アヴェ・マリア!
同性同士の似非「婚姻」
愛する兄弟姉妹の皆様、
「苺畑より」というブログによると、カリフォルニア最高裁で同性結婚を禁止する州法が合憲かどうか審議されていたが、5月15日この法律は違憲であるという判決が下ったそうです。
ベネディクト十六世も次のように言っています。「今日、自由な結合(婚姻ではない同棲)、『試しの結婚』(気に入らなければ別れる「結婚」)、そして同性同士の似非婚姻などのような婚姻の風化の様々な形態が、真の人間解放であるかのように間違ってなされた無秩序な自由の表現とされている。・・・」Benedict XVI Address at the Diocesan Convention in Rome at the Lateran Basilica June 6, 2005
婚姻の第1の目的は、天主がそれを創った通り、子孫の繁栄と教育です。もしも、婚姻の第1目的が「両性の相互愛と援助、両性のペルソナの完成」に取って代わると、客観的な自然の掟ということから、主観的な満足ということに重点が移ってしまいます。そして、天主の無い、自然法のない、自分の自由追求にひたすら突き進むことによって、結局は、婚姻はその全ての基礎を失ってしまうのです。
将来、もしもリベラル派が多数派になったあかつきには、同性の「結婚」の次に、犬との結婚とかサルとの結婚、などの「自由」を認めよ、ということになるでしょう。今は、「まさか!」と笑っている愛する兄弟姉妹の皆様もおられるかも知れませんが、そのような主題が映画になり、テレビに出たりすると、マスメディアに操作されて多くの人は「その自由を認めてあげよう」ということになるのかもしれません。何故なら、同性「結婚」を婚姻と認めることを法律化するなど、少し前では想像を超えていたことだからです。
「私たち夫婦は、将来、モルモットを養子にします。」
カリフォルニア最高裁に話を戻すと、「苺畑より」のカカシさんによると、この判決は、61%の圧倒的な州民の支持で通過していた「カリフォルニアにおいては一夫一婦の間でのみ結婚が正式に認められる」という州法に反するものであり、また、この法律を覆す議案が二回通っているが、「州民に意志を尊重する」と言いつつカリフォルニア州知事は、二回とも拒否権を使って拒絶してきたことに反するものだそうです。
まさに問題はここにあると思います。ヨーロッパに「絶対君主」と呼ばれた王がいたことがありましたが、民主主義のもとでは市民は、この「絶対君主」よりも絶大な権威を持ち、人民は神々となり、自然に反することさえも法律に定めることが出来ると幻想していることです。(ちょうど、プロテスタント主義が、人間は聖書さえ持つと、その解釈は自分の権威において自由にすることができると幻想させ、聖伝や教父に従って解釈する究極の教導権の保持者である教皇様よりも更に大いなる権威を持っているかのように教えるのと同じようです。)
天主を忘れることにより、人間はますます狂気さえをも自由と勘違いしてしまっているようです。
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<= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
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同性同士の似非「婚姻」
愛する兄弟姉妹の皆様、
「苺畑より」というブログによると、カリフォルニア最高裁で同性結婚を禁止する州法が合憲かどうか審議されていたが、5月15日この法律は違憲であるという判決が下ったそうです。
ベネディクト十六世も次のように言っています。「今日、自由な結合(婚姻ではない同棲)、『試しの結婚』(気に入らなければ別れる「結婚」)、そして同性同士の似非婚姻などのような婚姻の風化の様々な形態が、真の人間解放であるかのように間違ってなされた無秩序な自由の表現とされている。・・・」Benedict XVI Address at the Diocesan Convention in Rome at the Lateran Basilica June 6, 2005
婚姻の第1の目的は、天主がそれを創った通り、子孫の繁栄と教育です。もしも、婚姻の第1目的が「両性の相互愛と援助、両性のペルソナの完成」に取って代わると、客観的な自然の掟ということから、主観的な満足ということに重点が移ってしまいます。そして、天主の無い、自然法のない、自分の自由追求にひたすら突き進むことによって、結局は、婚姻はその全ての基礎を失ってしまうのです。
将来、もしもリベラル派が多数派になったあかつきには、同性の「結婚」の次に、犬との結婚とかサルとの結婚、などの「自由」を認めよ、ということになるでしょう。今は、「まさか!」と笑っている愛する兄弟姉妹の皆様もおられるかも知れませんが、そのような主題が映画になり、テレビに出たりすると、マスメディアに操作されて多くの人は「その自由を認めてあげよう」ということになるのかもしれません。何故なら、同性「結婚」を婚姻と認めることを法律化するなど、少し前では想像を超えていたことだからです。
「私たち夫婦は、将来、モルモットを養子にします。」
カリフォルニア最高裁に話を戻すと、「苺畑より」のカカシさんによると、この判決は、61%の圧倒的な州民の支持で通過していた「カリフォルニアにおいては一夫一婦の間でのみ結婚が正式に認められる」という州法に反するものであり、また、この法律を覆す議案が二回通っているが、「州民に意志を尊重する」と言いつつカリフォルニア州知事は、二回とも拒否権を使って拒絶してきたことに反するものだそうです。
まさに問題はここにあると思います。ヨーロッパに「絶対君主」と呼ばれた王がいたことがありましたが、民主主義のもとでは市民は、この「絶対君主」よりも絶大な権威を持ち、人民は神々となり、自然に反することさえも法律に定めることが出来ると幻想していることです。(ちょうど、プロテスタント主義が、人間は聖書さえ持つと、その解釈は自分の権威において自由にすることができると幻想させ、聖伝や教父に従って解釈する究極の教導権の保持者である教皇様よりも更に大いなる権威を持っているかのように教えるのと同じようです。)
天主を忘れることにより、人間はますます狂気さえをも自由と勘違いしてしまっているようです。
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