Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

堅振の秘跡について [2]|聖霊の七つの賜物とは?堅振の秘跡は信者に聖霊をこうむらせる[聖霊降臨]の日です

2023年01月17日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2023年1月15日は御公現後第二主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「御公現後第二主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父

参考資料:  聖霊に対するノベナ

堅振の秘跡を受ける前に九日間のノベナとして、毎日 Veni Creator Spiritus(聖霊の御降臨を望む祈り:公教会祈禱文210ページ)を唱えましょう。


【参考情報】教皇ベネディクト十六世の死去についてのカルロ・マリア・ヴィガノ大司教の説教

2023年01月17日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】教皇ベネディクト十六世の死去についてのカルロ・マリア・ヴィガノ大司教の説教

2023年1月6日(金曜日)

Homily of Archbishop Carlo Maria Viganò in morte Papæ Benedicti XVI

カルロ・マリア・ヴィガノ

ABSOLVE, DOMINE
主よ、解き放ち給え

Dies iræ, dies illa, dies tribulationis et angustiæ,
dies calamitatis et miseriæ, dies tenebrarum et caliginis,
dies nebulæ et turbinis, dies tubæ et clangoris
super civitates munitas et super angulos excelsos. - Zeph 1: 15-16
その日は怒りの日、苦痛と災難の日、
竜巻と嵐の日、濃いくらやみの日、
濃い黒雲の日。堅固な町の上から、四隅のやぐらの上から、
角笛の響き、ときの声の日。(ソフォニア1章15-16節)

「主の日は苦い日だ。勇士さえも恐怖の声を上げる。その日は怒りの日、苦痛と災難の日、竜巻と嵐の日、濃いくらやみの日、濃い黒雲の日。堅固な町の上から、四隅のやぐらの上から、角笛の響き、ときの声の日」。預言者ソフォニアはそう語っています。

Absolve Domine(主よ、解き放ち給え)。教皇や単なる聖職者のためであっても、富める者や貧しい者のためであっても、賢き者や素朴な者のためであっても、死者のミサの詠誦でこの歌詞を歌います。Et gratia tua illis succurente, mereantur evadere judicium ultionis, et lucis æternæ beatitudine perfrui.(また、御身の恩寵の助けによって、彼らが最後の審判を逃れるに値させ、永遠の光明の至福を味わわせ給え)。

2013年2月28日までローマ教皇だったヨゼフ・ラッツィンガーの霊魂のための追悼の聖なるミサを捧げるとき、この同じ祈りを天主の御稜威(みいつ)に捧げましょう。そして、このミサが故人への慈悲を求めるように、私たちは、すべてを知っておられ、人の心の秘密を調べ尽くす天主の御慈悲に彼の霊魂をお委ねします。彼がその長い生涯の間に、とりわけペトロの玉座に昇った後の言動に関しては、私たちは、彼が使徒継承の典礼の完全な正当性を認めて、自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)を公布した、真実と正義のあの御摂理的行為を思い起こしたいと思います。古代の典礼の自由化が教会にもたらした善は、大天使聖ミカエルの多くの描写の中に見える霊魂の裁きの秤に、重さを加えることでしょう。その行為のおかげで、多くの信者と司祭(私たちもその一人です)が、不幸な選択によって50年間手の届かなかった教理と霊性の計り知れない宝を知ることができました。その行為のおかげで、誰も止めることのできないあふれるほどの恩寵の川が教会と世界に注がれ、今日もなお注がれ続けているのです。

公会議による破壊を免れた瓦礫を眺めながら、聖ピオ五世のミサがなかったならば、教会の現状はどうなっていただろうかと考える勇気は私にはありません。しかし、同じ自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」で著名な神学者ラッツィンガーが採用した、カトリックの正統性(とトリエント・ミサ)のテーゼ、近代主義の異端(とモンティーニのミサ)のアンチテーゼ、第二バチカン公会議(と二つの形式の同じ典礼の共存)のジンテーゼという不安定な構造に気づかないわけにはいかないでしょう。この10年の惨状が【あまりにひどいため】それをほとんど目立たなくさせてしまったとはいえ、残念ながら、delicta juventutis(若き日の過ち)が正式に否定されることはありませんでした。

近い将来、古代の典礼の完全な〈回復〉(restitutio)が達成され、数十年にわたる濫用、操作、不純物の混入、そしてベルゴリオの時代に一層猛烈になった迫害に終止符を打つよう、ただひたすら祈るしかありません。

Si iniquitates observaveris Domine, Domine, quis sustinebit?(主よ、もし不義に御目を留め給わば、主よ、たれかよく立つことを得ん。)【詩篇129。デ・プロフンディス】。そんな人は誰もいません。しかし、私たちの父であり、私たちの救いのために御独り子をお与えになるほど私たちを愛しておられる天主は、その御慈悲のうちに、私たちの欠点に目を注ぐよりももっと大きな関心をもって、私たちの行った善を見ようとされます。それはまるで、私たちが弱く罪深いことを知っておられるからこそ、私たちを永遠の滅びから救う方法をすべて探し出し、私たちに自らを救うための千載一遇の機会を与えてくださるかのようです。このことは、最高の玉座に座す者にも、最も小さな信者にも当てはまります。

私たちが自分の罪を考察することで、私たちが罰の譲歩を受けるあるいは罰を免れるだろうと考えるようになってはなりません。むしろ、私を強め給うお方(フィリッピ4章13節)に全幅の信頼を置くように私たちを励ますものにならなければなりません。そして、このことは、御摂理が教会を統治するために選んだ者についても当てはまることです。

この信頼に動かされ、教皇ベネディクト十六世は、前任者の一人が教会に与えたひどい傷を何らかの方法で修復しようとしました。その傷は癒やされつつありましたが、敵【悪魔】とその従者たちの策略は、「スンモールム・ポンティフィクム」が霊魂にもたらす否定できない霊的な善を前にしても、それを無効にして、傷を開いたままにしようとしています。まさに、この無限の恩寵のゆえです。この恩寵が、公会議のイデオロギーが持つ世俗化されたこの世的な精神の最も痛烈な敗北を象徴しているからです。

そして、もし改革された典礼がレクイエム・ミサからDies Iræ(怒りの日)を取り消し、Alleluias(アレルヤ)に置き換えたとしても、私たちは古代のミサに、主がその代理者として望まれた者の霊魂のための希望と尊厳ある追悼の理由を見いだすことができます。この旧典礼においては、御慈悲、赦し、贖宥、赦免、減刑を懇願する浄配の声が聞こえます。それは、自分の子どもたちの罪を認め、天主の御子が自らの犠牲で贖われたその子どもたちを、永遠の御父の前に差し出す花嫁の声です。ですから、ベネディクト教皇の霊魂が、私たちが彼のためにローマ典文のMemento(死者の記念)で祈り求める、回復、光明、平和の場所を見いだすことができますように。

天国の祝福された栄光の中で、あるいは煉獄の清めの炎の中で、教皇ベネディクト十六世は、この地上の追放状態では不明瞭にしか示されない天主の真理を〈顔と顔を合わせて〉(facie ad faciem)【コリント前書13章12節】ついに知り、私たちと教会全体のために祈ることができるようになるでしょう。彼の祈りは、私たちの祈りや、聖なる霊魂たちの祈り、そして天の宮廷の祈りに加わって、現在の苦難を終わらせるために、そして特に、天主の聖なる教会を苦しめ、日食で覆っている異端者と堕落者のセクトを打ち負かし、追い出すために、天主の御稜威に懇願するのです。

アーメン。

2023年1月5日
主の御公現の前日

英語版 Homily of Archbishop Carlo Maria Viganò in morte Papæ Benedicti XVI

イタリア語版 “Absolve, Domine”. Omelia dell’arcivescovo Carlo Maria Viganò in morte Papæ Benedicti XVI - Aldo Maria Valli


聖ピオ十世会 カトリック聖伝のミサの報告 Traditional Latin Mass in Japan SSPX Japan

2023年01月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2023年1月15日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計104人でした。大阪の夕方のミサでは30人でした。

【聖ピオ十世会のニュース】
オーストリア管区では、管区長であったシュテファン・フライ神父様がその職を辞することになったそうです。今回の発表は神父様ご本人からのものです。医師からは「燃え尽き症候群」だと診断されたそうです。後任として、5年前に叙階されたドイツ人司祭ヨハネス・レゲレ神父様(Pater Johannes Regele)が任命されました。レゲレ神父様は以前は13年間オプス・デイの会員でしたが、新しいミサと第二バチカン公会議の問題のために、オプス・デイを退会して聖ピオ十世会に入会した方です。神父様たちのためにお祈り申し上げます。


【ご質問ありがとうございます】
教皇三重冠 (Triregnum, Tiara)について質問を受けました。
教皇三重冠は、教皇がかぶる王冠のことです。典礼を執行する時は、聖ペトロの後継者のローマの大司教としてミトラをかぶります。しかし、典礼を執行する以外で、全世界における教会の最高の牧者であることを意味して、冠をかぶります。

教皇三重冠は、教皇の三重の権威を象徴しています。この意味には所説ありますが、その内の一つは戦闘の教会(地上)、苦しみの教会(煉獄)、凱旋の教会(天国)の三つの王国にまたがる権威という意味です。そこからTriregnum(三つの国)という名前が由来しているといわれます。あるいは、教皇がキリストの代理者として大司祭・預言者・王という三つの役職に与り、全信徒を信仰において聖化し・教え・導くという三重の責務を示しているとされます。

歴史を見ると、教皇コンスタンティヌス(在位708-715)の記録には教皇冠を使用した記述が残っています。当時はcamelaucumという名前でした。大聖グレゴリオ(没604)も教皇冠をかぶっている絵画が残っています。

教皇は全世界の教会における霊的な権威のみならず、ピピンの寄進を受けて教皇領の君主でもあったので、教皇冠に飾りが付けられるようになりました。教皇セルジオ二世(904-11)やベネディクト七世(974-983)が描かれたコインには装飾のついたヘルメットのような冠をかぶっている様子が描かれています。

教皇パスカレ二世(1099-1118)の伝記には三重冠(tiara)という単語がでてきます。
教皇ボニファチオ八世(1294-1303)は、霊的な権威と世俗的な権威との両方を持つことを意味してもう一つの冠を付け加え二重にしました。1314年に、三番目の冠が加えられました。そこで triregnum とも呼ばれるようになりました。

現代では、教皇パウロ六世が教皇三重冠を使用した最後の教皇となりました。三重冠は公式に廃止されたことはないのですが、第二バチカン公会議以後には使われなくなってしまいました。

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 104 including children.

09:00 mass
M: 26 (incl. 6 children)
F: 27 (incl. 5 children)
Total: 53 (incl. 11 children)

11:30 mass
M: 20 (incl. 1 child)
F: 33 (incl. 4 children)
Total: 53 (incl. 5 children)

Total of 2 masses (excl. 1 person who participated in multiple masses)
M: 45 (incl. 7 children)
F: 59 (incl. 9 children)
Total: 104 (incl. 16 children)

 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】