【参考資料】教会は、ローマ典礼のうちに含まれているこの伝統の世襲的豊かさと財宝から身を引いたり、忘れたりあるいは断念したりすることを自らに許すことはできない。それはまさに教会それ自体に対する裏切りであり、否定であろう。(カニャサーレス・ジョベラ枢機卿)
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
三上教授は、典礼聖省の新しい長官であるカニャサーレス・ジョベラ枢機卿(Cardinal Canizares-Llovera)の言葉を紹介しています。
けれど(Credo)でも同じ記事がありますので、ご紹介します。
第二バチカン公会議の名前において不正にも40年以上にもわたって全世界のカトリックらに押しつけられてきた、聖伝のミサに対するウソの禁止。第2バチカン公会議の「刷新」と言う名前のもとの典礼の崩壊(ラッツィンガー枢機卿)の40年。その結果としての教会の危機。
カニャサーレス・ジョベラ枢機卿は、典礼の崩壊の現在の状態が実際に世界における神の救いの恩寵の働きに対して一つの障害であるということ、そしてその理由のために世界が危険にさらされているということを暗黙のうちに示唆しておられます。
カニャサーレス・ジョベラ枢機卿によれば、世界を救うのことができるもの、カトリック教会の未来がかかっているもの、カトリック教会の未来を切り開くことが出来る唯一のものは、聖伝のミサであると言います。
カニャサーレス枢機卿(Cardinal Canizares)「この聖省を指導して一年後、毎日私は、あらゆる大陸において、一つの強いそして厳しい典礼的な欲求を教会において促進する必要性をより大きな力をもって経験し感じている...そこに、疑いもなく、われわれの未来そして世界それ自体の未来がかかっている。私がこのことを言うのは、教会の未来そしてすべての人類の未来が神のうちに、神の生命のうちに、そして神から来るもののうちに置かれているからである。そしてこのことは典礼においてそして典礼を通じて起こる。教会だけが、典礼の真理を生きているとき、世界を刷新し、変形しそして再創造することができるであろう。神、そしてただ神と神の恩寵だけがそうできる。典礼は...神の現前であり、神の救いのそして再生的な働きである...それはわれわれを救うことができる唯一のものである。」
カニャサーレス枢機卿(Cardinal Canizares)「ある人にとってはこれ[Summorum Pontificum]は不快なことであるけれども、これまでに到達してきたそして到達し続けてきた諸々の反応から判断するならば、モートゥ・プロプリオは後退の一歩ではないし、また過去への復帰でもない、と言うことは正しいことであり、また必要なことである。それは、典礼のうちにその最も真正で深い表現を持っている一つの偉大な伝統の諸々の富と遺産とを単純さをもって、そのすべての十全さにおいて認めそして受け入れることである。教会は、ローマ典礼のうちに含まれているこの伝統の世襲的豊かさと財宝から身を引いたり、忘れたりあるいは断念したりすることを自らに許すことはできない。それはまさに教会それ自体に対する裏切りであり、否定であろう。」
Sebbene ad alcuni questo dispiaccia, a giudicare dalle reazioni arrivate e che continuano ad arrivare, è giusto e necessario dire che il Motu Proprio non è un passo indietro, né un ritorno al passato. E’ riconoscere e accogliere, con semplicità, in tutta la sua ampiezza i tesori e l’eredità della grande Tradizione, che ha nella liturgia la sua espressione più genuina e profonda. La chiesa non può permettersi di prescindere, dimenticare o rinunciare ai tesori e alla ricca eredità di questa tradizione, contenuta nel Rito romano. Sarebbe un tradimento e una negazione verso se stessa.
■イタリア語原文はここをご覧下さい。
■英語の訳はここをご覧下さい。
■別の英語の訳はここもご覧下さい。
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次】
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カニャサーレス・ジョベラ枢機卿によれば、世界を救うのことができるもの、カトリック教会の未来がかかっているもの、カトリック教会の未来を切り開くことが出来る唯一のものは、聖伝のミサであると言います。
カニャサーレス枢機卿(Cardinal Canizares)「この聖省を指導して一年後、毎日私は、あらゆる大陸において、一つの強いそして厳しい典礼的な欲求を教会において促進する必要性をより大きな力をもって経験し感じている...そこに、疑いもなく、われわれの未来そして世界それ自体の未来がかかっている。私がこのことを言うのは、教会の未来そしてすべての人類の未来が神のうちに、神の生命のうちに、そして神から来るもののうちに置かれているからである。そしてこのことは典礼においてそして典礼を通じて起こる。教会だけが、典礼の真理を生きているとき、世界を刷新し、変形しそして再創造することができるであろう。神、そしてただ神と神の恩寵だけがそうできる。典礼は...神の現前であり、神の救いのそして再生的な働きである...それはわれわれを救うことができる唯一のものである。」
カニャサーレス枢機卿(Cardinal Canizares)「ある人にとってはこれ[Summorum Pontificum]は不快なことであるけれども、これまでに到達してきたそして到達し続けてきた諸々の反応から判断するならば、モートゥ・プロプリオは後退の一歩ではないし、また過去への復帰でもない、と言うことは正しいことであり、また必要なことである。それは、典礼のうちにその最も真正で深い表現を持っている一つの偉大な伝統の諸々の富と遺産とを単純さをもって、そのすべての十全さにおいて認めそして受け入れることである。教会は、ローマ典礼のうちに含まれているこの伝統の世襲的豊かさと財宝から身を引いたり、忘れたりあるいは断念したりすることを自らに許すことはできない。それはまさに教会それ自体に対する裏切りであり、否定であろう。」
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■英語の訳はここをご覧下さい。
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