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聖霊降臨の火曜日

2008年05月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 今日は、聖霊降臨の火曜日ですね。また、ファチマの聖母のご出現91周年でもあります。

 聖霊降臨の主日には、大阪で歌ミサをすることができました。天主様に感謝!30名には至りませんでしたが、25、6名の兄弟の皆様がミサ聖祭に与りました。

 ただ今、第2回目の沖縄での聖伝ミサで嘉手納に来ています。昨日は、生まれたばかりのミカエル君に洗礼式がありました。お祈りください。

 昨日は、偶然に、一昨日までオーストラリアの聖ピオ十世会の小神学校にいた今は軍人さんにもバッタリ出会いました!

ファチマの聖母よ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会創立者マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会内への侵入史 (その7)

2008年05月13日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日はファチマの聖母マリア様の御出現の記念日ですね。
 マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録 「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」 1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)をお読み下さい。

近代主義の教会の中への侵入の略史 (その7)


少なくとも私たちに自由を残しておいてほしい

 彼らは、私が教皇様の元に出向いて聖伝の自由を勝ち取るために努力をしているのを知るとすぐさま、反対する同盟を組みました。願わくは人々が私たちをそっとしておいてくれるように。願わくは、以前人々が数世紀にもわたって祈りをしていたその通りのやり方でそのまま私たちが祈るのを放任するように。私たちが以前神学校で学んだことをそのままやり続けることを許してくれるように。願わくは、皆さんがまだ子供だった頃教わったことを、つまり私たちを聖化する最高のやり方をそのまま続けることを許してくれるように。

 私たちは最高の聖化の方法を神学校で学びました。私はこれを司祭だったとき実践していました。私が司教だったとき私の元にいる全ての司祭たち、神学生たちに私自身がこう言っていました。
「ミサ聖祭を愛しなさい。教会があなたたちに与えるものを、すなわち秘蹟と公教要理を愛しなさい。何も変えてはいけません。20世紀にもわたって続いている聖伝を守りなさい。これがあなたたちを聖とするのです。これが多くの聖人たちを聖としてきたのです。」

 それなのに今になると全部変えろと言うのですか?それは出来ません。少なくとも私たちには今までのことを続ける自由を残してくれるべきです。

 さて、彼らがこのことを耳にするやいなや勿論彼らはすぐさま教皇様の元に駆けつけてこう言うのです。
「ルフェーブル大司教に何も与えてはいけない。聖伝に何も与えてはいけない。とりわけ決して後ろに戻ってはいけない」と。

 彼らは例えばカザローリ枢機卿のように政務次官であり非常に重要な地位にあるので、教皇様はあえて何もしようとされないのです。ところで、ラッチンガー枢機卿のように中には聖伝に対して好意的に考えている方もおられます。セペール枢機卿(Cardinal Seper)が1981年の御降誕祭に亡くなると、ラッチンガー枢機卿がその後継者となりました。ラッチンガー枢機卿は公会議の時には非常にリベラルでした。彼はラーナーとかハンス・キュンクとかスキレベークスなどと言ったリベラル派の友でした。しかし彼がミュンヘンの大司教区の大司教という重責を任命されると、彼は少し目を開いたようです。彼は今では改革の危険に気が付いており、聖伝に基づいた規律に戻ってくることを望んでいるようです。彼と共に列聖聖省長官のパラッツィーニ枢機卿(Cardinal Palazzini)や、聖職者聖省のオッディ枢機卿(Cardinal Oddi)等がいます。これらの3名の枢機卿は聖伝に自由を残すことを望んでいます。しかしその他の方がもっと大きな影響力を教皇様に及ぼしているのです。

セペール枢機卿


 私は5週間前にローマにいました。そして教皇様によって聖ピオ十世会、私自身に関して、教皇様と私の間をつなぐ仲介者として、セペール枢機卿の後を引き継ぐように命じられたラッチンガー枢機卿と面会しました。セペール枢機卿は、ヨハネ・パウロ二世教皇が私に許された謁見の折に教皇様と私の仲介者として任命されました。ヨハネ・パウロ二世教皇様はセペール枢機卿を呼び寄せてこう言ったのです。
「枢機卿様、ルフェーブル大司教と私との間の関係をあなたが維持して下さい。あなたは私の仲介人です。」
そして、今教皇様はラッチンガー枢機卿をそれに任命したのです。

 私はローマに彼に会いに行きました。私は彼と1時間45分話し合いました。確かに、ラッチンガー枢機卿はもっと肯定的で良い解決策を引き出す能力がある人のようです。今かなり鋭い難問として一つ残っているのはミサです。そもそもの最初から、結局のところ、ミサが常に問題でした。何故なら彼らは私が公会議に反していないと言うことをよく知っているからです。公会議の中には私が受け入れることが出来ないことが幾つかあります。私は宗教の自由についての文書にサインをしませんでした。私はこの世における教会についての文書にサインをしませんでした。しかし、これを以て私が公会議に反対しているとは言うことが出来ません。ただ聖伝と反している私たちが受け入れることが出来ないことがあると言うだけです。このことのために大げさになってはなりません。教皇様ご自身も「公会議を聖伝の光によって見なければならない」とおっしゃったからです。もしも公会議を聖伝の光によって見るなら、私にとって何も問題とはなりません。私は「公会議を聖伝の光によって見なければならない」というこの文章にサインをしたいくらいです。何故なら聖伝に反することは全て明らかに排斥されなければならないからです。

 教皇様によって許された謁見の際に、ヨハネ・パウロ二世教皇様は私にこう尋ねました。

「それではあなたはこの言い回し(訳者注:「公会議を聖伝の光によって見なければならない」ということ)にサインをする準備が出来ているのですね。」
私は答えました。

「その言い回しを使ったのは教皇様自身です。私にはサインをする用意があります。」

「それでは私たちの間に教義上の難点は無いではないですか。」

「私はそう期待します。」

「では、今何が残っているのですか?あなたは教皇を受け入れるのですか。」

「勿論です。私たちは教皇様を認め、私たちは全ての神学校で教皇様のために祈っています。世界中でもしかしたら教皇様のために祈る神学校は私たちの所ぐらいしかないかも知れません。私たちには教皇様に対する大きな尊敬があります。教皇様が私に来いとおっしゃったときには私はいつもすぐに参りました。しかし、今典礼に関して問題があります。これは本当に難しい問題です。典礼は今教会を破壊し、神学校を崩壊させているとことです。これは非常に重要な問題です。」

「いや、これは規律の問題です。大したことではありません。もしこれしか問題がないのなら私は何とかなると思います。」

 そして教皇様はセペール枢機卿を呼び、枢機卿はすぐに来ました。もし彼が来なかったら私は教皇様は協定にサインをする用意があったと思います。セペール枢機卿が来て、教皇様は彼にこう言います。

「ルフェーブル大司教と話をまとめるのに、事はそれほど難しくないと思います。解決にたどり着けると思います。大して難しくもない典礼問題しかありません。」
すると枢機卿は声を上げてこう言いました。

「あぁ!ルフェーブル大司教に何も譲ってはいけません。この人たちは聖ピオ五世のミサを御旗にするのです。」

私は言いました。
「御旗、勿論ですよ。ミサこそが私たちの信仰の御旗ではないですか。Mysterium fidei 私たちの信仰の偉大な神秘です。そんなのは明らかです。これは私たちの御旗です。これは私たちの信仰の表明です。」

 これに教皇様はひどく動揺されたようです。教皇様はほとんどすぐに態度を変えられたようです。私の思うには、このことは教皇様が強い男ではないと言うことを示しています。もし強い男だったら、こう言っていたことでしょう。
「私がその面倒を見ましょう。典礼については私がまとめましょう。」

そうではありませんでした。教皇様は直ぐに恐れをなしたかのようでした。

 教皇は恐れるようになられました。そして執務室を離れられたとき、教皇様はセペール枢機卿に言われました。

「さあ今から、あなたは(ルフェーブル大司教と)話をしてもよろしい。ルフェーブル大司教とことをまとめるように計らってしてよろしい。このままここにいてもよろしい。私はバッジオ(Baggio)枢機卿と会いに行かなければなりません。彼は司教たちに関して非常に多くの書類を私に見せなければなりません。私は行かなければなりません。」

 教皇は去られるとき私に言われました。
「止めてください。大司教様、止めてください。」

教皇は変わってしまいました。数分の間に教皇は完全に変わってしまいました。

 私が一人のポーランドの司教から受け取った手紙を教皇に示したのはこの謁見の間でした。このポーランド人司教は一年前、私に手紙を書いてよこしたことがありました。それは、エコンに設立した神学校、そして私が養成している司祭たちについてに褒めるためでした。このポーランド人司教様は、私が全聖伝と共に古いミサを守ることを望んでいました。

 彼はこうつけ加えて言いました。自分が唯一の人間ではない、複数の私たち司教は、あなたに敬服し、あなたの神学校に敬服し、あなたが司祭たちに与えている養成そしてあなたが教会内部で守っている聖伝に敬服している、なぜなら、私たちは、信徒に信仰を失わせるために新しい典礼を使うことを強いられているからだ、と。

 それがこのポーランドの司教が言ったことです。教皇様に会いに行くときにこの手紙をポケットに入れて持って行きました。何故なら「教皇様は確かにポーランドについて私に話されるだろう」と思ったからです。

 その通りのことが起こりました。教皇様は私に言われました。

「しかし、知っているでしょう。ポーランドではすべてが非常にうまく行っています。なぜあなたは改革を受け入れないのですか?ポーランドでは何の問題もありません。人々はラテン語を失ったことをただ悲しんでいるだけです。私たちはラテン語に非常に愛着がありました。なぜならそれは私たちをローマに結びつけていましたし、私たちはまさにローマ的なのだからです。それは残念なことです。しかし私に何をすることを望むというのでしょうか?神学校にも、聖務日祷書にも、ミサにももはやラテン語はありません。残念です(unfortunate) 。仕方がありません。ポーランドを見て下さい。改革を受け入れましたが、問題はありません。私たちの神学校は神学生で一杯です。そして私たちの教会は信者で一杯です。」

 私は教皇様に言いました。
「私がポーランドから受け取った一通の手紙をお見せすることをお許しください。」

 私はそれを教皇様に見せました。教皇は、司教の名前を見たときこう言われました。
「おお、この人は共産主義者たちの敵の中で、最大の反共の人です。」

「それはよい人物証明です」と私は言いました。

 教皇はその手紙を注意深く読まれました。私はその手紙の中で二度繰り返されたそれらの言葉に教皇がどのように反応されるかを見るためにその顔に注目しました。「私たちは、信徒に信仰を失わせるために新しい典礼を使うことを強いられている」という言葉です。

 明らかに教皇はこれを容易に受け入れることはできませんでした。最後に教皇は私に言われました。

「あなたはこの手紙をこうやって受け取ったのですか?」

「はい、そうです。持って来たのはそのコピーです。」

「それは捏造に違いない」と教皇は答えられました。


 私は何を言うことができたでしょうか?私はもはや何も言うことができませんでした。教皇様は私に言われました。

「ご存じでしょうが、共産主義者たちは司教たちの間に分裂を引き起こそうと、非常に狡猾です。」

 それゆえ、教皇様によれば、これは共産主義者たちによってでっち上げられ、そして次に私に送られた手紙だったとのことです。私は教皇様の説を非常に疑っています。何故なら、この手紙はオーストリアで投函されたものだったからです。私の思うには、それを書いた人は共産主義者がそれを途中で奪い、それが私に届かなくなることを恐れたのではないか、ということです。それが彼がオーストリアでそれを投函した理由です。私はその司教に返事を出しましたが彼からはそれ以上何の返事もありませんでした。

 私がこのことを言うのは、ポーランドにおいてさえ、重大な分裂があると私は考えるということです。さらに、パックスの司祭たち(訳者注:PAX という親共産党の団体(Stowarzyszenie PAX)に所属する司祭たちのこと)と聖伝を堅く守ることを望む司祭との間に常に分裂が存在してきたのです。これが鉄のカーテンの背後での悲劇であったのです。

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