Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

信仰を失う以外に何も残されていないのでしょうか?

2011年09月06日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ルフェーブル大司教様の言葉を聞いてください。

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 私たちは信仰を守ることを選びます。

 教会が二〇〇〇年間教え続けてきたことに私たちが固執するなら、私たちは間違うことが有り得ないからです。

 危機は極めて深いものです。良く知り尽くし巧みに組織され、指導されています、それは、この事業を操っているのは人間ではなくサタン自身ではないかと本当に私たちが信じることが出来るほどです。

 カトリック信者たちをして従順の名によって全聖伝に不従順であるようにし向けることが出来たのは、正に、サタンの強烈な一撃です。様々な修道会の「現代化(アジョルナメント)」は典型的な例を私たちに提示しています。従順によって、修道士、修道女らをしてその創立者の創った会憲や会則に不従順たらしめているのです。彼らが修道誓願をたてた時遵守すると天主に誓ったその会憲に不従順たらしめているのです。この場合、従順は断固とした拒否でなければなりません。たとえ合法的な権威であっても、非難すべき悪しき行為を命ずることは出来ません。それが誰に対してであっても修道誓願を単なる約束に変えることを強制出来る人は存在しません。同じように、誰も私たちをしてプロテスタントや近代主義者に変わるようにすることはできません。


 聖トマス・アクィナスは私たちが常に参照しなければならない規範ですが、その神学大全の中で、私たちの主が命じている「兄弟的矯正」は私たちの長上たちに対しても為されうるか、と問うことさえしています。有用な区別を全てした後に、聖トマス・アクィナスはこう答えています。「信仰に関わることである時、長上たちに対して兄弟的矯正を行使することが出来る」と。

 もしも私たちがこのことについてもっと断固としていたら、私たちはゆっくりゆっくり異端と同化してしまうことを避けることが出来たことでしょう。


 16世紀初頭、イギリス人たちは、現在私たちが経験しているたぐいの出来事を体験しました。私たちとの違いは、英国ではこれが離教によって開始された、ということです。その他については驚くほど類似しており、私たちは考えさせられます。アングリカニズム(英国聖公会)という名前を取ることになる新しい宗教は、ミサ聖祭、個人的な告解、聖職者の独身制などに対して攻撃することから始めました。ヘンリ8世は、英国民をローマから引き離すという巨大な責任を負った後に、当初は自分になされていた英語のミサという提案を拒否していました。

 しかし彼の死後には、ミサで英語を使うことが許されるようになり、
行列は禁止され、
新しいミサの式次第が強制されました。

 これがOrder of Communion (聖餐式の式次第)と呼ばれるもので、それにはカトリックのミサの「オフェルトリウム(奉献の祈り)の部が無くなっていました。キリスト教徒らを安心させるために、その他の変更を加えることは禁止する命令が出されました。他方で第3の法令で、主任司祭は小教区の教会内にある諸聖人の御像や聖母マリアの像を廃止することが許されました。こうして極めて貴重な美術品が大量に売り飛ばされました。これは現在、教会の芸術品・美術品が骨董品屋やノミの市に売り飛ばされているのと全く同じです。

 新しい聖餐式の式次第(Order of Communion)が、私たちの主イエズス・キリストは私たちに霊的に御体と御血を与えるとあるので、イエズス・キリストの御聖体における現存のドグマを否定するものであると気がついた司教様たちはほんのわずかでした。

 告白の祈りであるコンフィテオールは英語に訳され、儀式の時に司祭と信徒とが同時に唱えるようになりました。これが罪の赦しの代わりになりました。

 ミサは食事に変わり、聖餐式になりました。


 しかし博学であった司教様たちでさえ、平和と一致を保つために、ついには新しい祈りの本を受け入れるようになりました。第二バチカン公会議後の教会が私たちに新しいミサを強制するのも、全く同じ理由からです。


 16世紀にはイギリスの司教たちは、ミサとは「記念」であると断言したのです! 大量になされたプロパガンダのために信徒らの頭の中も、ルター式のものの見方をするようになってしまいました。説教をするには、政府の許可を受けた人でなければなりませんでした。

 同時に、教皇は「ローマの司教」とでしか呼ばれなくなりました。教皇は、もはや聖父(パパ)ではなく、他の司教らの一兄弟でしかなく、英国の場合、自ら国教会の頭となった英国王の兄弟でしかないのです。ギリシア典礼とルター式サービスを混ぜ合わせた、クランマーの祈祷書(Prayer Book)というものが作られました。これは、ブニニ司教がパウロ6世のミサといわれるものを作った時に、典礼改革のための専門委員会(コンシリウム)に専属の6名のプロテスタントの「オブサーバー」たちと一緒に仕事をしていたことを思い出させないでしょうか。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)は次の言葉で始まっています。「晩餐そして聖餐は、一般にミサとよばれており・・・」と。これは新しいミサの総則第7条の前兆であり、同じことは1981年にルルドでの聖体大会で言われました。「主の晩餐、言い換えるとミサは、・・・」と。【訳者注:1969年版のローマ・ミサ典書総則7番がミサとは何かを説明してこう言う。「主の晩さん、またはミサは、・・・」】

 私が既に話した聖なるものの破壊は、アングリカンの改革でも含められていました。以前は小さな声で司祭が唱えていた典文の祈りは、大きな声で唱えなければならなくなりました。同じように現在の「聖体祭儀」でもそうなっています。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)も、「王国の内的一致を保存するため」司教らによって承認されました。「昔のミサ」をささげ続けていた司祭らは、聖職録の取り消しから、聖職の罷免までの刑罰を受けましたし、「再犯者」には終身禁固刑が待っていました。現代では、「聖伝の」司祭たちを刑務所には入れないものの、待遇はほとんど同じだと認めなければなりません。



 チューダー王朝のイギリスは、そうと気がつかない内に異端に落ちていきました。それは指導者の牧者らを始めとして時代の歴史的状況に適応させるという口実の元に変化を受け入れることによってでした。


 正に今日では、全キリスト教世界がこれと同じ道を辿る危険があります。もしも年をとった私たちが、ほんの少しの危険でも冒すなら、子供達・青年達・神学生達は、新しい要理書と臨床心理学と社会学で養成され、教義神学も倫理神学も教会法も教会史も全く学ばずに、本当のものではない「信仰」において教育されることになり、彼らが学ぶ新プロテスタント的概念を当たり前のこととして受け入れるようになってしまうということを考えたことがありますか?

 もしも私たちが抵抗しなかったら、明日のカトリック宗教はいったいどうなってしまうのでしょうか?

 読者の皆さんはこんなことを言う誘惑に駆られているかもしれません。「では私たちにいったい何が出来るというのか? 私たちにこれをしろ、あれをしろ、というのは司教様なのだ。ほら、この公文書は(司教様公認の)要理委員会が、または別の公式委員会が発表したものだ。(公式の司教様の権威に抵抗しろというのか?)」

 では、信仰を失う以外に何も残っていないと言うのでしょうか?

 そのような対応をする権利はありません。聖パウロは私たちにこう警告しました。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが真の従順の秘訣です。



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ローズ・フーさんの「楽在苦中」 第7章 凍った愛

2011年09月06日 | カトリックとは
第7章 凍った愛

 私たちは皆人間です。カトリック教徒も例外ではなく、私たちは超人ではありません。他の人がそうであるようにわたしたちの誰もが、自分の感情や愛情を持っています。 10代の女の子のある者は、スポーツに、またある者は映画に関心を持ちます。多くは自らの将来について、甘い夢を持っています。ある者は、背の高い白馬に乗った王子様に憧れ、いつしか憧れていた人がその人のものになり、その後幸せに暮らせることを期待しています。

 しかし中国では、特に前世紀の50年代は、人生を楽しむための時間ではありませんでした。それは殉教者や反逆者となることを選択する時間でした。私たちは信仰を守もろうと望んだ場合は、私たちは様々な試練に直面しなければなりませんでした。私は非常に明確にヨセフ沈神父様が何度も言ったことを覚えています。「若者にとって、両親よりも天主様を愛するのは、そんなに難しくはないかもしれませんが、いつか天主様があなたの最愛の人よりも天主様を愛するこようお求めになった際、それはそう簡単ではないでしょう。聖アグネス、聖セシリアそして聖ルチアの物語を読んで下さい。あなたは彼らが重要な時期に貞潔の美徳をどのように守ったかを知っておく必要があります」私は、沈神父様の指示に従うことに最善を尽くしました。苦難の道への途中で、自分が誰かや世俗的なものに気を取られない様、あらゆる努力をしました。

 これは、天主様の御恵みの偉大さを示す一方で、私たち人間の弱さの大きさをも示す私の実話です。

 1952年にマタイ張希斌神父は、私と約30人の大学生の信者を一つの団体へと組織しました。イグナチオ艾祖亮はその中の一人でした。彼は非常に際立っていました。彼のハンサムな外観、エレガントなマナーとユーモアのセンスは、クラスで多くの女の子を惹きつけました。彼女たちはほとんど彼を崇拝し、その内の何人かは彼に夢中でした。率直に言えば、私も彼のファンの一人でしたが、沈神父様の言葉は、しばしば私の耳に鳴り響いていました。私は完全に自分自身、そして少年少女が抱く他愛の無い愛情さえ否定しなければなりませんでした。

 悪魔は、休むことなく昼夜働いていました。彼らは私たちを捕えるために、異なった罠を仕掛けていました。1954年の春、私たち大学生の信者は、張神父様の指導する三日間の静修に、佘山(シェシャン)の聖母の聖地に行きました。

 静修の最後に、イグナチオは数分の間、単独で私と話す機会がありました。彼は私に言いました。「ローズ、この静修で僕は天主様の呼びかけに従うよう決心した。僕はすぐに神学校に入るつもりだ。自分の信仰を守る場合、僕たちは全てを放棄する必要があることを知っている。僕は世俗的な干渉を排除するために、高い壁の城を築かなければならない。僕は完全に天主様に自分自身を捧げる」

 彼は静かに続けました。「ローズ、君はとても勇敢で愛らしい女の子だ。張神父様は、レジオ・マリエのための君の家族に対する戦いについて、多くの人々に話しをした。他の何よりも天主様を愛しているから、君は美しい。でも、いつか君が裏切り者になるのなら、もはや愛らしくも美しくもなくなるということを覚えていてほしい。君が天主様を愛し続けるなら、僕たちはいつも天主様の内に会うだろう」

 その瞬間まで、私達の間には真実の愛があったことに気付きませんでした。しかも、この愛は私の暖かい手のひらで融け去るような、雪のかけらのようにはかない物でした!それは非常に短かったので、変わることは有り得ませんでした。この愛はより高いレベルに昇華させる方が良いのです。その日以来、私はこの愛を固く凍らせて、私の心の奥深くに閉じ込めました。それは何十年もの間、私の記憶の中で凍結した氷の岩となっています。

 1970年代後半、私はついにイグナチオに関するある情報を得ました。彼は1955年9月26日に神学校で逮捕され、懲役7年の判決を受けました。彼は労働改造所で激しい肉体労働に従事していました。彼は有名な大学を卒業したにもかかわらず、非常に長年の間、負担の軽い仕事を求めるために、自分の知識を披露したことがありませんでした。その後、彼は私の収容所からそう遠くない収容所に移されました。私は彼を訪問する計画を立てましたが、彼は肝臓癌を患い、上海に送り返されました。

 今、彼の弟はアメリカに住んでおり、イグナチオが1981年に亡くなったと告げました。彼は死の床で、自分を迫害していた人を許しました。彼は自分が信仰のために刑務所で何年も過ごしたことを悔やんだことはないと語りました。彼は最良の部分を選択していました。彼は自分自身を清めたばかりでなく、私にも大きな恩恵をもたらしてくれました。

 私たちが若い頃に恋に落ちていたのならば、私たちは、おそらく自分たちの信仰を失っていたでしょう。たとえ、私たちがは夫と妻になっていたとしても、それが何になるでしょう?幸福と愛は、裏切者の夫婦の間には存在しません。人が天主様を愛していないならば、どうして人は自分の隣人を愛することができるでしょうか?それは不可能です。私はお互いに尽くそうとしない何組かの夫婦を見てきました。どうして彼らが幸せな生活を送ることができるでしょうか?

 彼への愛は、約半世紀の間凍ったままです。イグナチオは既に天国にいます。彼を懐かしく思うたびに、私は自分の心を奮い立たせます。世界中には、ロミオとジュリエットや、梁山伯と祝英台(中国の伝説によれば、恋人と一緒に死んだ後に蝶に変身しました)のような沢山の愛の物語があります。男女の片方か両方が人間的な愛のために死んだということで、それらのストーリーはよく知られています。おそらく、彼らは期待通りか又は相応しい愛を決して得ることが出来ないので、人々は同情し、共感するのでしょう。大抵、私たちの願いが満たされたとき、失望がやって来ます。私たちは幸福を得るための最良の方法が、何よりも天主様を愛し、全てを天主様に於いて愛することであるのを知るべきです。

 人生において、私には途方もなく浮き沈みがありました。しかしイグナチオの別れの言葉は、いつも私に愛らしく素敵な女の子になるように励ましてくれます。私はそれを永遠に覚えていることでしょう。


教会が信じ愛してきた真理を、信じ愛し実践するだけ

2011年09月06日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 従順とは、天主様の御旨を果たすために、天主様の代理者である目上の人間の意志を行うことが従順です。

 ルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会は、新しいミサを拒否しました。何故なら、新しいミサは新しい精神と新しい「信仰」を私たちに伝えているからです。新しいミサは「新しい司式はその全体といいまたその詳細といい、トレント公会議の第22総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱している」(オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿のパウロ六世への言葉)からです。教皇様は、私たちに信仰を失わせるように命じるとき、それに従うことは本当の「従順」ではないからです。

 ルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会は、アシジの諸宗教の集会を拒否しました。何故なら、この種の集会は天主の十戒に反し、カトリック教会の聖伝に反し、聖書に反し、歴代の教皇様の教え(例えば特にレオ十三世やピオ十一世)に反しているからです。そのような場合、これに従うことは本当の従順ではあり得ないからです。何故なら、従順とは天主の御旨を果たすためにするのであって、明らかに天主の御旨に反しているなら、それに従っては罪になるからです。

 カトリック信仰を、二千年間教会が信じ愛してきたそのままの変わることのない真理をそのまま信じ、愛し、実践する、それだけをルフェーブル大司教様がし続け、聖ピオ十世会がそれだけをし続けようとしているのです。そして、それがためにルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会は極めて難しい立場に置かれ続けてきたのでした。


 ベネディクト十六世教皇様は、2007年の7月ついに、今までのバチカンの「第一の秘密」を破って、聖伝のミサは実はカトリック教会の有効で合法的なミサ聖祭である、と認めたのでした。聖伝のミサは決して廃止されていないと主張していたがために、ルフェーブル大司教様は「不従順」の汚名を帰せられていたのですが、じつはルフェーブル大司教様こそが本当に従順であったということが全世界に分かるようになりました。

 日本では、聖伝のミサが禁止されていました。実は、そんな「禁止」は、ウソだったのですけれど。「従順」の名前で、不従順が強制されていました。


 将来、真理が輝く時、ルフェーブル大司教が正しかったと皆がいうことになるでしょう。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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