アヴェ・マリア!
近代主義の教会の中への侵入の略史 (その9)
マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)
私は、教皇の側に、ペトロの後継者の側に立っています。
私は決して教皇様に反対であったことはありません。私は教皇が教皇でないと言ったことも決してありません。私は、教皇の側に、ペトロの後継者の側に立っています。私はローマから分離することを望みません。しかし私は近代主義に反対です。進歩主義に反対、改革においてプロテスタンティズム悪しき破壊的な全ての影響に反対です。私たちを毒している、そして信徒の生活を毒しているこれらすべての改革に反対です。
ところで、私はこう言われています:「あなたは教皇に反対している」と。いいえ、私は教皇に反対ではありません。その反対です。私は教皇を助けに来ています。なぜなら、教皇は近代主義者でありえないからです。進歩主義者であることはできないからです。
たとえ教皇様が放任していることがあったとしても、それは弱さによってです。それは起こり得ることです。聖ペトロもまたユダヤ人に関して、聖パウルの前で弱い時がありました。聖パウロは厳しく聖ペトロを叱責しました。「あなたは福音に従って歩んでいない」と聖パウロは聖ペトロに言ったのです。
聖ペトロは教皇でした。そして聖パウロは聖ペトロを叱責したのです。そして聖パウロは力強く言ったのです。「私は教会の頭を叱責した、彼は福音の法に従って歩んでいない」と。こんなことを教皇に言うなどということは、重大なことです。
シエナの聖カタリナもまた、数人の教皇たちを激しく非難しました。そこで、私たちは同じ態度をとるのです。私たちはこう言います。「教皇様、あなたはご自分の義務を果たしておられません。もしも教皇様あなたが、教会をもう一度栄えるようにすることをお望みならば、あなたは聖伝に戻らなければなりません。もしも教皇様あなたが、これらのすべての枢機卿や司教たち(彼らは近代主義者です)聖伝を迫害するがままにさせているなら、あなたは教会の荒廃を引き起こすことになるのです」と。
私は、教皇が心の中では、深く心配しておられ、教会を刷新する手段を探しておられると確信しています。私たちの祈りと犠牲、そして聖なる教会を愛し、教皇を愛する人々の祈りによって私たちが(カトリック教会をして聖伝に立ち返らせることに)成功すると期待し確信しています。
特に聖母マリアへの信心によって[可能]でしょう。もし私たちが聖母に祈るならば、聖母マリアは、自分の御子を見捨てることがおできにならず、御子が建てられた教会つまりその御子の神秘的花嫁を見捨てることがおできにならないでしょう。
(教会が聖伝に立ち戻ること)それは難しいことでしょう。そのようなことは奇跡でしょう。しかし、私たちは成功するでしょう。
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私は、教皇の側に、ペトロの後継者の側に立っています。
私は決して教皇様に反対であったことはありません。私は教皇が教皇でないと言ったことも決してありません。私は、教皇の側に、ペトロの後継者の側に立っています。私はローマから分離することを望みません。しかし私は近代主義に反対です。進歩主義に反対、改革においてプロテスタンティズム悪しき破壊的な全ての影響に反対です。私たちを毒している、そして信徒の生活を毒しているこれらすべての改革に反対です。
ところで、私はこう言われています:「あなたは教皇に反対している」と。いいえ、私は教皇に反対ではありません。その反対です。私は教皇を助けに来ています。なぜなら、教皇は近代主義者でありえないからです。進歩主義者であることはできないからです。
たとえ教皇様が放任していることがあったとしても、それは弱さによってです。それは起こり得ることです。聖ペトロもまたユダヤ人に関して、聖パウルの前で弱い時がありました。聖パウロは厳しく聖ペトロを叱責しました。「あなたは福音に従って歩んでいない」と聖パウロは聖ペトロに言ったのです。
聖ペトロは教皇でした。そして聖パウロは聖ペトロを叱責したのです。そして聖パウロは力強く言ったのです。「私は教会の頭を叱責した、彼は福音の法に従って歩んでいない」と。こんなことを教皇に言うなどということは、重大なことです。
シエナの聖カタリナもまた、数人の教皇たちを激しく非難しました。そこで、私たちは同じ態度をとるのです。私たちはこう言います。「教皇様、あなたはご自分の義務を果たしておられません。もしも教皇様あなたが、教会をもう一度栄えるようにすることをお望みならば、あなたは聖伝に戻らなければなりません。もしも教皇様あなたが、これらのすべての枢機卿や司教たち(彼らは近代主義者です)聖伝を迫害するがままにさせているなら、あなたは教会の荒廃を引き起こすことになるのです」と。
私は、教皇が心の中では、深く心配しておられ、教会を刷新する手段を探しておられると確信しています。私たちの祈りと犠牲、そして聖なる教会を愛し、教皇を愛する人々の祈りによって私たちが(カトリック教会をして聖伝に立ち返らせることに)成功すると期待し確信しています。
特に聖母マリアへの信心によって[可能]でしょう。もし私たちが聖母に祈るならば、聖母マリアは、自分の御子を見捨てることがおできにならず、御子が建てられた教会つまりその御子の神秘的花嫁を見捨てることがおできにならないでしょう。
(教会が聖伝に立ち戻ること)それは難しいことでしょう。そのようなことは奇跡でしょう。しかし、私たちは成功するでしょう。
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