

とれず、排出しなければ、あっと

いう間に肺の中が痰で埋め尽く

されて、呼吸ができなくなる

という状態になりました。

 

それは正直、本当に大変でした。

浄化の始まりであることは覚悟

していたので、いよいよ始まった!

という感を強くして、出し切ろう

という想いを強くしました。

私の中の、’本当の生命力’が動き

始めたとも感じました。

この排出作業は、一週間以上

続きました。

 

 

 

その間、数日は多量の血痰や 

ドロっとした膿のような痰も

出ました。

その時、痰を排出する際、

すごく強い力がかかるので、

肋骨が左右二本折れました。

タンの排出作業のたびに、

’ポキッポキッ’という骨が

ずれる音がするのです。

そして、悲鳴を上げるほどの

痛みをあげます。

同時に、その痛みで 痰を

だそうとしても力が入らず、

痰がうまく出せずに、窒息

寸前の苦しさで

’もう駄目、耐えられない・・

駄目だ・・’と心がくじけそう

に何度もなりました。

でも ’出すんだ’という声も

聞こえてきたのです。

 

以前の私は、大量のステロイド

を服用し続けていて(毎日8錠)、

点滴では数百本のステロイド

が体に入っていました。

さらに、それまで、症状を

薬で止めていたときのことを

考えると、浄化はそれほど

苦しいのも当然、相当な量に

なるだろうと想像できました。

 

 

 

排出し続けるんだ、ここで折れて

また薬に頼ることはしたくない、

前のようには絶対戻りたくない、

だから、今、出し切るんだ~と

決心をさらに強くして、頑張り

ました。

 

不思議と心の奥底では ”大丈夫、

絶対に大丈夫、乗り切れる”という

静かな自信のある声がしていました。

その時痰の排出で使ったティッシュの

量は 一晩で4.5リットル入りの

ゴミ袋2袋でした。

 

こうした発作的な痰の排出は、

この時を境にそれからたびたび

起こり始めました。

毎日 フツウに出す痰の量も、

発作以外に、増えていきました。

 

12月に入ると、自覚症状は頭

に移りました。

朝、子供たちを学校へ送りだあと、

少し、前兆がありました。

本来、右側に見えている右手が、

左の眼で見る視界に奇妙な感じで

捉えられました。 

今までと違った違和感で驚き、

戸惑いも感じました。

するとその時です。 

突然、確かに、後頭部の下方にプチッ

とした感覚を覚え鋭い痛みが走った

のです。 

ぞの瞬間、歩こうと思っても

上手に歩けなくなり洗面所の仕切りに

躓き、膝の皮が深くえぐれるほど

の怪我をして倒れました。

起き上がることもできません

でした。”

 

この時 幸いにご主人が仕事

オフでいらした。妻の異変に

驚かれた。

そして筆者の元に電話をかけて

こられたのであった。

 

 

 

”声もまともに出せなくなって

いた私の異変に、仕事が休みだった

主人が気づいて駆け寄ってきました。

その時、私の視界も異常でした。

周囲や自分の体の一部が見えなく

なってました。

主人は、私の膝の傷口から

血液が流れいるのを見て

とても慌てているのですが

そばに居るはずの主人の姿が

視界に入らないのです。

 

私の口は呂律が回らなくなっていました。 

主人の問いかけにも返答もできず、

体の半分がマヒしているのに気付いて、

パニックになっていきました。

主人はとても心配している様子で

”救急車を呼ぼう!と何度も問いかけて

きましたが、私はずっと首を横に振って 

’病院はいやだ’と訴え続けました。

行けばまた薬で抑えられる! 

自己治癒力浄化作用がこれで

抑えられてしまう!

 

主人は思い余って、須田先生に

電話していました。

その声を聴いているうちに、

私の心は落ち着いて、症状が

和らいで、身体が動かせるよう

になってきました。

先生は’すぐにセラピーに来ても

良いですよ’と言われたので、

主人は私を車に乗せ、そのまま、

御自宅へ伺いました。”

 

後記)2021年2月5日手記

こうしてSさんはそんなに

具合が悪いとはつゆ知れない

私自身の元に、かなり常識

では考えられない状態のまま、

御主人の車で連れてこ

られたのでした。

これが彼女の運命の分かれ道に

なったのだと今にして思います。

もしかしたら命を失っていても

おかしくない状態だったのかも

しれない。

 

そして私は過失致死か何かで

訴えられていても仕方がないリスク

高い状況だったのだと今になって

回想しています。

この何が何でも、自分の自然治癒力

で治して見せる、もう、薬漬けに

なって何度も同じところを行ったり

来たりしたくない~というSさんの

真摯な想いは天に通じて、アートマ

セラピーを必死になって施術しました。

私も彼女の守護神から、その力を

与えられていたのだと思うぐらい、

彼女は快気していきました

今では朝5時から夜11時まで働く

元気な彼女がいます。

 

 

 

 

 

 

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