自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

母急逝に関しての追記

2017年12月26日 | 介護と自然治癒力

 

過去・現在・未来を漂っている意識への追想   2017/12/26

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前置き)

母の意識は今年に入ってからは常に娘時代をさまよっていました。

10日に一度の割合で母をホームから連れ出して、昼食をとることが

ルーティーンになっていましたが、話題は必ず、

”お母さん元気? お姉さんたちは? あの細川邸の庭を抜けて

よく遊びに行った所は、なんていう名前だったかしら? 

お父さんはもういないのよね。お兄さんは?” 

そう、母の意識は、今 に無いことが多く、その頃からすでに、過去に

生きていたようです。

 

そんな母の言葉に相槌を打ちながら、 何か、むなしさを味わう

々が続いていました。

人は老いを重ねると、想い出に生きる という言葉があるようです。

それは、言い換えれば、死に近づいている ということなのかも

しれないとフト感じるものがありました。

 

自分を振り返れば、10代、20代より、今のほうが 気持ち的には

若い気分でいると思います。それはうつ病や肉体の病で過去や

未来の憂いに満たされていた心から解放されたからです。 

 

同時に 今を生きているという実感があるからでしょう。

いつまでも、元気に自分らしく生きていくためにも、この”意識”

について、一考してみました。

 

 

母の死亡の原因は、とりあえず、’心不全’ということです。

すでにこと切れていた状態で病院に運ばれて診断されました。

12月17日早朝5時ごろ、グループホームで見回りの職員の方が、

2時間前まで起き出していた母を確認していたので、寝ているか

どうか状況を見に行った時は、すでに、心肺停止状態だった

いうことです。

 

以下の言葉を私の過去のブログ”私たちの自由意思と神の

自由意思”の中から、見つけました。

2015-09-20 09:48:32自分を見つめる前の扉 )

”ヒットラーが起こした過ちは彼が死にいたらしめた人々を

なんら害することも、侵すこともなかった。

 

あの人々の魂は地上の束縛から解放された。 

さなぎから蝶となり解放されるように。“

(神との対話’ ニール・ドナルド・ウォルシュ  吉田利子訳  サンマーク出版)

 

母は、誰しもそうであるように、ナチスの犠牲になったユダヤ人たちと

同様に、死を通して

"魂は地上の束縛から解放され",肉体という蛹(さなぎ)を脱ぎ捨てる

ことができました。

 

まるで、蝶となって、大空を飛ぶように この世の重荷と肉体や肉体に

伴う感情、五感器官の迷妄の世界を潜り抜けて、自由な束縛の少ない

世界へ さらに明確な意識をもって、羽ばたいていったのだと思います。

だから、死 は 悲しむものではなく、’新しい出発への文字通り喜びの

新生だ”と言えるのでしょう。

 

母の逝去に、私が流す涙や、寂しさ、過去の思い出に引っ張られる

ように沈んでいくこと、これらは、人として当たり前のことなのでしょうけれど、

少なくても、今を生きる という姿勢にはあまり当てはまる態度ではない

かもしれません。

 

というのは、過去を振り返り、亡き人の想い出に没頭しているときは、

時間は、前に進んでいても、自分の意識は、過去をむいているために、

 に存在していないからです。

 

今の今を もっと、かみしめて味わって生きていきなさい”~という

メッセージは、母の死によって、より明瞭な意味を持ってきたような

気がします。

’このに、自分は生きている’のですから。

 

一行前に書いた言葉はすでに過去の生産物です。 

今、こうして、パソコンを打っていても 一文字一文字の間、瞬時過去

になっていく。だとしたら、やはり、’今’感じているこの感覚や想い・意識 

しか、現存=実存 していないのでしょうか・・ 

 

だとしたら、今の自分の心持を 少しでもプラスに、少しでも創造的に、

少しでも前向きに、少しでも意味付けすることのできるように、意識変換を

行う努力が大切なようです。 

 

そのためには、もう一人の誰もが持つ’客観的自分’を見つけてその

自分に、過去を振り返りたがる意識や、先を憂い、考えすぎる自分の 

漂いやすい意識を統制するように、ゆだねることができたら、と思うのです。

 

今の意識が、過去に向いていたり、未来のことを案じていたりしているの

では、今を生きているということにはならないのでしょう。

今 を味わって生きる、今に意識を集中してみる そういう心がけの積み

重ねが たぶん、人生の豊かさを彩っていくような気がします。

 

人の自由意思というのは、そういうことをいうのだと思います。

どの意識に自分をまかせるか? さまよう意識か、ぶれない意識か? 

ぶれないと言っても、どこに原点を見つけているか? 

基盤はどこか?何を信じているか?・・・・・

その選択が、自由なのは、私たちの特権でしょう。

 

普段、人の意識は、常に、過去現在未来を漂っているようです。 

今、過去にさまよう、今、未来のことを心配する、というように。

どのように、今という点に焦点をもって生きていくか、それを定めるのが、

人の自由意思であり、その自由意思がその人の人生の方向性を

決めていくのでしょう。

 

 

 

 

左前方の立て看板、’彦田家葬儀会場”、告別式に向かう車窓から。 

この前をあっという間に通り、この看板も数時間後に外されて・・・

この看板を見つけたときの 過去・現在・未来を漂っていた私の’意識’

この流れ行く過去の瞬間を’今’にしました。

 

 

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