Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

お祈りをお願いいたします

2011年10月05日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日、クチュール神父様から連絡があってこれからローマに行くそうです。10月7日に管区長などの会合があるとのことです。聖ピオ十世会の将来に関わる大切な会合です。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをよろしくお願いいたします。

 またロザリオ十字軍の報告もお待ちしています!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第15章:遅すぎた出会い

2011年10月05日 | カトリックとは
第15章:遅すぎた出会い

 1956年、私は投獄されていましたが、まだ最後の判決を下されてはいませんでした。牢獄は80平方フィートで、そこで六人から八人が一緒にいました。排泄のための木製のバケツが一つあり、私たちは皆、セメントの床の上に眠りました。

 誰もがバケツの近くで寝ることを全く好みませんでした。ですから、新入りが次の人が来るまでバケツの近くに寝るのは、ほとんど規則となっていました。共産党の役人は、私たちのカトリック教徒を他の人間よりもひどく扱いました。彼らは各牢屋に1人だけのカトリック信者しか許さず、私たちは運動をしたり、集まったりするために外出することを認めませんでした。各牢屋では、たいてい天主様の証し人として良い模範を示すカトリック信者がおりました。そして、カトリック教徒は多くの場合、バケツの近くで眠ったのです。

 ある日、警備員は、私たちの部屋に綺麗で良い教育を受けたように見える女性を連れてきました。決まり事として、私たちのグループの担当していた人が、彼女に告げました。「あなたはバケツの近くで眠ること」その女性は不満を述べました。「私は新入りではありません。私は別の部屋から移されました」彼女がこの取り決めを受け入れることを望んでいないのは明らかでした。そこで、私は言いました。「そこで眠るのには慣れていますから、そこで眠らせて下さい」 数日後、彼女は私を見て「あなたはカトリックですか?」と聞きました。「どうして分かりましたか?」私は答えました。彼女は言いました。「隣の部屋に、いつも沈黙を守り、自分から一番過酷な仕事を引き受けた若い女性がいました。彼女はあなたのようでした。いつもバケツの近くで眠りました」私はその若い女性が誰かを推測しました。彼女はわずか18歳で、二度逮捕されていました。彼女はカトリックの家族から来たのです。私たちカトリックの囚人は、暗闇に住んでいた人々を照らし、苦しんでいた人々を慰めるランプのようなものでした。私は褒め言葉を受け取ったとき、私ではなく、私たちの母なる教会にそれを帰したのです。一人の顕著な例は、別に何でもありません。一本の木で森全体を成すことはなく、一本のバラは春をもたらすことはないのです。一人一人のカトリック教徒による良い模範だけが違いを生みます。道理で、私たち1950年代に逮捕された囚人が、皆一致してカトリック教徒の偉大な美徳を認めても不思議ではありません。

 留置所の規則によれば、家族は月毎に私たちの基本的な必需品を持ち込むことが出来ました。既に刑を宣告された人々は、彼らの家族と15分間話をすることが出来ます。まだ刑を宣告されていない人々は、物質的な支給を得られるのみでした。ある日、私は小包を受け取りました。その時、母は寝込んでしまい、非常に病気でした。兄と義姉は、すでに新聞で私たちの縁が切られていることを発表していました。誰が私に小包を送ったのでしょうか?それは長い話になります。私が逮捕された時、私の家で働くお手伝いさんは5人いました。そのうち二人はすでに40年以上も働いていました。 1953年に、母はメキシコ映画「生まれる権利」を見に連れて行ってくれました。映画の中では、主要な役は実の母親だけではなく、非常に主人公を愛した養母でした。母はとても感動しました。私たちのばあやは還暦に近づいていました。

 母は姉と私に言いました。「その人は私が結婚した時以来ずっと一緒でした。18歳の時に彼女は私たちの家族になりました。それから42年が経ちました。彼女の夫は彼女を見捨ててしまい、彼女は子供がいません。今、還暦が来ようとしています。私は彼女があなたたち2人のための母親になってくれるように計画しています。今後は、心を尽くして彼女を尊重するように。彼女を傷つけることは何もしないで。彼女と私の間に違いは無いはずです。そうでなければ、自分が乳母にすぎないのだから、2人共本当に自分を愛していないのではと思うでしょう。あなたたちは、彼女の心を傷付けないことを約束しなければなりません。私は彼女があなた達と同じ家柄ではないとか、裕福ではない等と考えて欲しくはありません」母はまだカトリックではありませんでしたが、母は彼女に偉大な寛大さを示しました。どうして私たちは彼女の要求を拒否することが出来るのでしょう?ばあやの誕生日に、私たちは一緒に映画を見に行きました。母は誕生日の贈り物として、ばあやに私達2人を示しました。ばあやは泣き出し、「あなたの二人の娘は家族の中で最も優しい人です」と言いました。

 ばあやは、刑務所の建物内に私に生活必需品を送る度に、多くの障害を克服しなければなりませんでした。最初、彼女は品物を送ることが出来るように、前もって警察署から承認を受ける必要がありました。次に、刑務所の建物と私の家は長い距離がありました。彼女は2つのバスに乗り、早朝に刑務所の建物の入り口で待たなければなりませんでした。彼女は私のためにとても大きな苦しみをして進んで受けました。彼女が最も苦しんだのは、私の最後の判決を受ける前に私に面会するのが許されなかったことでした。

 この時、彼女は一足の靴を持ってきました。彼女は自分の手縫いで靴底を作ったのです。最愛の人からそのような貴重な贈り物を受け取ったら、どのして感謝せずにいられるでしょうか?私が前に述べたその高い学歴の女性は、静かに私を観察していたようでした。ある日、他の人が運動するために外出していた時、彼女は中で留まって私と会話することが出来るよう、頭痛があるふりをしました。彼女は、自分が現代作家の蘇青で、当時中国で最も有名な女流作家の張愛玲の親友だと私に語りました。蘇青は多くの小説や戯曲を書いていたと言い、今は自分が書いたもの中でいくつかの歴史的背景の問題があったという非難を受けて逮捕されていました。

 最初、彼女は精神的な崩壊を起こし、人生に自信を失っていました。彼女は数回自殺を試みました。多くのカトリック教徒の囚人に出会った後、彼女は人生の中での希望を取り戻しました。翌日、刑務所の看守が私を呼び出しました。私は、おそらく裁判所の裁判だと思いました。警察は、私を徐匯区人民法院に連行しました。しばらくして、私は母と兄が待合室に入って来たのを見ました。

 私は母を見るたびに、言葉で言い表せないほど悲しい気持ちがしました。私は留置所で多くの挫折があり、そして天主様が私の耳元で何度もささやきました。誰でも家や兄弟、姉妹、父母、子供や土地を私と福音のために捨てるものは百倍の報いを受け、永遠の世界受け継ぐだろう(マルコ第10章:29-30節)私は既に自分の死までイエズス様に従って信仰を保つよう決心をしていました。

 私は、母が天主様の御手にあり、私たち天の御母の御加護の下にあることを確信していました。裁判所での公判は、10分の会話の後に始まりました。裁判官が尋ねました。「胡美玉、反革命分子である龔品梅についてどう思いますか?彼はあなたを毒しているのではありませんか? 私は大声ではっきりと答えました。「彼は私の司教です。彼は私を毒したことはありません」これを聞き、母は倒れてすぐに気を失いました。裁判官は、裁判を中断し、待合室に行くように私たちに命じました。数分後、母は当時の政策がより柔軟になっていることを私に言いました。多くの人々は自由となり、家に帰されました。役人は私が自分の犯罪を告白し、将来償いをするのならば直ちに釈放されると母に約束していました。私はまだ以前のように頑固でした。母は、もし彼が刑罰を私に宣告した場合、自分が自殺することを裁判官に語りました。私は母が裁判官と私のどちらを脅していたか分かりませんでした。 私は、「天主を持つ人には何も欠けたものがない。天主のみで足りる」というアビラの聖テレジアの有名なモットーを唱えていました。

 生き生きとした信仰とは何でしょう?それは、暗闇の瞬間でも天主様に信頼を置くことです。どうして、私たちの天の御父が、そのような重大な瞬間に御自分の子供を見捨てられるでしょうか?私は冷静に母に話しました。 あなたたちは、天主様のためにそれほどまでに苦しんでいます。天主様はあなたに報いられるでしょう。あきらめてはいけません。良い木が悪い実を結ぶことは決してありません。最後に私の兄は言いました。「しばらくの間、香港に母を連れていく。ここに留まるならば、心が平安になることはないだろうから」

 私は刑務所に戻った時、私の同室の者は興味深そうに朝に私に何が起こったのかを尋ねました。私はあまり話すことができませんでした。後で、私は蘇青に全てを伝えるための機会を見つけました。彼女は非常に心を動かされてこう言いました。私は信仰のためにすべてを放棄した若者のグループ出会ったことがあります。あなたは、特に裕福な家庭から来ている大学生です。あなたのお母さんと乳母の物語と同様に、今日の裁判の話を聞いたら、あなたに特別な美徳を見出すことが出来ます。作家としてこれ以上特筆に値するものは何もありません。私の住所を書き留めて下さい。いつか、あなたは私の家に来ることが出来るし、そうしたら、私はあなたについての小説を書くつもりです。ただ一つ後悔していることは、私たちが出会ったのが遅すぎたことです。

 私は彼女が描写しているように完璧だと思ったことはありません。それは、彼女に良い模範を示した信者です。私は彼女と一緒に過ごしたのはたった約40日間でしたので、彼女に公教要理を教えるのに十分な時間がありませんでした。何年か後、私は彼女を探そうと試みましたが、彼女の住所では見つけることができませんでした。彼女の隣人は彼女が数年前に亡くなったと私に言いました。彼女の葬式には親族はいたのみで、友人や読者はいませんでした。彼女が亡くなろうとする時、かつて私が語った私たちの主がどうして私たちのために十字架の上でお亡くなりになったかについて彼女が覚えていたことを願っています。もし、私が天の王国に入るのならば、どんなに彼女に再会したいと願っていることでしょう!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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