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ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第19章:墓地での散策

2011年10月09日 | カトリックとは
第19章:墓地での散策

 聖霊は、常に平和、喜びそして平穏をもたらしますが、悪魔たちはしばしば混乱と障害をもたらします。共産主義者の管轄下で暮らしている人々は、中国共産党が、絶えず政治運動をし、洗脳しようとすることをはっきりと知っています。1957年10月以来、中国共産党は、よく教育を受けた人々は彼らの奴隷になろうとはしないという信念のために、教育者に焦点を当てました。 私たちのカトリック教会は、中国共産党の最大の敵でした。中国共産党が、私たちを攻撃するために厳しい措置を講じることは確実でした。1958年3月から5月に、政府は、レジオ・マリエとカトリック青少年グループの元メンバーを学習班に召喚しました。この命令は、人が勉強したり、働いたり、家にいるか、既に共産主義に降参していたり、逮捕されて仮釈放されているかに関わらず必須でした。政府は、既に学校当局や他の関係機関に対し、カトリック青年の名前がブラックリストに載っていたことを通知していました。

 学習センターは、新閘路五五○号にありました。全カトリック教徒がそこで居住しなければならず、そこから離れることは禁じられていました。外出したい場合は、共産主義者の許可を求める必要がありました。これらの要求は、ほとんど許可されませんでした。この形式の政府の主導は、実際は別の洗脳技術であり、参加を拒否したりトラブルを起こした人は皆、即座に逮捕されました。この目的は、「三自革新愛国協会」の正式な設立でした。三自とは自治、自養及び自伝のことです。

 全カトリック教徒は、自分が教皇に反対したことを宣言し、また信仰のいくつかの基本的な真理を否定しなければなりませんでした。この運動の最中やその後に、多くのカトリック教徒は、学校から追放されるか職を失い、「右派」か「反革命」のどちらかに分類され、逮捕されました。レジオ・マリエの会長であるために私は逮捕され、繰り返し釈放されました。 私はもちろん、彼らが私を召喚するときに何が起こるか知っていました。私たちの意志は強くても、私たちの肉体は弱いのです。それは確かに、罪を犯しやすい機会を避けるのに役立ちました。彼らが私を呼び出した時、始めの私の応答は非常に短いものでした。「再逮捕して下さい。あなたに従います」しかし、彼らは日夜電話を掛けたり、やって来たりし続けました。この迷惑から逃れる方法を見つける必要がありました。どうすればいいでのしょう?ああ、私は何人かの求婚者がいました。求婚者の日一人とデートするのはどうでしょうか?それは非常に賢い方法のように思えました。すべての反カトリック組織は、人がボーイフレンドかガールフレンドを持つことを好みました。この非常に重要な時期に、もし人が誰かと愛し合っていたならば、多くの試練に直面した場合、10人のうち9人は自分の信仰を保つことが出来ませんでした。私は誰よりも弱かったことを自分自身でよくわかっていました。どうして、自分自身が人間的な愛に気を取られることを許せるのでしょう?答えは「いいえ!」でした。中国には、「三十六計逃げるに如かず」という有名な諺があります。でも、どこへ行く必要があるのでしょう?姉と私は他の都市に旅行出来ましたが、家族の面倒を見る必要がありました。唯一の方法は、早朝に家を出で、夕方に帰宅することでした。姉と私は、非常に近くの墓地に関心を持っていました。警察官でさえ、私たちについては来れないでしょう。そこは、その辺りでとても静かで穏やかでした。私たちは、死と審判について、長い黙想を行うことが出来ましたし、煉獄の哀れな霊魂の為に、多くの祈りを唱えることも出来ました。毎朝、私たちは別の墓地に行くために、何個かのケーキやパン、そしてミネラルウォーターを持っていきました。愛国会は、私たちがどこへ行こうとも、私たちを探すために最善を尽くしましたが、彼らは私たちを見つけることが出来ませんでした。

 我々は墓地に入る時、まるで、私たちが自分たちの未来を見たように思われました。死は私たちの生活の中で、最も明確な出来事でした。その時、私たちはまだ二十代でした。ええ、私たちは自然に世俗的な快楽を味わうことを好んでいました。どうすれば、私たちはすべての上に天主様を愛するために、私たちの心を向けることが出来るでしょうか? 1955年9月8日に、私はカルワリオの丘までに私たちの主に従うことを約束していました。今、自分の約束を守るために、自分から思い出す必要がありました。私はこの世を一瞥することもせず、遠くに留まなければなりませんでした。そうです。墓地を訪問することは、私たちにとって賢明な行為でした。墓地に到着すると、すぐに私たちは煉獄の全ての霊魂の冥福を祈って下さるよう聖母にお願いしつつ、ロザリオの五連を唱えました。それから、私たちは墓碑の説明を一行づつ読んでいきました。時々、私たちが晴れた日にそこに行くと、イエズス様の御慈悲が私たちに輝いているように感じました。イエズス様は、煉獄にある全ての霊魂の世話をしていました。私たちが雨や曇りの日に墓地に行った時、雰囲気は非常に重苦しく、霊魂が私たちに彼らの為に直ぐに祈るよう願っているかのようでした。墓地では、私は若くして事故で亡くなった人々に、より多くの注意を払いました。今でも、素早く書き留めたいくつかのメモを覚えています。私が墓地で知った最も奇妙な物語は、反右派運動の最中の1958年に亡くなった労働者でした。彼は出勤する途中に高い建物のそばを通った時、右派のエンジニアが自殺を試みて屋上から飛び降り、そして彼に衝突しました。労働者は即死しましたが、エンジニアは全く無傷でした。エンジニアの家族は、その労働者を記念するために墓を作りました。私たちは、墓地の管理人からこの話を聞かされました。

 また、自分の赤ん坊を産んだときに亡くなった母親がいました。彼女は娘のために彼女の生命を捧げたのです。ですが、彼女の娘が大きくなった後に、見たことが無い母親に敬意を表すだろうかと私は疑問に思いました。そして、一人の若い女性がいました。一枚の非常に美しい女性の写真に、私はとても感銘を受けました。彼女は私と同じ年齢でした。彼女のボーイフレンドの両親が、彼らが結婚することを許さなかったため、彼女は自殺しました。私は彼女のために大変同情しました。天主様の御恵みがなければ、多分私は同じことをしていました。何と私は祝福されていたことでしょう。天主様は、御自分の証し人として私を御選びになりました。もし、私がカトリックの信仰のために死ぬ機会があるならば、私の人生はどれほど価値のあることでしょうか。


聖ピオ十世司祭会本部からの公式発表2011年10月7日

2011年10月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会本部からの公式発表がありました。これを日本語に訳してくださった方がおられますので感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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聖ピオ十世司祭会本部からの公式発表

 2011年10月7日、聖ピオ十世会の全責任者たちによる会合がイタリアのアルバノで開かれ、その中で司祭会総長のベルナール・フェレー司教様が、去る9月14日の会合で教理聖省長官のウィリアム・レヴァダ枢機卿から手渡された教義的な前提文書の内容を紹介されました。

 この日、聖ピオ十世会の二十八人に及ぶ責任者たち‐神学校校長及び世界中からやって来た菅区長たち‐がこの会合に出席し、聖パウロによる「Tradidi quod et accepi‐私があなたたちに伝えたことは、私自身受けたことである」(前コ15:3)に倣ってマルセル・ルフェーブル大司教様が彼らに残された訓戒に忠実である為に、信仰を無傷かつ完全に保つという意志に於ける深い一致を表明しました。

 この勉強会議に引き続き、教義的な前提文書‐依然としてその内容は秘密である‐の研究が続けられ、さらに進んで、当前提文書は聖ピオ十世会の顧問会議レベルで、総長並びに二名の総長補佐であるニクラウス・フルーガ神父様とネリ神父様たちにより検討されることになり、ローマの提案に対する回答を、彼らが程よい時期に提出する事が出来ることでしょう。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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