1. 聖ピオ十世会は教皇に対して不従順ではない
今日のミサ中の説教では、私たちの指導者たちに対して、私たちは尊敬や従順の義務を負っていることについてお話ししました。ところで、このように言う方もいらっしゃるかもしれません。
「あなたたちは指導者たちに対する服従について教えるけれども、あなたたち聖ピオ十世会は、教皇に対して不従順です!あなたたちは、第二バチカン公会議によって奨励された宗教の自由やエキュメニズムに反対しています。ミサについても、新しいやり方に従わない。共同司式もしない。手による聖体拝領も行わない。秘蹟についても、新しいやり方に従わない。新しい聖務日課を唱えない。新しい教会法に従わない。新しい祓魔式の儀式に従わない。新しいカテキズムを教えない。あなたたち聖ピオ十世会は、教皇に対して極めて不従順です!」と。
聖ピオ十世会がこのような新しいことを全くしていない、というのはその通りです。それでも、聖ピオ十世会は不従順ではありません。
どうしてでしょうか?それは、これらの新奇なやり方のすべてが、カトリックの信仰や道徳に、一定の害を与えるものであることが既に明らかになっているからです。これら全ての新奇なやり方が導入されて以来の、世界中でのカトリック教会の頽廃ぶりが、その証拠です。
私たちの主イエズス・キリストはこうおっしゃいました。「すべて、よい木はよい実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。よい木は悪い実をつけないし、悪い木はよい実をつけることができない。…だからあなたたちは、実によってその人を知ることができよう。(マテオ7章17節)」
最近の教皇たちによって奨励されてきたこれらの新奇なやり方は、カトリック教徒の信仰や道徳に害を与えるものです。
ところで、聖ロベルト・ベラルミーノはこのように言っています。「体を攻撃する教皇に抵抗するのが合法的であるのと全く同じように、もし教皇が霊魂たちを攻撃したり、社会の秩序を乱したり、またとりわけ、教会を破壊しようとしたりすることがあれば、そのような教皇に抵抗することは合法的である。わたしが言っているのは、そのような教皇が命ずることをせず、またその教皇の意志の実現を妨げることによって、その教皇に抵抗することが合法的だということである。」
したがって、聖ピオ十世会は、そのような新奇なやり方に抵抗する権利と義務を持っているのです。聖ピオ十世会は不従順ではありません。
2. 教皇の権威は、その使命による制限を受ける
またこのように言う方がいらっしゃるかもしれません。「イエズスはこうおっしゃいました。『あなたたちのいうことを聞く人は私のいうことを聞く人であり、あなたたちをこばむ人は、私をこばむ人である。そして、私をこばむ人は、私をお送りになったお方をこばむのである。(ルカ10章16節)』だから、教皇に反対することは、キリストご自身に反対することと同じです。」と。
教皇はキリストご自身ではなく、キリストの代理者に過ぎません。
教皇の使命とは、イエズス・キリストの御教えをあらゆるところで説くことです。教皇が、イエズス・キリストの御教えを変更する権限を持っているのではありません。その反対に、教皇はイエズスが教えられたことを、そのまま教える使命を持っているのです。イエズスは、聖ペトロや他の使徒たちにこのようにおっしゃいました。
「だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊との、み名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。(マテオ28章19節)」聖パウロはこう言っています。「あなたたちが受けたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。(ガラツィア1章9節)」
ですから、聖ピオ十世会が、信仰に害を与えるようなことを命じる教皇に反対する時、キリストご自身に反対しているのではありません。それどころか、キリストに忠実であるために、そのような教皇に反対しているのです。聖ペトロがユダヤ人の宗教指導者たちに反対した時には、こう言いました。「人間よりも神に従わなければなりません。(使徒行録5章29節)」
3. 聖ピオ十世会は教皇を裁かない
このように言う方がいらっしゃるかもしれません。「あなたたち聖ピオ十世会は、自分たち自身が教皇を裁く者だとしているから、非常に高慢です!教皇が言うことが信仰にとって良いことであるのか、悪いことであるのかを、あなたたち自身が決めています。聖ピオ十世会のどこに、そのような裁きをする権限があるというのでしょうか?」と。
聖ピオ十世会が、教皇や司教たちを裁くのではありません。そのような裁きをする権限は、聖ピオ十世会にはありません。
ただ、聖ピオ十世会の人々は、頭を使って考えます。第二バチカン公会議以降の教皇たちの教えの一部が、第二バチカン公会議以前の教皇たちの教えと明らかに矛盾していることは、聖ピオ十世会にもわかります。
教皇たちが常に教えていたことに従うか、あるいは第二バチカン公会議以降の5人の教皇が導入した新奇なやり方に従うかの選択に直面した聖ピオ十世会は、20世紀にもわたって教皇たちが常に教えてきたことに固く従う方を選んだのです。聖パウロはこう言いました。「あなたたちが受けたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。(ガラテア1章9節)」
聖ピオ十世会の創立者であるルフェーブル大司教は、すでに1974年に、こう宣言しています。
「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。」
このルフェーブル大司教の宣言が、教皇に関する聖ピオ十世会の立場を完璧にまとめたものです。
2021年4月25日 復活後第三主日の説教:ドモルネ神父
尊崇の徳についての短い説教
はじめに
今日の書簡の中で、聖ペトロが私たちに思い起こさせるのは、天主のゆえに、私たちは自らの指導者たちに対して尊敬の念を持つべきだということです。
「あなたたちは、天主のために、被造物であるすべての人々に服従しなさい。優れた王に対しても、悪人を罰し、善人を褒めるために天主から遣わされた統治者たちに対しても」(ペトロ前書2章13節)と書かれています。今日は、指導者たちに対する尊敬の徳である、尊崇の徳についてお話しします。
1.尊崇(observantia)の定義
私たちがある人に尊敬の念を持つ義務を有するのは、その人が優れているからであったり、また私たちがその人から受ける恩恵のためであったりします。その人は優れているため、私たちより上位に立つのです。私たちがその人から受ける恩恵のため、私たちはその人に借りができます。その人が優れていればいるほど、また私たちがその人から受ける恩恵が大きければ大きいほど、私たちの尊敬の義務はさらに大切なものとなります。
私たちはこのような尊敬の念を、まず第一に、天主に対して持つ義務があります。天主は最高の存在であり、最高の優越性を持っておられます。天主は善であり、知恵であり、力であり、美であり、真理であり、すべてが完全でいらっしゃいます。天主はこの世の最高の統治者であり、すべては天主の支配下にあります。天主は私たちの最高の父でいらっしゃいます。天主は私たちの存在、私たちの人間性、そして私たちが持っているすべてのものを与えてくださいます。これらの理由から、私たちは天主に最高の尊敬と礼拝を捧げる義務があります。私たちが天主にそのような礼拝を捧げるとき、私たちは「宗教」の徳を実践しているのです。
第二に、私たちは両親や祖国に、特別な尊敬の念を持つ義務があります。天主は、私たちに生命、教育、財物を直接与えてくださるのではなく、両親や祖国を通して与えてくださるのです。両親や祖国から、私たちは教育を受けます。両親や祖国から、私たちはその財物を受け継ぐのです。したがって、私たちは両親や祖国に対して、特別な尊敬の念を持つ義務があります。そして、私たちが両親と祖国に対してそのような尊敬の念を持つとき、私たちは「敬虔」の徳を実践しているのです。
第三に、私たちは自分の指導者たちに対して、特別な尊敬の念を持つ義務があります。天主は、この世の統治において、人間をご自身に結びつけられます。天主は夫に、自分の家族に対する権威を与えられます。天主は市長に、自分の都市に対する権威を与えられます。天主は王に、自分の国に対する権威を与えられます。天主は教皇に、教会全体に対する権威を、司教に、自分の教区に対する権威を与えられます。指導者たちには、人民の物質的、また霊的な福利を提供する、天主の代理者としての使命があります。それゆえ、私たちは指導者たちに対して、特別な尊敬の念を持つ義務があります。私たちがそのような尊敬の念を持つとき、私たちは「尊崇」の徳を実践しているのです。
2.人間である指導者の尊厳と権威の根源
人間である指導者たちの尊厳は、天主の代理者として人々を統治するという使命から来ています。指導者たちが天主の法に従って人民を統治すればするほど、指導者たちは人々から尊敬され、愛されます。指導者たちが天主の法に反して人民を統治すればするほど、指導者たちは人民から軽蔑されます。
現代の民主主義国家を見てください。ほとんどの指導者たちは、自分の権威は人々から得ていると言います。天主の法に背いて人民を統治しているのです。ですから、会話や新聞、討論などで、そのような指導者たちがどれほど人民から批判され、ばかにされているかを見ても、驚くべきことではありません。
人間である指導者たちの権威は、人民に物質的、また霊的な福利を提供するという使命から来ています。天主が、指導者たちにこの使命を与えられます。そのため、天主は指導者たちに、この使命を果たすための権威を与えられるのです。天主は指導者たちに、人民を地獄に導く権威を与えてはおられません。
ですから、指導者たちには、偽りの宗教を奨励する権威はありません。メディアが天主を冒涜したり、まことの宗教に反する発言をしたりすることを許す権限は、指導者たちにはありません。指導者たちには、主日に不必要な仕事をすることを許す権威はありません。指導者たちには、人々がミサにあずかって秘蹟を受けることを禁じる権限はありません。指導者たちには、妊娠中絶、安楽死、離婚を容認する権威はありません。
指導者たちが天主の法に反する言動や行動をしたときに彼らに反対することは、無礼でもなければ、不従順でもありません。聖ペトロは「私たちは、人よりも天主に従うべきです」(使徒行録5章29節)と言いました。
結論
今日、教会が私たちに思い起こさせるのは、宗教あるいは世俗の指導者たちの尊厳と権威についてです。指導者たちの尊厳と権威は、人民の霊的、また物質的な福利を提供するという、天主から受けた使命から来るものです。
私たちは尊崇の徳を実践しましょう。私たちの宗教あるいは世俗の指導者たちをばかにしたり、嘲笑したり、非難したりするような、忌まわしい習慣を注意深く避けましょう。その反対に、指導者たちのために祈りましょう。なぜなら、指導者たちの使命は簡単なものではありませんし、また指導者たちは自らの指導ぶりについて、いずれ天主に説明しなければならないからです。王たるキリストが、すべての指導者たちのために取り成してくださいますように。
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。
今週末:2021年4月30日(金)5月1日(土)2日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。
【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図)
4月30日(金) 17:30 ロザリオ及び告解 18:00 ミサ聖祭
5月1日(土) 10:00 ロザリオ及び告解 10:30 ミサ聖祭
5月2日(日) 10:00 ロザリオ及び告解 10:30 ミサ聖祭【ミサの開始が午前に変更になりました。ご注意ください。月曜日のミサはありません。】
【東京】 「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図 )
5月2日(日)主日ミサが三回捧げられます。
午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。
【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】
【修道院】
5月1日(初土) 10:00 ロザリオ及び告解 11:00 ミサ聖祭
5月3日から5月5日までは、例外的に午前7時15分からのミサはありません。秋田巡礼のため、御了承ください。
Ave Maria Immaculata!
My dearest Brethren!
I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of May 2, 2021.
Mass schedule in OSAKA:
Fri, April 30: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Sat, May 1: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
Sun, May 2: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、今日2021年5月2日は復活後第四主日です。
「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「復活後第四主日の説教」の動画をご紹介いたします。
ドモルネ神父様と小野田神父による、英語、フランス語、日本語のお説教です。
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天主様の祝福が豊にありますように!
トマス小野田圭志神父