チャチャからの私の魂に響いた通信
11月16日 退院2日目のチャチャ
やあ、おはよう。
今日もいい天気になりそうだ。
今、俺の魂は自由になって、次の生まれ代わりを考えている。
いや、考えていたのだが、今は、こうして、君に手紙をかくことにする。
肉体を離脱した。 昨夜 (注:11/21) のことだ。
原因はいろいろあるが、今日は僕を応援してくれた君たちに
挨拶させてくれ。
ありがとう。応援してくれていて。
厄介だったが、所謂 大往生だった。
オレの好きなあの人の膝に上で、ずーっと 温もりを
感じながら昇天できたから。
深い呼吸がやや、早くなったとき、あの人(Y)は
オレの異変に気が付いた。
”ちょっと、変ね ” とつぶやいて、じっと手をあて、
オレを、膝の上に乗せた。
Yの膝の上で、おれは、自転車のタイヤに空気をいれるような
浅く速い深い呼吸を15分ほどしていた。
Yが 少し安心して、”チャチャ、ごめん、ママちゃん少し眠たいよ”
とオレを 枕元の絨毯に戻そうとした瞬間、
オレの首が 後ろにグーッとのけぞった。
オレの魂はそれから、数回 肢体を動かし伸ばし、抜けて行った。
Yが これから、オレの抜け殻に手を置いたとき、死んだ実感で、
悲しまないように、ちょっと、工夫もした。
体が硬直しないよう、体温もそのままで 一切、体から
汚物も出すことなく、もぬけの殻の体を 生きていたとき
そのままのように 維持できた。
”チャチャ、ありがとう。まだ、こんなに体が暖かいよ。
足も曲がるよ。
首もやわらかいよ、生きているみたい。
また、起きてワンというんじゃないの?”
Yは その晩、傍らのオレの屍(しかばね)に手を触れて
いつものように仮眠をとった。
オレの死を意識せず、普段と同じように。
そう、最後の息 絶える、ギリギリまで、オレの意識は
あの人にあった。
体の神経は ~糞(くそ)くらえ~、モウロウとしてきたが、
オレは最後の元気をふりしぼって、90度、体の角度を変えた。
前足を踏ん張って後ろ足でいざりながら、あの人の膝に
向かった。
”これ以上は進めない”、頭を持ち上げて、あの人を見つめた。
その時11月20日(火曜日)午後11時45分。
”もう、チャチャ、首が立たないし、頭部に硬直化が見られる
から、今夜が山場ね” と夫に話している声が聞こえたときだ。
オレは 頭を持ち上げて、カメのように首をもたげて、
眼を大きく開けた。
”チャチャがここまで来ようとしている!そんな元気、
残っているの?!”
夫婦は驚嘆した。
このまま、へたばるオレだと思うのかい?
このまま、オレを こうして、綬丹の上に寝かしておく気かい?
キミは約束しただろう?
最期はオレを ”自分の腕の中で逝かしてあげたいから” って、
病院の医師に話していただろう?
だからオレは帰ってきたんだ。
Y は、オレをやさしく 膝の上に乗せてくれた。
”心細いよね、チャチャ・・・、わかるよ、ウン、わかるよ” と
見つめた眼を見つめ返し、それを繰り返した。
想いだしている。
11月13日 オレは たった、一泊だったが、入院していた
病院のケージの中だった。
おれの意識 は、明け方、セラピーのクライアントの、
子のところへ 行った。
4年前、Y と俺たちが、あの事件で、打ちひしがれていたとき、
新横浜まで、送ってきてくれた人だ。
優しい人だ。
オレはそれ以来、彼女のフアンだった。
彼女に会えた時は、あれ以来、いつも、
”遅いじゃないか。会いたかったぜ”
と 飛びついてあいさつしていた。
彼女もよくわかっていた。
オレの心は、あの人には 言葉とともに、つたわるんだ。
”オレはチャチャだ。
頼む、Y (注:私の名前)に伝えてくれ。
オレは家に帰りたいんだ。 Yの手当が一番だ。” って。
そのメッセージは 数時間後、Yに届けられた。
”Y さん、明け方、チャチャが夢にあらわれで・・・・”
と J子は、携帯メールで、Yに 送ったはずだ。
あの人が そのメッセージを開ける頃、
13日午前11時、ICUから ふつうの病棟に移されそうな
オレを、自宅に、引き取る覚悟で医師と対面していた。
ケージの前で長いことはなしていたぜ。
医師 ”もう、猶予はないと思います。
この、臀部のジュクジュクは破裂する寸前だ。
そうなったら、手術はできない。
ヘルニアをもとに戻さないと、同じ問題が起きますよ。”
彼女(須田)”ヘルニアを基に戻せる確証ありますか?
他に、何か悪い部位があるかもしれないですね?
去勢されて、あちこちつなぎ合わせて、それで、
命の確証がないとすれば、私は、チャチャを、そばに
置いて精一杯診てやるほうを選びたいです。 ”
医師 ”ただ、今は膀胱が壊疽しているかもしれない。
毎日 カテーテル使って 排尿しなければなならない。
毎日、可能ですか?
チャチャが水を飲まなければ点滴もしてやらなければ・・”
彼女 ”はい、それを私は昨夜 一晩、考えていました。
でも、今は、決心がつきました。
必ず、そうします。”
まだまだ、いろいろ、自然治癒力とか生命力とか、
T医師と話していたようだ。
とにかく、こうして、オレは家に戻った。
みてくれ。
これがおれのその時の笑顔だ。
良い顔しているだろう?
あれから、一週間、ずーっとおれは彼女と一緒だった。
彼女の視界の中で、夜も昼も過ごした。
夜中、ベッドに入りたいとテレパシーを送ると
毛布の中に入れてくれた。
血が尻から、タラタラと流れていたから、絨毯に降りた。
顔を上げると彼女が覗き込んで、手の平をアンテナみたいに
オレにむけて、波動を送っていた。
もう、無駄だよ。 いいんだよ。 早く寝ろよ。
俺は、ベッドから覗き込む彼女の、視界の届かないところに
ヨロヨロと移動したことも 何度かあった。
水はよく飲んだ。 点滴なんか、糞くらえ。
必要ない。
必要な水分はオレが自分でとる。
街医者でカテーテルを入れたのは、数回だった。
そのたびに医者が ”食欲は? ご飯食べましたか?”
と聞いているが、
そんなわけないだろう。
腸の中が血だらけなんだ。 なんで消化なんかできる?
排泄できない膀胱をまず排泄できるようにするのが先決だ。
自然治癒力の智慧で 体自身が いろいろ工夫して、
機能を戻そうとしているに違いない。
エネルギーはそういう、大事なところに使われているんだ。
食べなくても、否、食べないから元気が出るんだ、こういう時は。
それでも、16日夜、少々柔らかい餌を食べた。
最期に食べたのは、リンゴだ。うまかったぜ。半分食べた。
そうそう、。
Yが オレの動き出した膀胱に、カテーテルを入れようとオレを
無理やり横にしたことがあったな。
あれには抵抗したぜ。
もう、自分で排泄できかかっているんだ。
余計なことをしないでほしいってね。
それでも信じないようだったから、
オレは、垂れきっていた尻尾っぽをピンとたてて、
ヨロヨロだが、Yの前を歩いてみせた。
”わかった。わかった。
チャチャ、元気になったんだね。
もう、今晩は入れないから”
こうして、1週間もたたないうちに、自力で排尿も
できるようになった。
そう、手術しなくても、排尿できたんだ。
だが、これも、生の片道切符の有効期限というものだ。
運命っていうものは、生きている役割が果たせたら、
とっとと、命を 次の次元にアセンションさせるものなんだ。
明日に続く・・・・・・
受難のちょうど2か月前、チュチュ(右)と チャチャ(左)
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