自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

チャチャのメッセージ

2012年11月25日 | ペットロスの癒し

 チャチャからの私の魂に響いた通信

 

11月25日  もう会えない君へ   

 

          

11月16日 退院2日目のチャチャ                          

 

 

やあ、おはよう。

今日もいい天気になりそうだ。 

今、俺の魂は自由になって、次の生まれ代わりを考えている。

いや、考えていたのだが、今は、こうして、君に手紙をかくことにする。

 

肉体を離脱した。 昨夜 (注:11/21) のことだ。 

原因はいろいろあるが、今日は僕を応援してくれた君たちに 

挨拶させてくれ。

 

ありがとう。応援してくれていて。 

厄介だったが、所謂 大往生だった。

オレの好きなあの人の膝に上で、ずーっと 温もりを

感じながら昇天できたから。

深い呼吸がやや、早くなったとき、あの人(Y)は 

オレの異変に気が付いた。

”ちょっと、変ね ” とつぶやいて、じっと手をあて、

オレを、膝の上に乗せた。

 

Yの膝の上で、おれは、自転車のタイヤに空気をいれるような 

浅く速い深い呼吸を15分ほどしていた。

Yが 少し安心して、”チャチャ、ごめん、ママちゃん少し眠たいよ” 

とオレを 枕元の絨毯に戻そうとした瞬間、

 

オレの首が 後ろにグーッとのけぞった。

オレの魂はそれから、数回 肢体を動かし伸ばし、抜けて行った。

 

Yが これから、オレの抜け殻に手を置いたとき、死んだ実感で、

悲しまないように、ちょっと、工夫もした。 

体が硬直しないよう、体温もそのままで 一切、体から

汚物も出すことなく、もぬけの殻の体を 生きていたとき

そのままのように 維持できた。

 

”チャチャ、ありがとう。まだ、こんなに体が暖かいよ。

足も曲がるよ。

首もやわらかいよ、生きているみたい。

また、起きてワンというんじゃないの?” 

 

Yは その晩、傍らのオレの屍(しかばね)に手を触れて 

いつものように仮眠をとった。

オレの死を意識せず、普段と同じように

 

そう、最後の息 絶える、ギリギリまで、オレの意識は 

あの人にあった。

体の神経は ~糞(くそ)くらえ~、モウロウとしてきたが、

オレは最後の元気をふりしぼって、90度、体の角度を変えた。

前足を踏ん張って後ろ足でいざりながら、あの人の膝

向かった。 

”これ以上は進めない”、頭を持ち上げて、あの人を見つめた。

 

その時11月20日(火曜日)午後11時45分。

”もう、チャチャ、首が立たないし、頭部に硬直化が見られる

から、今夜が山場ね” と夫に話している声が聞こえたときだ。

オレは 頭を持ち上げて、カメのように首をもたげて、

眼を大きく開けた。

 

”チャチャがここまで来ようとしている!そんな元気、

残っているの?!” 

夫婦は驚嘆した。

このまま、へたばるオレだと思うのかい?

このまま、オレを こうして、綬丹の上に寝かしておく気かい?

キミは約束しただろう? 

最期はオレを ”自分の腕の中で逝かしてあげたいから” って、

病院の医師に話していただろう?

だからオレは帰ってきたんだ。

 

Y は、オレをやさしく 膝の上に乗せてくれた。 

”心細いよね、チャチャ・・・、わかるよ、ウン、わかるよ” と 

見つめた眼を見つめ返し、それを繰り返した。

 

想いだしている。 

11月13日 オレは たった、一泊だったが、入院していた

病院のケージの中だった。

おれの意識 は、明け方、セラピーのクライアントの、

子のところへ 行った。 

4年前、Y と俺たちが、あの事件で、打ちひしがれていたとき、

新横浜まで、送ってきてくれた人だ。

優しい人だ。

オレはそれ以来、彼女のフアンだった。

彼女に会えた時は、あれ以来、いつも、

”遅いじゃないか。会いたかったぜ” 

と 飛びついてあいさつしていた。

彼女もよくわかっていた。 

オレの心は、あの人には 言葉とともに、つたわるんだ。

 

”オレはチャチャだ。 

頼む、Y (注:私の名前)に伝えてくれ。 

オレは家に帰りたいんだ。 Yの手当が一番だ。” って。  

そのメッセージは 数時間後、Yに届けられた。

”Y さん、明け方、チャチャが夢にあらわれで・・・・” 

と J子は、携帯メールで、Yに 送ったはずだ。

 

あの人が そのメッセージを開ける頃、

13日午前11時、ICUから ふつうの病棟に移されそうな

オレを、自宅に、引き取る覚悟で医師と対面していた。

ケージの前で長いことはなしていたぜ。

 

医師  ”もう、猶予はないと思います。 

この、臀部のジュクジュクは破裂する寸前だ。 

そうなったら、手術はできない。

ヘルニアをもとに戻さないと、同じ問題が起きますよ。”


彼女(須田)”ヘルニアを基に戻せる確証ありますか? 

他に、何か悪い部位があるかもしれないですね?

去勢されて、あちこちつなぎ合わせて、それで、

命の確証がないとすれば、私は、チャチャを、そばに

置いて精一杯診てやるほうを選びたいです。 ”


医師 ”ただ、今は膀胱が壊疽しているかもしれない。 

毎日 カテーテル使って 排尿しなければなならない。 

毎日、可能ですか? 

チャチャが水を飲まなければ点滴もしてやらなければ・・”


彼女 ”はい、それを私は昨夜 一晩、考えていました。 

でも、今は、決心がつきました。 

必ず、そうします。”

 

まだまだ、いろいろ、自然治癒力とか生命力とか、

T医師と話していたようだ。

とにかく、こうして、オレは家に戻った。

 

みてくれ。

これがおれのその時の笑顔だ。

良い顔しているだろう?

あれから、一週間、ずーっとおれは彼女と一緒だった。 

彼女の視界の中で、夜も昼も過ごした。

夜中、ベッドに入りたいとテレパシーを送ると

毛布の中に入れてくれた。

血が尻から、タラタラと流れていたから、絨毯に降りた。

顔を上げると彼女が覗き込んで、手の平をアンテナみたいに

オレにむけて、波動を送っていた。

もう、無駄だよ。 いいんだよ。 早く寝ろよ。 

俺は、ベッドから覗き込む彼女の、視界の届かないところに 

ヨロヨロと移動したことも 何度かあった。

 

水はよく飲んだ。 点滴なんか、糞くらえ。 

必要ない。 

必要な水分はオレが自分でとる。

街医者でカテーテルを入れたのは、数回だった。 

そのたびに医者が ”食欲は? ご飯食べましたか?” 

と聞いているが、

そんなわけないだろう。

腸の中が血だらけなんだ。 なんで消化なんかできる?

排泄できない膀胱をまず排泄できるようにするのが先決だ。

自然治癒力の智慧で 体自身が いろいろ工夫して、

機能を戻そうとしているに違いない。 

エネルギーはそういう、大事なところに使われているんだ。

食べなくても、否、食べないから元気が出るんだ、こういう時は。

 

それでも、16日夜、少々柔らかい餌を食べた。

最期に食べたのは、リンゴだ。うまかったぜ。半分食べた。 

そうそう、。

Yが オレの動き出した膀胱に、カテーテルを入れようとオレを 

無理やり横にしたことがあったな。

あれには抵抗したぜ。 

もう、自分で排泄できかかっているんだ。 

余計なことをしないでほしいってね。

それでも信じないようだったから、

オレは、垂れきっていた尻尾っぽをピンとたてて、

ヨロヨロだが、Yの前を歩いてみせた。

”わかった。わかった。 

チャチャ、元気になったんだね。 

もう、今晩は入れないから” 

こうして、1週間もたたないうちに、自力で排尿も

できるようになった。

そう、手術しなくても、排尿できたんだ。 

だが、これも、生の片道切符の有効期限というものだ。

運命っていうものは、生きている役割が果たせたら、

とっとと、命を 次の次元にアセンションさせるものなんだ。

 

明日に続く・・・・・・

 

受難のちょうど2か月前、チュチュ(右)と チャチャ(左)                  

 

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愛犬 チャチャを 集中室から家に引き取る

2012年11月24日 | ペットロスの癒し

 最後の力で微笑む

チャチャの退院と最期(看取り)         11月24日

   

退院した直後、14日の写真   

 チャチャ日誌の続き・・・

 

こうしてチャチャは家に戻ってきた。(前回の記事参照)

臀部の腫れていた局部が 点滴の水分を吸収して、

ジュクジュクして、ますます大きく腫れ上がっていた。

(しかし、引き取って、施術をして、ブログ内写真のように、

その腫れは自然治癒の力で収まっていった)

 

2012年11月14日木曜日、入院していた病院にチャチャを迎えに

行った私に、彼は病院のケージの中から、精一杯の力を振り絞って、

わずかに、尻尾を振った。


チャチャの、ささやかな身体の動きだったが、彼の最大の喜び

の感情を表していた。


彼は声は13日以来、発することはできなかった。

集中室の、ケージからチャチャを出そうとした時、担当の

T医師の口から、再度、手術を薦める話が出た。


”ヘルニア手術は猶予がないところです。 

この、臀部の腫れた箇所はあと、2~3日で破れます

(注:実際は、破れず、収束に向かっていった)。

そうしたら、もう、メスを入れられません。”

 

昨日の、泌尿器科担当のY医師のお話しも、同様だった。


T医師は、手術の話を 噛んで含む様に、説明したが、

私の彼を引き取りたいというそ、決意は固かった。

手術をOKしたら、もう、二度と、チャチャらしい彼に

合うことは叶わないだろうと、私は、感じていた。


私の自宅介護の決心が固いのを見て、それを認た医師は

こう付け加えた。

”それでは、必ず守ってください。尿は必ず、一日一度

とってください。 

必要なら、点滴もしてください。”

 

伺いながら、内心、皮肉だな と感じた。 

一日一度 尿を取る? 言われるまでもない。

尿をとることは、3日前から必要性を、感じていたし それを

街医者の早朝検診に、時間外診察で飛び込んだとき、まず、

お願いした事だった。

が、検査なしに、処置はできないと、こうして、48時間以上

尿を排出する措置がないまま、過ぎて 毒素が体中にまわり、

腎不全を起こしてしまったのだ。


昨夜、一睡もできなかったのは、自分が、チャチャの世話を

自宅介護で、完全にできる自信があるかどうか、自問自答して

のことだった。

点滴や管で尿排泄を 適宜にさせられるか、現実的に、

その処置法は可能か?まだ間に合うだろうか?という可能性

への不安のためだったから、尿を取ることの第一義は、私が

一番知っていた。

医師に改めて言われる前に熟考していたことだった。

 

少し、こうなるまでの1週間を、振り返ってみよう。

日曜日(11月11日)早朝、チャチャの尿が出なくなって、

彼が呻き始めたとき、私は、ネットで緊急事態受付

可能の動物病院を探していた。


そして、三時間後、朝6時半に、医院のドアを開けて

くれた親切な医師に、チャチャの尿を どうにかして、

取ってほしいと訴えた。


しかし、医師は検査が先だと、時間をかけて、スキャンを

とった。

が、その写真を見て、誤診をした。


つまり、尿でパンパンになった膀胱を、腸の部位と勘違い

してしまったからだ。


その時点で、尿排泄ができていれば、重篤な状況にならず、

腎不全にならず、収まったに違いない。


誤診した医師は、腸内のガンの可能性を指摘して

重篤だから大病院での措置をと、尿を取ることなく、

紹介状のみ渡された。

くどいが、肝心な尿をとる手段は、一切、この時点で、

なされなかった。 

 

それから2日間、さらに、大病院でも、検査が重ねられて、

結局、チャチャの腎臓は 尿の排泄が不能で、毒素が身体に廻り、

急性腎不全になった。


さて、現在に話を戻すと、集中治療室から、私は、チャチャと

帰宅した。

アートマセラピーを施術しながら、数日かけて、街のクリニック

に通い、カテーテルの使用方法を学んだ。


肛門近くに膨らんだ、膀胱に入れて、尿を人工的に排泄させるため

だった。

 

少しずつ、チャチャの体に変化が出てきた。

夜は しゃっくり が出るようになった。 

しゃっくりは、筋肉を動かし、同時に、内臓の器官を

整えているのだろうと感じた。 


ひきつけ のようで、多少聞き苦しいものではあったが、

チャチャの体の中で活動を始めた、自然治癒力が

チャチャに、体の機能をもとに戻そうとする力を

与えてくれていると感じた。 


不安と裏腹であったことは否めない・・ 

そう信じたかったというのが正直なところかもしれない。

 

手術を余儀なくされるはずだった、九死に一生を得た

チャチャはとにかく、私に、甘えてきた。 


今まで、彼は、兄貴分のチュチュに遠慮して、

一足(ひとあし)後(うしろ)に控えていたのだが、

今回は違った。


命の短さを知っていたのだろうか? 

必要ならば、私のそばの居場所を守るために、チュチュ

と喧嘩も辞さなかった。


それからは、チュチュもそれがわかったのか、甘んじて、

別部屋にいることが多かった。 

いつもと同じように、寝る場所は私のベッドの上で。  

  ベッドの片隅に・・・

 

私は、チャチャの体に、セラピーを行うと同時に、

一挙手一動(いっきょしゅいちどう)の小さな変化を

見逃さなかないよう、何をしていてもチャチャの

動きに、全神経をはりめぐらせていた。


呼吸の深さ・速さ、 体温、 鼻の頭の湿り具合、 

水の飲み具合、 歩き具合、 腹にたまったガス、

肛門の貼れと血の流れ方。


何よりも、彼が甘えたいと無言の訴えを伝えてきたとき 

夜でも明け方でも、体に触れて、その心に、応えた。

時には、深夜、ベッドに飛び上れなくなっていた彼を、

抱えて 布団の中にいれてやった。

 

こうしているうちに、確実に、チャチャは回復をみた。

15日には、市販の餌をスプーンで二口食べた。 

16日に夜、チャチャの腹がぬれていて、失禁したと思われた。

つまり、自分で尿を排出したのだ。


こうして、次第に、カテーテルを入れずとも、尿が

出るようになっていくのだろうと嬉しい期待を私は寄せた。


18日に、膀胱が固く貼っていたので、カテーテルを入れて、

排尿させようとしたところ、初めて反発して、管を

入れさせまいと立ち上がった。


これでは管がはいらない。 

困ったなと感じた私に、チャチャは、一週間、見せたこと

のない、芸当を 私の目の前で、やってのけた。

 

それは 気分の良い元気な犬が、尻尾をたてて、歩く 

という当たり前の行為だった。

そう、彼は、よろけながらも、尻の尾っぽを高くあげて、

歩いたのだ!


11日以来、チャチャの尻尾は下がったままだった。 

私は自分の眼を疑った。 


”チャチャが尻尾を立てて”歩いている。

すると不思議な感覚が来た。


彼のテレパシーだった。

”大丈夫さ。 もう、カテーテルはいらないぜ。

こんなにオレは調子が良いんだ” 

とメッセージを送ってきた。

 

17日には、リンゴを数切れ食べている。 そして、便も出た。

今になって思う。

リンゴをサクサクと音をたてて食べてくれたときの嬉しさ、

一週間ぶりの食事だ。

食欲を見せてくれたその 小気味よい音をたてて、

リンゴを食べている一瞬、まさに、高村光太郎氏の 

”千恵子抄”の詩編を想いだした。


それは、千恵子が亡くなる前の病床で、さくっと

レモンを齧ったときの傍らに付き添っていた、

高村氏の心からの感動を詠んだ詩だった。

 

18日夜は、かすかだが、呻き声を出しながら寝ていた。 

同時に、体を数分ごとに移動させ、寝る場所を変えて

いるのは、汚物が出るためか? 

どこか痛みをともなっているのか? 気になった。

 

19日、母がどうしても、チャチャに会いたいと電話を

かけてきた。 

自宅に母を迎えて、チャチャもチュチュも皆一緒に、

しばしの団欒を楽しんだ。 


チャチャは、尻が”猿の尻”のように赤く 腫れあがって

いるほかは、母の眼には、何事もない、普段のチャチャ

に映ったらしい。 

”瀕死(ひんし)だと聞いたけど、思ったより元気で

安心した。 

御尻(おしり)がかわいそうだねえ。

痛いだろうねえ” と 何度も繰り返した。

 

肛門回りが渇いてきて、医師が ”数日中に破れますよ” 

と懸念してくれたのがウソのよう。


ただ、足に異変が起こっていた。 

後ろ足がひきずるようになり、次第に、前足で踏ん張らないと、

立っていられないようになってきた。 

尿は自分で出しているが 出し切れないでいると、腎臓に

負担をかけるので、カテーテルでとる。

黄色がかっているが透明な尿。 

 

20日 昼間、チャチャはいつもの散歩コースを、

私の抱えた籠の中に入って、一周した。


チャチャは眼を細めて、懐かしそうに嬉しそうに籠の中

周囲を静かに眺めていた。


その朝、久しぶりに、チュチュと散歩に出ようとしたところ、

チャチャは数メートルも足を引きずりながら、必死の体

でいざって、玄関のマットに座り、オレを置いておく手は

ないだろう” と、一緒に外に行く意思表示した。


彼の願いが痛いほど伝わってきた。 

そこで、籠をみつけて、チャチャを入れて抱えて
散歩の形をとった。

排尿はしている。 

今日は、おむつを買って帰ろう。 

膀胱もやわらかく弾力を取り戻した。 

 

あとは、腸の異変だ。

今まで、腎臓を正常化させることに夢中で、病院の医師たち

からも話題に出なかった。

入院したときから、これだけ、出血していて、何もないと

いうことはないはずだ。

 

その夜 11月20日 夜、11時。 

そばに横たわって寝ていた、チャチャの呼吸が乱れた。 

少し早くなっていた。

私は、身を起こして、チャチャの様子を そばに座って、

張り付いて見つめた。

 

頭の筋肉が ほんのわずかだが、硬直してきた。 


ちょうど、死体が硬化するそんな微妙な変化のようだった。 

それにともない、午後11時半、力まないのに、宿便が出てきた。 

中指の太さと長さの異様に多い排泄量だった。 

しかも、血まみれ。 

鳥の、レバーのような、肉片も出てきた。 

瞬間、”これはまずい”と思った。

 

今夜が峠だとも感じた。 ここで乗り切れなければ、

もう、チャチャの生命力は、尽きてしまうだろう。


しかして、首の力が抜けてきた。 

頭を上げようとしてもふらふらと、張子のトラ人形のように

左右に首が揺れた。

 

寝ていた夫を起こして、様子を見せた。 

”様子が変だと思うけど” と話すと、チャチャは、

何事もなかったように、首をもたげて、いざって、方向転換した。


夫がその様子を見て、笑った。

”なんだ。チャチャ、元気だねえ。 

まだ大丈夫だねえ。”

夫は 

”チャチャと眼が合ったよ。 しっかりした眼じゃないか” 

と、呟いた。

 

私はチャチャを 静かに、膝の上に、抱き上げた。 

彼がいざって、位置転換したとき、

”少し、不安だぜ” というメッセージが 胸に響いたからだ。

 

彼は旅立とうとしている。 


私には、わかった。冷静に受け止めようとしていた。

果敢に、新しい、門をくぐろうとしている。

ちょうど 死者の書 の マントラを、ブログに掲載した

ばかりだった。


これから 幽冥界で、起こるであろうことを 彼の耳元で、

言い聞かせた。

 

”光” についていってね~ と チャチャの耳元で何度も

言い聞かせた。


お払いの祝詞をあげ、般若心経も上げた。

涙が止まらなかった。 涙を拭いながら、感謝とお詫びの

言葉を嗚咽の中で繰り返していた。

 

愛しいという情念が

”どんな状態でも、生きていて そばにいてくれるだけでいい!” 

という願いとともに、湧き上がってきていた。

心の底から チャチャの特質 と 常に、傍らにいてくれた

存在感を感じることができた。

 

続く・・・

 


         

 

11月17日(亡くなる三日前(のチャチャ;
1週間、ほとんど食べていないけど ”オレはリラックスしているぜ”


 

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チャチャへのアートマセラピー

2012年11月23日 | ペットロスの癒し

重篤チャチャの入院      11月23日(金)

 

                             

 続きの日記から・・・・

精密検査の結果を見て、T医師は、語った。

 ”確かに、尿の溜まりすぎでした。 至急、泌尿器科に

まわしました。 

ヘルニアで臀部に陥没した膀胱にたまりすぎた尿が、

膀胱を膨れさせて、腫瘍のように 固く膨れたので、

街の医師も、勘違いしたのだと思います。

残念ですが、すでに、尿毒症を起こしていて、尿が逆流

しています。

それが、腎臓にも入り込み 腎臓の機能が今動いているか

どうか? 

膀胱も壊疽(えそ)しているかもしれません。

肛門の筋肉周りを、膀胱がかなり圧迫しているので、

破裂する危険もあります。 

いずれにしても、死と裏表の状況です。今夜が山場です。 

ですので、これに署名を。。”

 

と、気の毒そうに、医師が私に渡した書類は、

”生命の保障はない、万が一の場合、当病院に責任が無い

ことを認める”という 内容だった。

 

病名 ”会陰ヘルニア”

尿をこまめに取ることが大事だったという。

ああ。

先生、どうして、臨床的な 現場の状況を熟知している

飼い主の主張に、耳すら貸していただくことはできなかった

のでしょう?

受けいられなくても、せめて、参考意見として、仮説すら

たてないで、データデータ と目に見える数値ばかりが

至高だなんて。

処置が後手後手にまわってしまって・・・・

今更、”手遅れになりかけてます” とは。

こんなに飼い主が、尿を抜いてくださいと懇願していたのに。

こんな愚痴も心に湧いてくるのを止めることはできなかった。

 

こうして、集中治療室に緊急入院したチャチャだった。

見舞いに行った私は医師に、お願いした。

”私は自然治癒力セラピーのセラピストです。 

せめて、チャチャに手を当てさせてください。”

と頼んだ。 

T医師は快く応じてくれ、ICUの部屋に案内してくれた。

チャチャは 酸素の出るケージの中で、点滴を受け、膀胱に 

カテーテルを通して尿を排泄。 

力なく 眠るように、横たわっていた。

 

管(くだ)を伝って、溜めこんでいた尿は、すでに、

血液そのもの、深紅の絵の具を溶かしたような色をしていた。

T医師は、横たわっている、チャチャのケージの入り口を

全開してくれた。 

さらに、その前に毛布を敷いてくださり、私は、セラピー

専念することができた。

 

手始めにまず、手を軽く足にあててみた。 

夢をみているのだろう。 かすかに、私の手を、彼の足先

が、蹴ったように感じられた。

”生命力が まだある” と直観した。 

 

泌尿器科のY先生が 途中、挨拶に見えた。

”先ほどの、血液検査では、カリウムの値が、とても悪く、

これが問題です。

このため、心臓に負担をかけ、今の値では、すぐにでも、

何か起こって不思議でないのです。” 

と言いながら、点滴の針を気にかけながら、チャチャを

静かに、検査台に載せた。

 

”今一度、チャチャ君の血液を採取します。

生理食塩水点滴ではなくて、適切な薬物点滴処置も

必要かもしれないので・・” 

と再度、血液をとっていかれた。

こうして必死に手をあてること、3時間。

再び、Y医師が現れた。 血液検査の結果がでたという。

 

”思いがけず、早い回復力です。

今晩一杯見守る体制でしたが、なぜかもう、ほとんど

平常値に回復していく方向性です。

とりあえず、腎不全による死の境は超えたようです。”

 

この言葉で、私は安堵したものの、それに甘んじている

余裕はなかった。 

なぜなら、医師は 緊急手術を勧めたからだった。

 

”明日木曜日にでも手術しましょう。 

ヘルニアの手術です。 ただし・・”

と手術の欠点も述べられた。

 

* 膀胱が壊疽(えそ)しているときは、今の膀胱が使えない

ので、新たなそれに代わる受け皿をつくる大手術になる


* 手術が成功しても、頭の機能がすでに浸透圧の関係で、

神麻痺していれば、尿は、垂れ流し状態になる


* 最悪、手術が成功しない場合もあり、おなかを開いて

みなければ、予測がたたない。


泌尿器科のM医師の言葉を うつろな心で聴いていた。

手術には抵抗がある。 

足もたたない状況で 食事もできないありさま。 

ただ、血液だけが正常に戻りつつある、そんな状態で、

明日手術?

 

物も食べられず、歩けなくても、ロボットの部品をつなぎ

合わせるような感覚で手術すれば元気になるというのですか?

 

否、肛門からも出ていた血流の原因もわからないまま、

ほかに病魔が巣くっているとしたら、

バイパス手術の意味はあまりないことになる。

少なくても、こうなる前は、尿が普通に出ていたのである。

 

私は帰り際に、唐突な質問をT医師に投げかけてしまった。

 

”先生、生命力ってなんだと思いますか?” 

続けて、私の胸中にめぐっていた強い思いが発散した

”私は、データでは測れないと思うのです。 

ええ、データも大切です。 だけど、データがすべてではない。

生意気で申しわけありませんが、生き物である以上、その

生命力の存在を無視することはできないと思うのです。”


   

家に九死に一生を得て戻ってきた直後のチャチャ

 

私は何が言いたかったのだろう?

体は機械(きかい)ではないということ。

体全体の把握、有機的なつながりの認識が必要だということ。

 

バイバス手術で管と管を結び合わせても、他の臓器の協力

なしには、体の機能は戻らないということ。 

 

その協力の大源が、生き物を生かしている、生命力につながって

いて、その生命力の強さを無視した医療があり得ないこと。

 

生命力を出す というためには、むやみに薬など、化学的物質

で臓器に負担をかけないこと。 

自然に近い体は自然の力で もとに戻るすべを知っていると

いうこと。

 

本来の医療は、この自然治癒力を喚起させるものであって、

自然治癒力との兼ね合いを観れる医者が名医こそ、今

必要とされている存在であること、

面会時間も過ぎたので、ICU部屋のチャチャにとりあえず

の別れを告げた。

チャチャは閉じていた眼を 私の動きの気配を察知して、

カット見開き 見つめ返してくれた。

痛々しいほど、か弱いチャチャから発せられた、

彼のメッセージでもあった。

 

チャチャにセラピー中。 ICU 入院ケージの前にて 

(注:写真の日付は携帯でオリジナル写真を取り直した日)

                     

 

 

 

続く・・・・・ Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

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チャチャの生命力(1)

2012年11月22日 | ペットロスの癒し

 

11月22日(木曜日)                      

ご機嫌伺い

 

日記から・・・・・

11月17日

皆様にとって、先週(11月11日~18日)はどのような 

週であったのだろうか?

特に何も普段と変わらず、過ごされただろう。

或いは、何とも言えない、竜巻のような気流、

あるいは、つむじ風 に巻き込まれかたも

いらっしゃるのではないだろうか?

私も、(正式に言えば、チャチャが、)気流に

飲み込まれた。

 

私の友人、知人、セラピーの予約を入れて

いただいた方達へ、チャチャのご報告ともども、

ご機嫌お伺いしたところ。何人かがその旋風の

煽りに影響を受けたことを知った。

例えば、10日、11日、娘さんが危篤だったMさん、 

10日、自転車が転倒、道路に投げ出され、

車にはねられるところだったTちゃん、

遠くインドで、今日あたり、デリーでお会いしている

はずだったS氏の愛妻の死(11日)、 

昨日まで元気だった妹のペットの死(11日)、

セラピーのクライアントさんの親友の母堂の死(13日) 

など・・・・・

 

先週の気流の大きな変化だ。 

変化と新生をも意味する。 

そのように感じる。 

竜巻という形容は、字をみてもわかるように、

龍神が巻き込んで風を起こしているさまだ。 

一見、破壊の行為だ。

しかし、破壊の後には静寂がくる。

龍神は、破壊と新生の準備をするための巨大な

エネルギーの象徴だ。

新生するための、破壊後の、静寂の中に 

”何かの新しい意味” もある。 

 

私は、今 この”意味”を 先週の日曜日から

探そうとしている。

チャチャが ”生と死の波” に揺られるたびに

様々な選択を迫られ、 ひたすら、彼の自然治癒の

発露を信じて、ただただ、彼に愛情と思念を送る

毎日だ。

そう、私にとっての竜巻は、チャチャを焦点に据えた。

その渦巻きは、私の心に、友(チャチャ)を失うかも

しれないという不安を投げ込んだ

 

この一週間、ひと時も休まずに、たぶん、あまり

深く寝ることもなく、 チャチャ(愛犬)を見つめている。 

そして、自然治癒を開示させようとする、自然の命の

復帰力を見せつけられている。

データでは予測ができない、不確かな、体の営みが、

介護する私の心に刻み込まれている。

 

11月17日土曜日、私は、インドへ向かっている

飛行機内にいる予定だった。 

11月11日(日曜日)、早朝 3時に その竜巻を

よけることができていたら である。

この時以来、チャチャは、生死の境をさまよっている。 

もう少し、詳しくお話しをさせていただく。

未だに、程度の差こそあれ、瀕死の淵をさまよう

状況が続いている。 

彼は、重篤である。

 

11日(日曜日)に話を戻すと、午前3時、まだ暗い中、

私は、チュチュとチャチャを連れて散歩に出た。

外にでてすぐ、決まった場所で彼らは用を足した。 

と思いきや、チャチャは、突然、奇声と悲鳴を上げた。

いつもなら、すんなり、用を足しているはずが、

力んでいる。 

尿は出ていない。 

チャチャが、力を入れようとするたびに、文字通り、

断末魔の悲鳴を上げる。

抱き上げて触ってみると、肛門の半径 

2CMほどが、ぷっくり、膨れている。 

近所迷惑なので、5分ほど歩いた運動公園の

ベンチで夜明けまでトイレを試みた。 

チャチャは痛みで歩ける状態でなくなっていた。 

悲鳴は、遠吠えのような、呻きに変わり、絶え間なく、

痛みを訴えていた。

朝の開けるのを待ち、今まで、病院とは縁のなかった

チャチャを抱きかかえて、休診を受け付けてくれている、

近場の、動物クリニックに飛び込んだ。


呼び鈴をならして、待つこと外で10分、

その悲鳴は たぶんまだ、お休みになっている、

医師のところにも届いているに違いない。

それでもドアを開けていただけないのなら、と、

踵(きびす)を戻したとき、白衣の医師がドアを

開けてくださった。

感謝を申し上げるとともに、

”どうしました? ずいぶん痛そうですが?”

との医師の質問に 

 トイレをヘルプしてあげてほしいんです。

突然排尿できなくなって… 排尿できれば、大便も

必ずでますので。 

今までにも、これと似ていることが起こりました。

ですから、管を挿入して尿を排泄してほしい ” 

 

という私のお願いに対して、

”それは無謀というものです。 

まず、レントゲンを撮りましょう” と 医師。

チャチャの抵抗に てこずりながら、助手の来るの

を待つ3時間。

ようやく、とったレントゲン写真の、診断、それが、

チャチャの運命の分かれ道 とでもいえるものだった。

 

レントゲンに映った写真を医師は私にしめした。

”膀胱に尿はたまっていませんよ。

ほんとに、溜まっていたのですか?”

とはっきり明言したのだ。

前日の散歩からすでに10時間たっている。 

当然溜まっているはずだ。 

部屋内では、トイレの躾はしていないので、

医師が何故、溜まっていないと結論づけたか不思議

だった。

 

しかし、それ以上、私も、そのお願いを無理に

強いることはできなかった。

後日でわかったことだが、医師は、ほかの臓器を膀胱

と 取り違えていた。 

チャチャの体の中の臓器の配置が普通ではなかった

ということだ。

 

こうして、適切な措置を施すことができず、チャチャ

の排泄されない、尿はどんどん膀胱にためられ、

そのため、辛辣な肉体の痛みは増していった。

では、絶えず呻いているチャチャの痛みの原因は?

医師は、レントゲンの、膨らんだ臀部(でんぶ)の

箇所を示し、

”痛みの原因は、腫瘍です。猶予はありません。

かなり、大きい。

水曜日に大病院を紹介しますから、

こちらで手術をすることをお勧めします。” 

と言う。

私:”昨日の散歩の時には、つまり10時間前までは、

まったく しこりはなかったのですよ。

尿さえ出してやれば、排便もするはずですので、

なんとかなりませんか?”

との 最後の執拗な質問を試みた。

 

医師は、 

”尿を出すのは簡単ですが、何も理由がないのに・・

悲鳴を上げていたがっているのは、この腫瘍のせいだ

思います”

と結論づけた。


紹介していただいた病院は川崎にある、大病院だった。 

医師の紹介でなければ、診察が受けられないという。

中一日おいて、11月13日に診察の予約を取っていただいた。

日曜日、私は、実家に泊まった。 

実家のテラスは、広い。 

雨の日などは、散歩に連れて行かなくても、ここで、

悠々トイレができていた。 

チャチャが排尿を催したときいつでも、テラスに出れ、

用を足すことができるため、様子をみた。

 

11月12日早朝、チャチャは実家のベランダでベンを

したようだ。 

きっと、尿も排泄してくれただろうという 淡い

期待を持った。 

少なくてもこの時までは、うめき声をあげていたが、

少し落ち着いて、体は身軽に動けていた。

水を異様に沢山飲んだ。

しかし、実家で、胆汁らしき黄色い液体をはいた。 

今思えば、尿毒症になっていたといえる。

 

予約した病院の診察日、11月13日朝、すでに後ろ足

が立たなくなっていた。 

そして、川崎の日本動物高度医療センターの診察。

血液検査。エコ―写真などなど。 

医師に、日曜日、街のクリニックで話した内容を

再び伝えた。

すでに、街のクリニックの診察資料がわたっている

ようで、担当医は 腫瘍科の医師であった。。

私は意気込んで 体験談や 排尿さえ何とかなればと

いう話を、医師が引いてしまうほどの勢いで一気に話した。


そして、精密検査の結果。

その結果を聞いて、無念の想いと哀れさで私は思わず

両手で顔を覆った。

 

11月13日 病院へ行く前のオレ…尻を見せていて失礼。 

大きな噴火口ができている。

続く・・・ 

  


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輪廻・鳩・アートマセラピー(前)

2012年10月31日 | ペットロスの癒し

 

 10月31日2012年輪廻・鳩・アートマセラピー

 

印度ニューデリーの自宅で首が反対についた鳩に、

このセラピーを施したことがあります。

自分と息子以外に施した最初の体験でもあります。

当時、私はバルコニーに、植木をたくさん置いて、

野生の小鳥たちに餌を与えていました。

そのバルコニーに続く大きなガラス戸ごしに座って外を

見ながらシタールの練習をするのが私の日課でした。

そんな時に、こんなことが起こったのです。

当時の、日記から抜粋します。

 

200473

午後、ベランダに一羽の鳩が、小鳩を連れて

餌をついばみに来ていた。

親鳩はガラス越しに、2メートルほど、離れて、

私と対面していた。 

その眼はシタールを練習している私の眼をじーっと、

見つめていた。

鳩の眼というより、人の心の中まで読み取るような、

深い目線であった。  

数十秒丸い眼で私を見つめ、やおら羽ばたくと、

子供を残して飛びたってしまった。

 

残された哀れな小鳩は、母親を追うこともできず、

たちつくしていた。

茫然としているのは小鳩だけではなかった。 

私自身、えらいことになったと思った。 

その、小さな子鳩は、どこか、変形していた。

観察してみると、体の向きが首と反対になっていた。 

つまり、首が進行方向と反対に、ひねられていた。

其の顔は背中をみていて、くちばしも背中向きについている。 

餌すらついばむことができない。

唖然としたが、このまま、野良猫の餌食には したくない。

日本からわり箸を持ってきていてよかった。 

わり箸の先を削って親のくちばし代わりになるものを

つくることにした。

 200477

あの日から、私のセラピー施術特訓が始まっている。 

アートマセラピーを小鳩に試みる日々が続いている。

餌を食べることができない子鳩を、ひざの上で抱いて、

砕いた粟や、ひえなどの雑穀を、先端を平らに削った、

割りばしに乗せる。  

それを、子鳩のくちばしの中に突っ込むようにして与える。

子鳩の羽はすっかりそろっている。首さえまっすぐになれば

飛べるはずだ。

体全体に、気 を流してから、首に集中的に、流す。 

自分で 餌 を食べさせようとしても、くるくる体が

旋回してしまうから、これでは、絶対、自力では食べられない。

一箇所にジットしている時以外は 前に進もうとしても、

同じところで、こまのように回ってしまう。

 

クマールさん(注:ヴェランダやテラスの植木を世話する人) 

に、同じことを何度も繰り返して聞かされるのはたまらない。

彼は繰り返してこう報告するのだ:

奥さん、おもしろいよ‘ この鳩、ダンスしてますよ。 

と、何度も口にする。 

 

面白がって大声で報告してくれるが、一緒に笑うことも

できず、子鳩が、可哀想やら、やりきれない思いで聞き流す

毎日。 

クマールさん、この子は、好んで、くるくる回っている

のじゃないのよ!・・”と言いたいところだが・・

 

2004717

この、2週間、どこも外出せず、子鳩に、つきっきりで、

面倒を見ていた。 

15日ぶりに今日、始めて東京銀行へ行くため、外出した。

自分がまるで鳩になったような気分がして、いつもの私ではない。 

我ながら眼の動きや、首の回し方がいかにも、鳩っぽい感じ。 

この2週間、寝てもさめても、小鳩から眼を離すことが、

なかったからだろう。 

面白いことがある。

この数日、寝室の壁ランプの上に、鳩の幽霊を、まざまざと

目にしている。 

幻覚だと人はいう。 

しかし、今朝方も、その亡霊がいたので、冷静に私は、

観察した、

薄暗い霊妙な光の中で、確かに、ベッドの足元の壁掛け

ランプの上に、それはいた。

しらじらとした夜明けの光で、ボーっと鳩の姿が見え始める。 

壁には、影がしっかりと映っている。 

ランプの上で、忙しく羽の身づくろいをしている亡霊鳩は、

きちんと、その、シルエットを壁にも映し出していた。

何度、眼をつぶりなおしたり、開けてたりしてみても、

朝が完全に明けるまで、見えていた。

 

2004720

ランプの上で、羽づくろいする鳩の亡霊と、壁に映る影は、

本当に、幻影というのには、あまりにも、はっきりしている。

きっと、鳩にも守護霊があるのだろう。 

なぜなら、その幻影の下には、首が反対に向いている、

小鳩が休んでいる。 

小鳩の 守護霊は、小鳩が飛び立っていくまで、毎朝、

出没するのだろうか?

それにしても、いつ、首が真っ直ぐ固定できるのだろう?

 

昼間は野菜の竹かごを逆さにした中で、子鳩君の 

自力で餌を食べる訓練だ。 

午後、雨が降ってきたので、部屋の中にかごのまま鳩君

をいれて、数時間、外出した。 

網戸だけ、少し開けておいた。

 

数時間後、帰ってきて驚いた。私の部屋が動物園の檻(おり)

さながらだった。

数羽のすずめが部屋に入ってきて鳩の餌を食べていた。

リスが2匹、突然入ってきた人の気配に驚き、部屋から出よう

して、網戸を勢いよく、駆け上ったり 降りたりして、

パニクっていた。

見たことない野鳥までが鳩君のそばにいた。

”鳩君、君は人気者だねえ”と思わず声をかけた。

 

症状は、一進一退だ。 

ひとりで餌を食べられるようになったかと思うと、

数時間後には、また、首が逆を向いている。

そのたびに、がっくりして、希望を失いそうになる。

セラピーを初めてもう、3週間近く。  

ほんとに飛べるようになるのだろうか?と 不安がもたげる。

 

2004724

3週間目の今日。 

いつも通り、寝る前のひと時、鳩の体を左手で包み、右手で

手をかざし、”アートマの気” を流し続けた。

一進一退を繰り返しだ。

その実、本当に飛べるようになるのか、自信を失いそうになる。  

ようやく、首が前向きに固定されてきて、前を見ている時間

のほうが長くなったのは事実だ。

良くなったと喜べば、また、後ろに首がひっくり返っている

というサイクルの繰り返しだ。 

 

7月25日

待ちに待った瞬間はおもいがけず、今日やってきた。

あっけないものだった。 突然そのときは来た。 

 

・・・・・・(明日に続く)

           

 生きとし生けるもの、すべて私の顕現。

(宇宙を貫く”意思”の独り言)

                                                       

 

 

 

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