アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
十月六日は、今年の十一月に列福される京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日(1619年10月6日)でした。今年列福される日本の殉教者たちを記念して、京都のキリシタンの史跡をご紹介します。
「京都のキリシタンの史跡:南蛮寺跡(中京区姥柳町)、本能寺跡(元本能寺南町)」のエントリーで、姥柳町(うばやなぎちょう)の南蛮寺の跡をご紹介しましたが、この教会は1576年8月15日(天正4年7月21日)の天主の童貞母の被昇天の大祝日であると同時に聖フランシスコ・ザベリオの来日の記念日に、「被昇天の聖母教会」として献堂式が行われました。
「織田信長の足跡を訪ねて」にも南蛮寺跡や本能寺跡の写真が幾つかあります。
三階建ての美しい教会でしたが、豊臣秀吉が打ち壊してしまいました。もうその姿を見ることは出来ませんが、狩野派の狩野元秀(狩野永徳の弟)が扇面に南蛮寺を描いており、その実物が今でも神戸市立博物館に残っています。
「被昇天の聖母」天主堂(南蛮寺)にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されていますので、妙心寺・春光院のイエズス会の鐘をもう一度ご紹介します。
【1281年6月23日から始まった蒙古軍の襲来により、上陸しようと黒々と埋められていた博多湾の15万人の蒙古軍勢を載せた艦隊は、聖母被昇天の大祝日の8月15日から2日間博多湾を襲った台風「神風」によって、全滅してしまったことがありました。
聖フランシスコ・ザベリオが鹿児島に到着したのは、1549年8月15日、聖母被昇天の大祝日でした。
最初の都の「南蛮寺」は、1576年の8月15日に完成・献堂式。】
京都の右京区の花園に妙心寺(臨済宗)という寺があります。この敷地は3万坪で、その中の一つのお寺が春光院と言います。
春光院の入り口(クチュール神父様が説明を読んでいる)
この春光院に、イエズス会の南蛮寺の鐘がある。
右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれている。
説明を受けた後でお茶とお菓子を戴く。
ふすまの取っ手には十字架の印がある。
ふすまの取っ手
和尚さんの奥さんがお茶とお菓子を出して下さる。
お茶菓子とお茶
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兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
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【推薦サイト:関連サイト:参考資料】
●十月六日は、京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日
●京都のキリシタンの史跡:六条河原の元和の殉教碑、廬山寺
●京都のキリシタンの史跡:二十六聖人発祥の地、フランシスコの家(キリスト教文化資料館)
●京都のキリシタンの史跡:曲直瀬道三(まなせどうざん)の墓がある十念寺
●京都のキリシタンの史跡:キリシタン大友宗麟の瑞峯院の閑眠庭(大徳寺)、金毛閣(大徳寺)、北野天満宮のキリシタン灯籠
●京都のキリシタンの史跡:慶長天主堂跡地 (上京教会跡地)
●京都のキリシタンの史跡:司教座聖堂カトリック河原町教会と都の聖母
●京都のキリシタンの史跡:南蛮寺跡(中京区姥柳町)、本能寺跡(元本能寺南町)
●被昇天のしるしのもとで. 日本におけるカトリックの歴史
●聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第385号)
●聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第387号)
●SSPX ASIA Newsletter May-Sep 2007
●京のキリシタン史跡を巡る―もう一つの京都 風は都からBy 杉野 榮 著/ 嶋崎賢児 写真
愛する兄弟姉妹の皆様、
十月六日は、今年の十一月に列福される京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日(1619年10月6日)でした。今年列福される日本の殉教者たちを記念して、京都のキリシタンの史跡をご紹介します。
「京都のキリシタンの史跡:南蛮寺跡(中京区姥柳町)、本能寺跡(元本能寺南町)」のエントリーで、姥柳町(うばやなぎちょう)の南蛮寺の跡をご紹介しましたが、この教会は1576年8月15日(天正4年7月21日)の天主の童貞母の被昇天の大祝日であると同時に聖フランシスコ・ザベリオの来日の記念日に、「被昇天の聖母教会」として献堂式が行われました。
「織田信長の足跡を訪ねて」にも南蛮寺跡や本能寺跡の写真が幾つかあります。
三階建ての美しい教会でしたが、豊臣秀吉が打ち壊してしまいました。もうその姿を見ることは出来ませんが、狩野派の狩野元秀(狩野永徳の弟)が扇面に南蛮寺を描いており、その実物が今でも神戸市立博物館に残っています。
「被昇天の聖母」天主堂(南蛮寺)にあった鐘は、妙心寺の春光院(京都市右京区)に保存されていますので、妙心寺・春光院のイエズス会の鐘をもう一度ご紹介します。
【1281年6月23日から始まった蒙古軍の襲来により、上陸しようと黒々と埋められていた博多湾の15万人の蒙古軍勢を載せた艦隊は、聖母被昇天の大祝日の8月15日から2日間博多湾を襲った台風「神風」によって、全滅してしまったことがありました。
聖フランシスコ・ザベリオが鹿児島に到着したのは、1549年8月15日、聖母被昇天の大祝日でした。
最初の都の「南蛮寺」は、1576年の8月15日に完成・献堂式。】
京都の右京区の花園に妙心寺(臨済宗)という寺があります。この敷地は3万坪で、その中の一つのお寺が春光院と言います。
春光院の入り口(クチュール神父様が説明を読んでいる)
この春光院に、イエズス会の南蛮寺の鐘がある。
右京区・花園にある妙心寺の敷地内にある春光院には、「朝鮮伝来の鐘」という名目で(キリシタンのものであると分かっていたがそれを故意に隠すためと思われる)、京の最初の南蛮寺の鐘がここに伝えられている。表面に1577と、西暦がアラビア文字で書かれ、IHSと刻まれている。
説明を受けた後でお茶とお菓子を戴く。
ふすまの取っ手には十字架の印がある。
ふすまの取っ手
和尚さんの奥さんがお茶とお菓子を出して下さる。
お茶菓子とお茶
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【推薦サイト:関連サイト:参考資料】
●十月六日は、京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日
●京都のキリシタンの史跡:六条河原の元和の殉教碑、廬山寺
●京都のキリシタンの史跡:二十六聖人発祥の地、フランシスコの家(キリスト教文化資料館)
●京都のキリシタンの史跡:曲直瀬道三(まなせどうざん)の墓がある十念寺
●京都のキリシタンの史跡:キリシタン大友宗麟の瑞峯院の閑眠庭(大徳寺)、金毛閣(大徳寺)、北野天満宮のキリシタン灯籠
●京都のキリシタンの史跡:慶長天主堂跡地 (上京教会跡地)
●京都のキリシタンの史跡:司教座聖堂カトリック河原町教会と都の聖母
●京都のキリシタンの史跡:南蛮寺跡(中京区姥柳町)、本能寺跡(元本能寺南町)
●被昇天のしるしのもとで. 日本におけるカトリックの歴史
●聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第385号)
●聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第387号)
●SSPX ASIA Newsletter May-Sep 2007
●京のキリシタン史跡を巡る―もう一つの京都 風は都からBy 杉野 榮 著/ 嶋崎賢児 写真