【参考情報】ペル枢機卿が教皇フランシスコという「大災難」について枢機卿たちに送ったデモス覚書を執筆。バチカン記者が語る
Cdl. Pell wrote memo sent to cardinals on ‘catastrophe’ of Pope Francis: Vatican reporter
バチカン問題の専門ジャーナリストであるサンドロ・マジステルは、LifeSiteNewsに対し、故枢機卿から「個人的に」覚書を受け取ったと語っている。
マイケル・ヘインズ
2023年1月12日(木曜日) 米東部標準時間午後2時15分
バチカン市国(LifeSiteNews)―バチカンのベテランジャーナリスト、サンドロ・マジステルは、教皇フランシスコを厳しく批判し、次期教皇が取り組むべき重要な問題を強調した枢機卿たちに送られた2022年の覚書の著者は、故ジョージ・ペル枢機卿だったと報告している。
1月11日に自身のブログに書き込んだマジステルは、火曜日に亡くなったペルが、マジステルが2022年3月に報告した覚書の著者であると述べた。この覚書は「デモス」という仮の名前で執筆されたもので、フランシスコのバチカンに対する数々の批判と、次期教皇が取り組むべきテーマを提示していた。
マジステルはこう書いている。
将来のコンクラーベを前に、昨年の春に枢機卿たちの間で流布された教皇フランシスコを強く批判する「デモス」と署名され、セブンス・ヘブン社(Seventh Heaven:Settimo Cielo(第七天国))が3月15日に出版したあの覚書の著者はペルだった。
この覚書の背後にはペルがいるとの憶測もあったが、マジステルの暴露により、この問題は一件落着となりそうだ。
マジステルはLifeSiteNewsへのコメントで、「個人的にペルからデモスの署名入りの覚書(原文は英語)を受け取り、本当の著者の名前を秘密にすることを条件に、公表する許可を得た」と述べている。
原文の覚書は「最初の一行から最後の一行まで、すべて彼(ペル)一人で書いたものだ」とマジステルは言った。
「デモス」メモと枢機卿たちへの助言
この覚書がマジステルのブログで公開されたとき、このバチカン専門家は、「デモス」が「このテーマの徹底的な専門家」であることを示しており「彼が枢機卿であることを否定することはできない」と書いた。
マジステルは、この覚書が四旬節の初めから選挙権を持つ枢機卿の間で回覧されていたと述べている。
メモの内容は、教皇フランシスコ率いるバチカンに対して、確固たる、正確な、非難を浴びせるものである。冒頭、そうした批判を要約して、「デモス」はこう述べている。
あらゆる学派の論者たちは、たとえ理由は違っていても――スパダロ神父(イエズス会)はおそらく例外であろうが――この教皇職は多くの点で、あるいはほとんどの点で、大災難である、大惨事であるという点で一致している。
著者は、こう論じている。ローマは教皇の座として、以前は明晰な声を発していたが、今日では混乱の促進者である。以前は「Roma locuta. Causa finita est.」(ローマは語った、一件は片付いた)であった。今日は、「Roma loquitur. Confusio augetur.」(ローマが語る、混乱が拡大)である
フランシスコはヨハネ・パウロ二世の「キリスト中心の遺産」を弱めている
デモスは、フランシスコのバチカンがこの混乱を促進している六つの主要なポイントを概説し、さまざまな高位聖職者によって広められている道徳的・教理的な誤謬を前にした、フランシスコの寛容と沈黙から始めている。
デモスは、シノドスの道においてドイツ司教団が推し進めた異端と、ジャン・クロード・オロリッシュ枢機卿の同性愛の推進に言及した。「教皇庁は沈黙している」とデモスは書いており、「聖伝主義者や観想修道会に対する積極的な迫害と比べるとき、その事実は際立っている」という。
この覚書の著者はまた、ローマ家族研究所や教皇庁生命アカデミーなど、かつてはプロライフの機関であったものが乗っ取られていることを強調した。これを受けてデモスは、「信仰と道徳における聖ヨハネ・パウロ二世のキリスト中心の遺産は、組織的な攻撃にさらされている」と断じたのだ。
「バチカンの政治的威信は今や低水準にある」
この覚書を執筆したのはペルであるというマジステルの発言は、バチカンの法的・財政的腐敗の状態について「デモス」が提示する詳細な内容の量を考えると、説得力を持つようになる。ペルはバチカンの財政改革実行の中心人物であり、広範な不正行為、つまり現在バチカンで起きている二つの重大な訴訟事件の対象となっている不正行為を明らかにしたのである。
挙げられた詳細な内容の多くは、ペルが取り組んでいた金融腐敗対策を反映したものである。この覚書には、フランシスコがペルの主要な反対者の一人だったアンジェロ・ベッチウ大司教(当時)を支持し、財政改革のプロセスに反対したことが記されている。フランシスコはその後、「ベッチウに敵対した」とメモは続ける――ただし、覚書が公開された後、ベッチウは汚職の罪で裁判にかけられていたにもかかわらず、フランシスコによって復帰させられている。
この腐敗はバチカンの政治状況にも波及し、フランシスコとバチカンは今や世界の政治圏で「無視される存在」になっていると「デモス」は主張する。フランシスコは「人権」を支持する決定よりも、「政治的に正しい」(politically correct)決定を好んだと、覚書は主張した。
その証拠に、バチカンは「70年以上にわたって教皇職に忠誠を誓ったために断続的に迫害を受けてきた」中国のカトリック信者を実質的に見捨てている。
「デモス」はまた、聖伝のミサに熱心にあずかっているカトリック信者の扱いと、バチカン自体における典礼の制限の両方を批判している。「現在、この偉大なバシリカは、早朝は砂漠のようである」とデモスは書き、後でこう付け加えた。
教皇は神学生や若い司祭の間でほとんど支持されておらず、バチカン教皇庁には広範な不満(離反)が存在する。
次のコンクラーベへのアドバイス
「枢機卿会は異様な枢機卿らが指名されることによって弱体化した」という言葉で、次の教皇を選出する任務を負った枢機卿たちのために、「デモス」は【次期教皇にとって】本質的に【必要なものの】チェックリストをいうべきものを開始した。
第二バチカン公会議以降、カトリック当局は、特に西洋世界における世俗化、この世、肉、悪魔という敵意ある勢力をしばしば過小評価し、カトリック教会の影響力と力を過大評価してきた。
フランシスコを狙い撃ちにしたように見える「デモス」は、次期教皇は「キリスト教とカトリックの活力の秘訣が、キリストの教えとカトリックの実践に忠実であることから生まれることを理解しなければならない。それはこの世への適応や金銭から来るものではない」と書いている。
そのため、「デモス」は新教皇がまず速やかに「正常性を回復させること、信仰と道徳における教理上の明確さを回復させ、法を正しく尊重することを回復させ、司教の指名の第一の基準が使徒継承の聖伝を受け入れることにあることを保証する」よう枢機卿たちに教示した。
「デモス」はまた、シノドスのプロセス、特にドイツのシノドスの道に狙いを定めている。このまま歯止めなく進んで行けば、「もしこのような異端をローマが正さなければ、教会は、正教会のモデルではなく、おそらく英国国教会やプロテスタントのモデルに近い、さまざまな見解を持つ地方教会の緩やかな連合体にまで貶められるであろう」と彼は書いている。これは、ペルが死ぬ前に書き、死の翌日に発表した「シノダリティーに関するシノドス」を「有害な悪夢」と表現した批判と同じである。
司祭召命の減少に言及しながら、「デモス」は、「イエズス会に対する訪問調査【制裁を見据えた実態調査】の実現可能性について真剣に検討する」よう呼びかけた。それは、イエズス会が「高度に中央集権的であり、上からの改革や損害の影響を受けやすい」からである。
デモスは最後に、バチカンで必要とされている重要な「財政」改革に再び言及したが、そのような問題は、「特に第一世界の【先進国での】教会が直面している霊的、教理的脅威と比べれば、はるかに重要度は低い」と明確に述べた。