自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

意識と健康、自分を癒すということ(上)

2018年03月16日 | 健康のための心の波動

全託する意識の作り方、自己セラピーの下準備  2018・3.16

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前回の続きから)

 

病の奇跡的回復と心理)

 

'意識'が奇跡的回復を遂げるときの鍵とみなす学者もいる。

聖心女子大学元教授で国際コミュニオン学会名誉会長の

鈴木秀子女史は難治な病から奇跡的回復を

する人の特性として、

 

①  現実と運命の受容~大いなるものにすべてを委ねる心,

②  生されていることへの感謝、

③  人に尽くしたいという強い願望

 の三つを挙げている。 


①の”大いなるもの”とは、その人が信仰している神や仏をさす。 

宗教教義に無関心な人でも、’大いなるもの’の存在は感じる

ことがあるようだ。


宇宙の天体や 大自然を観察したときに、神秘的な力の中で、

心が充足し、癒されたという体験を持つ人は少なくない。


無宗教だという、私の知人のように、”神様はわからないけど、

登山して、自然の中にいると、何かそういう’もの’を感じる。”

と言う。

 

そうした 大自然の営みを育む”目に見えない”’大いなる力’に、

感動を覚えるわけだから、そのためには、決して宗教的で

ある必要はないのだと思う。

 

ここでは、鈴木女史がいうところの、そうした’大いなる力’

に自分の小さな考えや判断を捨て、’自分を安心して任せる’ 

という心持になったとき、奇跡的に難病が癒えることがある

という言葉には注目をしたい。


’すべてを委ねる’ ということは、なかなか言葉通りに

いかないものだ。 

 

なんやかんやと心配事が連鎖して、それらに理屈がつけられ、

悪循環でまた、次から次へと連続して不安材料が頭に

浮かんでくるのだから、それをストップすることは難しい。


ましてや、湧き出る想いが、ストップしていない中途半端な

状況で、’委ねる’などできるはずがない。

 

そこで、そうした感情の流れに栓をするために、”頭を空っぽ” 

にするということが肝心になるだろう。 

その頭を空っぽにするために、人は、瞑想をする

ひとまず、いろいろなもやもやした想いが雲のように湧き出て

くるのを、眺める気持ちになって、それにこだわらないよう

にしているだけで、だんだん、次から次に湧いてきた、

ろいろな想いの量とスピードが落ちて、心は、次第に

”空っぽ”になってくる。 

 

水蒸気で白くかすんだ風呂場のガラス窓が、窓を開けて

いれば、自然とクリヤ―になってくるのに似ている。

”空っぽ”になってくると、心がしがみつく対象である、

想いがなくなっていくので、無執着の気分に近づき

’お任せします’と全託する心の下地ができる。

 

全託したとき、女史の述べている②の’自分は

、’大いなる力に生かされている’という想いが

同時に湧き上がることだろう。

 

何もないはずなのに、今 生きている、心臓が鼓動

している、血流が体を駆け巡っている、

細胞が新陳代謝している、それってどうして、一体なぜ??


この自分が、自分の心臓を意識的に止めることが

できるだろうか? 

血液の流れを遅くしたり早めたりすることができるだろうか? 

 

考えてみると、自分の体でさえ、自分の思う通りに

ままならいのに、たとえば、髪の毛の一本を生やしたり

することなどできるはずもないのなら、誰が、

なんの力によって、そうした自律神経の司る体の仕組み

を動かしているのだろう?

と不思議に思うときがある。

 

’生かされている’という言葉は、”この身”を考えても、

実感できるはずだ。

生かされる自分という受容体があるのなら、それを

’生かしている何か’という能動的対象が

あるわけで、そう考えていくと、’委ねる’、’全託する’

という意味が、漠然とだが、実感できるだろう。

 

心臓の動きや肺呼吸の仕組み、血液の製造や栄養素が

運ばれていく仕組み、などなど、我々は無意識に、

’からだにお任せ’しているのだから、その全託して

いるものを、体だけでなく、心と身の回りの状況

の展開に広げれば、まさに、女史の言う②の’全託’する

という意味になると思う。

 

③の人に尽くしたい願望とは、人のお役にたって

喜んでもらいたい という誰もが持つ、人の善意の本質

だろう。 


与えて、その喜びを知る、ということは、他者に労力でも

物質でも、提供することで、受け入れられ喜ばれたときの

満足感だ。

 

”こんな私なのに・・”、と思うなかれ。

あなたの存在によって、元気を与えられたり、

大きな影響力を受けて繋がっているいた

いく)人達は あなたが気が付いていなくても、

きっと、いるわけなのだから。

 

それが、’私たちが、今、生かされている’ 一番の大きな

目的なのだろうから。

誰かの役にたっているから、自分は生きている と

断言して、どんな状態でも、生きている

ということは、地球のどこかの誰かに繋がっていて、

energyの交換をしながら、繋がって

影響を与え合っているということなのだから、

それを信じて、元気を出すことは決して不道

理な話ではないだろう。

 

例えば、前述の長堀医師は、自分の患者さんを通して

“心の持つ潜在力の神秘性と心のありよう

身体に影響を及ぼしている” ことを学んだと

同著に記している。


医者と患者の立場であっても、患者さんの癌との

向き合い方に対する姿勢、家族への愛情を

目の当たりにして、感動を与えてもらったと

著書の中で、記している。


認知症で、殆ど、意識が混濁する時間が長かった母でも、

母の人との会話の中で弾む、臨機応変の対応と、

楽しそうな高笑いが、周りをどんなに明るく

していたか亡き後、気が付いた~とグループホーム

職員さん達が口々に私にお話ししてくださるのを聞き、

認知症というハンディがあっても、母の存在の生きている

味が私の知らない所でもあったのだと思った。

 

自分の思う所や感じる事は、もしかしたら、とても

限定されたものなのかもしれない。 

生きている価値で思い悩んで、私に相談を持ち掛けて、

結局、自殺した友人もかつてはいた。 

 

話は飛んだが、’全託する意識’とか、’お任せする心持’ 

というのは、そこに信頼があって、効果が出てくる。 

その効果とは、やはり、次元を超えた大いなる何かの力が

必ず、後から振り返ったら、”苦しい今” でも、

有意義なものだったとして気づかせてくれると信じて、

目の前のなすべきことをしながら、希望をもつ

ことなのかもしれない。

 

 

こんなベランダに咲いた小さな花と視線があって、

その息吹に、安堵感が・・・・生きている事って?

 

 

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