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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズスの聖心を知りたければマリアに願え。マリアを通らなければ誰もイエズスに行けない。マリアを通さなければ誰もイエズスから何ひとつ受け取ることはない

2021年05月10日 | お説教・霊的講話

聖心の聖母についての短い説教

ドモルネ神父

はじめに

5月8日に、教会は童貞聖マリアの三つの称号をお祝いします。諸聖人と美しき愛の母マリア、すべての恵みの仲介者なるマリア、そしてイエズスの聖心の聖母マリアです。

これら三つの称号は、互いに関連しています。それを皆さんにわかっていただけるように、「イエズスの聖心の聖母」という称号について、少し説明したいと思います。

1.歴史と御影

「聖心の聖母」の称号は、1857年にジュール・シュヴァリエ神父によって使い始められました。シュヴァリエ神父は、フランスのイスダンにある聖心布教会の創設者です。この修道会は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、パプア・ニューギニアで勇敢に福音を広めたことで特に有名です。

聖心の聖母の御影について、少し説明しましょう。幼きイエズスがマリアの腕の中におられます。イエズスは私たちを見ながら、左手で聖心を指し、右手でマリアを指しておられます。マリアは左腕でイエズスを抱き、右手でイエズスの心臓に触れておられます。イエズスの心臓からマリアへ向けた、またマリアから逆に聖心へ向けた動きがあるかのようです。

では、「聖心の聖母」という称号が何を意味するのかを見てみましょう。

2.聖心の聖母は、天主の御母になられたマリアのことである

聖心の聖母の御影の中で、イエズスはこう言っておられるかのようです。「マリアによって形作られた私の聖心を見よ」。

聖心は、どのようにしてマリアによって形作られたのでしょうか。受胎告知の日に、救い主の母となることにマリアが全面的に同意したことによってです。天主は、天主なる御子のご托身を計画されました。しかし、天主はそのご計画の実現が、マリアの同意に依存するようにされました。ですから、厳密に言えば、もしマリアが救い主の御母になることを拒否なさっていたら、ご托身は起こらなかったのです。自由で完全な同意によって、マリアはイエズスの御母となられました。マリアはイエズスの人間としての御体とその聖心を形作られたのです。イエズスの人間としての心臓は天主の愛の象徴ですから、マリアは「美しき愛の母」という称号にふさわしいのです。教会は集会書の次の言葉を童貞聖マリアに当てはめます。「私は美しき愛の母である」(集会書24章24節)。

旧約では、レベッカはマリアのかたどりです。アブラハムは、息子イサクにふさわしい妻を探すために、しもべエリエゼルを派遣しました。エリエゼルは目的地に着き、井戸の近くで天主がイサクのために選ばれた女性を待っていました。聖書にはこう書かれています(創世記24章16節)。「娘はたいそう美しい女で、処女でまだ男を知らなかった」。彼女は泉におりていきました。彼女の名前はレベッカでした。彼女はイサクの妻になることを受け入れ、後にイスラエル【ヤコブ】の母となりました。エリエゼルを送ったアブラハムは、父なる天主のかたどりです。エリエゼルは、天主から遣わされた大天使ガブリエルのかたどりです。レベッカは、無原罪にして聖寵充ち満てるマリアのかたどりです。イスラエルは、イエズス・キリストを意味します。レベッカがエリエゼルの申し出を受け入れてイスラエルの母となったように、マリアも大天使ガブリエルの申し出を受け入れてイエズス・キリストの御母となられたのです。

 3.聖心の聖母は、すべての恵みの仲介者なるマリアのことである

聖心の聖母の御影の中で、イエズスはご自分の聖心とマリアを同時に指しておられます。イエズスは私たちに、「私の聖心とそのすべての富はマリアのものである」と言っておられるかのようです。なぜそうなのでしょうか。贖い主の母となることを受け入れることによって、マリアは贖いのみわざにおいてイエズスと一致することを受け入れられたのです。エバがアダムと一緒に人類が自然に生まれるわざを行ったように、マリアはイエズスと一緒に人類が霊的に再び生まれるみわざをなさったのです。

この一致のため、イエズスは、ご自身の受難によって得られたすべての恵みを、すべての恵みの仲介者なるマリアに委ねられました。ですから、今、私たちが受ける一つ一つの恵みは、すべてマリアを通して受けるのです。私たちはマリアによって霊的に再び生まれるのです。この現実を表現するために、十字架上のイエズスは私たち全員に「あなたの母を見よ」(ヨハネ19章27節)と言われました。聖母によって霊的に再び生まれなければ、誰も天国に行くことはできません。ですから、聖心の聖母は諸聖人の母なのです。

旧約聖書に出てくるレベッカについてもう一度考えてみましょう。彼女は泉でエリエゼルと出会いました。彼女は、エリエゼルのためだけでなく、彼のすべてのラクダたちのためにも水を汲みました。聖書では、水は恵みの象徴であり、井戸はすべての恵みの源であるイエズスの象徴です。イエズスがサマリヤの女に言われた言葉を思い出してください。「私の与える水は、その人の中で、永遠の命に湧き出る水の泉となる」【ヨハネ4章14節】。また、イエズスの聖心の祝日に、教会はイザヤのこの言葉を聖心に当てはめます。「おまえたちは喜んで、救いの泉から水を汲む」(イザヤ12章3節)。井戸から水を汲み、エリエゼルとそのすべてのラクダたちに水を与えたレベッカは、イエズスの聖心からすべての恵みを汲み取り、それをすべての人に配る童貞聖マリアのかたどりです。

結論

聖心の聖母、美しき愛の母、すべての恵みの仲介者、諸聖人の母というこれらの称号が、すべて互いに関連していることが、お分かりいただけたかと思います。もし機会があれば、聖心の聖母の御影を見てみてください。インターネットで簡単に見つけることができます。その御影では、イエズスは私たちにこう言っておられます。

「私の聖心を知りたければ、マリアに願いなさい。あなたにそれを教えるのは、まさにマリアである。マリアを通らなければ、誰も私のところに来ることはない。私の聖心から何かを受けたいときは、いつもマリアに願いなさい。私のすべての恵みをつかさどるのは、マリアである。マリアを通さなければ、誰も、私から何ひとつ受け取ることはない」。


【参考資料】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の「第5回バチカン国際会議」についての宣言

2021年05月10日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の「第5回バチカン国際会議」についての宣言

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の「第5回バチカン国際会議」についての宣言

Abp. Viganò: Upcoming Vatican Conference “Disturbing Departure from Catholic Orthodoxy”
ヴィガノ大司教「"カトリックの正統からの逸脱を起こす" 間近に迫ったバチカン国際会議」

2021年4月20日

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の
「第5回バチカン国際会議」についての宣言

2021年5月6日から8日まで、「心、体、霊魂を探る。防ぐために一致、癒やすために一致。世界的なヘルスケア・イニシアチブ。革新と新しい配送システムがいかに人間の健康を改善するか」(Exploring the Mind, Body & Soul. Unite to Prevent & Unite to Cure. A Global Health Care Initiative: How Innovation and Novel Delivery Systems Improve Human Health)と題して第5回バチカン国際会議が開催されます。このイベントは、教皇庁文化評議会、「Cura Foundation」、「Science and Faith Foundation」、「ステム・フォア・ライフ」(Stem for Life)の主催で行われます。

ニュースサイト「LifeSiteNews」のマイケル・ヘインズが、取り上げられるテーマと参加者について報告しています(こちら)。

参加者には、恥ずべき利益相反のために米国でのパンデミックの管理を引き受けることができなかった悪名高いアンソニー・ファウチ、サタン教会の信奉者にして妊娠中絶の熱心な支持者チェルシー・クリントン【ビル・クリントン元米大統領、ヒラリー・クリントン元米国務長官の娘】、ニューエイジの指導者(guru)ディーパック・チョプラ、環境保護活動家でチンパンジーの専門家であるデイム(Dame)・ジェーン・グドール、ファイザー社とモデルナ社のCEO、巨大IT企業(Big Tech)の代表者たち、そして一般に知られている妊娠中絶推進者、マルサス主義者、世界統一主義者(globalist)らがいます。会議には、CNN、MSNBC、CBS、フォーブスなどの左翼メディアのみから著名なジャーナリスト5人が進行役として起用されています。

この会議は ---- リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドの「包括的資本主義協議会」、「教育のためのグローバル・コンパクト」、そして6月にカザフスタンのアスタナで開催される諸宗教間の「パンテオン」とともに ----、現在の位階階級、特にそのローマの最高位のメンバーらがカトリックの正統から逸脱を起こしていることの何度目か分からないほどの確認になるという、つまずきを与えるものです。聖座は、教会の超自然的な使命を意図的に放棄し、反キリスト的な反教導権によって、新世界秩序(New World Order)とフリーメーソン的な世界統一主義のしもべとなっています。ホルヘ・マリオ・ベルゴリオとイデオロギー的に一致し、彼が保護・昇進させている人々によって占められている同じローマ教皇庁の諸部署は、信仰、道徳、教会の規律、修道院・修道生活を破壊するという無慈悲な仕事を、今も抑制されることなく自由に続けています。その努力は、キリストの花嫁を、巨大な権力の奴隷となった慈善団体に変えようとするもので、前代未聞であるのと同じほど空虚なものです。その結果、姦淫、同性愛、妊娠中絶、安楽死、偶像崇拝、そして知性と意志のあらゆる倒錯を正当化することを目的とした、異端で堕落した近代主義者のカルトが、まことの教会の上に重ねられているのです。まことの教会は今、その牧者たちによって日食に蝕まれ、否定され、信用を落とされ、最高位の玉座を占める者にさえ裏切られています。

ディープ・チャーチが、ディープ・ステートと一致してこの地獄の計画を実行するために、自らのメンバーを何とか選出することができたという事実は、もはや単なる疑惑ではなく、今や疑問を投げかけ、光を当てることが不可欠となっている現象です。「真理の座」(Cathedra veritatis)がフリーメーソンのエリートの利益に服従していることは、「聖なる牧者たち」の耳が聞こえないかのような沈黙や、見捨てられた天主の民の困惑など、すべての証拠において明らかになっています。

バチカンが、世界統一主義のイデオロギーに向け、堕落した「リビドー・サービス」(ibido serviendi)【欲望を満たすサービス】を行っていることのさらなる証拠が、証言や講演を行う発言者の選択です。妊娠中絶の支持者、研究における胎児材料の使用の支持者、人口減少の支持者、汎性的なLGBTアジェンダの支持者、そして何よりも、新型コロナウイルス感染症やいわゆるワクチンの物語の支持者です。教皇庁文化評議会の議長であるラヴァシ枢機卿は、ディープ・チャーチや近代主義者の進歩主義の主要な代表者の一人であるのは確かですが、悪名高いフリーメーソン・セクトとの対話の提唱者であり、また有名な「異邦人の中庭」【イスラエルの第二神殿にあった異邦人も入れる同名の場所にちなんだベネディクト十六世の意向によるイベント】の推進者でもあります。ですから、このイベント【会議】の主催者の中にステム・フォア・ライフ財団(Stem for Life Foundation)が含まれているのも不思議ではありません。この団体は、誇らしくも自らを「細胞治療の開発を促進するための運動を起こすことを目的とした、宗派にも党派にもとらわれない非課税団体」と定義しています。

しかし、さらによく調べてみると、このバチカン会議の宗派性、党派性は、それが取り上げるテーマ、それが引き出そうと求める結論、その参加者、その後援者によって明らかにされています。システィーナ礼拝堂の天井に描かれたミケランジェロの天地創造のフレスコ画を拡大したもので、父なる天主の手がアダムの手に向かって伸びているものの、どちらの手も使い捨ての手術用手袋で覆われており、新しい「健康典礼」の規定を想起させ、主ご自身でさえウイルスを撒き散らす可能性があることを暗示しています。

この冒涜的な表現によって、創造の秩序は、治療の反創造へとひっくり返り、そこでは、人間が自分自身を救い、人間が自分自身の健康の「贖い」の狂気を帯びた作者となるのです。新型コロナウイルス感染症という宗教は、洗礼の清めの洗盤の代わりに、障害と死をもたらすワクチンを唯一の救いの手段として提案しています。天主の啓示への信仰の代わりに、私たちが目にするのは、迷信と、科学的には何の根拠もない戒律への不合理な同意であり、それには、まことの宗教を冒涜的なパロディで模倣した儀式や典礼が伴っているのです。

このイメージの選択には、異常で冒涜的な響きがあります。なぜなら、よく知られた、そして感情に訴えるイメージを使うことにより、誤りの偏ったナラティヴ(物語)をほのめかし、宣伝しているからです。そのナラティヴ(物語)によれば、「コッホの原則」(こちら)に従ってはウイルスがまだ分離されておらず、既存の治療法で効果的に治癒できる、季節性インフルエンザに対して、効果がないと認められ、副作用が未知の実験段階にあるワクチンを投与する必要があると言うのです。しかもワクチン製造者は、そのワクチン配布のために「免責」という犯罪的な盾をさえ手に入れました。

遺伝子血清を製造するために妊娠3カ月でバラバラにされた子どもたちから、殺されたり傷つけられたりした何千人もの人々まで、健康モロク【モロク:古代の中東の人々があがめていた神の名で、子どもがいけにえとして捧げられた】の祭壇で捧げられたいけにえでは、巨大製薬会社の地獄のようなマシーンを止めることができず、今後数カ月の間にこの[モロクの]現象が再燃することが懸念されています。

ベルゴリオが遺伝子血清の普及に熱心なのは、都市封鎖とミサや秘蹟にあずかる信徒の数の低下でバチカンや教区が被った損失の補償という、経済的な理由もあるのではないかと人は思うかもしれません。一方で、中国での人権や宗教的権利の侵害に関するローマの沈黙が、北京の独裁政権からの実質的な聖職禄で支払いを受けているのだとすれば、バチカンがワクチンを推進することと引き換えに、この[支払いの]枠組みを大規模に再現することを妨げるものは何もありません。

この会議では明らかに、最も重要な道徳的・教理的問題について、昔からの教導権の教えに間接的にさえも触れないように細心の注意が払われています。逆に、ニューエイジに触発された、無定形のエキュメニカルなお題目(レパートリー)とともに、この世のメンタリティーや主流のイデオロギーに対するへつらいの賛辞だけが唯一の声となるでしょう。

2003年に、同じ教皇庁文化評議会が、ヨガや瞑想をはじめとするニューエイジ思想を、カトリックの信仰とは相容れないものとして非難していることに私は注目しています。

このバチカンの文書によると、ニューエイジ思想は、「国際的に影響力のある多くのグループが、人類を統合する一つの普遍的な宗教のための場所を作るために、特定の宗教に取って代わる、あるいは超越するという目標を共有している。これと密接に関連するのが、現代の文化、経済、政治のグローバルな性質を反映した倫理的枠組みである『グローバル倫理』(Global Ethic)を考案しようとする多くの機関の一部に対する非常に協調的な取り組みである。さらに、環境保護的な問題の政治化は、ガイア仮説や母なる大地の礼拝という問題全体を彩っているのは確実である」(2.5)。

言うまでもなく、聖ペトロ大聖堂がパチャママという偶像の崇敬によって冒涜された異教的な儀式は、2003年のバチカンの文書で糾弾された「環境保護的な問題の政治化」に完全に合致するものであり、今日では、回勅「ラウダート・シ」(Laudato Sì)や同「フラテッリ・トゥッティ」(Fratelli Tutti)に始まる、いわゆるベルゴリオの教導権によって、逆に推進されています。

ラ・サレットで、聖母は私たちにこう警告されました。「ローマは信仰を失い、反キリストの座となるでしょう」。 信仰を失うのは、キリストの約束によって守られている聖なる教会ではなく、いとも聖なるペトロの座を占め、今日、私たちが新世界秩序の反福音を広めているのを目にしているセクトでしょう。

もはや沈黙していることはできません。なぜなら、今日、私たちが沈黙しているなら、天主と人類の敵に加担する者になってしまうからです。何百万人もの信者が、牧者たちの数え切れないほどのつまずきや、自分たちの使命に対する裏切り、そして反キリストの国の確立を支持することなく聖なる福音を証しするように聖なる叙階によって召されている人たちの離脱に嫌気がさしています。

私は、司教職にある兄弟、司祭、修道者、そして特に、自分たちが位階階級に裏切られていると感じている信心深い信徒の皆さんに、神秘体のかしらである主へのまことの従順の精神をもって、この背教とその原因を断固として勇気をもって糾弾するために、声を上げていただきたい切に願います。私はすべての人に、天主の御稜威が御慈悲の心に駆られ、私たちの援助のために介入してくださるよう祈ります。「戦列を整えし恐るべき」(terribilis ut castrorum acies ordinata)至聖なる童貞が天主の玉座の御前で執り成してくださり、「キリスト信者の助け」(Auxilium Christianorum)なる栄光ある称号で呼び求めた子らの至らなさを、御功徳で補ってくださいますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2021年4月20日
復活の八日間後の第二週の火曜日


【参考資料】バチカンの透明性に関する新条項:もう一つのファサード作戦(よく見せかける作戦)

2021年05月10日 | カトリック・ニュースなど

アルド・マリア・ヴァッリ 2021年4月30日


バチカンの幹部は、部署の長や管理者である枢機卿たちを含め、テロやマネーロンダリング、脱税などの有罪判決や捜査を受けていないことを示す宣言書に署名する必要があります。さらに、タックスヘイブン(租税回避地)に資産を保有したり、教会の教理に反する活動をする企業に投資したりしてはなりません。これらの規定は、教皇が新たに発表した自発教令に記載されており、その中には財政運営の透明性に関する条項が含まれています。この宣言書には、あらゆる役職や地位に就く際に署名しなければならず、2年ごとに繰り返さなければなりません。また、バチカンの全職員が40ユーロ【約5,200円】以上の贈り物を受け取ることも禁じられています。宣言書の全文こちらからご覧いただけます。

しかし、簡単なコメントをさせてください。新しい自発教令は信じられないものです。教皇が枢機卿たちや管理責任者たちにこのような宣言書に署名を強いるということは、二つのうちの一つが真実でなければなりません。つまり、教皇が自ら選んだ人材に自信がないことを意味するか、あるいは「聖なる宮殿」の腐敗、不正、不道徳の状態が常態化していることを意味するかです。どちらにしても、バチカンの支配階級には悪い印象を受けます。あるいは、第三の可能性として、教皇が、不正と戦う自分の偉大さを世界に示すために、「pro domo sua」【自分の家のために=自分の利害のために】この措置を決定したということです。しかし、この場合でも、この作戦はローマ教皇庁、バチカン市国、聖座の信頼性に壊滅的な打撃を与えることになります。しかし、そのような信頼性は、サンタ・マルタ館の現在の住人【教皇フランシスコ】の気がかりであるようには思えません。


外部から見る者は、汚職との戦いに力を尽くしてきたベルゴリオが、汚職の協力者たちの犠牲になったというメディアのイメージを信じてしまうかもしれません。しかしバチカン内部の力学を知る者には、今日の宣言とは現実を偽るためのもう一つの努力であり、そこで開示された情報が実際に起こっていることとは正反対であるということを知っています。カルロ・マリア・ヴィガノ大司教のように、汚職と戦おうとし、バチカン市国(あるいは行政庁)の予算を浄化するために効果的に働いた人たちは、システムに対する脅威であるという理由で、「昇進」(promoveatur ut amoveatur-「その人を排除するために昇進させる」)させられ、信頼のある協力者のチームは分散させられたのです。その中でも最も重要なエウジェニオ・ハスラー(Eugenio Hasler)は、【2020年3月27日】「あわれみの教皇」から、言葉にできないような扱いを受けました。出頭を求められた彼は、何の理由もなくその場で解雇され、メディアの笑い者となり、その尊厳は破壊されました。

また、ペル枢機卿をはじめとする使徒座の財産を管理する優れた人々の業績が、根拠のない告発や、害によって阻まれたことも忘れてはなりません。実際に、このオーストラリア人のペル枢機卿は不当な投獄の刑を受けましたが、後に完全に無罪となりました。その一方で、バチカンの財政破綻の立役者たちの立場はそのままであるだけでなく、彼らの脇を固めるのは大部分が妥協した人物であり、したがって極めて脅迫しやすく、簡単に操ることができるのです。

中絶薬を製造する製薬会社への出資など、ここ数カ月で明らかになってきたバチカンのスキャンダルは、粉飾決算でごまかすことはできません。また、ロンドンでの不動産投機で糾弾されたあとでベッシウ枢機卿が解任されたからといって、大げさな自発教令で世論を魅了できると信じている人々の極めて重大な責任を軽減することはできません。自発教令を発表した者たちこそが、その代わりに、慢性的な不正行為の状況を決定的に癒やすことができたはずの人々を解任することで、腐敗と利益相反の条件を自ら作り出したまさにその者たちなのです。

ベルゴリオはまたしても、教会のイメージと威信を失墜させて、自分を道徳的な人物として前面に押し出し、個人的な利益を得ようと決心したように思えます。しかし、歴史が私たちに教えてくれるのは、独裁者の典型である人格崇拝は、容易に「記憶の抹殺」(damnatio memoriae)に変わるということです。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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