自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

神話は実在の話か,おとぎ話か?

2022年07月06日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

正道の神代時代から、権力を争う闘争世界への移行         2022/7/6

**************

超古代文明が栄えたところ、例えば、

日本の秀真伝えに書かれている

数十万年前から数万年前の時代は、

単なる

神代の神話と、現代人は思っている

ようだが・・・

 

私の師から聞いた話をもとにして

お話させていただく。

20万年前に都市があったか?

といえば、あったという。

現在は、土の下に埋もれている

かもしれないが、当時は、

美術や学問が盛んで、そこに

寺院も建られた。

が、その寺院の役割は現在と

少し異なる。

現在のような礼式にのっとった

礼拝場所というより、そこを

人々は通り過ぎるときに、

自分自身の中に住む神との対話に

意識を集中できるような

役割をしていたらしい。

 

この超古代都市の人々は、

現代よりはるかに高度の哲学を

持ちながら、生命力は強く、

今よりはるかに長い、寿命を

保っていた。

数千年というのは、驚くべき

寿命ではなく、数百年から

現在のように百歳を待つ前に、

平均寿命の年を迎えると

いうことは、考えられなかった。

 

古代人の信仰は、儀礼に満ちたもの

ではなく、むしろ、

生活の中の生き生きとした生命を

瞬間瞬間感じ、大切にして、

生きていくという、生命力の尊重

と、生命力を健全に生かす

智慧そのものだったようだ。

 

そうした生き方は、自分の生命力が

どこから与えられたかを、

承知だったから、その大元を十分

理解しその根源とつながる

ことができて、そこから無限の

富や物質的繁栄が 自然と

もたらされていった。

 

寺院は、そうした生命観とともに

発達した、科学や文化、

技術や歴史・遺産となる習慣など

後世に繋いでいくための

役割を果たすところだった。

寺院で人々は、そうしたことを、

記録を残し、保存しておいた。

また、集会場の役目をして、

専門家が集まり、研鑽したり、

当時の(現代よりさらに進んでいた)

科学的な議論をする場所

でもあった。

 

建築技術は進み、必要な金属の製造も

おこなわれ、農耕も行われ、

その都市に住む人たちは、一人ひとり

が自分の本質を生かした

仕事に従事し、賢明な智慧者が

数人いれば、穏やかに町の生活は

保たれた。

そこでは、法律はまだ作られておらず、

社会の調和は、健全に

保持されていた。

 

時が流れた。

人々の数は膨れ上がり、多くの

価値観が生まれ始めていた。

過去から引き継いて、当たり前と

されていた”正道”がいつの

間にか、無法の道を歩む者たちによって、

乱され始めた。

 

支配志向のあるものや、正直者たちを

利用しようとする連中も現れてきた。

こうして、次第に人々の間に分離

が始まり、統治するものと、

されるものという、区別が出てきた。

 

正直で正道を歩く人たちの一部は、

こうした風潮に、批判的になりながらも、

一線から身を引いて、隠遁的生活をしながら、

自分たちの信じる智慧と、正道の道を

同胞に訴える努力を試みた。

この隠遁生活をした、智慧者たちが、

現代に続く、原始的な

僧侶団の源流になった。

 

表舞台で権力を大きくしていく

統治者は、王と呼ばれるように

なり、行政的集団をつくり、

政治を形造っていく。

その時には、古代の、生命力の源

と意識をつなげ、生活の中に

実践していきながら、豊かな

バランスの取れた生活をしていった

先人たちは、完全に過去の時代

のものとなり、煩雑で人間の

こざかしい知恵を使いながら、

苦労とともに生活を送るという

現代のパターンの基本が、できていった。

寿命は短くなり、支配者に年貢や、

労働義務を果たす生活苦が

生まれ、その生活の苦しさ

忘れるための、肉体的快楽

(飲酒や肉体的欲望のはけ口)に

溺れることも覚えていった。

 

寺院は、古代の本来の、人々が

文化や技術・科学的発達のために

使われていたところではなくなり、

権力者たちが自分たちを守る

ために雇った、司祭により、

人々の罪深さを説き、

救われるためには寺院に寄進をし、

僧侶たちを大切にして、

そこに祀られた神々に帰依する

必要があると、教える場所に変った。

 

人々は、自分たちの力の微小なる

ことを自覚し、その上に罪と

いうレッテルを貼られ、恐れ

自己(生命力につながっている

存在であるという意識)喪失感を、

受け入れた。

寺院では、本来の生命の源への

賛歌と喜びをたたえる場所から、

儀式的で、生贄を捧げて罪とが

への許しを請う場所となって

しまった。

 

そうして時代は過ぎ、生命の源へと

再び、心を回帰させることを

目的とした、魂のルネッサンス

訪れたのだ。

西洋社会には、イエスキリストが、

東洋社会には、仏陀が、その役目

をになった先人として出現する

ことになる。

 

二人の先駆者は、古代の人の実相を

謳歌していた智慧を、

失い、罪と死老病苦で苦しんで

いる人たちの、光から遠ざかった

意識を、解放させ、再び、古代の

光に満ちた精神に回帰

させるために表れた。

 

”我はすべての者の道なり、真理なり、

生命の光なり”という

キリストの言葉が、それを表している。

真理とは、特別な宗教の教えではない。

生命の実相に回帰したとき、

その生命の光に心身を照らし

合わせたとき、真理を知ったと

いうのだ。

真理にくみする者は、わが声を聴く~

というわが声とは、

特定の宗祖の声ではない。

誰もが心の奥に持つ、真の我、

つまり、光の我の声と、

繋がるということなのだ。

 

さて、このお話のジャンル区分けは、

”ホツマツタヱ”とした。

それは、どうしてかというと、

日本の超古代史と言われる、

この書の中に記載されている人の

寿命や天皇の即位の期間が、

常識からはるかにずれて、途方無く、

長いのである。

 

何十万年という単位すら出てくる。

超古代史とするのならば、ヒトが

何千年も命を有して生きて

いる時代が、日本には確実に

あったことになる。

このあたりは、研究者によって、

いろいろな考え方があり、

時には、自分なりの計算方法

使って、現代常識に当てはまる

ような数字に、入れ替えて解釈する

人がいるくらいだから、

この常識を逸した寿命の計算

には多くの人たちは、素直に

理解したとは言えないとは思う。

 

私は、シンプルにこう考える。

天照大神より、さらに昔の時代、

ウビチ二・スビチニという

初めて、男神、女神が婚姻して

家族を作り始めた神代の時代は、

現代とははるかに異なる、

ヒトと神とは、ほぼ一体で生きて

いた時代ではないかと。

 

先に大師が述べていたように、

神話の世界とは、実在する世界の

映し図であり、当時は人が天と

自由に心を使い、行き来できて

いた時代なのかもしれない。

つまり、我々が縛られている

肉体的次元の、時間や、空間の

束縛が、ほとんど無かったのだろう。

 

このような形で、時空を超越

しながら生きていればヒトは

年を取らない。

すでに何度もこのブログでご紹介

していて恐縮であるが、

ヒマラヤのヨギ、ババジはすでに

有身体の姿で、千歳の齢は

過ぎて生きていて、時々信者の前に、

姿を現していらっしゃる。

 

このヨギは、ガンジス川の大岩の奥

に潜んでいた、姉君に呼ばれて、

その身体は維持して、幽体、

つまり、三次元の世界から

消えないでほしいと、懇願された。

その理由として、今、肉体を

もって生きている人たちも、

そうしたババジの肉体の姿を

有しながら、肉体にとらわれず、

心の赴くままに千変変化しながら、

ヨギとしての務めを

果たしている姿を見せることで、

真の人間の姿を認識できるように、

という姉君の想いがあった。

 

この時代に生きていた、神人合一

ともいえる我々の遥かなる

祖先たちも、このような、

ヨギのように、正道を生き、

神の御心と一体になりつつ、普通に

生活をしていたのではないだろうか?

そして、生命の大源と常に、繋がっていた。

 

はるかに、いまの世の、精神性の

暗黒時代とは異なる、光の世界

であったのだろう。

時代は変化していく。

きっと、当時が、真の黄金文化であり、

現在が精銅時代であったとしても、

また、このような黄金時代が、再び、

やってくる方向で、動いていると

信じたい。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする