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聖と俗、キリスト教と政治

2008年03月30日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 キリスト教といわゆる政治との関係はどうなっているのでしょうか。考察してみましょう。

 私たちの主イエズス・キリストは真の天主です。御昇天の前に言われました。「私には、天と地の全ての権能が授けられている。行って教えたことを教え、聖父と聖子と聖霊との聖名によって洗礼を授けよ、信じて洗礼を受けるなら、救われ、信じないなら、滅びる。」
 私たちの主は、使徒達を通じて、理性を有する全被造物に洗礼を授けることを命じたのでした。

 私たちの主イエズス・キリストが王であり私たちの上に支配権を持っていることを否定することは、私たちの主イエズス・キリストが天主であることを否定することです。

 私たちの主イエズス・キリストは、王として、聖と俗とに支配権を有しています。私たちの人生の目的は、永遠の命、無限の幸福である天国を得ることであり、この地上の生活はすべてそのためにあります。俗(王)は聖のためにあるのです。

 世俗の権威(王)は、私たちが聖なる生活を送ることができるように、間接的に助ける義務があります。

 教会は、直接的に天主に関することに関わります。それと同時に、罪に関して世俗に間接的に関わります。自然法について、天主の十戒について、婚姻について、教育について、などなど教える義務を受けたからです。

ミネアポリスにて
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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