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1864年12月8日(「クァンタ・クーラ」) vs 1965年12月7日(第二バチカン公会議)

2009年05月16日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 1862年、モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)が、「革命」(La Révolution)という小冊子を出版したとき、教皇様はピオ九世でした。

 その二年後、ピオ九世は有名な「シラブス」「クァンタ・クーラ」を発表します。このシラブスの中で、ピオ九世は啓示(Revelation)と革命(Revolution)とが相互に排除しあうものであること、絶対的な対立があり、妥協も調和もあり得ないことを宣言します。

 シラブスの最後の排斥命題は、次の通りです。

LXXX. Romanus Pontifex potest ac debet cum progressu, cum liberalisnio et cum recenti civilitate sese reconciliare et componere.

80 教皇は進歩、自由主義、現代文明と和解し、妥協する事ができるし、またそうしなければならない。

 モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)が生きていた当時、リベラリズムに対抗して闘っていたその指導者はローマ教皇でした。何故なら「最高の反革命家、それは天においては私たちの主イエズス・キリスト、地においてはその代理者なる教皇である」(モンシニョール・ド・セギュール)からです。

 モンシニョール・ド・セギュールは、フリーメーソンのアルタ・ヴェンディータの計画をよく知っていました。アルタ・ヴェンディータ(Alta Vendita)とは、フリー・メーソンと繋がっていたイタリアの秘密結社カルボナリ党の最高ロッジでした。

 その計画によれば「もしも性急に事を運ばないならば、私たちはあなたたちに奇跡的な漁を約束しよう・・・あなたたちは教皇三重冠をつけ教皇カッパを来た革命を説教することになるだろう。Vous aurez prêché une révolution en tiare et en chape, marchant avec la croix et la bannière 」 (Le complot de la Haute Vente des Carbonari)

 つまり「教皇による革命のイデオロギーの大勝利 "triomphe de l’idée révolutionnaire par un pape" 」(ヌビウスのヴォルペへの手紙)の実現が計画されていたのです。

 フリーメーソンの長期計画によれば、教皇の後についてカトリック教会が革命に対する戦いを放棄するようにさせることでした。そうすれば現実は革命の旗の下に行進しているにもかかわらず、信徒たちは「使徒的頭の御旗のともに常に歩いていると信じ込んで」(1820年の最高ヴェンディータの恒久秘密指導)、革命を推し進めることができるからでした。
"le Clergé marche sous votre étendard en croyant toujours marcher sous la bannière des Clefs apostoliques" (Le complot de la Haute Vente des Carbonari)

 別にそのような教皇がフリーメーソンの会員である必要はありません。フリーメーソンの考え出した革命思想に同調しシンパシーを抱いていればそれでよいのです。革命をカトリック教会と調和させ、和解させ、妥協させようとすれさえすればそれで革命の勝利なのです。

 そして、ピオ九世の「シラブス」と「クァンタ・クーラ」の100年後の、1965年12月7日、第二バチカン公会議で「信教の自由の宣言」(Dignitatis Humanae)と「現代世界憲章」(Gaudium et Spes)が教皇パウロ六世によって宣言されました。

 その「信教の自由の宣言」(Dignitatis Humanae)と「現代世界憲章」(Gaudium et Spes)の内容はまさに、カトリック教会とローマ教皇は、進歩、自由主義、現代文明と和解し、妥協する事ができるし、またそうしなければならない、と言わしめるものでした。

 「1960年代の問題は、二世紀の間のリベラルな文化から引きだされた価値のより良いものを得ることであった。事実、教会の外に生まれたにもかかわらず、その世界観において浄化され訂正されて(教会内に)その場所を見つけることが出来る諸価値がある。これが(公会議において)なされた。」
(ラッツィンガー枢機卿【現ベネディクト十六世教皇】「信仰について」)

 「この文書 (=現代世界憲章) の全体的評価を求めるなら、信教の自由に関する文章と世界における諸宗教に関する文章との関連において、この文書はピオ9世の『シラブス』の修正であり、ある意味で『反シラブス』であると言うことが出来るだろう。・・・この文書は、教会が、フランス革命以降このようになった世界と公式に和解しようと試みている意味において、シラブスの反対の役を果たしている。」
【Cardinal Ratzinger, Principes de Théologie catholique, Téqui 1985, p. 426-427.】

「第二バチカン公会議は、『信教の自由に関する宣言』によって近代国家の本質的原則(=政教分離の原則)を認め、受け入れました。こうして公会議は、教会の最古の遺産をあらためて発見したのです。」
教皇ベネディクト十六世の教皇庁に対する降誕祭のあいさつ(2005年12月22日)


「いうまでもなく、人権は信教の自由を含みます。信教の自由とは、個人的であると同時に共同体的でもある次元の表現を意味します。・・・それゆえ、宗教者(= 原文では「宗教を信じている人々」「信者」という意味)が、市民として積極的に活動するために、自分自身の一部である信仰を抑制しなければならないというのは、考えられないことです。自らの権利を享受するために神を否定しなければならないということは、決してありません。・・・信教の自由の完全な保障は、礼拝の自由な実践に限られてはなりません。宗教の公共的次元、すなわち、宗教者が社会秩序を築くために役割を果たしうることを考慮すべきです。・・・
 国連は特別な場であり続けます。この特別な場の中で、教会は「人間性に関する」自らの経験を分かち合おうと努めます。この経験は、人種と文化を異にするあらゆる民族の中で、何世紀にもわたって成長してきたものです。そして教会は、国際社会のすべての成員に使ってもらうためにこの経験を提供します。すべての宗教者が自由を獲得することを目指した、教会のこの経験と活動は、個人の諸権利がますます保護されることをも求めます。個人の諸権利は、人格の超越的な性格に基づき、またそれによって形づくられます。この人格の超越的な性格によって、人間は信仰の道を歩み、世にあって神を探し求めることができるのです。もしわたしたちが、よりよい世界に向けた人類の望みを支え、平和と、発展と、協力と、将来の世代に権利を保障するための条件を造り出したいのであれば、このような次元の認識を強めなければなりません。」
教皇ベネディクト十六世の国連総会での演説(2008年4月18日)

「十九世紀の進歩主義者たち(たとえばフェリシテ・ド・ラムネーなど)は、別のそしてしばしば教会に対して敵意的な世界に生まれた概念、それがそう意味したように、敵意的な精神でまだ一杯の概念を頻繁に取り上げ、そしてそれらに「洗礼を授ける」と考えてつつ、キリスト教に導入しようと試みた。・・・カトリック教会と実証的近代世界(そしてこれはその全てが1864年のシラブスによってまったく排斥された)との和解は、教会の中に、現代世界の概念をそれらの概念がそう意味したまま導入することによってなされることは出来なかった。この教会と現代世界との和解のためには、必要に従って現代世界の有効な貢献を抽出し浄化したあとそれを同化することにより、カトリシスムの常なる原理が新しい発展をすることによって深みのある仕事が要求された。」
(コンガール神父【後に枢機卿となる】 Yves Congar: "Vraie et fausse reforme dans l'Eglise", Cerf, Paris, 1950, pp. 345-346.)

 「第2バチカン公会議によって肯定された信教の自由は1864年のシラブスと内容的に別のことを言っている、しかもその文献の第16・17・19命題とほぼ反対のことを言っているということを、人は否定できない。」
【Yves Congar, La crise de l’Eglise et Mgr Lefebvre, le Cerf, 1977 p. 54.】

 「公会議は現代人が重視する諸価値を尊敬するだけでなく、これを認めたのであります。… 単に手段として人間を愛するのではなく、人間性を超越した究極目的として人間を愛するのであります。…」
(パウロ六世、第2バチカン公会議を終了しようとするその日、第9公開会議における演説(1965年12月7日)の中で)


 愛する兄弟姉妹の皆様、私たちはどうすべきでしょうか?

 私たちは、1864年12月8日1965年12月7日と、どちらの教皇の言っていることを取るべきでしょうか?

 私たちはピオ九世の『シラブス』『反シラブス』である第二バチカン公会議の文章を取るべきでしょうか?

 私たちは、私たちの主イエズス・キリストを王とする啓示 Revelationと、人間を神とする革命 Revolutionとどちらを取るべきでしょうか?

 天主の無き自由主義と天主を排除する現代文明と、教皇は和解し妥協する事ができないし、またそうしてはならないのでしょうか、それとも、天主の無き自由主義と天主を排除する現代文明と教皇は、和解し妥協する事ができるし、またそうしなければならないのでしょうか、

 私たちは、教皇様の錦の御旗の元で革命を信じ、教え、広めなければならないのでしょうか?

 私たちは、フリーメーソンの長期計画にまんまとのって、見せかけだけでも教皇様の後について現実は革命の旗の下に行進しているにもかかわらず「使徒的頭の御旗のともに常に歩いていると信じ込んで」、そう自分に言い聞かせて自らを欺いて、教会の内部に革命を推し進め、典礼を改革させ、教義を変え、そして世界にもその革命精神を押し広げていくべきでしょうか? そして、見せかけだけでも教皇様とともに、超自然の信仰の命が「あたかも燃料となるものもなく消え尽きてしまおうとしている炎のように」(教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 2009年3月10日))消え尽きてしまっているのを見て、嘆き驚くべきなのでしょうか?

 それとも、私たちは、革命の旗の下に行進することを拒否し、あたかも見かけの上では「使徒的頭の御旗のともに常に歩いている」ようには見えなくとも、カトリック教会の昔からの信仰をそのまま守るべきでしょうか?

 私たちは、こう信じています。教皇様は、個人的にはいろいろな考えがあったとしても、使徒座の最高司祭として、教皇として、キリストの代理者者として、革命に反対し、反対しなければならないお立場にいることを。

 私たちの主イエズス・キリストの啓示(Revelation)と革命(Revolution)とが相互に排除しあうものであること、絶対的な対立があり、妥協も調和もあり得ないことを。

 「最高の反革命家、それは天においては私たちの主イエズス・キリスト、地においてはその代理者なる教皇である」(モンシニョール・ド・セギュール)ことを。

 天主の無き自由主義と天主を排除する現代文明と、教皇は和解し妥協する事ができないし、またそうしてはならないことを。

 何故なら、「世界史は、二つの軍を率いる頭の巨大な戦いである。一方は、キリストとその聖なるカトリック教会、他方ではサタンと、サタンが邪悪の道に引きずり込み反乱という呪いの旗の下に集ったすべての人々である。全歴史に渡るこの戦いは恐るべきものである。私たちはもっとも危険な戦いのフェーズ(段階)のただ中に生きている。・・・

 この天主に反対する戦いにおいて、もしもあなたが革命に反対して天主の側にたたないなら、・・・革命の冒涜的野心を増加させ、その野蛮な希望を高揚させるだけである。あなたの弱さを強みとし、あなたを共犯者として、まだ十分ではない、あなたを自分の奴隷としてあなたを使い、革命はあなたをそのいとわしい事業の最終段階まで招集するだろう。あなたから世を驚かせるような妥協を引き出した後、革命はあなたの良心を仮借でさいなますことをなおも要求するだろう。・・・

 両者は近づきあうこともできない。いかなる同盟も結ぶこともできない。このことをよく覚えよ。革命がしなかったことは、革命はそれを憎む。革命が憎むことをすべて革命はそれを破壊する」(モンシニョール・ド・セギュール)からです。


主よ、我らを憐れみ給え!
天主の聖母、終生童貞なる聖マリア、我らのために祈り給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!


天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【参考文献】
L'ÉGLISE ROMAINE EN FACE DE LA REVOLUTION TOME PREMIERPAR J. CRÉTINEAU-JOLY

L'ÉGLISE ROMAINE EN FACE DE LA REVOLUTION TOME SECONDPAR J. CRÉTINEAU-JOLY

La Révolution expliquée aux jeunes gensPar Mgr Louis-Gaston de Ségur
あるいは、
La Révolution expliquée aux jeunes gensPar Mgr Louis-Gaston de Ségur

Freemasonry and the Subversion of the Catholic Church by John Vennari


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