自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

般若心経: 空と空中

2012年10月08日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)
平成24年10月8日(月)           
般若心経~空中~ 
                      
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深 般若波羅蜜多 時 照見 五蘊 皆 空 度 
一切 苦厄、舎利子、
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是、舎利子、
是諸法 空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故 空中 無色 
無受想行識 無眼耳鼻舌身意 
無色聲香味蝕法 無眼界 乃至 無意識界 無無明 亦 無無明尽 
乃至 無老死 亦 無老死尽 
無苦集滅度 無智 亦無得 以 無所得 故 菩提薩埵 依 
般若波羅蜜多 故 心 無罣礙 無罣礙 
故 無有恐怖遠離一切顛倒夢想、 究境 涅槃 三世 諸仏 依 
般若波羅蜜多 故 得阿耨多羅 
三藐三菩提 故 知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 
是無等等呪 能除一切苦 真実 
不虚 故 説 般若波羅蜜多 呪 即説呪曰
掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆詞 般若心経

先回は”色即是空・空即是色”と言うお話しでした。

今日は前回(10月5日)の続きで、黄色で枠度られた所のお話です。

”是諸法 空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故 空中 無色 
無受想行識”

ゼショホウ クウソウ フショウフメツ フクフジョウ フゾウフゲン 
ゼコ クウチュウ ムシキ ムジュソウギョウシキ”

意味は、
” 是れ諸々の法は、空の相(すがた)であり、生まれることもなく、
滅することもない。増えることもなく、減ることもない。 
是れ故(ゆえ)に、空の中 は、物質(色のあるもの)はなく、
受け取る感覚、想い、行、認識、などはそこには(本質的には)存在し
無い”となります。

法は、この場合、仏法(ぶっぽう)です。 

次に続く言葉によって、私たちの五感感覚は、空の中には
”受け取る力”として存在しているように見えても、実在するものでは
なく、五感機能は、無い と喝破されます。

喝破して無い!とされるべきもの、それは、 日常、現象の五感認識
です。

物質や五蘊、その肉体的五感認識は、すべて、空点(空)に存在して、
発生・帰結しています。
空とは、一種のエネルギー体で、質量はもたず、時間・場所に限定されず、
物質の本体であるわけです。

時間と空間を超越していますから、死んで滅するという 変化する現象は
なく、時間の経過とともに、見られる、現象世界の、”無常の姿”は存在
しません。
だから、増えたり、減ったりしない。

一方、”空の中”と、中という言葉を付け加えることで、空とは異なった
ものになります
ここには、物質の本質エネルギーも、感性でとらえられる想念や、
それから派生する、行い、認識、などは 無いというのです。

空中というのは、空とは異なり、質量を持った、つまり、”中”という容量
をもった次元をさし、言い換えれば、私たちの現象世界(空が展開して
見えている世界)をさしているわけです。

空は 一元の世界だから、時空を超え、対象となる事態は何もありません。
完全無欠の、静謐かつ、愛に満ちた生かす与える、次元であります。
 
空の中は、現象界、時間と場所がある。 
つまり、私たちが生きている娑婆世界(しゃばせかい)の二元の世界です。 
生まれれば、死ぬ、増えれば減る と心経にあるところの、無常の世界です。 

図形で見てみましょう。
ここに、コンパスで、円形をかきます。

その円の中には、半径という時間と 円の面積という空間があります。
コンパスの中心に抑えられた一点は、動きませんし、面積もなく、ただ、
そこから、円形が発生しているというだけの点です。

植物の種 がここにあります。 

この種はすでに成長する過程で いつどのような花を咲かせ、実をつけるか、
すでに情報が凝縮され、それを実行するエネルギーが、見えないが 
存在しています。
そのエネルギー、見えないけれど、確実に、生命力を持ち、植物の芽が
出るための根を生やしていくための、エネルギー、それが、”空”なのです。 
生命力です。

種の中にあるパワーが、空であり、それが、何十メートルにも大きく
伸びる、杉やヒノキの木の、”実在”点であるわけです。


私の目の前に、今、パソコンがありますが、これも、長年の技術開発 
の結晶です。
この技術力や生産させようとする力、見えないエネルギーが、空として
存在して、空の中に、実現したものがこの眼の前の パソコンです。
でも、パソコン機器は実は、物質実態ではなく、この機器の物質原型
は、空として、エネルギーとして存在しているということです。

次に 心経は、” 無眼耳鼻舌身意” ”ムゲンジビゼッシンイ” と
続きます。
眼、耳、鼻、舌、と意識 は無い、感覚器官やその感覚自体も、
”空の中”では、あるように見えているだけの存在だと、心経はここで
解きます。 


眼や耳、鼻などの私たちの5感の機能、ないはずないでしょう?
今、このブログを読んでいるのも、”目があるから”と 誰でも思います。

般若心経で解く、叡智と真理は厳然と存在していますが、空の中で
それを解釈しようとしても、難しいということでしょう。
空 の意識の自分に戻り、空の眼(心眼)をもって、空の智慧(叡智)
を使って理解できるものでしょう。
娑婆世界が、空中 の世界だと、定義しました。
もし、そうなら、この娑婆世界で、五感感覚で受け取った情報をもとに、
私たちが行動することは、社会的通念や、時代時代で異なる教育や、
常識といわれる大衆意識などに、反射的に行動しているということ
かもしれません。 

反射的 に行動するというのは、条件によって、異なります。
一方、空として実在するものに則った行動は、外の条件に影響は受けない
はずです。


時代が変われば、親が違えば 常識が異なれば、社会体制が変われば、
れらの反射的行動も、適切な行動ではなく、過ちの行動と判断される(識)
ことになりかねません。 

ハンニャ心経に戻りますと、
”無色聲香味蝕法” ”ムシキショウコウミソクホウ” 

その五感器官によって理解される 
”色” ”香り” ”味” ”聲”など、それらも無いという意味が続きます。

目によって、物質を、 鼻によって、香りを、舌によって、味を、
声 を受け取ります。

しかし、五感の機能そのものが 鏡(反射的条件世界)を映している
だけですから、 それによって受け取るものも移ろいやすい、反応に
すぎない というわけです。
現象界で、私たちの感覚器官を通すと、私たちが認識している事柄は、
歪んだレンズを通して映る映像のようなのです。

例えば、ここに、丸型 と四角型 の二つのガラスの金魚鉢を用意します。
そこに入っている金魚は 鉢の外にある私たちの世界をどのように見て
いるでしょう?

丸型の金魚鉢の場合、光の屈折が大きいので、金魚の眼から見る、
外の世界の実態は本来の外の様子と、だいぶ違っているはずです。

かといって、四角の鉢に入っていれば、外の世界を認識できるかというと、
ガラスの表面が汚れていたり、藻がついていたり、雲っていたりすれば、
そこだけ、不完全に見えるでしょう。

同様に私たちも、金魚鉢に入っている金魚とあまり、変わらないのでは?
五感覚を頼りに、物事を判断していると、このように、金魚鉢の
金魚の世界観と そう大きな相違は無いかもしれません。
ヒトの思い込みや思い入れなどの、心理作用が加われば、なおさらの
ことです。

量子力学や、宇宙学で有名なホーキング博士も同様のことを述べています。 
つまり、私たちの感覚器官で捉えられる世界には限界があるということです。 
今や、最少の物体は電子ということですが、そのうちに、電子を構成している
要素が、目に見えない、エネルギーの波動 であるということが明らかに
なるでしょう。
実際、そのような方向に、動いているようです。
右脳と左脳、理性と感性の一致した真理見解が発見されることもそう遠い
未来ではないでしょう。

今まで述べてきたように、私たちは、自分の感覚器官、見る、聞く、
味わう、嗅ぐ、触る という機能で事象を判断していますが、その情報が
果たしてどこまで、実像を伝えているかというと、甚だ、怪しいものです。


般若心経では、
”その”確証”ある”実在”、真の姿、は”空”であるが、
現象世界(空の中)は夢のように、実態がない”という言い方で、その
ことを説いているのですね。

 
こうした錯覚は、肉体の眼のみならず、般若心経で続く、
”眼界” と ”意識界” まで及ぶというのです。

つまり、”無眼界 乃至 無意識界” 
”ムゲンカイ ナイシ ムイシキカイ” 

この意味は、目で見える世界(眼界)、と 意識ある世界
意識界)を指します。
先ほど述べたように、私たちが無意識(反射的)に持つ意識は、
現象物質の世界に属しているということです。

”無無明 亦 無無明尽” ”ムムミョウ ヤク ムムミョウジン” 
無明、すなわち、迷い はない。そして、”無無明尽”と続きます。

意味は、”迷いは[本来]ないのだから、(無明)を尽くす(なくす)
こともない” わけです。

乃至 無老死 亦 無老死尽” 
”ナイシ ムロウシ ヤク ムロウシジン”
同様、死は無い、死は無いから、”無老死尽”です。 

”老いて死ぬことは無いのだから、
老いや死ぬことを気にかけて(なくす)必要も無い”わけです。
死はもともと、無いからです。 

今までのお話しの中の、”空”の中には、時間も空間も二元的な生と死の
定義もありません
だから、死ぬ とか 生まれる ことはない。

今日のテーマは空 と 空の中(なか) の違いでした。

 10月11日に続く・・・

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