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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.3.2.慎ましい始まり(その2)

2008年07月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

慎ましい始まり(その2)

 三回のチェトゥス研究会議を開催したソレム大修道院(abbaye de Solesmes)の断固支持の活躍を強調しなければならない。1964年 1月 11日から 14日まで、ドン・ポール・ノー (Dom Paul Nau)、ドン・フレノー(Dom Frénaud)及び聖書学者と兼アンジェ(Angers)の神学部長であるモンシニョール・リュソー (Lusseau)の筆の助けをもって、ドン・プルー(Dom Prou)、ルフェーブル大司教及びシガウド司教は教会論【Acta Syn., III, I, 621-628. マリ司教、ルフェーブル大司教、シガウド司教、グリモー司教、プルー大修道院長とが署名した公文書は公会議の総事務局に提出された】、聖母神学及びエキュメニズムや「真の宗教を信仰宣言する自由」として起草された信教の自由に関する資料の概要 (compendium) を用意した。それはチェトゥスの思想を真に要約した内容であった。これは多くの教父たちに発送された。

 第二回目の集まりはチェトゥスが公式的に姿を現わす前 1964年 7月にフランスのソレムで開かれた。ソレムは 1965年 7月 15日から 21日まで開かれた最後の集まりも主催したが、ルフェーブル大司教、シガウド司教、モリオ(Morilleau)司教、ドン・プルー司教、また当時ソレム大修道院のための神学者であるドン・ムニョ (Dom Meugniot) が参加した。彼らはこの時に公会議第四総会のための戦略を組んだ。

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

II. 革命が始まる

III. 教父たちの国際グループ(Coetus Internationalis Patrum)

聖ピオ十世会、伝統的ミサに関するバチカンの言葉と司教の実践との間の不一致を指摘する

2008年07月23日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 三上教授が訳された聖母の電子ニュースレター 2008年7月を推薦します。

「聖ピオ十世会、伝統的ミサに関するバチカンの言葉と司教の実践との間の不一致を指摘する」では、聖ピオ十世会総長のフェレー司教様の書簡72号について言及されています。

 フェレー司教が述べているように、教会は変化しないし、また変化しなかったと言うことはまったく意味をなさない。「バチカンは、「カトリック教会は変わらない」と断言しながら変えている、・・・40年間の危機にもかかわらず、無数の空っぽになった修道院にもかかわらず、放棄された司祭館にもかかわらず、人のいなくなった教会にもかかわらず、ローマが公会議の方針をやり続けようとしているという意志を変わらずに持ち続けていると結論しなければなりません。その間に、カトリック大学は、無茶苦茶を教え続け、公教要理の教えは知らされないまま残り、カトリック校は特別にカトリックとしては存在しなくなり、カトリックは絶滅品種になっていのです・・・。 」

「聖ピオ十世会はミサ聖祭の古い敬うべき典礼様式を再導入しようと言う教皇の意志を率直に喜びますが、しかし全司教団の時には凶暴な抵抗をも見出しています。絶望することなく、また忍耐を失うことなく、私たちは同意の時はまだ来ていないと認識しています。しかしながら、だからといって期待し続けることが出来なくなるわけでも、2000年の大聖年より定められた道を歩み続けることが出来なくなるわけでもありません。私たちは教皇聖下に、1988年の破門の教令の破棄を求め続けます。何故なら、これは教会により大きな善をもたらすであろうと確信しているからです。また私たちは皆さんにこのことが実現するよう祈りなさいと励まします。

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ワールド・ユース・デイに関する著しく常軌を逸したビデオ。今、YouTube で自由に視聴できます。
「ワールド・ユース・デイの支配的な雰囲気はカトリシズムではない。それは聖なる諸機能であるべきものに浸透しさえするロックンロール・ポップカルチャーである。」ワールド・ユース・デイが実際にどのようなものであるかを学んでください!6分間の YouTube ビデオ。

ジョン・ヴェナリの DVD
「ワールド・ユース・デイ、カトリシズムそれとも頽廃?」

Excepts: World Youth Day: Catholicism or Corruption?


 青少年たちに本当のカトリックの教えが、信仰、慎み、聖なるもの対する尊敬に関する教えが伝えられていない。私が言いたいのは、青少年に対する批判ではない。(ジョン・ヴェナリ)

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【質問】パウロ六世教皇の替え玉説についてどう思うべきか?

2008年07月23日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、今回はご質問にお答え致します。

【質問】
 ベイサイドの聖母とスイスのエクソシズムの記録「他界からの警告」の二つは、教会内の「出来事」のこととしては驚天動地のことを言っているわけですが、両方共に「パウロ六世教皇の替え玉の存在」を明言しています。そして、このことは人々によって、声紋鑑定と写真とによって追及されました。このことをルフェーブル大司教様もお信じにならなかった、と聞いています。
 ご覧下さい、これら四枚の写真 (添付) の人物は同一人物であり、且つパウロ六世教皇様では「ありません」! ・・・ (以下略)

【答え】
 メッセージをありがとうございます。ご質問なさりたいと思われることは多岐にわたっていると思われます。
(1)「ベイサイドの聖母」についてどう思うべきか?
(2)スイスのエクソシズムの記録「他界からの警告」についてどう思うべきか?
(3)「パウロ六世教皇の替え玉の存在」についてどう思うべきか?
 ということでしょう。

 実は、極めて個人的な話で恐縮ですが、始めてベイサイドのメッセージなるもの(英語版)を手にしたのは、高校二年生(1981年)のことでした。しかも敬愛するヨゼフ・マリ・ジャック神父様の手から! フランス人のヨゼフ・マリ・ジャック神父様は英語が得意ではなかったのですが、京都のスタインバック神父様(アメリカ人司祭)から送られたもののお裾分けを一部もらったのでした。興味を持った私は、高校時代には、高校のカトリック研究会の友人とノートを作って、それを二人で手分けして少しづつ日本語に訳していました!大学生になるともっと詳しく知ろうとアメリカに資料を請求する手紙を書いたものでした。

 また大阪には木野さんという女性の方がおられ、直接お会いしたことはなかったのですが、「他界からの警告」などをおそらく英語訳から日本語に訳して小冊子を作って配布していました。そのような小冊子を私も学生の頃、藤枝教会の信者さんから頂いて、手にしたことがあります。大学生の頃、フランス語を学び初め、その当時フランスにおられたヨゼフ・マリ・ジャック神父様にこの原文を読みたいので、私のために入手してほしいとお願いしたことがあります。(結局、神父様は入手してはくれませんでしたが。)

 しかし、ベイサイドのメッセージなるものも「他界からの警告」も、何も知らなかった・外国の情報が極めて入りにくかった学生の頃に、興味をもった(もたされた)話でした。外国のいろいろな方に手紙を書いたりして情報を入手したりする内に、その欺瞞性がますます暴露され、距離をますますおくようになっていきました。(また、日本では中心となっていたスタインバック神父も、さすがにアメリカ人司祭だけあってアメリカの情報を多く仕入れた思われ、ベイサイドのメッセージなるものから離れていきました。私も大学生の時代にはアメリカから多くの情報を郵送して頂いて手に入れました。)

 私も以前、これについて研究し多くの情報を集めましたが、今ではそれらは手元にありません。処分しなかった資料などは全て藤枝の倉庫に眠っておりそれを整理して詳しくお知らせすることも、やろうと思えば出来ないことはないのでしょうが、それをやるための労力を考えると、その意義を見出しません。ただ「ノー」という結論だけを言えば足りると思います。

 また「御出現」に関することは、大学生の頃からの経験で、それを鵜呑みにしている人は、何を言ってもダメということがもう明らかなので、ますますその意義を感じません。

 そこで、今回は(3)の「パウロ六世教皇の替え玉の存在」について言及することによって、間接的に(1)と(2)に触れることにします。


【1】まずルフェーブル大司教様は「パウロ六世教皇の替え玉の存在」を全く信じていませんでした。何故なら、第一に、バチカンのことをあまりにも詳しく知りすぎていたからです。第二に、あまりにもパウロ六世のことを知りすぎてしまっていたからだと私は思います。

 「ベイサイドの聖母」も「他界からの警告」も、そのシナリオとしては、パウロ六世は善玉であるが、回りの取り巻きの枢機卿たちが悪者で、本物のパウロ六世はどこかに幽閉されており、偽物のパウロ六世がやりたい放題に暴れていてそのおかげで教会がシッチャカ・メッチャカになっているというものです。従って、「ベイサイドの聖母」はパウロ六世が亡くなると、「殉教者」として直ぐに天国に来たと発表していました。

 バチカンはあまりにも小さいところなので、ルフェーブル大司教様はその隅々をよく知り尽くしていました。ルフェーブル大司教様によれば、「善玉のパウロ六世がどこかに幽閉されて、偽物のパウロ六世が、善玉の意図に反して、やりたい放題に教会を変える」ということは、物理的に・方法的に・現実的に無理なのです。どうしても綻(ほころ)びが出てしまうし、ばれてしまうからです。

 少し想像力を働かせて下さい。自分の会社のよく知っている課長が「どこかに幽閉されて、偽物が、本物の意図に反して、やりたい放題している」という場面を。周囲の人はそのおかしさに直ぐに気づくはずです。教皇様というのは、とても開かれた存在なので、北朝鮮の金正日のような閉鎖的な秘密の隠れたリーダーを想像してはなりません。

 第二の理由は、これは私の考えです。おそらくルフェーブル大司教様もそうだったそ想像します。

 今では、私たちには、モンティーニの人生と行動についてが、かなり詳しく分かっています。残念ながら日本語ではパウロ六世に関する詳しい情報が読めません。

 しかし、パウロ六世の家系(カルボナーリ革命家の子孫)や、ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ神父時代の思想モンティーニが司教時代にピオ十二世教皇を騙してきた背信(たとえば、ピオ十二世が秘密裏にソ連に送ったカトリック司祭の名簿をモスクワの共産党の手に事前に渡していたために、彼らはソ連に到着するやいなや逮捕・投獄された)など、ピオ十二世がどれ程モンティーニについて激怒していたか、モンティーニがファチマの聖母を全く信じていなかったこと、残念ながらパウロ六世の犯していた自然に反する罪など、私がここで書くことははばかれることなど、ルフェーブル大司教様はあまりにもよく知りすぎてしまっていたと考えられるからです。

 モンティーニその人の素顔・経歴・思想を教皇になる前のものから分析して知れば知るほど、正に、第二バチカン公会議後の改革がモンティーニの考えそのものであるということが理解できるからです。モンティーニは、司祭時代も、司教時代も、枢機卿時代も酷いリベラルでした。教皇になってから奇跡が起こって、突然保守になったのではありませんでした。 おそらく聖霊の働きによって、本当のリベラルなモンティーニ教皇がその行動を制限させられた、その意味で本来のリベラルと見かけ上の保守の二重性を有するようになっていたのかも知れません。(ルフェーブル大司教様は、パウロ六世について穏やかな表現のみをされていたのですが。)

 第二バチカン公会議を「列聖」したいと望む人々は、実は第二バチカン公会議を開催した教皇様を列聖したいと望んでいます。ヨハネ二十三世やパウロ六世を列聖することによって、第二バチカン公会議の権威を高めようと望んでいます。しかし、モンティーニその人そのものにはあまりにもスキャンダルがあり、それが出来ないのです。そのような教皇様がでたということは残念です。しかし、それが本当なので仕方がありません。イエズス・キリストの聖性にもかかわらずイスカリオトのユダも使徒にいたのと同じです。私たちはそれに躓いてはなりません。

 真理を知りたいという人のためには、フランス語やイタリア語では、いろいろな資料があります。最近ではイタリア人司祭の書いたパウロ六世についての本もあります。Don Luigi Villa ですが、この神父様はカトリック教会の信憑性を守るために列聖調査でなされるいわゆる「悪魔の弁護人」をしているのです。かれは聖ピオ十世会の司祭ではありません。パウロ六世の発言を研究して(驚いて)いた教区のカトリック司祭です。

Sac. Luigi Villa, Paolo VI beato?, Editrice Civiltà, Brescia

Paul VI, ... Beatified?

PAUL VI, bienheureux? d’après don Luigi Villa, docteur en théologie

 或いは、フランス語では1973年に書かれたド・ナント神父の「パウロ六世の告発の書」(このリンクはその英語訳)が有名です。

 その他、幾つか英語でも別のモンティーニに関する本が出版されています。これらは、聖ピオ十世会とは直接に関係のない人々の発表した研究資料です。


【2】では、声紋鑑定と写真とは、いったい何なのでしょうか?
 ある一部の人によると、次の写真の左が本物、右が偽物だそうです。

パウロ六世

 昔、まだ学生の頃、そのような写真を見せられて、ふぅーん、そんなものかなぁ、と思ったこともありました。

 ある人によるとこれらは「本物」だそうです。
パウロ六世

パウロ六世

パウロ六世


ある人によると、これが「偽物」だそうです。
パウロ六世

パウロ六世


 しかし、今、約25年の後に、改めてていろいろ詳しく見ると、私にはどちらも同一人物の写真に見えてなりません。写真の取り方、角度の違い、年齢の違い、痩せているふっくらしている、倍率の違い、光の当たり方の違いがあるのですが、どう見ても同一人物です。

 ヨゼフ・ジェンマさんのホームページの教皇パウロ六世 「替え玉」 説 (1)の最初の二組の写真は(はぼやけて良く細部が分からないのですが)、左が別の人の写真を使っているように思われます。

 今回、写真を見直した結論は、「善玉のパウロ六世がどこかに幽閉されて、偽物のパウロ六世が、善玉の意図に反して、やりたい放題に教会を変える」という意味での替え玉は存在していなかったということです。


【3】しかしながら、声紋鑑定と写真とは、どうしても違うように見える、という方々のために、0.1%の可能性として次の可能性も否定せずにおきます。

 そのためには、北朝鮮の金正日の話をさせて下さい。韓国語のマスメディアを読んでいると、時々、金正日の替え玉(影武者)が存在していることがほぼ確実だと思われます。何故なら、金正日が共産党本部でひと言もしゃべらずに会議に出席していたその日に、同じ金正日が別のところで遊んでいたのが目撃されたり、替え玉が金正日の行動習慣を学習するために一緒にいたのが、写真に撮られていたり、ということがあるので、その存在がばれてしまっているのです。何故替え玉が必要かというと、金正日が退屈な仕事をせずに遊びに行くというのもそうですが、クーデター・暗殺などという危険から免れるために、攪乱させるためです。もちろん、替え玉を密かに維持するためには、莫大なコストがかかります。しかし北朝鮮では、政権維持のためにそのコストも支払っても金正日の替え玉を用意しています。

 そこで、もしも、太字で万が一、Big IF、パウロ六世の同意があるなら、金正日と同じように、何らかの理由でそこまでのコストを払ってまでも、パウロ六世が自分の替え玉がいることを望んだのなら(退屈な仕事をせずに遊びに行くため???)、もしもそれがあったのなら(パウロ六世のことを知るにつけて何でもありのように思えてきてしまうのですが)、替え玉も存在の可能性があったのかも知れません。

 しかし、パウロ六世に私たちがすこしでも善意を見出そうとするかぎり、替え玉までは作らなかっただろうと信じます。だからあくまでも0.1%だけしか可能性はないと思います。


【4】最後に「スイスのエクソシズム」について言えば、ルフェーブル大司教様は、悪魔が最初から人殺しで嘘つきの父であると知っていました。(因みに、ベロニカ・ルーケンも魔術に関心を持っていました。)ですから、悪魔の言葉には、一切信頼を置いていませんでした。どれ程、悪魔の言葉に不信を抱いていたかは、このようなユーモアからも分かります。

 ある日、元、ベネディクト会の老司祭ルブルヒ神父様が、このスイスのエクソシズムの話を聞いて、ルフェーブル大司教様に、嬉しそうにこう伝えたそうです。

ルブルヒ神父様(嬉しそうに)「大司教様、悪魔が払魔式で、"ルフェーブル大司教は正しい" と自白したそうですよ。」

ルフェーブル大司教様(悪戯っぽく微笑みながら)「ほらね、やっぱり悪魔は嘘つきだ。」

 ルフェーブル大司教様は、カトリック教会の聖伝が正しく、勝利することを知っていました。しかし、それは悪魔が言ったからではなかったのです。カトリック教会が2000年間信じて実践していたことだからです。カトリックの聖伝が正しくないこと、勝利しないことがあり得ないからです。

 私たちが信頼し信ずるべきは、悪魔や教会未公認の「メッセージ」ではなく、誤ることも騙すこともない天主が公教会に垂れた変わることのない啓示された真理です。2000年のカトリック聖伝です。教導権の不可謬の教えです。ルフェーブル大司教様は、それを私たちに命がけで全てを犠牲にして伝えて下さったのです。


【5】もしも、もしも、太字で万が一、パウロ六世が偽物だったらどうなっちゃうの? 答えは、何も変わりません。何故なら、カトリック教会は、ローマの現実主義を取っているからです。

 例えばローマではこのようなことがありました。詳しい名前などは詳しく、今、言うことができないのですが、要点を言うと、ローマでは、奴隷は裁判官に選出されることが出来ない、という法令がありました。ところが、ある時奴隷が資格がなかったにもかかわらず裁判官に選ばれ、何十年も裁判を執行した事例がありました。その後、この裁判官が奴隷であるということがばれてしまったとき、ローマがやったことが「裁治権の補足」という原理でした。誤りによるものは、法によって既に裁治権が補われる、従って、全て法的に有効な行為である、ということです。

 本物であれ偽物であれ、今となっては「パウロ六世」がやったことは教皇パウロ六世のやったことです。ただし、彼は教皇の不可謬権を使って何か新しい教義を決定したことは一度もありませんでした。

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  • 小さきものよ,われに来たれ

  • 神との親しさ(6)

  • 祈りの偉大な力 者:聖アルフォンソ・デ・リゴリ 翻訳:渡辺美紀子 発行:レデンプトール会



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