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フェレー司教様:カストゥリヨン・オヨス枢機卿の最後通牒について(その7)

2008年10月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
Sermon de Mgr Bernard Fellay, lors de la procession du vœu de Louis XIII, à Saint-Malo, le 15 août 2008.

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 まだ翻訳が終わりまでいっていなかったのですが、2008年8月15日、サン・マロ(フランス)におけるフランス王ルイ13世の宣誓の聖母行列における、フェレー司教様の説教 の抜粋の続きをご紹介します。(もしも天主様がその時間を与えて下されば、前半部分の翻訳もしたいと思っております。)

 フランス語の原文は次をご覧下さい。(From DICI: Sermon de Mgr Bernard Fellay, lors de la procession du vœu de Louis XIII, à Saint-Malo, le 15 août 2008.)

 天主様のおかげで今日も記事を投稿することが出来ます。天主に感謝!
 愛する兄弟姉妹の皆様、いつも拙ブログをご愛読して下さり感謝しております。

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「実りは良い、従って、聖霊が働いている!」

 ですから、それに必要な時間、私たちは続けなければなりません。この初夏の出来事は、私たちの敵がそれを望んでいるように、離教であるという宣言という終結に本当に向かってしまうのでしょうか? 私はそうなるとは思いません。しかし私には何も分かりません。

 ところでたとえそうなってしまったとしても、一体何が変わるというのでしょうか? いずれにせよ、世界中の司教たちは、私たちがあたかも離教徒であるかのように、この地上に存在しうる最悪の存在であるかのように私たちを取り扱っています。

 司教たちは自分の教区の教会の中に誰でも区別なく受け入れています。司教たちは誰とでも構わず(エキュメニカルな)祈りの儀式を執り行っています。しかし私たちに対しては、あたかもペストであるかのように取り扱います。これをしっかりと見つめなければなりません。

 司教たちはローマで「私たちは離教徒ではない」と言い、同時に私たちを全人類の災害であるかのように取り扱っています。これは必要な時間、このまま続くでしょう。

 私の愛する兄弟姉妹の皆様、私たちは毎日、聖寵の慰めを受けています。私たちは、霊魂の内部において、私たちの子供達の霊魂において、天主様の働きを見ています。私たちは、これが聖寵の実りであることを見ています。ローマもこれを認めています。この同じカストゥリヨン・オヨス枢機卿様は、聖ピオ十世会について私にこう語ってくれました。「実りは良い、従って、聖霊が働いている!」

 それなら、枢機卿はその結論を出さなければなりません。私たちは彼らに代わって結論を出してあげることは出来ません。私たちはこの賛美を私たちのために自分が敢えて分別するつもりはありません。確かに私たちも実りが良いと言うことは目にすることは出来てはいますが。


 私たちは、ですから、聖母マリアに寄り頼みます。今日の典礼のアンティフォーナの一つにおいて私たちは聖母マリアを全ての異端を踏み砕く方として挨拶しました。典礼ではこうあります。「御身は幸せな方、御身は全ての異端を踏み砕き給うた」と。

 聖母マリアにおいては、一面では極めて甘美であられると同時に、恐るべき側面をもお持ちです。それは聖母マリアの愛徳から由来する性質です。もしも人が天主様をお愛し申し上げるなら、もしも人が善を愛するのなら、その愛の程度に従って天主に反するものを憎まなければなりません。人は罪を憎まなければなりません。私たちはここに私たち自身のための、私たちの霊的状態の一種の体温計のようなものを持っています。私たちは一体どの程度まで罪を憎んでいるのでしょうか?まず、私たち自身の罪から始まって。何故なら私たちが天主様をお愛しすればするほど罪を憎むことになるからです。正比例するからです。

 聖母マリアにこの比率を高めて下さるようにお願いしましょう。この愛と天主様、天主様の統治、霊魂の救いに反対する全てのことに対する嫌悪の比率を。天主の童貞母にこの特別の保護を願い求めましょう。天主の御母聖マリアに対する特別の信心によってこの保護を勝ち取りましょう。

 聖母の汚れ無き御心との親しさにおいてますます成長するように努力しましょう。願わくは、天主の童貞母が、本当に毎日、ただ単に口先でのアヴェ・マリアの祈りの時やマリア様の御像の前を通り過ぎるときだけではなく、常に私たちの母たり給いますように。

 願わくは、聖母マリア様が私たちの本当の母でありますように! ルイ十三世の願いに従って私たちが更新しようとするこの奉献は、私たちの生活においてその意味を持たなければなりません。願わくはこの奉献の祈りが単なる口先だけの音ではありませんように!

 願わくはこの聖母マリア様に対する捧げが、現実のものとなりますように、本当の奉献、本当の贈り物となりますように。願わくは私たちが聖母マリアの子供として生きるように。そのときこそ、私たちは私たちの救いを確実なものとすることが出来るでしょう。そしてこの奉献を真に生きるということ自体により、時と空間を経て、未来の幾世代に教会の信仰の聖伝の持続を確実なものとさせることが出来るでしょう。アメン!

翻訳:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.
【これでフェレー司教様の御説教は終わりです。御判読ありがとうございます。コンピューター・スクリーンの見過ぎに気を付けて下さいね。目をお大切に。天主様の祝福が豊かにありますように!】


« Les fruits sont bons, donc il y a le Saint Esprit ! »
Il faut donc continuer, le temps qu’il faudra ! Est-ce que cette affaire du début de l’été va vraiment finir en déclaration de schisme, comme certains de nos ennemis le voudraient ? J’en doute, mais je n’en sais rien. Et puis qu’est-ce que cela changerait ? De toute façon, les évêques nous traitent en schismatiques, comme les pires êtres qui puissent exister sur terre. Dans leurs églises ils reçoivent tout le monde, ils font des cérémonies de prières avec tout le monde, mais avec nous c’est comme si nous étions la peste. Il faut voir cela ! En même temps qu’ils disent à Rome que nous ne sommes pas schismatiques, on nous traite comme les fléaux de l’humanité. Cela durera le temps que cela durera, mes bien chers frères. Nous avons chaque jour la consolation de la grâce, nous voyons bien le Bon Dieu à l’œuvre dans nos âmes, dans les âmes de nos enfants. Nous voyons bien que ce sont des fruits de la grâce, et Rome aussi le reconnaît. Ce même cardinal Castrillon parlant de la Fraternité me disait : « Les fruits sont bons, donc il y a le Saint Esprit ». Eh bien ! qu’il en tire les conséquences. Nous ne pouvons pas les tirer pour eux. Nous n’oserions pas nous-mêmes nous décerner ces louanges, bien que nous puissions constater aussi que les fruits sont bons.

Nous recourrons donc à la Très Sainte Vierge. Aujourd’hui dans l’une des antiennes, on la salue comme celle qui écrase toutes les hérésies. On la célèbre : « Bienheureuse êtes-vous, vous qui avez écrasé toutes les hérésies ». Il y a chez Marie, si douce d’un côté, un aspect terrible. Et cela vient de son amour. Si on aime Dieu, si on aime le bien, en même proportion on doit haïr ce qui est contre Dieu. On doit haïr le péché. Nous avons là une sorte de thermomètre pour nous même, de notre état spirituel : jusqu’à quel point haïssons-nous le péché, à commencer par nos propres péchés ? Parce que c’est dans la même proportion que nous aimons le Bon Dieu. Demandons à la Sainte Vierge d’augmenter cette proportion, cette proportion d’amour et d’aversion contre tout ce qui s’oppose à Dieu, à son règne, au salut des âmes. Demandons à Notre Dame cette protection particulière, gagnons-la cette protection par une dévotion spéciale. Essayons de grandir dans l’intimité avec le Cœur Immaculé de Marie. Que Notre Dame soit vraiment notre mère tous les jours, pas seulement le temps d’un Ave ou lors d’un passage devant sa statue. Qu’elle soit vraiment notre mère ! Cette consécration que nous allons renouveler selon le vœu de Louis XIII, doit avoir des conséquences dans notre vie. Que ce ne soient pas de simples mots. Que ce don à la Sainte Vierge soit réel, qu’il soit un don vrai. Que nous vivions ensuite vraiment comme ses enfants. Alors oui, nous assurerons notre salut et par là même la continuation de la Tradition de la foi de l’Eglise, à travers l’espace et le temps, pour les générations futures. Ainsi soit-il !

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