Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考情報】岡田正彦 教授(新潟大学名誉教授)の「新型コロナワクチンは危険」

2021年05月19日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

参考情報です。

岡田正彦 教授(新潟大学名誉教授)の「新型コロナワクチンは危険」

岡田正彦 教授は、インフォームド・コンセントという立場から、「新型コロナワクチン」の仕組みを解説しています。参考情報としてご紹介いたします。

*ファイザー社とモデルナ社の「新型コロナワクチン」では、コロナウイルスの表面にあるスパイクタンパク質(トゲトゲの構造)を作り出すような遺伝子を人工的に作り、それを人体に注射する。

*この遺伝子は、メッセンジャー RNA と呼ばれている。

*スパイクタンパク質は異物なので、免疫細胞がこのスパイクタンパク質を見つけて、これを異物と見なし、免疫反応を起こす。その結果できるのが「抗体」。

*メッセンジャー RNAは、一回タンパク質を作ると役目が終わり、普通は自然に分解される。しかし、コロナワクチンの RNA は分解されないように作られている。

*この人工遺伝子が半永久的に残ると、免疫細胞による免疫反応がいつまでも起る(自己免疫病)。いわば関節リウマチのような病気になる。

*アストラゼネカ社の「新型コロナワクチン」の場合、使われるのはメッセンジャー RNA ではなく、DNA。

*アストラゼネカのワクチンの場合、内容がほとんど公開されていないので、どのような添加物が入っているのがわからない。

*DNAなので、接種した人の細胞の遺伝子の中に組み込まれて体内にずっと残る。絶えずスパイクタンパク質が作り続けられることになる。過剰な抗体生産により、その免疫反応も、さらに強いものだと想像される。

*自然なDNA全体の、どの部分にコロナのスパイクタンパク質のDNAが組み込まれるか予測不能。いったん組み込まれたコロナのスパイクタンパク質のDNAは、体内に残るので、発ガンの潜伏期を考えると、10年間は経過を観察する必要がある。

*ブラジル、南アフリカ、英国で、変異ウイルスが相次いで発生したと報じられている。この三つの国というのは、アストラゼネカ社が昨年、治験を行った国。ワクチンが強すぎて、それに対抗するために、ウイルスが過剰に変異してしまったのではないか?

*ワクチンについて異論を許さない雰囲気があり、これはまるで太平洋戦争当時の大本営発表のよう。テレビや週刊誌が、政府に忖度し、真実を伝えなくなってしまった。

*感染リスクがほとんどない健康な一般市民に、安全性がまったく保証されていないワクチン接種を強要するのは、犯罪だ。


聖パウロは言います「実は私たちは、外国人であって、よそ者であって、巡礼者であり、旅人であると考えよ。」

2021年05月19日 | お説教・霊的講話

2021年4月25日(主日)御復活後第3主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、今日私たちの主は、「しばらくの間、お前たちは私を見ないだろう。そして私たちの悲しみは、喜びに変わるだろう」と仰いました。

聖パウロは言っています「実は私たちは、外国人であって、よそ者であって、巡礼者であり、旅人として tamquam ádvenas et peregrínos」考えよ。私たちは、この今いる世界にずっといるわけではない。ほんの束の間に通り過ぎるだけだ、と教えています。

まさにこれこそが、私たちのこの世に対する態度です。この世にいるのは、しばらくの間であって、悲しみに満ちています。涙の谷に住んでいます。しかし、これはほんの少しの間で、永遠の無限の喜びが待っている、という事です。

この事から私たちは、2つの事が分かります。

1つは、この世の生活は通過点であることです。愛着をしてはいけない、ということです。

第2には、この世は悲しみに満ちているということです。十字架の道行きです。しかしこの十字架を通ってこそ、天国に行く事ができる、という事です。

この世の事だけを考えようとする、考える事を私たちに勧める人がたくさん周りにいるかもしれません。
たとえば、
「この自然を破壊してはならない。自然は怒っている。もう自然は私たちを許してくれない。だから私たちは科学技術を使って、この地球をコントロールしなければならない、人類から自由を奪って管理下に置くべきだ、人口を削減すべきだ…」とか・・・。
あるいは、
「この地上で楽園を作ろう、建設しよう。国境をなくそう。今あるような貧困を消滅させて、これから全人類は何も働かなくて良くなるし、この地上で皆が幸せになって、それでベーシックインカムを皆がもらうようになって、それで国も全て無くなって、面白おかしく生活するようになる」とか。
あるいはその他、
「この世の中は、ますます良くなる、進歩する、苦しみがなくなる」という事を言う人がいるかもしれません。

たくさん聞くかもしれません。しかしどうぞ、眉に唾を付けて下さい。

イエズス様は、真の天主は、唯一の道を教えてくれました、「私たちのこの地上の目的は、ここに楽園を作る事ではなくて、天国を作る事でもなくて、永遠の命を得る事であって、この地上は、ほんの少しの試練の場である」という事です。

マリア様にいつもお祈り致しましょう。私たちがいつもその事を忘れる事がないように、そして多くの方がその事に気付きますように、お祈り致しましょう。

秋田に来週から参ります。どうぞ良い巡礼ができますように、お祈り致しましょう。秋田の聖母はお待ちです。またクリプトンの方々も、私たちを大歓迎すると待っています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


「私はぶどうの木である。私の聖父は栽培する者である。私に留まれ。もしも私に留まらなければ、お前たちは何も実を付ける事ができない。」

2021年05月19日 | お説教・霊的講話

2021年4月23日(金)殉教者聖ジョルジオのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄妹の皆さん、今日は聖ジョルジオ殉教者の祝日です。

イエズス様の言葉を聞いて下さい。
「私はぶどうの木である。私の聖父は農夫である、栽培する者である。」

「栽培する者」というのは、ギリシャ語で“ゲオルゴスγεωργός ”と言います。今日の殉教者の名前、聖ジェオルジェウス Georgius です。

イエズス様は言葉を続けます、「私に留まれ、私がお前たちに留まっているように。もしも私に留まらなければ、お前たちは何も実を付ける事ができない。もしも私がいなければ、お前たちは何もする事ができない。」

ですから私たちの関心はいつも、「イエズス様に留まっている事」でありますように、お祈り致しましょう。

イエズス様にどうやったら留まる事ができるでしょうか?

成聖の恩寵、罪のない霊魂でいるという事、そして特に何かをする時に、「これは御身を愛する為に、イエズス様への愛の為に、これは霊魂の回心の為に、罪人の回心の為にお捧げする」という意向を持って捧げる事によって、イエズス様に留まる事ができます。

イエズス様にいつも留まる事ができますように、マリア様にお祈り致しましょう。

「私はぶどうの木である。お前たちは枝である。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2021年4月24日(土)殉教者シグマリンゲンの聖フィデリスのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

「私はぶどうの木である。お前たちは枝である。」

イエズス様は今日の福音で、「もしも私に留まっているなら、私の御言葉も留まり、そしてお前たちが何を望んでも、それが叶えられるだろう。」非常に慰めの言葉を仰って下さっています。

聖父は栽培主なので、もしもイエズス様に付いていないのならば、そのような枯れた木は捨てて焼いてしまいますが、しかし付いている枝が、それがもっと実る事ができるように、それに手入れをして、いらない木は取り払って、いらないものは取り払って、そして多くの実が結ぶように、その実りが多くあるように、枝が望むものは全て与えられる。

私たちも、イエズス様にいつも留まっている事ができますように、お祈り致しましょう。

そしてイエズス様に大胆にお祈り、お願い致しましょう。

まず、イエズス様に最後まで留まって、豊かな実りを結ぶ事ができるように、聖徳の実りを結ぶ事ができるように。そして、多くの方々が、イエズス様を知り、愛し、永遠の命まで導かれますように、お祈りしましょう。

大阪では大司教区では、緊急事態宣言の為に、公のミサが捧げられなくなってしまうと聞きました。ですから、私たちの聖堂は公のミサが捧げられる唯一の場所となっています。

イエズス様に、特別の御憐みと御恵みを乞い求めましょう。このような事態が一刻も早く終わりますように、そしてカトリック教会が、自由にミサを捧げて、イエズス様を讃美する事ができますように、そして聖伝のミサが日本中に、世界中に広まりますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


私たちは聖母を「象牙の塔」と呼びます。なぜ「象牙」なのでしょうか。

2021年05月19日 | お説教・霊的講話

御昇天の祝日についての短い説教

ドモルネ神父

はじめに

この前の木曜日、私たちは、私たちの主イエズスの御昇天の祝日をお祝いしました。私たちは、希望の徳を、御昇天に関連づけられたものと考えます。イエズスが天国へ昇られたことは、私たちが地上においてイエズスの教えに従うならば、私たちも天国に行けるという保証なのです。

また5月中、私たちは通常毎日、童貞聖マリアの連祷を唱えます。ですから、この二つの要素を合わせて、私たちが童貞聖マリアにお捧げしている「象牙の塔」という称号についてお話ししたいと思います。この称号が私たちに教えるのは、マリアについて、そして希望の徳についてです。

希望の徳

私たちは地上で、霊的な戦いの状態にあります。私たちは、自分自身の情欲、すなわち快楽を求める無秩序で罪深い渇望と戦わなければなりません。私たちは、私たちの永遠の滅びを目指して熱心に活動する悪魔と戦わなければなりません。私たちは、この世、すなわちその教えや言葉、手本によって私たちをつまずかせ、私たちが、永遠の命よりもこの世の物事や快楽に幸せを見いだすようにさせようとするすべての人々と戦わなければなりません。これらの敵は常に活動的です。こういう訳で、地上に永続的な平和はないのです。私たちは常に戦う必要があり、その結果、常に何らかの苦しみを耐え忍ぶ必要があります。

このような状況ですから、私たちは自分の意志を強める必要があります。それは、敵の攻撃に抵抗し、苦難の中にも多少の慰めを得て、永遠の命に目を向け、私たちを助けてくださるという私たちの主イエズス・キリストの御約束に、確信を持ち続けるためです。この特別な強さは、特別な徳、すなわち希望の徳によってもたらされます。

童貞聖マリアの希望

童貞聖マリアの生涯を見てみましょう。聖母が、あらゆる試練やひどい悲しみを、どれほど固く耐え忍ばれたかを見てください。このことは、聖母の希望の徳がどれほど強かったかを明らかにしています。エジプトへの逃避や異教徒の国での亡命生活も、ナザレトでの生活の貧しさも、御子である私たちの主イエズスに対する迫害も、イエズスのご受難も、イエズスの十字架刑も、いずれも聖母を倒れさせたり、絶望させたりすることはできませんでした。聖母は十字架のもとに立っておられました。聖母の強さの秘訣は何だったのでしょうか。その秘訣は、聖母の希望の徳でした。贖いに関する天主の御約束への希望、敵に敗れたように見えても最終的にはキリストが勝利されることの確信、御受難と十字架のいけにえによって罪の赦しが得られたことへの確信、贖いのみわざによって、比べようのない栄光が天主に捧げられたことへの確信でした。

象牙の塔という称号

希望の徳は霊魂を、いかなる試練にも耐え、敵のいかなる攻撃にも抵抗し、あきらめることなく、絶望することなく、苦悩や悲しみに沈むことのないようにするのです。希望の徳は、岩の上に建てられた塔に例えられます。聖母の連祷の中で、私たちは私たちの祝されし母を「塔」と呼びます。これは聖母の英雄的な希望の徳に関する称号です。

私たちは聖母を「象牙の塔」と呼びます。なぜ「象牙」なのでしょうか。なぜなら、象牙は芸術品に使われる高価な素材であり、素晴らしい美しさの象徴だからです。また、象牙は白いため、純粋さの象徴でもあります。また、象牙は非常に硬く(象の牙が象牙であることを思い出してください)、強さの象徴でもあります。また、象牙は腐敗しないものであり、永遠の象徴でもあります。

ですから、私たちが童貞聖マリアが「象牙の塔」であると信仰告白するとき、私たちはマリアが、その希望のゆえに、いかに偉大なお方であったかということを言いたいのです。希望の徳は、聖母がすべての完徳の源である天主の方に完全に向いておられたがゆえに、聖母を美しくしたのです。希望は、マリアをこの世の物事への執着から離れさせ、純粋にしました。希望はマリアを強め、共贖のみわざにおいてマリアが必ず耐え忍べるようにしました。希望はマリアを腐敗することのないものとし、マリアを永遠の命に至らせました。

ウィーンの勝利

1683年、強力なトルコ・イスラムの軍隊が、キリスト教世界を破壊するためにヨーロッパに侵攻しました。【現在の】オーストリアの首都であるウィーン市を取り囲み、包囲戦を開始しました。もしこの都市が制圧されれば、全ヨーロッパがイスラム軍の攻撃の対象となってしまうのです。そこで、全キリスト教徒は、天主の御母に御助けと御保護を求めて、真剣に祈り始めました。教皇イノチェンチオ十一世は、もしトルコ軍に対する勝利が与えられるならば、童貞聖マリアをたたえる特別な祝日を設けることを約束しました。敬虔なポーランド王ソビエスキは、トルコ軍と戦う軍隊を何とか集めました。しかし、その軍隊はトルコの軍隊よりもはるかに人数が少なかったのです。彼の勝利への唯一の希望は、「キリスト信者の助け」なる聖母の御助けにありました。戦いの前に、ソビエスキはミサを捧げさせ、自ら侍者を務めました。その後、トルコ軍との戦いが始まりました。そして、それはキリスト教軍の完全な勝利となったのです。トルコ軍は本当にちりぢりになってしまいました。教皇イノチェンチオ十一世は約束を守り、この信じがたい勝利を記念して、マリアの聖なる御名の祝日を制定しました。

結論

この話から、童貞聖マリアの御助けがあれば不可能なことはないということを学びましょう。逆境においても揺るがず、どんな敵に対しても揺るがず、私たちのカトリック信仰において、いつも揺るがないようにしましょう。私たちは地上の巡礼者です。私たちの故郷は天国であり、私たちが行きたいのは、その天国です。童貞聖マリアは、私たちの象牙の塔です。

私たちが情欲や悪魔やこの世から攻撃を受けるとき、童貞聖マリアのところに逃げ込みましょう。聖母は私たちを成聖の恩寵の状態に保ってくださるでしょう。聖母は、私たちのどんな意向においても、私たちを純粋に保ってくださるでしょう。聖母は、私たちが何事にも打ち負かされないよう、私たちを守ってくださるでしょう。聖母は、私たちが永遠の命に至ることができるよう、この世において私たちを守ってくださるでしょう。象牙の塔なる聖母、われらのために祈り給え。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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