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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 20.6.3.聖霊が大司教を捕らえる時

2013年04月22日 | ルフェーブル大司教の伝記
聖霊が大司教を捕らえる時

  しかし、説教の内容が全てではなかった。さらに説教の形式も存在するのである。ルフェーブル大司教は、聞いて理解してもらえるように話した。持ち前の声が大きくないので、彼は喜んでマイクを使った。伝えるべき事を冷静かつ単純に言い、修辞的な装飾を一切用いず彼は説教した。彼は単調ではなかった。いや、そうではない。しかし演説家が持つ声の高揚が彼にはなかった。彼の説教は、聞く者の心に訴えることはなく、感傷的なものではなかったが、むしろ知性を養い、意志を行動に招いた。

  しかしながら、意図せずして、聖霊が彼の上に降りたかのように、彼を捕らえ、彼に霊感しているように見える時、彼は、時に演説家になったのである。叙階式の説教中に司教冠を被りながら、彼は自分に伝達的な確信を感じ取った。口調はさらに活気に満ち、声は時々いっそう強くなり、指を使って強調すると共に、公教会の敵と司祭職の敵の場所に狙い撃ちするように、復讐の真理と戦いの原理を彼は発した。

  その時、この遠慮屋は大胆になり、自信にみちた控えめさに変貌したのだ。近くからより、遠くから見る彼はより強壮に見えさえした。信仰もない枢機卿との対話の時よりも、説教をする時の彼はより激しく大胆不敵であった。全く単純ではあるが、一対一で問題を話し合っている時は、配慮が彼を抑制してくれた。しかし、公然と話をしている時の彼は、遠慮する事もなく自由を感じてライオンになるのだった。

  ルフェーブル大司教は、何時も自分の説教を入念に準備した。彼はそれを書き留めたのだろうか?否。更に言えば、説教の草稿など全く残っていない。
彼は当日の典礼文を、ミサ典書あるいは司教用定式書から読み、聖福音書に目を通し、聖ヨハネや聖パウロから色々なお気に入りの引用句を集めると、自分の考えを整理した。それから、当日に及んで彼は、落ち着きと秩序を保ち、楽々とその考えを述べられた、ように見える。

 ところがある日の事、宣教師なる大司教は、ある首都で説教をしていた。旅の疲れにより、彼は記憶に穴があくのを感じた。全くの記憶の「空白状態」だ。彼は話すのを止め、不安に捕らえられた。そして汗の雫が彼の額に現れたのだ。しかし、不意に電気がショートして教会が暗闇に陥った。ヒューズが交換されるまでの時間に、説教の脈絡を思い出し、それからまるで何一つ起きなかったかのように彼は説教を終えたのである。

  ブルドゥレ(Bourdelet)神父は思い出を語っている。「彼は驚くほど明快に信仰の真理を詳細に説明して下さいました。」

 法学者のイーヴ・ピヴェール氏でさえ、ルフェーブル大司教の事を“彼が[自分の聴講者達を]説得すると言う意味での”演説家であると判断した。
「彼がお持ちだったのは賜物ですね。それは明証の賜物です。それは、裁判所において立派に使われるような弁論です。何か異論を持つことが不可能になります。彼の論のやり方の質にこそ全てがありました。」

 霊感されている時の大司教は、誰にもまねすることの出来ない言い回しを思いついた。例えば、「聖主は、天主なる唯一の人です。従って、彼は王であり、彼はそれ故に君臨しなければならないのです。その結果、彼は全てについて決定権を与えられています。」

  このような表現は、真理の聖言葉において‐in verbo veritatis‐演説する聖パウロによる“真理の言葉”に似ている。例えば「天国には、一人の仏教徒もイスラム教徒もいません。仮に誰かいたとしても、彼らは改宗していたのです。」  

 他にもこんなのがある。「聖主イエズス・キリストの神性を断言する事は、エキュメニズムを壊滅させる事であります。」

  これらは、パウロが恵まれていた“信仰の言葉”である。簡潔かつ簡明で、曖昧さの霧を打ち破り、天の高みから光を注ぐのである。このような“上智と知識”の言葉は、「ある人が自己の信仰を、敬虔な人々には分配しつつ、不信心な人々に対してはそれを守りながら、他者に伝達する」カリスマとして聖パウロと聖トマスから見做されている。

  よって、真正なカリスマを受けた人々の中にルフェーブル大司教を算入する事も出来るが、彼のカリスマは信仰の証聖者並び博士を作るカリスマであると私たちは付言しなければならない。

  そうだ、この高位聖職者は、復興の仕事にすっかり没頭していたが、ほとんど意識する事もなく、真の博士、すなわち司祭職の博士となったのである。


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