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健康と人体と生命についてあれこれ(2)皮膚幹細胞とガンス博士

2011年09月01日 | 私たちが今ここで生きている宇宙
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会のマニラの教会の隣の土地の昔の所有者フィリピンの方ですが、癌で闘病生活をしていました。(姉妹の方は、私も知っていましたがやはり癌でなくなっています。)しかし、彼女はドイツのガンス博士(Dr Christoph Ganss)によって、幹細胞の移植で健康になったとのこと笑顔で最近お会いしました。
 皮膚の細胞を培養してそれを体に入れるのだそうですが、細胞が若返るのだそうです。細胞は自分が行くべき必要とされているところに自分で行くので切ったり縫い付けたりする必要がないそうです。

 ドイツのハイデルベルクのこのやり方の良いところは、自分の皮膚を使うので取り出すにも簡単で量も多く倫理的にも問題がないところです。しかし皮膚の幹細胞が、必要に応じて220もの様々な細胞になるのだそうです。(調べたところ、この技術は、京大の講師の高橋和利博士や京大教授の山中伸弥博士がこの分野の先駆者だそうです。)

 ガンス博士は、皮膚から採った世界で最初の幹細胞の銀行を作ったそうです。それが、TICEBA (Tissue & Cell Banking)です。ガンス博士によると、出来るだけ若いうちに皮膚の細胞を採っておくと病気の時に役に立つのだそうです。

 フィリピンの彼女は、心臓の細胞がほとんど若返って、治療が最も成功した1人なのだそうです。彼女によると、細胞の機能を知れば知るほど、人間の体の神秘は私たちに天主が真にましまし給うとこと教えている、とのことです。フィリピンには10月からこのやり方による治療法がマカティ・メディカル・センターという病院で開始されるそうです。

 人間の知識が深まれば深まるほど、人知を遙かに超える生命の複雑さに、その創造主に思いをはせざるを得ません。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


健康と人体と生命についてあれこれ(1)

2011年09月01日 | 私たちが今ここで生きている宇宙
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか?
 主日には、東京では35名(以上)の愛する兄弟姉妹の皆様が聖伝のミサに与るお恵みを得ました。月曜日には7名の方々が聖伝のミサに与りました。

 何か私ごとで失礼します。今年の5月には入院したりしましたら、いろいろな人々が心配をして下さいました。自分自身も、入院したり、老眼になりつつあることが自覚されたり、健康に留意しなければならないことを思い知らされています。

 ところで、最近、ギリシャ語・ラテン語の語源に興味があり「骨単 --語源から覚える単語集シリーズ--」という本を見ましたが、人間の体は本当に精巧に出来ており、知れば知るほどヒトという生物のデザインはものすごいと思います。

 ところで、6月30日、クリスチャンアカデミー(東京都東久留米市)にて開催された第66回コーヒーアワーにて、心臓外科医の今中和人(いまなか・かずひと)博士が「心臓外科医が語る驚異の人体」と題して講演を行ったそうです。

 今中氏は講演において、現在もなお日本の義務教育下で「進化論」が正しいかのように教えられていることに深い遺憾の意を表し、キリスト者である私たちは「進化論」が完全に誤った考え方であり、全知全能の天主が私たちのすべてを初めから創造されたお方であることを堂々と宣べ伝えていかなければならないと強調した、とのことです。

 今中氏は心臓外科医となり、心臓をはじめ人間の内部の多くの驚くべき仕組みに触れるなかで、人体は徐々に進化して形成されていったのではなく、初めからほぼ完全な機能を備えて創造されたと確信するに至ったことを講演で証ししました。

 特に心臓については「心臓が送りだす血液量は一分間で5リットル、1日に換算するとペットボトル1万5千本もの血液を送り出している。心臓には軽いのに凄まじいパワーの心筋、非常に薄いが高い強度と精緻な機構を持つ弁、収縮シグナルを電光石火に伝えるが一部で絶妙に遅れ、バックアップ機能まで備わった刺激伝導系がある。似ても似つかないこれらの組織は、もとは1つの細胞から形成され、全く別な臓器や組織とのネットワークを構築されて生まれてくる。しかも個々に極めて完成度が高い一方、個別に完成しても全く心臓は機能を果たせないので、段階的な進化ではなく、最初からすべて備わっていたと思われる。そんな可能性は、創造主がおられるという以外には考えられない。」

 他の器官についても、筋肉というものはよく考えられてついており、曲がるけど伸びない関節はないことなど、身体器官の驚くべき仕組みを説明した。そして、なぜ肺が酸素を取り込めるのか、脳が記憶できるのか、感情はどこから来るのか、皮膚が熱いとなぜわかるのか、なぜ免疫が外敵を撃退できるのか、なぜ腎臓は不要物のみを排せつできるのか、私たちはメカニズムを理解するとわかった気になるが、それらの機能を獲得した経緯を全く知らないことや、出来過ぎた機能を無数に持っていることに気付くべきだ、と述べています。

 人体の形成をもし進化論に即して考えるとすれば、「ブドウ糖は20もの化学反応の連鎖で代謝されるが、段階的に代謝酵素を獲得したのなら、獲得前の生物は生存できなかったであろう。20種類ものアミノ酸を代謝する能力を段階的に獲得してきたのなら、片っぱしから乳児期に死亡する時代や、全員重度知的障害者だった時代などが生じてしまい、あり得ない結論に至る」。同氏によると、観察すればするほど「人体の機能は最初から全部できなければならないことばかりで、段階的に進化してきたとは考えられない。

 人体の各器官の働きやネットワークを観察すればするほど、「どの一か所として自分のために存在している器官はなく、全体に貢献するために素晴らしい機能を果たしている。それは「互いに愛し合いなさい(ヨハネ15・12)、いっさいの物を共有にし・・(使徒行伝2・44)、互いの重荷を負い合いなさい(ガラテヤ6・2)、見よ。それは非常に良かった(創世記1・31)、あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、自分のからだをもって、神の栄光を表しなさい(Ⅰコリント6・19-20)」という聖書の御言葉が正に真実なものであることが痛感させられることを証しし、「パリサイ人は外に徴を求めたが、私たちの体内を見れば、自らの内に神が創造された創造物であるという徴を見出すことができます」、「私達を愛して下さる造り主は、私達の状況を気にかけておられ、私達の人生は意味も目的もある。(悲惨な出来事など)疑いたくなる現実は山のようにあるが、わたしたちの存在こそが聖書どおりの愛なる神の証明である」と述べました。

******

 ところで、地球上の生命は 20種類のアミノ酸の配列からできているのですが、「100個のアミノ酸からなる酵素を、完全にランダムな選択の過程によって作る」その確率について、地球の成り立ち(1) - 生命の確率というおもしろい記事がありました。

 生物のからだを作るのに使われるアミノ酸は20種類だそうで、その中で、特定の機能を持つ酵素を作るためのアミノ酸の配列はすべて決まっているのだそうです。酵素とは、生命を構成する上での、基本の基本で、おにぎりで言えばお米です。

 つまり、100のうち最初の1つのアミノ酸は20種類の中からひとつ選ばれます。「20分の1」の確率から正しく選ばれなければならないわけです。ふたつめも20分の1。みっつめも20分の1・・・と、100個まですべて20分の1の確率を最後まで正しく選んで構成していかなかいと、機能するための「生き物の素」というのはできないのだそうです。これは、パチンコで言うと、「大当たり確率20分の1のパチンコ100台を打って、全部1回転目に当たる」という感じです(お、なんかわかりやすいかも)。

その確率。10の130乗分の 1

 この「10の130乗分の1」の確率を乗り越えても、まだやっと「ほんの小さな酵素がひとつできただけ」なのです。

 そして、上の果てしない確率をくぐり抜けたとして、たとえば、小さな単細胞生物ひとつができるためにこれがどれだけ必要かというと、大体「2000個以上の酵素から生き物は構成されている」らしいのです。そして、自然発生説では、これらがすべて「偶然に起きた」としているわけです。

その確率。
最初に出た数字の「10の130乗分の1」からみると、

10の130乗分の1 × 2000

から見ると、すなわち、

10の260000乗分の1

ということになります。

 ここから生命には他に様々なものが必要だと思われます。つまり、自然発生と自然の生物の化学進化というのは、「大当たり確率20分の1のパチンコ100兆台を打つことを100兆回繰り返して、全部1回転目に当たる」というような(もうここまで来ると数字は適当)話で、ここで、ふと

・・・?

と思ってしまうのです。この「超天文学的数字の確率」というのは、いくら何でもおとぎ話にもならないレベルの話なのではないだろうかと・・・。世界の科学者や生物学者の人たちは本当にこの「地球では無機物から有機物が偶然生まれたということを心底信じているのだろうか?こここに何か疑問は感じられないのだろうか??と。

 「10の26000乗分の1」を何度も繰り返さなければならないような確率で生命が無機物から発生し、またそれを乗算するような確率で生物が進化してきたということは「ありえない」としか思えないのです。

 私たちもそろそろ上の夢から、すなわち無機物から生命が自然とできたというような夢から「人類全員で」覚めてもいいような気もします。無機物から生命が自然とできたという可能性は一切ないと思います。

 さらに上の「 10の26000乗分の1」を表示してみようかなとおもった次第です。ちなみに、これはあくまで非常に単純な構造の小さな生物が一個できる確率」だということを繰り返し書いておきます。また、当然ながら、「人為的に無機物から構成されるのではなく、ランダムにできる」ということです。下の「数字分の1」が無機物から単細胞生物のような生き物ができる確率です。

「数字分の1」が無機物から単細胞生物のような生き物ができる確率です


分の1。

私たちもそろそろ上の夢から、すなわち無機物から生命が自然とできたというような夢から「人類全員で」覚めてもいいような気もします。無機物から生命が自然とできたという可能性は一切ないと思います。


ローズ・フーさんの「楽在苦中」 第3章 宝物を見つける

2011年09月01日 | カトリック・ニュースなど
第3章 宝物を見つける

 チェスをする時、チェスの駒を移動するたびにそれはゲーム全体に影響を及ぼし、勝ったり負けたりします。私たちの人生もそのようなものです。天主様は常に私たち見守って下さいます。私たちの日常生活では、何も偶然から生ずることはありません。天主様の摂理は私たちを完全にします。ただ一つ必要なのは、私たち人間は天主様に協力しなければならないということです。

 中国の共産主義者が中国を支配しようとしていた時、私が学んだ学校は真実を知るための手段を提供しました。空はとても暗く、嵐が近づいているようでした。カトリック教会は非常に深刻な迫害に直面しなければなりませんでした。当時、海外から上海に来ている何人かの神父様がいました。ヨセフ沈士賢神父様、マタイ陳哲敏神父様、そしてエダン・マグラス神父様です。

 沈神父様は彼等の中では最年少で、僅か33歳でした。彼は自分の招命に従って、18歳で家を出ました。それから彼は、アイルランド、イギリス、そしてイタリアの神学校で学びました。遂に彼は神学、哲学、政治学と3つの博士号を取得しました。彼は深遠で幅広い知識だけでなく、優れた知性をも持っていました。若かったにもかかわらず、彼は世界中で有名でした。私が最も驚いたのは、彼がローマの世界的に有名な大学から教授として迎えようという誘いを辞退したということでした。彼は中国に戻ることを決断したのです。私が初めて彼を見たとき、私はまだカトリック教徒ではありませんでした。私は、彼のユーモアのセンスと感じの良い人柄を好みました。私たちはよく神父様に、私たちが関心の無かった公教要理についてはあまり話さないようにと頼んだものでした。私たちはハリウッド映画や旅行が好きだったのです。

 神父様は私たちを導くのに特別な方法を持っていました。私たちが映画が好きであるのを知っていたので、私たちの学校のために映画「ベルナデッタの歌」を借りて、それを二度見たいかどうか聞きました。そして、誰かに映画をもう一度見せるように頼みました。神父様は時々ケーキ屋で私たちに御馳走しました。私は常に、最も高価なケーキかアイスクリームを注文しました。私は故意にそうして、「何につけても、私は最高のものが好きです」と言いました。神父様は、「日常生活の中で最高の物を選択するのは良いことです。後にあなたが聖書を読んだら、確実にマグダラのマリアを模倣するでしょう。常に天主様を喜ばせるために、最善の方法を選択するように」と躊躇することなく答えました。何と沈神父様は賢明だったのでしょう。彼は天主様に私たちを導くために、あらゆる方法を用いました。私は自分の生涯で、彼の言葉を心に留めています。

 一度、私は物理学のテストで高得点を取れずにとても落ち込み、自分の点が何人かのクラスメートよりも低いのは恥ずかしいと考えました。沈神父様は、私が何らかのことでうれしくなかったことを察し、私と個人的な会話をしました。私は正直に、自分の目標は最高点を取ることで、そうでなければテストで零点を取ったのも同然だと彼に言いました。否定的な言葉を使わずに肯定的な方法で私を導いた神父様は、実に心理学者でした。彼は、「私たちの主は、熱くなく冷たくも無い人は好きではありません。あなたは非常に強い性格を持っています。自分自身を制御することができるのは、あなただけです。いつかあなたは、とりわけ迫害の間には、ひとかどの人物になれるでしょう。私たちは信仰に於いて強くなければなりません。幼きイエズスの聖テレジアは、生涯で多くのことを為さなかったかのように見えますが、彼女は毎日100%の愛で天主様を愛しました」。私はこれらの言葉の奥義があまりよく分かりませんでしたが、この心の柔和な神父様により確信を得ました。その時点で、私はカトリックになることを希望したのです。

 1948年のある日の午後、私は要理の教室に入ろうとした時、沈神父様は、すでに教義に関する授業を始めていました。黒板にいくつかの言葉があり、「私たち一人一人には、天上の母親がいます」という言葉は私を魅了したので、すぐに席を探して腰を下ろしました。神父様は続けて言いました。「私たちにより明確に祝福された私たちの御母を知らしめるために、天主様は一人一人に地上の母親をお与えになりました。子供に対する母親の愛は、常に純粋で真実で、無私なものです。私たちのカトリック教会には、非常に優れた母親である童貞聖母マリア様がおられます」。それから神父様は、危険な時に聖母が彼を保護した方法を示すために、私達に彼自身の物語を話しました。一度、彼はイタリアからアイルランドへの飛行機に乗りました。天候はひどいものでした。視界は非常に悪く、最終的に飛行機は事故に遭いました。神父様は、幼子イエズスの聖テレジアの聖遺物を身に着け、しっかりと彼のロザリオを握りしめていました。神父様はとても熱心に聖母に祈りました。実際、彼は母親が彼が司祭に叙階されて中国に戻ってくることを期待した以外には、その瞬間に亡くなったとしても、後悔することは何もないと思っていました。飛行機は海に落ち、多くは亡くなったり、負傷したりしましたが、奇跡的に神父様は無事でした。

 その日以来、私は聖母マリアへの祈りを始めました。約一ヶ月後、私はカトリックの教えを受け入れて真実を守ろうと決心しました。

 1948年の終わりに、共産党の軍隊は揚子江を渡ることを計画していました。南京と上海は、彼らの次の目標でした。私は、間も無く重大な試練が来ることを知っていました。カトリック教会と共産主義の間には決して妥協というものはありません。沈神父様はどのような状況に陥るかをかなりよく知っていましたが、穏やかさと確信を以て危機に臨みました。彼は私たちが20世紀にいることを指摘し続けました。私たちの敵が私たちを迫害する方法は、古代ローマのそれとは全く違ったものになります。コロシアムや十字架への磔はないでしょう。彼らは、信仰のためにすぐに死なせようとはしません。彼らは虚偽と真実の混ぜ合せや人を操つる戦術を用い、長時間惑わせます。彼らは飴と鞭を両手に持っています。彼らの戦術は、まるで有毒ガスのようです。人々は、最初は自分たちがガスに覆われていることに気が付きません。次第に彼らは目がくらむのを感じます。いったん、彼らは何が起こっているか気が付いても、もう遅すぎます。彼らに窓やドアを開く力はもはやありません。共産主義者が行う最悪な行為は、私たちを分裂させるために、私たちの教会の弱い人々に付け込むことです。不一致の種をまくために、人々が自分たちの間で互いに信用しないように仕向けます。私たちの敵は、通常は親切さを装い、甘い言葉を用いて、「私たちは、あなたの宗教を放棄することを強制しませんが、彼ら帝国主義者を憎まなければなりません。あなたは彼らを非難し、彼らの犯罪を暴露しなければなりません」等と語ります。信仰が弱い傾向にある人々は、それが原因となって他の人を裏切り、彼らが逮捕されるようにします。共産主義者は、これらの行為を「愛国愛教」であると美化しました。

 洗礼の前に、私が逮捕されたとしても、信仰のために苦しむために準備ができているかと沈神父様が非常に真剣に尋ねたことを、はっきりと覚えています。彼は尋ねました。「なぜ、あなたはこの重大な時期にカトリックになるのですか。あなたは災いを求めています。信仰のために血を流す準備ができていますか?」私は簡潔にしっかりと答えました。「私は天主様を知って以来、どんな状況の下でも否定しません。もし、信仰のために死ぬことがあるのならば、私はそれを厭わないでしょう。私たちのカトリック教会はなんと素晴らしいことでしょう! 神父様、あなたはビング・クロスビーの歌「ゴーイング・マイウェイ」をよく歌います。私はきっとあなたに従います」神父様は、さらにもう一つ、私が迫害者たちを許しますかと私に尋ねました。彼に対する私の答えは「いいえ」でした。私は異教徒の家庭に生まれました。私が小さい頃、誰かが意図的ではなくても私の本を台無しにした場合、お返しにその人の練習帳に落書きをしていました。今、教会は敵を愛するように私に求めます。私は勇気と不屈の精神を持っていませんでしたが、いつかは神父様自身が敵への愛を示した場合、私は必ず彼を模範にすると確信していました。

 1949年4月16日、9人のクラスメートと私たちは、中国上海の聖心修道院でヨセフ沈神父様により、洗礼を受けました。神父様は私たち一人一人に絹製の非常に神聖なカードを記念品として下さいました。白い帆が付いている小舟が描かれ、帆には赤い十字架がありました。神父様は、私たちが向う岸へ進んでいる聖ペトロの小舟の上に座っていると説明しました。どんなに風が強くとも、またはどんなに大雨が降ろうとも、私たちはこの小舟の上では安全です。

 1950年に神父様が心臓病のため、上海の病院に入院しました。妹と私は彼を訪問しに行きました。それは、私たちが彼を見た最後でした。彼の話から、天主様が非常に早く彼をお呼びになることを知っているのが窺えました。彼は中国での宣教活動で働くという美しい夢を持っていましたが、さらに殉教者として死ぬことを願っていました。最後に、彼はどんな状況の下にあっても、いつも私たちのために祈ると約束されました。

 1953年に、私は香港の兄から手紙を受け取りました。それには、ジャン・ビヨーという名前のフランス人司祭が、神父様の殉教に関する記事を書いていたと記されていました。このようにして、私は沈神父様の死を知ったのです。

 ジャン・ビヨー神父様とは誰でしょう?彼は長年にわたり、中国は上海の孤児院で働いていたイエズス会士でした。彼は中国の共産主義者に逮捕されて約2年間投獄され、1953年に強制送還された最初の司祭でした。彼が香港の空港に到着したとき、彼はぼろを纏い、使い古した靴を片方しか履いていませんでした。入国管理官の一人は、彼が作成することのできなかった彼のビザを見せるよう彼に尋ねました。彼らは彼が香港に入ることを拒否しました。彼は自分が司祭であることを説明し続けました。遂に彼らは彼が香港のイエズス会の事務局に電話をかけることを許可しました。皆が驚いたことに、15分以内に多くの教会は大きな音で鐘を鳴らしました。これは、ビヨー神父様を歓迎する方法でした。すぐに何人かのイエズス会士は、ビヨー神父様に会いに、新しい服と靴を持参して、空港にやって来ました。

 神父様の記事によれば、彼が上海の刑務所の病院で病気だったとき、死の間際の司祭ヨセフ沈士賢神父様に会いました。彼に臨終の秘跡を施すために、沈神父様のベッドに努力して近づきました。彼は非常に穏やかで平安に満ちていました。彼の最後の言葉は、彼は誰も批判せず、誰かを傷つけるための何の情報も与えなかったということでした。彼は迫害者全員を許しました。それから彼は、十字架の印として両腕を開き、「私たちは6人です。皆、キリストの殉教者です」と言いました。(彼ら6人の司祭の中には、上海の天主教中央局で一緒に居住していたマタイ陳哲敏神父様と候之正神父様が含まれていました。彼らは全員逮捕され、全員が刑務所で亡くなりました。)

 沈神父様が言ったことは、本気でした。今度は私が彼を最高の模範とし、人生の最後の瞬間まで彼の足跡を辿る番です。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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