自分はしょせんダメ。。強迫観念。 2021/12/15
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以前の私は、よく、次のような質問を自分になげかけていたようだ。
その時は、
自分がなんとも無力で、厄介者で、なんのために生きているのか、
ふっと、迷子になったようなときその時は、また、理由なく憂鬱な
気持ちに覆われたとき、その時は、あるいは、友人たちと
和やかな団らん後の、あとに残った洗い物をしながら、
静寂の中に、突然、放り込まれて不安になったとき・・・
特に、ヒトに良かれと思って為したことが、裏目に出ることが
多い気がしていたとき、・・・
その質問というのは、
①~自分が良かれとしてきたことを認めてもらっていないから、不機嫌なの?
②~それを理解してもらいたいの?
③~それを誰に認めてもらいたいの?
④~自分の存在意義の不確かさを今感じている?そして、誰かに打ち明けたい?
⑤~そんな風にして、関心を寄せてもらうことで心を落ち着かせようとしている?
上の質問には、そんなとき、大方、”そう”と答える自分がいた。
次の、問いかけもさらに、自分にしてみた。
⑥~他者を理解しようとする前に、他者が自分をどう理解しているか
気になっていない?
⑦~所有物や知識、容貌、地位や肉体的力って、他者との関係で大切?
⑧~物事を個人的解釈や思い込み判断をしていない?
⑨~自分が正しい、相手は間違っていると決めつけてない?
上の疑問の中で、いまだに自分に問いかける事項は、⑥の、
”他者を理解しようとする前に、
他者が自分をどう理解しているか気になる” かもしれない。
他人と自分の感性は、もしかすると、月と太陽ほどに、感受性が
異なるかもしれないと、近頃、よくわかってきたつもりだが、
それでも、”自分を理解できないのだから、他人を理解する
なんて無理” と、途中で、その人を理解しようとする心意気が、
だんだんと絞んでいき、結局、成り行き任せにしている自分
がいることに気づく。
その一方で、どこかで自分の信念は、間違っていないはずだと
言い聞かせている。
”関心を寄せてもらうことで心を落ち着かせようとしている?”
の項目は、認知症になった母の特性でもあったので、人はきっと、
関心を寄せてもらいたいと、本能的に持っていて、そのことは、
その人にとって、ある種の癒しになるのかもしれないとも思う。
⑦の質問は、当時、貧富の差があまりにも強い、インド社会で
生活していたからだろう。
身なりや住まい、身だしなみや服装で、大方その人が属している
カースト(社会的身分制度の階層)がわかるようになって
いたから、人皆平等という、当たり前のことが、インド人社会の
中では通用しないことが多々あるという現実を見過ぎていた、
ためだろう。
虚栄と、一言で片づけられない”何か”そこにはあり、でも
その”何か”によって、実際、天と地ほど、異なる対応が社会に
存在することを、当時のインドの政治的中心圏・デリーの
生活で感じる毎日だった。
いまだに問い続けている質問がある。
⑧の、思い込みに関すること~だ。
自分の思い込みの強さは、もしかしたら、精神病の一歩手前?
と思うほどの強迫性があり、それは生まれついたものらしく、
10代のころから意識していた。
今でも、辟易することがある。
さてさて、こんな質問をここに今日、提示させていただいた
わけが、ある。
これは、スピリチュアル的心理学でいうところの、"自我"の強さ
のテスト質問でもあるからだ。
皆さまの、エゴの強さを計る、質問として見ていただければと思う。
しかし、この質問も、だんだん、年を重ねて、その意義を
なくしてきた感がある。
当時は、”自我=エゴ”、”エゴ=なくすべきもの”、”なくしてこそ、
平穏の境地に達するという、単発的な発想(思い込みの一種?)
があったから、これらの質問を、そのエゴの強さの判断基準にしていた。
ところが、今の私には異なる判断基準ができた。
それは、”自我”は決して悪いものではな、むしろ、この
三次元的地球生活を送るためには必須なアイタムであると、
感じるようになったのだ。
そして、この質問を逆手に、活用できないかと考えた。
つまり、
①相手が自分にしたことは、たとえ、結果が良くなくても、
相手が自分にとって良かれと思ってしてくれたと、思うこと
②相手を理解しようとする姿勢で接する
③相手を認めることができるよう、長所を探す(それを言葉にする)
④相手が不当に自分を責めて、存在意義を否定していたら、
話を徹底的に聞いてから③に戻す
⑤関心とは人類愛の一歩と思い、無関心にならないよう心掛ける
⑥他者への理解を深めようという姿勢を保って話を聞く
⑦できるだけ、自分の身だしなみや、物質的(知識的)状態を、
良好に保ち、相手に不快感を与えない物質的なもの
(与えられているもの)に感謝して、豊かな心で時間を相手と共有する。
⑧思い込みしていそうなときは、感情的にならずに、状況判断
できるまで待ち、状況判断する
⑨自分の信念は大切にするが、相手の信念をも、尊重する
⑩相手の存在価値を、もう一度、自分でかみしめて心から、
そのことを味わう(相手への心的注目)
他人を愛する一歩は、自分を愛すること。
自分を愛するためには、自分の心にストレスを持たせないこと、
ストレスを持たせないためには善意に物事を解釈・認めていくこと、
これが最近の、自分の行動基準判断になっています・・・・
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