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2つの宗教と本当の従順

2011年09月05日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

ルフェーブル大司教の公開書簡「第18章 本当の従順と偽物の従順」にはこうあります。

 従順と言うことは、重大なテーマです。教会の教導職との一致、特に教皇様との一致に留まることは救霊の諸条件の一つだからです。私たちはそのことを深く自覚しています。そしてまた、今日教会を統治しているペトロの後継者に対して、私たちがその前任者たちに対してそうであったように同じく執着しているのは私たち以上にありません。私はここで自分自身について語っているのであり、自分の小教区の教会から棄てられた多くの信者さんたち、フランス革命の時のように倉庫や納屋でミサ聖祭を捧げなければならなくなってしまった司祭たち、また町や村で聖伝の公教要理を(公式の教会の要理の授業とは)また別に教えている司祭たちについて語っています。

 教皇様が使徒継承の聖伝と自分の全前任者教皇たちの教えとをこだまのようにそのまま繰り返して語る時、私たちは教皇に固執します。正に、ペトロの後継者の定義それ自体が、この信仰の遺産を守ることにあるからです。ピオ9世教皇は、(第一バチカン公会議の決議書である)『パストル・エテルヌス』の中で私たちにこう教えています。

「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」

 私たちの主イエズス・キリストが教皇様や司教たちそして司祭職一般に委ねた権威は、信仰に奉仕するためです。教会法や教会組織また権威を、カトリック信仰を無きものとするために使うこと、それらを命を伝えるために使わないこと、それは霊的な堕胎行為であり霊的な避妊行為です。

 だからこそ、二千年の間たゆまなく教えられてきたそのままの私たちのカトリック信仰と合致することを全て受け入れることに対して、私たちは服従しますし、その準備が整っています。ただし私たちはこれに対立することは全て拒否します。

 何故なら、パウロ6世の教皇統治の間、全てのカトリック信者たちにとって良心と信仰との重大な問題が生じてしまったからです。それはペトロの真の後継者である教皇様が、聖霊の援助を約束された教皇様が、ほんのわずかな間に、教会史上もっとも深くまたもっとも広大な教会の崩壊、いかなる異端者といえどもこれ程の破壊を成功させることができなかったほどのことを主導することができたのか?
 という問題です。この問題に、将来、正しく答えを出さなければならないことでしょう。


 五世紀の前半に、レランの聖ヴィンチェンチオという人がいました。彼は教義の発展について次のように語っています。

「キリスト教の教会において、将来、宗教の進歩は全くないだろうか? 極めて重要なものが確かにあるだろう。それは信仰の進歩であって変化であってはならない。全ての信者においても各々の信者においても、諸地方教会においても個人においても、歴史の流れの間、知性、知識、智恵が溢れるほどにそして強烈に増加することが重要である。ただしそれは教義の同一性、同じ考えの同一性においてでなければならない。」

 聖ヴィンチェンチオは異端の衝撃を体験していました。そこで彼は十五世紀後においてでも常に有効な行動の規則を与えています。

「もしも教会の或る一部分が、交わりからつまり普遍の信仰から切り離されたとしたら、カトリックのキリスト者は、どうしたらよいのだろうか? 壊疽にかかり腐敗している肢体よりも、全体において健康な体以外、いったいどの部分を取るというのだろうか? そしてもし新しい伝染によって、もはや教会の一部分のみならず、一度に教会全てが毒を盛られそうになったとしたら、その時もっとも配慮しなければならないことは、いかなる嘘の革新にも誘われることもできない昔に固執することである。」

 祈願祭の連祷の中で、教会は私たちをしてこう祈らせています。「主よ、願わくは御身の聖なる宗教において、教皇及び教会位階の全階級を維持し給わんことを、我らは御身にこいねがい奉る。」この祈りをするということは、そのような災いが起こりえるということを意味しているのです。

 教会において、一人のキリスト信者にその信仰を減少するように強制することができるようないかなる権利も裁治権もありません。全ての信者は、子供の時にならった公教要理による自分の信仰に危害をかける人がいれば、それが誰であろうとも、彼に抵抗する権利と義務があります。
もしも信仰を腐敗させる危機にさらすようにという命令を受けた場合には、これに不従順である絶対の義務が生じます。

 正に、第二バチカン公会議後の改革と方針とによって私たちの信仰が危機にさらされていると判断されるので、私たちはそれらに不従順であり聖伝を遵守する義務が生じているのです。

私たちはこのことを付け加えます。それは、私たちが教会とペトロの後継者とになす事のできる最大の奉仕とは、改革されたリベラルな教会を拒否すること、これです。イエズス・キリスト、人間となった天主の聖子は、リベラルでもなく、改革され得もしないからです。

 私は聖座から送られた使節がこう言うのを二度も聞いたことがあります。「私たちの主イエズス・キリストの社会的王権は現代ではもはや不可能だ。決定的に宗教的多元主義を受け入れなければならない。」これが、彼らが私に言った言葉です。


 それならば私は言います。私はそのような宗教に属してはいません。私はこの新しい宗教を受け入れません。これはリベラルな近代主義の宗教で、独自の礼拝と、独自の司祭らと、独自の信仰、独自の要理書、独自のエキュメニカルな聖書、つまりカトリック、ユダヤ教徒、プロテスタント、聖公会信者らと共同で翻訳し、二股をかけた日和見主義的な、八方美人で皆を喜ばせようとして非常にしばしばローマ教導職の解釈を犠牲にする聖書を持っています。

私たちはこのエキュメニカルな聖書を受け入れません。天主の聖書だけしかないからです。つまり天主の御言葉であり、私たちにはそれに人間の言葉を混ぜ入れる権利がないからです。



 私が子供だった時、教会はどこでも同じ信仰で、同じ秘蹟があり、同じミサ聖祭を捧げていました。その当時、これが変わるだろうと誰かが言ったとしたら、私はそのようなことなど信じることもできなかったでしょう。キリスト教世界の全地域で、私たちは皆天主に同じやり方で祈りを捧げていました。しかしリベラルな近代主義の新しい宗教は、分裂の種をまいたのです。

司祭たちは何をしたらいいかわからなくなっています。自分の長上たちが彼らに押しつけることに盲目的に従って、そのためにある意味で子供の時からの幼少の時以来の信仰を棄て、自分が叙階を受けるときに荘厳にした近代主義に反対する宣誓という約束を破るのか、或いは、抵抗するべきか、しかしそうすることは教皇様と離れてしまうかのような、私たちの霊父でありキリストの代理者から離れてしまうかのような印象を受けてしまう。どちらにしても、何という苦しい状況でしょうか。心が張り裂けるようです! 多くの司祭たちは苦しみのあまり早死にしてしまいました。



 どれ程多くの司祭たちが、長年の間司祭として聖務の奉仕していた小教区を離れ去るようにし向けられたことか! これらの司祭らは自分の長上たち位階制度のあからさまな迫害の餌食となって、信徒たちからの大きな人望と信頼とにも関わらず、信徒たちからむしり取られてしまっているのです。



 私の目の前に、このような司祭たちのうちの一人の主任司祭が、自分の受け持つ二つの小教区の信徒たちにだした感動的なお別れの手紙があります。



「×年○月○日の面会で、教区長の司教様は私に最後通牒を伝えました。新しい宗教を受け入れるか拒否するかの二者択一でした。私はこれを避けて通ることが出来ません。ですから、私は自分の受けた司祭職への参与に忠実に留まるために、永遠の教会に忠実に留まるために、・・・私は自分の意に反して、引退するように要求され強制されました。・・・ただ単に誠実でありたいということ、特に私の司祭としての名誉は、私をして正にこの天主に関わる重大な問題(=ミサ聖祭のこと)において誠実である義務を果たさせています。・・・これは、私が天主に、そして人々に特に教区民の皆さんに与えなければならない忠実と愛の証拠なのです。そして正にこの忠実と愛の証拠について、私は最後の審判の日に裁かれることでしょう。それは他方で同じ遺産を委ねられた全ての人々についても言えることです。」



 ブラジルのカンポス教区では、教区のほとんど全ての聖職者達はカストロ・マイヤー司教様の引退後その小教区教会から追放されました。何故なら彼らは、つい最近までまだそれを捧げていたように、永遠のミサ聖祭を放棄するのを望まなかったからです。



 分裂は、信心のほんの少しの表明にさえ作用しています。フランスのヴァル・ド・マルヌ県では司教は、長年の間主任司祭を正式に任命することになっている個人所有の教会でロザリオの祈りを唱えていた二五名のカトリック信者らを警察を呼んで排除させました。メス司教区では司教は共産主義者の市長に頼んで、聖伝を守るカトリック信者たちの団体に譲与した場所の賃借権を停止させるように動きました。カナダでは六名のカトリック信者が裁判所で有罪判決を受けました。この国の法律がこの種の問題を取り扱うことを許しているのですが、彼らは頑固に跪いて御聖体拝領をしたということで有罪となったのです。カナダのアンティゴニッシュの司教は彼らを「宗教儀式の秩序と尊厳を故意に攪乱した」と告訴したのです。そして「攪乱者たち」は裁判官から、六ヶ月の保護監察を言い渡されたのです! 司教がキリスト者らに天主の御前で跪いてはいけないと禁止命令を出したのです! 昨年、青年らが行ったシャルトルへの巡礼はミサ聖祭で幕を閉じましたが、そのミサ聖祭はシャル
トルのカテドラルの前の庭で行われました。何故ならカテドラル内部では聖ピオ5世の聖伝のミサが禁止されたからです。二週間後、同じカテドラルはスピリチュアル・コンサートのためにその全ての扉を大きく開いていました。そのコンサートの中では、元カルメル会修道女がいろいろなダンスを踊っていたのです。

 二つの宗教が互いに対立しています。私たちは今、劇的な状況の中を生きているのです。選択をしないと言うことは不可能です。ただしこの選択とは従順と不従順とのどちらかを選ぶというものではありません。人々が私たちに提示していること、はっきりと厳しく私たちをそれに招いていること、そしてそれを私たちにさせるために私たちを迫害しているのは、それは見かけ上の従順を選ぶことです。何故なら、教皇様は私たちをして私たちの信仰を放棄することを要求することが出来ないからです。



 私たちは信仰を守ることを選びます。



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ローズ・フーさんの「楽在苦中」 第6章 好機は逃さずに

2011年09月05日 | カトリックとは
第6章 好機は逃さずに

 我等が主イエズス様は、使徒たちに「信仰の薄い者よ、なぜ恐れるのか?」(マタイ:第23章 - 27節)と仰せになりました。私たちは恐れを取り除かなければなりません。それは、私たちが働くのに正しい態度を取ることが出来ず、正しい判断を下すことが出来ないからです。私たちが多くの恐れから遠く離れるよう努めても、一つの恐れを保ち続ける必要があることを強調しなければなりません。それは天主様への恐れです。あなたが唯一の天主様を恐れるならば、人を恐れることはありませんし、この世のいかなる霊をも恐れません。(1931年5月17日の教皇ピオ11世によるスピーチ)

 1951年、マグラス神父様は、私たちの敵がナイフを研いで状況を伺い、レジオ・マリエを攻撃するために計画していたことを知っていました。何のためらいもなく、神父様は全てのレジオ・マリエにすぐに解散するよう命じました。その一方で、私は震旦女中のプレシディウムである「汚れなき御母」の会長でした。そのニュースを聞いた途端、私の心は打ちひしがれました。私たちは、すでに20人の正規会員と約100人の賛助会員を擁していました。私たち皆は、子どもたちに公教要理のクラスを教えたり、病院の患者を訪問するのに忙しかったのです。どうして、止めることを躊躇わずにいられるでしょうか?いいえ、絶対にいられません。私は、霊的指導者であるエドワード・マッケルロイ神父(Edward MacElroy)の前で泣き出しました。私は、「なぜ私たちは非常に臆病なのでしょう?共産主義は私たちを攻撃し始めていません。それなのに私たちは事前に白旗を揚げています。これはどういう意味ですか?」と言いました。神父様は、彼自身のアイデアが何であったかについては、何も言いませんでした。彼は言いました。「これは教皇庁の決定です。私たちは従う必要があります。より多くのトラブルを巻き起こすこがないように、私たちはむしろ後方に少し下がるべきです。聖ヨセフと聖母マリアはヘロデ王からの殺害を避けるために、幼子イエズスを連れてエジプトに逃れました。時々機会を避けることは賢明です。あなたは行動する熱意を持っています。天主様のために働き続けなさい。レジオ・マリエが無くとも、あなたは以前のように懸命に働くと信じています」すべてが取り決められているのに、どうして小さな平信徒が、この状況の根本的な変化をもたらせるというのでしょうか?

 1951年1月から、私は先週に行ってたことを報告するために、週に一度崇真堂(マッケルロイ神父様が滞在した場所)に行きました。彼はそのことに非常に満足していました。しかし、1952年10月、彼は不安な顔つきで私に言いました。「ローズ、何かが私に起こる場合に備えて、もう私を訪問しないことを望みます。私は強制送還される可能性があります。私は苦しみをあまり受けないでしょう。しかし、あなたは別です。あなたは、私が何を最も恐れているか知っていますか?逮捕されたり、刑を宣告されたりすることではありません。私はあなたと共に苦しむために、追放されるのではなくむしろここに留まりたいのです」これを聞いて、このアイルランド人司祭は、進んで中国のための殉教者になろうとしているのが分かりました。私は涙を抑えることができませんでした。私は心の底から彼に言いました。「何が起ころうとも、私はここに来続けます。いつか、私があなたのために迫害されなければならないのでしたら、私は喜んで迫害を受けます。あなたは遠くから私たちの国に来て、未開の地で宣教師になるために、自分の快適な生活を棄てました。あなたは不平不満を言わず、中国の教会のために行ったことを決して後悔しません。愛は愛で返されるものです」それ以来、彼が1953年6月に強制送還されるまで、私はいつもの通りに彼を訪問しました。私は彼が言った最後の言葉を決して忘れないでしょう。「もし、いつの日にか、ここを去るならば、私はなるべく早く戻ることが出来るのを期待しているので、私は中国に最も近い都市に滞在します」

 マッケルロイ神父様は香港で、1984年11月22日に心臓発作で亡くなりました。彼は全生涯、天主様や人に対して忠実でした。彼は聖コロンバン会の会長でした。彼はアメリカやアイルランド等に行くことが出来ましたが、実際には彼はどこへも行かず、中国に最も近い都市である香港に滞在しました。彼は日夜待っていました。遅かれ早かれ、彼は自分の甘い夢が叶うことを望んでいたのです。多分次の日には、彼は中国に戻る機会があったかもしれません。しかし、天主様は御自身の計画をお持ちでした。神父様は30年以上待っていたのです。私はどこにそのような深く誠実な愛を見出だすことが出来るでしょう! 1998年に、私は母の墓地を訪問しに香港に行きました。非常に驚いたことに、母のお墓のそばに神父様のお墓を見付けました。私は彼のお墓の彼の写真を見た途端、私は唖然としました。私は夢を見ているのでしょうか?私は自分の指を噛みました。神父様は天国におられ、しかも母の隣人であるとは!

 天主の恩寵により、神父様と私は両方とも、自分たちの約束を守りました。彼は中国に最も近い都市である香港で亡くなりました。私は同じくローズのままでした。私は彼に何の悪いこともをしていませんでした。私たちは天主様の摂理を賛美いたしましょう!唯一の天主様だけがそれを実現することができます!

 1951年にレジオ・マリエが解散させられた後、その翌年には通っていた上海市の約翰大学医学院から退学させられ、何の仕事もありませんでした。しかし、この期間中に私たちは時間が最もありました。時間は天主様を賛美や霊魂の救いに最も重要な物です。私たちは何かをしたいと望みさえすれば、何も私たちを止めることができませんでした。どんなに問題が困難であろうと、またはレジオ・マリエが無かろうと、私たちは出来ることなら何でも探すことに焦点を当てました。両親が非常に忙しかった多くの若者達がいました。親たちは彼らに公教要理を教えるための時間がありませんでした。多くの小教区では、彼らが若いものを教育するための信者を必要としていました。そこで、私たちはロザリオを唱えるためやミサに与るために、彼らを連れて行きました。週に1,2回、私たちは彼らに教義を教えました。時には私たちは患者を訪問し、彼らを慰め、臨終の時には多くの異教徒に洗礼を受けさせようと試みました。マタイ張神父は、しばしば私たちがより多くの祈り、より多くの霊的な読書をすることを薦めました。私たち自身が霊魂に多く恩寵を受けていなかったら、どうやって他人を助けることが出来るでしょう。私たちは、いつ自分が逮捕される番になるのかわからないと常に考えていました。私の十字架はとても重かったので、裏切り者になるには、私の家族は主な障害となったでしょう。私の友人の多くは非常に勇敢で、彼らは全く恐れていないようでした。しかし言うことと、行うことは別です。彼らのほとんどは、迫害の中で自分たちの方法を捻じ曲げてしまいました。天主様は、常にその御恵みを求める人々をお助けになります。

 半世紀以上が経ちました。私たちの大学の若者のグループ25人の中で、私たち3人だけが信仰のために逮捕されていたのは信じ難いことで、これまでに何人かは他界しています。ある者は教授、科学者、芸術家になりましたが、彼らの多くは幸せに暮らしていません。世界的名声、富や権力では幸福を買うことができません。真の幸福は、全能の天主様から来ています。私たちは、天主様だけの為に創られたのです!


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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