Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在4620環のロザリオが集まりました

2009年07月15日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ロザリオの十字軍の報告をご紹介いたします。2009年6月までの分で、7月14日現在の報告の総計は4620環です

 ヴィンチェンチオさんから、20環のご報告がありました。

 もしも、私にロザリオを報告したけれども、集計されていないようだということに気がつかれた方は是非ご連絡下さい。せっかくのご報告メールですが、スパムメールの方に行ってしまった可能性があるからです。お手数ですが、よろしくお願いいたします。

 私たちは、愛する兄弟姉妹の皆様のご協力によって、聖母の汚れなき御心に是非十二万環を捧げたいと願っています。聖母マリア様を愛するために、聖母マリア様への感謝のために、愛する兄弟姉妹の皆様のご理解と寛大なご協力をよろしくお願いいたします。多くのお友だちを誘って、ロザリオを御願いしてください。お友だちからのロザリオの環数を集計してお知らせください。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

今回は、さらに次のようなご報告をご紹介いたします。

【報告】

J,M,J, Ave Maria !

神父様、お元気ですか?いつも私達をお導きくださってありがとうございます。・・・
フィリピン、韓国、日本はもう随分暑いようですね。お体に気をつけて下さいませ。

先月は中途半端に6月中頃にご報告してしまったので、残りの6月分のロザリオのご報告をいたします。(今後は、月末締めで1ヶ月分ご報告するようにいたします。)

・・・ 146本お捧げします。

聖母マリア様、小野田神父様をどうぞこれからもお助けください。


【質問】
+主の平安
トマス小野田神父さま

お忙しいところこのように詳細なお返事をくださいましたことに深く感謝申し上
げます。

ブログ拝見しました。本当に、このような疑問を持っておられる方は多いと思い
ます。何となく少しだけお役にたてたみたいでうれしいです。

> 召し出しを求める射祷

公教会祈祷文の「主イエズス、主の司祭をふやしたまえ」ですか?
いや、何でもいいんですけど、何となく。・・・
主が神父さまと兄弟のみなさまを祝福し、守られますように。

【お返事】
 召し出しの射祷は、公教会祈祷文のと少し似ていますが、聖ピオ十世会では世界中どこでも同じ内容で唱えられているものです。それは、次の通りです。

主よ、我らに司祭を与え給え!(先唱にならってもう一度唱える)
主よ、我らに聖なる司祭を与え給え!
主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え!
主よ、我らに多くの聖なる修道者の召命を与え給え!

フランス語
Seigneur, donnez-nous des prêtres !
Seigneur, donnez-nous de saints prêtres !
Seigneur, donnez-nous beaucoup de saints prêtres !
Seigneur, donnez-nous beaucoup de saintes vocations religieuses !


聖ピオ十世、我らのために祈り給え!

(アジア管区ではさらに次の射祷を付ける)
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!

(日本ではさらに次の射祷を付ける)
日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え!


【お便り】
+JMJ、Ave Maria ☆!

小野田神父様、こんばんは。

Youtubeに、ロザリオ十字軍についての第2弾がつくられたのをご存知ですか?
Rosary Crusadeのblazentechさんがつくられたようです。

Reparation


ロザリオ十字軍のロザリオと共に、犠牲と初土曜日の信心をすすめています。

小野田神父様、このほかにも、このblazentechさんの、ロザリオの黙想の動画(絵)がすばらしいのです。ひとつの珠(天使祝詞)ごとに絵があります。(150個)本当に、ロザリオの黙想の助けになります。

喜びの玄義前半↓
Joyful Mysteries Part 1



喜びの玄義後半↓
Joyful Mysteries Part 2



苦しみの玄義前半↓
Sorrowful Mysteries Part 1



苦しみの玄義後半↓
Sorrowful Mysteries Part 2


栄えの玄義前半↓
Glorious Mysteries Part 1



栄えの玄義後半↓
Glorious Mysteries Part 2



ワンガヌイのSSPXの売店には、これら150個の絵による、ロザリオアルバムが売られています。
いちど、ご覧になっていただけませんか?
よろしくお願い致します。

【お返事】
 すてきな動画のご紹介をありがとうございます!

【おまけ】ルフェーブル大司教様の言葉
「聖母マリアは、ロシアがご自分の汚れなき御心に奉献されることを望んでおられます。何故でしょうか? それは御子がロシアにおいて君臨するため、私たちの主イエズス・キリストの統治が、この国に戻ってくるためです。ロシアは今では、私たちの主イエズス・キリストの統治を全世界で、全人類において破壊させるためにサタンに身を委ねた国になっています。そこで聖母マリアは、蛇の頭を踏み砕いたお方であり、サタンに反対して戦う方ですから、ここロシアにこそ天主の祝福をもたらさなければならないとご存じだからです。だから聖母マリアは、ロシアがその汚れなき御心に奉献されることを要求されたのです。聖母マリアは、ロシアで御子に君臨させるために、ロシアの元后であることをお望みなのです。」(ルフェーブル大司教 1984年復活祭のお説教)

Pourquoi consacrer la Russie au Coeur Immaculé de Marie?

« La Très Sainte Vierge désire que la Russie soit consacrée à son Coeur Immaculée. Pourquoi ? Pour que son Fils règne en Russie, pour que le règne de Notre Seigneur revienne dans ce pays qui est maintenant le pays livré à Satan pour détruire le règne de Notre Seigneur Jésus Christ dans toute l’humanité, dans le monde entier. Alors la Très Sainte Vierge, elle qui a écrasé la tête du serpent, elle qui lutte contre Satan, sait que c’est la qu’il faut porter la bénédiction de Dieu. Et c’est pourquoi elle a demandé que la Russie soit consacrée à son Coeur Immaculé : elle veut être Reine de la Russie pour y faire régner son Fils. » (Mgr Lefebvre – Sermon – Pâques 1984)

【関連記事】ファチマとロザリオの十字軍

聖ピオ十世会日本のウェブサイトでは、ロザリオ十字軍文書と併せてお説教等一挙公開

2009年07月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 暑い日が続いております。いかがお過ごしですか。

 聖ピオ十世会日本のウェブサイトでは、ロザリオ十字軍の文書と併せて、お説教等四件が一挙公開されています。

トップページよりご確認下さい。(メニューにNEW!マークが付いています。)
http://fsspxjapan.fc2web.com/


イエズス・キリストのいと尊き御血、我らを救い給え!
天主の聖母、終生童貞なる聖マリア、我らのために祈り給え!
聖ボナヴェンットゥーラ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【関連記事】

2009年6月29日、エコンの聖ピオ十世会(SSPX)の聖ピオ十世国際神学校での叙階式の写真

2009年07月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2009年6月29日、エコンの聖ピオ十世会神学校での叙階式の写真をご紹介します。

 次のサイトもご覧下さい。
La Porte Latine 1


La Porte Latine 2

叙階式の動画
http://www.gloria.tv/?media=28877



聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009


聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009


聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009

聖ピオ十世会(SSPX)エコン神学校での叙階式 SSPX Ordination at Econe 2009


photos from the New Beginning

【おまけ】Giovanni Pierluigi da Palestrina - Tu es Petrus


Giovanni Pierluigi da Palestrina (1514-1594)
Tu es Petrus, Recorded at Aula Paolo VI, Vatican City, 2007

【関連記事】

今日はファティマの聖母マリアの1917年7月13日のメッセージを黙想することを提案します

2009年07月13日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、


 今日は、ファティマの聖母マリアの1917年7月13日のメッセージを黙想することを提案します。

天主はこの世に私の汚れ無き御心に対する信心を確立するように望んでいます。もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。」
私はロシアを私の汚れ無き御心に奉献することと、月の初土曜日に償いの聖体拝領をすることとを求めに来るでしょう。もし人が私の要求を聞くなら、ロシアは回心し平和がやってくるでしょう。
最後には、私の汚れ無き御心が凱旋するでしょう。教皇様は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心するでしょう。そして世界には平和の一時期が与えられるでしょう。


1917年7月13日


聖母『私はあなたがここに来月の13日に来ることを望みます。そしてロザリオの聖母を崇敬するために、世界が平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます。なぜなら、そのお方(彼女)だけがあなたたちを助けることが出来るからです。』

『毎月ここに来続けなさい。10月には私は私が誰か、私が何を望んでいるか、言いましょう。私は皆が見、信じるために一つ奇跡を行いましょう。』・・・

『罪人たちのために犠牲をしなさい。たくさんこう言いなさい。特に何か犠牲をするときにこう言いなさい。”イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と。』

これらの最後の言葉を聖母が話されると、以前2ヶ月の間なさったように、もう一度両手を開かれました。

光線が大地を貫いたように見えました。そして私たちはあたかも火の海の様なものを見ました。
この火の中に浸かり込んでいるのは悪魔たちと人間の形をした霊魂たちでした。霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした。彼らは雲のような煙と共に自分自身からわき出る炎によって持ち上げられ、この大火事の中に漂っていました。彼らは、恐ろしくまた恐怖のあまり震えおののかせる苦悩と絶望の叫びとうめきのまっただ中で重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちに、また下に落ちていました。(私が「キャ!」という叫びをあげたと私の周りの人が聞いたといいますが、それはこの光景を見たときのことに違いありません。)
 悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通ってはいましたが、汚らしい見たこともない動物の恐ろしい厭な形をしていたので地獄に落ちた霊魂たちとは区別されました。
 この光景は一瞬間しか続きませんでした。私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげでです。もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう。
 恐れのあまり、助けを求めるかのように私達は聖母に向かって目を上げました。聖母は優しく悲しそうにこう言いました。

「あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主はこの世に私の汚れ無き御心に対する信心を確立するように望んでいます。
 もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。
 戦争は終わるでしょう。

 しかし、もし天主を侮辱することを止めないなら、ピオ11世の統治下で別の更にひどい戦争が起こるでしょう。
 あなたたちが未知の光を見るとき、天主がこの世をその罪のために戦争と飢饉、教会と教皇に対する迫害を使って罰を下そうという大いなる印を天主様があなたたちに下さっているのだと言うことを知りなさい。

 これを避けるために私はロシアを私の汚れ無き御心に奉献することと、月の初土曜日に償いの聖体拝領をすることとを求めに来るでしょう。
 もし人が私の要求を聞くなら、ロシアは回心し平和がやってくるでしょう。

 さもなければロシアはその誤謬を世界中に広め、戦争と教会に対する迫害とをもって挑発するでしょう。多くの善良なものが殉教し、教皇様は多く苦しまねばならないでしょう。無くなってしまう国々もあるでしょう。

 最後には、私の汚れ無き御心が凱旋するでしょう。教皇様は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心するでしょう。そして世界には平和の一時期が与えられるでしょう。

 ポルトガルでは信仰のそのドグマが常に守られるでしょう。等々[ママ]

 このことを誰にもいわないで下さい。フランシスコにはそれをいうことが出来ます。

 あなたたちがロザリオを唱えるときには、各連の終わりにこう唱えなさい。
ああイエズスよ、我らを赦し給え。我らを地獄の火より救い給え。全ての霊魂、ことに最も必要とする者たちを天国に導き給え。」

-------------

ファティマの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【関連記事】

聖コルベの教え

2009年07月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 日本は、聖母マリアのしもべであるコルベ神父様を特別に頂いた国です。聖コルベは、特に、私たちにインマクラータ、つまり無原罪の聖母マリア、原罪の汚れ無き聖母マリアへの信心を教えてくれました。私たちにインマクラータの騎士となることを教えてくれました。汚れ無き聖母マリアの騎士です。汚れ無き聖母マリアの御心の兵士です。

 だから、日本の私たちにとって、今回のロザリオの十字軍は大切なのです。天主の御母聖マリアの汚れ無き御心の勝利のために働くということは、私たちにとって、どうでも良いことなのでしょうか?! 聖コルベは、もし私たちがどうでも良いという態度をとったとしたら、そんな私たちを見たとしたら、よろこばれるでしょうか?! コルベ神父様にとって、インマクラータの勝利は必ずあるから私たちは左ウチワで何もせずに傍観し、ヘラヘラとコンピュータのスクリーンの前に座って、聖ピオ十世会のやっていることを評論し、あれが足りない、これがいけない、との批判のコメントを読んで書き込むだけでいい、などとコルベ神父様は思っているでしょうか?!? コルベ神父様のことを知れば知るほど、そうではないと私たちは確信します。むしろ、インマクラータの凱旋のためにロザリオをとって祈る私たちをこそ、私たちのコルベ神父様は祝福されるのではないでしょうか?!!!

 だから、全てのカトリックの愛する兄弟姉妹の皆様にこのロザリオの十字軍にロザリオをもって助けてくださるようにお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

リマンダー:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。

【参考資料】ベネディクト十六世2009年7月7日バチカンで麻生総理大臣と会見

2009年07月10日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ベネディクト十六世教皇様は、2009年7月7日バチカンで、麻生総理大臣と会見されました。以下は、ラジオ。バチカンの記事の引用です。

教皇、麻生首相と会見、経済危機やアフリカへの支援などが話題に

教皇ベネディクト16世は、日本の麻生太郎首相の訪問を受けられた。

 主要国首脳会議のため7日にイタリア入りした麻生首相は、同日正午過ぎバチカン宮殿を訪れ、教皇との個人会談を持った。

 両者の会談は和やかな雰囲気のもとに行なわれ、国際情勢について意見が交換される中で、特に経済危機問題や、日本と教皇庁のアフリカへの支援などが話題となった。

 また、日本と教皇庁の友好関係や、教会と国家の協力についても言及された。

 この後、麻生首相はバチカン国務長官タルチジオ・ベルトーネ枢機卿と外務局長ドミニク・マンベルティ大司教とも会見した。

リマンダー:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。

 次は、麻生内閣メールマガジン(第38号 2009/07/09)からの引用です。

麻生太郎の「強く明るく」[ラクイラ・サミットにて]





 ・・・ ところで、サミットに先立ち、バチカンを訪問し、法王ベネディクト16世に謁見させていただきました。世界でカトリックの信者の方は11億人。バチカンとの関係強化は、外交力につながります。

 日本の首相で、戦後、初めて法王に謁見したのが、私の祖父の吉田茂。私自身もカトリックです。法王とお会いするのは、あらためて身の引き締まる思いがしました。 ・・・

リマンダー:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。

【関連記事】

「参考資料】ベネディクト十六世が2009年6月29日付け回勅「カリタス・イン・ヴェリターテ」を発表

2009年07月10日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、、

 ベネディクト十六世教皇聖下が2009年6月29日付けの新回勅「カリタス・イン・ヴェリターテ」を発表されました。(ラテン語は現在まだ発表されていないようです。)英語版を読むには、下のタイトル「CARITAS IN VERITATE」の文字をクリックして下さい。


ENCYCLICAL LETTER
CARITAS IN VERITATE
OF THE SUPREME PONTIFF BENEDICT XVI
TO THE BISHOPS PRIESTS AND DEACONS MEN AND WOMEN RELIGIOUS THE LAY FAITHFUL
AND ALL PEOPLE OF GOOD WILL ON INTEGRAL HUMAN DEVELOPMENT IN CHARITY AND TRUTH


リマンダー:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。

 以下はラジオ・バチカンの記事からの引用です。

 教皇ベネディクト16世の新しい回勅「カリタス・イン・ヴェリターテ(仮訳:真理における愛徳)」が、7日、発表された。

 ベネディクト16世の回勅として第3作目に当たる「カリタス・イン・ヴェリターテ」は、社会的テーマを持つもので、序文、本論6章、結びを合わせて、全79節からなる。

 「キリスト自身が身をもって証された『真理における愛徳』」は、「各個人、そして人類全体の真の発展のための最も基本的な推進力です」という言葉で始まる同回勅は、カトリック信者はもとより善意あるすべての人々に向けられている。

 教皇はこの回勅の中で、「愛徳(カリタス)」を教会の社会教説の中核として示しつつ、その愛徳が真理の光に照らされている必要を強調している。

 回勅は、教皇パウロ6世の回勅「ポプロールム・プログレッシオ」のメッセージに触れながら(第1章)、「現代における人間的発展」(第2章)、「兄弟愛、経済発展、市民社会」(第3章)、「人々の発展、権利と義務、環境」(第4章)、「人類家族の協力」(第5章)、「人々の発展と技術」(第6章)のテーマを展開。神の愛に心を開き、『真理における愛徳』のうちに、勇気をもって正義と共通善を追求し、人類の真の発展に寄与するよう招いている。


教皇ベネディクト16世回勅「カリタス・イン・ヴェリターテ」要旨
(ラジオ・バチカンの記事からの引用です。)

「キリスト自身が身をもって証された『真理における愛徳』」は、「各個人、そして人類全体の真の発展のための最も基本的な推進力です」。教皇回勅「カリタス・イン・ヴェリターテ(仮訳:真理における愛徳)」は、このように始まっています。同回勅はカトリック信者たちだけではなく、善意あるすべての人々にも向けられています。

 教皇は回勅の導入部分で「愛徳こそ教会の社会教説の中核をなすものです」と述べています。また、誤解や実際生活からかけ離れるという危険を伴うため、愛徳は真理と共にあるべきです。「真理を抜きにした愛徳のキリスト教は、社会的共存には役立ちますが、単なる善意ある皮相的な感情と容易にすりかえられ得る」ということにも注意を促しています。(1-4)

 「発展には真理が必要です」。教皇は「真理抜きにしては、社会的活動は社会にとって有害な個人的な利益の追求や権力の支配に陥る危険がある」と主張しています。(5)

 教皇ベネディクト16世は、「真理における愛徳」という原理に由来する「倫理的行動に関する二つの指針的基準、正義と共通善」に注意を促しています。すべてのキリスト者は社会的な生活の中で示される制度を通じても愛徳へと呼ばれています。(6-7)

 またさらに、教会は「技術的な解決策」を提示するという目的ではなく、「人類の尊厳とその召命に適った社会」のために「果たすべき真理の使命」を持っているのだとも主張しています。(8-9)

 回勅の第一章では、教皇パウロ6世の回勅「ポプロールム・プログレッシオ」の教えが扱われています。

 教皇は言っています「永遠の生命に向かう視野なしでは、この世での人類の発展は行き詰まってしまいます」。神なしでは、発展は否定され、「非人間的なもの」となるのです。(10-12)
教皇パウロ6世は「自由と正義にのっとった社会の建設のために不可欠な福音の重要性」を強調しました。(13)

 また、同教皇がその回勅「ウマーネ・ヴィーテ」の中で強調する「生命倫理と社会倫理の間にある繋がり」を、「教会は今日もまた力をこめて指摘します」。(14-15)

 教皇は「ポプロールム・プログレッシオ」の中に見られる召命の意味について説明しています。「発展は召命です」なぜなら「超越者からの呼びかけに由来するからです」。ですから、それが「各人と人類全体の促進に向けられるなら全面的なものとなる」と教皇は強調します。また、次のようにもつけ加えています。「キリスト教信仰は特権や権力に頼ることなく、ただキリストによってのみ発展を追求するのです」。(16-18)

 教皇は「低開発の原因は第一に自然によるものではなく、それは何よりもまず意志、思想の問題であり、何よりもさらに人々の間、民族間の兄弟愛の欠如に起因する」と明らかにしています。
「よりグローバル化された社会は、私たちをお互いますます近いものとしますが、兄弟とはしません」。ですから、経済が完全に人間的な結果に向けて発展するよう、活動を開始する必要があるのです。
(19-20)


 回勅の第二章で、教皇は現代における人間的発展についての問題に入ります。

 最終目的としての共通善なしの単なる利益のみの追求は、富を破壊し貧困をつくり出すだけだと教皇は言います。教皇はさらに、いくつかの発展のゆがみをも列記しています。

 また、このような諸問題を前にして「新たな人道的な解決策」を求めています。「危機は私たちに新たな歩みを再び打ち出すよう義務付けます」。(21)

 教皇は言います「発展は今日、多様性に満ちています」。「世界的なレベルでの富は、絶対的な意味では増加しています。しかしその分配の不均衡も増加しているのです。腐敗は豊かな国々にも貧しい国々にも存在します。時には国際的な大企業も労働者たちの権利を尊重していません。一方で「国際的な援助も、しばしば寄贈者や受け取り側の無責任のためにその目的からはずれています」。 
「特に医薬部門において、あまりにも厳格な知的財産権の主張において豊かな国側に極端な保護対策が見られる」と教皇は訴えています。(22)

 「発展に関するグローバルな再検討」を要求した教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉も思い起こされ、こうした再検討がいまだ「部分的に実現されただけである」と指摘。今日「国家の公的権力」の役割について新たな評価が見られる一方で、さらに市民社会の国内および国際政治への参加が望まれています。

 教皇はまた、豊かな国々が低価格な製品を確保するために、貧しい国々の生産力を利用していることにも注意を促しています。教皇は言います「このようなやり方は労働者たちの権利を危険に陥れ、社会的な安定性を崩しています」。

 教皇は治政者たちに思い起こさせます「保護すべき価値ある第一の資本は人間そのもの、それぞれの人の人格全体です」。(23-25)

 文化面においては、相互影響の可能性は対話の新たな展望を開きはしますが、それまた二重の危険性をも孕んでいます。その第一はあらゆる文化を「本質的に同等」と見る文化的折衷主義です。もう一つの危険は「文化的平均化」「生活スタイルの同質化」です。(26)

 次に世界の飢餓問題に目を向けた教皇は、「この危機に十分に立ち向かえる経済制度」が整っていないことを指摘。改良された技術と伝統技術を合わせて農業生産に新しい可能性を与える必要と、発展途上国における公平な農業改革を訴えています。(27)

 教皇ベネディクト16世は、生命に対する尊重を人々の進歩発展の問題と切り離してはならないことを強調します。世界中の様々な国々で産児制限が実行されています。あるところでは「堕胎が強制されるほどにまでなっています」。一方、発展した国々では「子供を生まないというメンタリティーが広まっています。そしてさらにしばしばそれがあたかも文化的な進歩のしるしでもあるかのように、他の国々にも伝達しようとされています」。また非常に憂慮されることは、「安楽死の法制化」です。「生命の否定または停止の方向に向かう社会は、真の人間の善に奉仕する力も理由も見出すことができなくなるだろう」と教皇は警告しています。(28)

 発展に関係するもう一つのテーマは、信教の自由の権利です。暴力は「真の発展を阻止する」と教皇は記します。これは「原理主義に基づくテロリズムについて言えることです」。同時に多くの国々の無神論に向かう動向は「人間的・霊的な力をそぐことによって、人間の発展の必要性に対抗するものです」。(29)

 発展のためには、愛徳のもとに調和を得た様々なレベルでの知識的な相互影響が必要です。(30-31)

 現行の経済上の優先策は、すべての人々の就業対策であり続けて欲しいと教皇は期待しています。 

 教皇はまたある国により大きな国際的競争力をもたらすために、労働者たちの権利のレベルの低下を招く「視野のあまりにも短い経済」に警告を発しています。環境問題をも含め、発展スタイルの機能上の問題点を訂正していくよう、教皇は奨励しています。グローバリゼーションについて「真理における愛徳なしには、この全地球的な動きはこれまで知られていなかった害や新たな分裂をもたらす危険を孕んでいる」とし、「これまでなかったような創造的な働き」が必要と述べています。(32-33)

 回勅の第三章のテーマは「兄弟愛、経済発展、市民社会」です。この章はしばしば忘れ去られている恵みの体験の賛美から始まります。

 経済は道徳的影響から自立したものとの思い込みは、人間に金融手段を破壊的な方法で悪用するよう押し進めました。発展が「真の意味で人間的であるために」は、「無償の原則に場を与えなければなりません」。特に市場に関して「連帯精神、相互信頼なしに市場は本来の経済的働きを十分に果たすことはできません」と述べると共に、「市場は自分のことだけを考えているわけにはいきません。他の物事からも道徳的な力を汲み取る必要があります。市場は強者が弱者を蹂躙する場となってはなりません」と記しています。

 市場原理は共通善の追求獲得でなければなりません。教皇はまた、市場は自然を否定するものであってはならないと注意し、人間の倫理的良心と責任を強調しています。

 さらに、現代の危機は、透明性、正直、責任といった伝統的な社会道徳原理をおろそかにしてはならないことを示したと教皇は指摘。経済における国家の役割、ふさわしい法制化の必要に触れています。教皇ヨハネ・パウロ2世の回勅「新しい課題・教会と社会の100年をふりかえって」を引用しながら、市場、国家、社会の「3つの要素の必要」を示し、「経済の文明化」「経済的連帯」を呼びかけています。(35-39)

 現代の危機は、企業に大きな変化を要求するものでもあります。その経営はオーナーのたちの問題だけではなく、その地域共同体の問題でもあります。教皇は「しばしば株主の指示のみに答える経営者」に対し、金融資産の投機的利用を避けるように招いています。(40-41)

 この章の終わりには、グローバル化を単なる「社会・経済的プロセス」と見なさない、新しい位置づけが示されます。教皇は、人々がグローバル化の「犠牲者ではなく、良識のもとに愛と真理に導かれた主役となる」ことを望まれています。グローバル化にはその機能改善のための文化的な指針が必要と述べる一方、大きな富の分配の可能性に触れ、豊かさの広がりが自己中心的、保護主義的な計画によって止められることがないようにとも述べています。(42)

 第四章では、回勅は人々の発展、権利と義務、環境などのテーマに触れています。

 豊かな社会が贅沢への権利を要求する一方で、発展途上にある地域では、食糧や水にも事欠いており、「個人の権利は義務の論理から切り離され」、「常軌を逸しています」。権利と義務は、倫理的な基盤に再び立ち返るべきです。これに対し、もし「人々の話し合いにのみ、権利と義務の基盤を求めるなら」その基盤はその都度変わってしまう可能性があります。政府と国際組織は、権利における「客観性および、勝手に取り扱うことのできない性質」を忘れることはできません。(43)

 教皇は発展における義務と権利を考える上で「人口増加との複雑な関係」に注意を向け、「人口の増加を低開発の第一の原因と見なすのは正しくない」と述べています。また、性を「純粋な快楽主義的なもの」におとしめることはできず、出生率を強制的・計画的に低下させる物質主義的政策で性を規制することはできないと記します。(44)

 経済は、それを正しく機能させるための倫理を必要としています。それはどのような倫理でも良いわけではなく、まして人間に便利な倫理ではありません。同じく、人間の中心性は、常に受益者参加型の国際協力の「発展への取り組み」における主要な指針となるべきです。「国際組織は、『時にコストが高すぎる』自分たちの官僚機構の現実的効率について問いたださなければならない」と教皇は述べています。時に「貧しい人々は官僚組織の贅沢な暮らしを支えるのに必要」という傾向さえ確認されています。また、受け取った基金についても完全に透明性を持たせるべきです。(45-47)

 この章の後半は、環境問題に言及しています。信者にとって、自然は神からの賜物であり、人間はそれについての責任を負っています。教皇はこのような観点からエネルギー問題に触れ、ある国家や権力者らによる「資源の買占め」を「貧しい国々の発展を著しく妨げる」原因として非難しています。よって、国際社会は「更新不可能な資源の利用を調整するための制度を設けるべき」であり、また「技術的に発展した社会は、必要なエネルギー量を削減し、代わりとなるエネルギーの開発を進めるべき」とも記しています。

 そして、教皇は、世界の多くの地域が「快楽主義や消費主義的傾向にある」今、「新しい生活スタイルを目指してメンタリティーを変える必要」を訴えています。根本的な問題は、「社会の複雑な倫理的性質」にあるとし、「もし、命と自然な死に対する権利を尊重しないならば」人間の良心は「人間生態学の概念」と共に、環境生態学の概念も失うことになると書いています。(48-52)

 第五章の中心は、人類家族の協力です。

 ここでベネディクト16世は、「人々の発展は、特に唯一の人類家族を見出すことにかかっている」と強調しています。さらに、「神が公の場に席を占めることができる時のみ」キリスト教は発展に寄与することができると記します。「個人の信教の自由の権利を否定する」政治の「抑圧的で攻撃的」な性質を指摘すると共に、「世俗主義と原理主義においては、理性と信仰の間の実り多い対話が妨げられる可能性」を危惧、この亀裂は「人類の発展に大きな障害をもたらす」と述べています。(53-56)

 続いて、教皇は自治を通して人々に届けられる援助の「補完性の原則」に触れます。補完性は「あらゆる形の温情主義的な援助に対する最も効果的な対抗策」であり、援助を人間的でグローバルなものにすることができます。国際援助は「時に人々を依存状態に置く可能性があり」、それゆえ、政府だけでなく市民社会の必要に沿った供給が必要です。実際、援助が発展途上国のある一部の生産物の市場を開拓するだけで終わってしまうことがよくあります。(57-58)

 豊かな国々に対しては、国内総生産からできるだけ多くをそれぞれの課題を尊重しながら発展のために使用するよう促しています。特により多くの人に教育、特に人間育成、倫理教育の機会を与えるよう勧めています。倫理的基盤を持たない相対主義は、人々の貧しさを増すだけであると指摘。これに関連して、性的な目的を持った観光を挙げ、時に地元自治体の保証や、当事者たちの沈黙、業界関係者の共犯によって横行するこうした現象を悲しむべきものとして非難、経済発展と道徳の間にある歪みを注視しています。(59-61)

 教皇はさらに歴史的ともいえる移民現象に言及、「移民問題に一つの国だけで対応することはできない」と述べています。移民一人ひとりは、人間としてあらゆる状況においてその権利を尊重されるべきです。教皇は外国人労働者が物的に扱われることがないよう呼びかけつつ、貧困と失業の関係を指摘。すべての人が仕事を持つことができるよう願われると同時に、労働者の権利が守られていない国々に注意を促しています。(62-64)

 その間違った運用によって経済に打撃を与えた金融が、発展を目的とした手段としての存在に立ち返る必要を説き、「金融関係者は自身の活動に倫理的基盤を見出さなければならない」とアピールしています。(65-66)
この章の終わりで、教皇は国連の「緊急の改革」と、世界経済の再構築に触れ、「支援と連帯の原則にかなった」「真の国際政治の権威的存在」とその「効果的な力」の必要を訴えています。(67)

 最終章である第六章では、人々の発展と技術がテーマになっています。

 教皇は技術の才能を利用し自分たちを再び創造したいという人類の要求に注意を向けながら、技術には「絶対自由」はないと警告、「グローバル化の進展は、技術をイデオロギーに代わるものとするかもしれない」とも述べています。(68-72)

 また、技術発展と関連して、コミュニケーション手段が「個人と人々の尊厳」を推進する上で重要となることを指摘しています。(73)

 技術の絶対と倫理的責任の間にある人間の文化的闘争で第一線にあるものとして、教皇は生命倫理問題を挙げ、「信仰の無い理性は自分の全能という幻想に陥る」と記しています。また、社会問題は「人間学的問題」となると述べ、ヒト胚やクローン化をめぐる実験は、「すべての神秘は明らかにされた」と考える「現代文化によって推進されたもの」と遺憾を表しています。また、教皇は優生学的な出産調整についても憂慮しています。(74-75)

 そして「発展とは、物的発展だけでなく精神的成長を伴なわなければならない」と述べ、「人類の出来事を物質的に見ることを超える」ために「新しい心」が必要としています。(76-77)

 回勅の結びで、発展は、「愛と赦し、自己放棄、他人の受け入れ、正義と平和」のために「両腕を神に上げて祈るキリスト者たち」を必要としていると記しています。(78-79)

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400名が

2009年07月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 日本は天主の御母聖マリアの汚れ無き御心に奉献された特別の国です。

 もし、私たちの祖国の人口一億二千三百万人のうちのたった400名が、愛する日本の人口の四十万人のうちただ一人が、カトリック人口のうち千人のうちただ一人が、毎月天主の御母聖マリアの汚れ無き御心の凱旋のために毎日、一環のロザリオを10ヶ月の間唱えてくださるなら、私たちは日本から、目標の12万環のロザリオを捧げることができます。

 愛する兄弟姉妹の皆様のご理解とご協力とをよろしく御願いいたします。

 多くのお友だちを誘って、ロザリオを御願いしてください。お友だちからのロザリオの環数を集計してお知らせください。

 私たちの愛する母なる聖母マリア様のため、日本の第一の主要な守護者に感謝するため、是非、是非、是非、よろしく御願いいたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

リマンダー:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。

【参考資料】ベネディクト十六世の自発使徒書簡「エクレジエ・ウニターテム」

2009年07月08日 | カトリック・ニュースなど
愛する兄弟姉妹の皆様、

 ベネディクト十六世教皇聖下の2009年7月2日付けのエクレジア・デイ委員会についての自発使徒書簡(モートゥー・プロプリオ・ダータ)「エクレジエ・ウニターテム」(ECCLESIAE UNITATEM)のラテン語原文をご紹介します。

リマンダー:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。


LITTERAE APOSTOLICAE

MOTU PROPRIO DATAE

BENEDICTUS PP. XVI


1. ECCLESIAE UNITATEM tueri, ut sollicite omnibus suppeditentur subsidia ad huic vocationi divinaeque gratiae consentaneis rationibus respondendum, peculiarem in modum Petri Apostoli Successoris est munus, qui perpetuum est et visibile principium fundamentumque unitatis tum Episcoporum tum fidelium1. Primum praecipuumque Ecclesiae officium omni tempore, id est homines ad Deum conveniendum perducere, iuvandum est per communem omnium christianorum fidei testificationem.

2. Erga hoc mandatum fidem servans, postquam Archiepiscopus Marcellus Lefebvre, die XXX mensis Iunii anno MCMLXXXVIII episcopalem ordinationem illicite quattuor presbyteris impertivit, Veneratus Decessor Noster Ioannes Paulus II, die II mensis Iulii anno MCMLXXXVIII Pontificiam Commissionem Ecclesia Dei instituit, "cuius erit Episcopis cooperari, Dicasteriis Curiae Romanae et circulis quorum interest, ut plenam expediat communionem ecclesialem sacerdotum, seminariorum alumnorum, communitatum aut singulorum religiosorum coniunctorum Fraternitati conditae ab Archiepiscopo Lefebvre, qui cupiant Petri Successori in Ecclesia Catholica cohaerere, suas servantes traditiones spiritales et liturgicas, iuxta Protocollum superiore die 5 mensis Maii obsignatum a Cardinali Ratzinger et ab Archiepiscopo Lefebvre"2.

3. Hoc quidem proposito idem officium fideliter sustinentes universali Ecclesiae communioni in visibili eius quoque manifestatione inserviendi, atque totis viribus contendentes ut ii omnes qui unitatem vere exoptant in ea permanere eamve reperire possint, amplificare voluimus et per Motum Proprium Summorum Pontificum aptare, ea quae in universum in Motu Proprio Ecclesia Dei continentur, de ea scilicet facultate Missale Romanum anni MCMLXII per certius distinctiusque dispositas normas adhibendi3.

4. Eodem sane animo eodemque studio permoti, ut omnis scissura divisioque in Ecclesia superarentur et vulnus sanaretur quod in ecclesiali corpore magis magisque acerbum animadvertitur, excommunicationem quattuor Episcopis ab Archiepiscopo Lefebvre illicite consecratis remittere voluimus. Hac quidem deliberatione impedimentum amovere cupivimus quod detrimentum inferre posset aperiendae dialogo ianuae atque ita Episcopos «Fraternitatemque S. Pii X» invitare, ut ad plenam cum Ecclesia communionem iter denuo invenirent. Quemadmodum in Litteris die X superioris mensis Martii Episcopis catholicis destinatis planum fecimus, excommunicationis remissio deliberatio fuit ad ecclesiasticam disciplinam pertinens, qua conscientiae pondere levarentur, quod gravissima ecclesiastica censura secum fert. Sed doctrinae quaestiones, ut liquet, manent atque, usque dum non enodentur, Fraternitas canonicum in Ecclesia statutum non habet et eius ministri nullum ministerium legitime agere possunt.

5. Quandoquidem quaestiones, quae in praesenti cum Fraternitate tractari debent, essentialiter ad doctrinam spectant, decrevimus – XXI a Motu Proprio Ecclesiae Dei transactis annis atque iuxta id quod agere constituimus4 - ut Commissionis Ecclesiae Dei structura denuo componatur, dum cum Congregatione pro Doctrina Fidei arte nectitur.

6. Itaque Pontificia Commisio Ecclesia Dei ita constituitur:

a) Commissionis Praeses Praefectus est Congregationis pro Doctrina Fidei.

b) Commissio proprium habet ordinem, Secretarium et Officiales complectentem.

c) Praesidis est, Secretario iuvante, praecipuos eventus quaestionesque docrinalis indolis studio discretionique committere postulationum ordinariarum Congregationis pro Doctrina Fidei, itemque superiori Summi Pontificis iudicio conclusiones concredere.

7. Deliberatione hac paternam sollicitudinem «Fraternitati S. Pii X» peculiarem in modum ostendere voluimus ut denuo ad plenam cum Ecclesia communionem perveniat.

Omnes alacriter invitamus ad Dominum incessanter orandum, per Beatae Mariae Virginis intercessionem, «ut unum sint».

Datum Romae, apud S. Petrum, die II mensis Iulii, anno MMIX, Pontificatus Nostri quinto.

BENEDICTUS PP. XVI

________________________

1 Cfr Conc. Oecum. Vat. II, Const. dogm. de Ecclesia, Lumen gentium, 23; Conc. Oecum. Vat. I, Const. dogm. de Ecclesia Christi Pastor aeternus, c. 3: DS 3060.

2 Ioannes Paulus II, Litt. ap. motu proprio datae Ecclesia Dei (2 Iulii 1988), n. 6: AAS 80 (1988), 1498.

3 Cfr Benedictus XVI, Litt. ap. motu proprio datae Summorum Pontificum (7 Iulii 2007): AAS 99 (2007), 777-781.

4 Cfr ibid. art. 11, 781.

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聖ピオ十世会(SSPX)日本のウェブサイトに二つのお説教が新たにアップされました

2009年07月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちの愛する或る兄弟姉妹の愛徳と努力のお陰で、二つのお説教が新たにアップされましたのでお知らせいたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

説教集INDEX

ウィリアムソン司教様

小野田神父

追伸:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。

【関連記事】

【参考資料】カトリック教会が初めて公式に日本に与えたカトリック信者の首相を理解するために

2009年07月08日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 海外からは客観的に高く評価されている私たちのカトリックの麻生首相ですが、日本のマスメディアは、本質的以外のことを攻撃しています。

 カトリック教会が歴史上初めて公式に日本に与えたカトリック信者の首相ですから、祈りと暖かい目で応援したいと思います。ベネディクト十六世教皇様も、日本からのカトリックの首相に暖かい特別の配慮をして下さったことを鑑みて、私たちのカトリック首相のことを理解するために以下の記事を参考資料として提示することをお許しください。私たちの祖国日本を愛したい、カトリックの首相を誇りに思いたい、ここでの参考資料はそれを目的としています。それ以外の目的はありません。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

追伸:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれますようにお願いします。

【資料一】
 例えば、「日本の経験伝え恐慌防げ 野村総研チーフエコノミスト リチャード・クー」

「くしくも現在の日本の総理大臣、麻生太郎氏は日本経済が抱える問題の本質を当初から完全に理解していた数少ない政治家であった。

 麻生首相は、もともと経営者なので、バランスシートの問題を理解している。借金返済の苦しさもその恐ろしさも理解している。また、民間が債務の最小化に向かっているときは中央銀行の金融緩和が効かなくなることも分かっている。だからこそ、麻生首相は財政出動の必要性を訴えているのだ。

 しかも外需が激減した今の日本は、少なくとも真水10兆円の政府支出の拡大が必要だ。減税をしても借金返済や貯蓄に回って景気対策にならないからだ。

 11月に行われた主要国と新興国20カ国による緊急首脳会合(金融サミット)でも麻生首相は日本の経験を訴え、財政出動に反対だった米国のスタンスを変えた。首脳声明にも財政出動の必要性を明記した。麻生首相は極めて重要な日本の成功例を必死で海外に伝えているのである。

 海外もようやく日本の成果に気付き始め、日本から学ぼうとしている。以前はあれだけ日本の公共事業と銀行への資本投入をたたいていた欧米諸国が、今やすべてこれらの政策を採用している。中国も57兆円もの景気刺激策を決めた。われわれはずっと正しいことをやってきたのだ。

 麻生首相は国内で、失言したとか、字を読み間違えたとか、想像もできない低次元の問題でたたかれているが、海外では中国の胡錦濤主席も米国のブッシュ大統領も必死に麻生首相の話を聞いて参考にしようとしている。日本の総理の話がこれだけ世界で注目されたことが過去にあっただろうか。

 日本にも優秀な政治家は多数いるが、海外に日本の経験を自身の言葉で、そして英語で話せる政治家はそう多くない。麻生首相は日本が世界を正しい方向へ導くためには不可欠な人物なのだ。

 字を読み間違えたくらいで、政権をつぶしてしまえという今のマスコミ世論は正気の沙汰(さた)ではない。」

【資料二】
 あるいは、例えば Aso falls victim to media attacks ― Kwan Weng Kin

麻生首相はメディアの攻撃の犠牲者となった - Kwan Weng Kin

日本の総理大臣、麻生太郎氏は、漢字を正しく読めない、ただのマンガ愛好家なのだろうか。それとも英語を話すことができ、経済の知識がある数少ない政治家の一人なのだろうか。

 もし、多くの日本人が、麻生氏についての知識をすべてテレビから得ているとしたら、自分たちの総理大臣をかなり低く評価していることだろう。・・・

 すべての民放ネットワークを通じてテレビのスクリーンから見えるのは、首相に対して同時に行われる集中攻撃だ。

 日本経済を救うための麻生首相の景気刺激策も歪曲して報道され、今まで、表面的な少しのことしかしていないように見せている。


 麻生首相がまとめた政策は、A4サイズの用紙1枚に列挙できないくらいに数が多く、時間の限られた多くのテレビ番組の中では詳細を議論することさえもできない。そこで、民放ネットワークはそれらの中から、たったひとつの政策に焦点を合わせた。全ての国民に合計2兆円を現金で給付するという、議論を招く法案である。

 民放は野党の意見に立って、概して、これは来るべき総選挙に勝利するための選挙対策のバラマキとして立案されたものであると説明してきている。民放はまた、給付金は所得税の還付に到底及ばないと言っているが、それは何百万人もの低所得者、年金生活者はそのような税金を払ってはいないという事実を都合よく無視している。そのような層にとっては、一人当たり1万2千円の給付金はまさに天の恵みであるのだが。・・・

 民放ネットワークに秘密の協定などなく、すべての偏向報道が純粋に視聴率アップを目論むテレビ制作者の身勝手な行為の結果だと考えるのは、もちろん純朴に過ぎる。実際のところ、民放キー局は日刊の全国紙を持つメディア会社が所有している。その政治的な視点は右から左まで実にさまざまである。つまり、民放ネットワークの政治的視点は、それぞれのオーナーや編集者の政治的なイデオロギーを反映している。時には、小泉政権の時のように、民放ネットワークはニュースショーですべての批判を実質的に禁止することによって、首相のための応援団になることもできるだろう。

 だが麻生政権に関しては、民放ネットワークは「疑わしきは罰せず」の原理を首相には与えるつもりはなく、あらゆる機会を使って首相批判を続ける反麻生の野党と手を携えているように見える。ここのところ放送されている反麻生のうねりの陰には、政治的野心を持つメディアの権力者と、舞台裏で糸を引く勢力が存在すると信じる理由がある

 日本では、麻生首相に関して偏向報道を行うメディアに対して、多くのブロガーが非難の声を上げている。彼らは、メディアが野党の弱点に対して沈黙を守っている一方で、首相が力量を示す点については軽んじていると述べている。昨年12月の産経新聞の記事で、アメリカ人エコノミストのリチャード・クー氏が、国家の経済における問題を理解し、その政策が外国の指導者によって研究されている数少ない日本の総理大臣であるとして麻生首相を支持していた。野村総研に勤めるクー氏は、従って、日本のメディアが漢字を読み違えるような些細な欠点に関して麻生首相を抹殺しようとしているのは「全くの狂気」 であると言う。


【資料三】

麻生太郎です。親愛なる同僚議員の皆さん、また自由民主党党員・党友の皆さん、皆さんを通じて私は敬愛する日本国国民に申し上げたいと存じます。そして世界の人々に私の己の信ずるところを訴えたいと存じます。

私が愛する日本は、今立ちすくんでおります。本来、歩みを止めるべきときでない時に、急停止を余儀なくされたという状況にあります。このことを重んじて、私は断腸の思いを駆られます。責任を果たそうとして果たせなかったこの1週間、またこの先1週間、政治の空白に対して責任を感じるところです。国民の皆様に対しましても、心からお詫びを申し上げる次第です。

だからこそ、この時間をいただいた、この総裁選選挙に課せられた期待と責任はことのほか大きい、そう思わないではいられません。自由民主党が本当に変わったのか、国民は見ております。開かれた国民政党としてその名に恥じない政党になったのか、国民は瞳を凝らしております。本総裁選挙の意義はまずもってその点にこそあろうと存じます。

後世歴史家が振り返る時に、古い自民党と小泉改革以来の新しい自民党との再試合だったとそう記述するに違いないと存じます。どんな結末をもたらすのか、我々に課せられた責務は重大であります。私どもすべて国民の目を強く意識し、政策をもって白黒つける戦いに堂々と挑まねばならないと存じます。

私は皆様の前に、政策の選択をお見せしたいと存じます。私が信じる日本人の能力を語ろうと存じます。指導者に求められる資質を述べたいとも存じます。その上で何を選ぶのか、公平無視の見方、国益を忘れぬ目を持って選んでいただきたいと、このように思っております。

急ごしらえで作った合意は簡単に崩れます。慌ててまとめた多数派も成立のその瞬間から瓦解への方向へ動き出す。我が自由民主党は既にそのことを過去の歴史から学んだはずであります。我が党は長い歴史において、ある結論に達しております。それは指導者を選ぶ時に、国民に広く候補者と政策の選択をお見せして、国民の声を聞きながら選ぶのでなければならないということであろうと存じます。

皆さん、今ほど日本が危機に臨んでいて、強い指導者を必要としている時はありません。安定した指導者ではありません。強くて頼りになる指導者こそ必要と致しております。また今ほど日本の農山村、漁村、地域の経済がたった2文字を求めて活動していることはありません。その2文字とは「希望」であります。皆さん、明日に希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝とともに床につく、人間の営みとはこの3つが十分にできるなら幸せなのだと存じます。

私は日本の若者に希望は大事だと思います。農山村、漁村のおじいちゃん、おばあちゃん、この先そんなに悪くはなりませんよ、きっといいことがあるよ、という希望を感じてもらいたい。私は毎晩、感謝の思いとともに眠りにつけるよう粉骨砕身この身を捧げて参る所存であります。

また今ぐらい日本の発する言葉が重みを増している時もないのであります。日本の発する言葉とは煎じ詰めたところ、内閣総理大臣の発する言葉であります。世界がそれに耳を傾けます。日本の環境を守り、治山治水に精を出しいるお父さん、子どものお弁当をつくりそれから働きに出るお母さん、あるいはネットカフェで難民と呼ばれ、そして明日の暮らしを心配する若者に対しても、総理は呼びかけなくてはならんのだと存じます。

私は強い言葉を発する総理になりたいと存じます。我が国の進むべき道はこうなんだと、明確な言葉を語れるような総理にもなりたいと存じます。日本という国は素晴らしい国なんだ、頼りになる仲間が、そして尊敬にたる国だと諸外国の指導者に、またその国の国民に思ってもらうことのできる、そういう言葉を発することのできる総理大臣になりたいとも考えております。

総理に選ばれました暁には、日本をどんなふうに変えたいのか申し上げます。日本と日本人の底力に私は揺るぎない信頼を置いております。その力を十分に解放すること、それによって力強い成長軌道に今一度日本を乗せることであります。資本経済に息を吹き返させることであります。実力を開放し、持続成長をさせることです。これから具体的な例を内政について3つ、外政についても同じく3つ申し上げさせていただきます。

はじめに内政についてであります。内政は将来不安の払しょく、これは目下の状況ではまずは年金の話だと存じます。第2は徹底的な機会の平等、不当な格差は断固潰すということです。第3に経営者の目を持って、新たな経済成長戦略を力強く推し進めるということであります。順にご説明を申し上げます。

まずは年金です。支払い漏れが1人もないよう徹底を期します。このため、すべての国民の皆様に年金が確認できるようハガキを送りたいと存じます。社会保険庁、自治体窓口で保険料を横領したとかいう不貞な輩は、年金金銭の高を問わず言語道断の所業であります。なぜなら、これは制度、この年金制度に寄せる国民の信頼を根底から掘り崩し、ひいては政治それ自体に不信を招いたということにほかならないのであります。

私は年金が国民の未来というものを託するに足る、信頼のおける制度に生まれ変わるよう、政権の命を懸けて取り組んで参りたいと思います。加えて年金問題の本当の核心は、ただいま35歳の青年が65歳になったときに安心して暮らせるか、そこに見通しをつけさせてやることです。まずは現行制度に不公平を無くし、次に年金制度の将来設計を考え直す、このことに総力を注ぎ込む所存です。

第2は機会の平等です。40歳にもなれば人間は己の顔に責任を持てとよく言われます。危機に及んでどっしり落ち着き、微笑みを絶やさぬ顔、私はこういう顔を国民の皆様に対しお見せすることも指導者の使命であろうと存じます。人間とは目の前の選択肢の中から一つひとつを選んでいき、ついには顔をも自分で作るわけであります。ところがオギャーと生まれた赤ちゃんが、その場所が日本のどこにあるか、生んでくれた両親がどんな両親であるのかは自分で選ぶことはできません。したがって政府が心掛けるべき最も大事な仕事というのは機会の平等を徹底して図るということだろうと確信します。

そこから格差の是正という緊急の政策課題が出て参ります。中では農山村、漁村という地を、また企業でいえば中小零細企業、ここに今の日本では強い影が落ちております。農山村、漁村に生まれつき、中小零細企業で働く両親の下に生を受けた子どもが、ただそのことだけで将来に豊かな展望が持てない、そんなことになれば日本は日本ではなくなります。

方法はあろうと存じます。例えば地方交付税のあり方を大幅に変えることがその一つだろうと存じます。補助金にしても、地方が自分の工夫を活かして使えるようにしてやる。そういうようなことができるのではないでしょうか。総務大臣として私は国から地方へ、3兆円の税源移譲という大改革をやらせていただきました。全省庁が反対だったと存じます。地方にできることは地方にという構造改革をさらに進めます。

危機に追い込まれた時に、人間は2つの反応をとるであろうと思います。助けてくれといって人をあてにする、なにくそと言って自分で活路を開く。中央と地方の関係が今のままですと、地方になにくそという気持ちがなかなか起きません。

例を挙げます。能登半島の加賀屋という老舗の旅館があります。ご存じかとは思いますが、交通の便が悪く、だんだんと客足が遠のいていました。しかし仲居さんに英語、中国語を勉強させ、台北や上海からのお客さんを増やして伸びました。この間の地震の被害にも遭われましたが、評判はいささかも衰えておりません。それから北海道旭川にある旭山動物園、私も行きました。今では日本一有名な動物園。あれもなにくそといって活路を開いた一例で、今では上野動物園より集客力は高いんじゃないでしょうか。

企業や団体にはこういうことがいくらでもできる。自治体もこれはできるというように思いこませなければならない。別の例を挙げます。半導体、シリコンウエハー、シリコンの板のことです。この板に回路を書きます。普通回路は平面になります。しかし一定の面積の板に回路を平面に並べる微細な技術は限界に来ています。それなら回路を垂直に重ねて書いていけば限界を突破できるんじゃなか、実はこれは世界最先端の技術ですが、日本人の科学者が思いついた独創であります。圧倒的競争力を持つ技術で、我が国は今一度半導体作業の先頭に立つ、そんなことも決して不可能ではありません。

申し上げます。日本の底力というものにはとてつもないものがあるんだ、私はそう信じております。そしてそういう技術を持った工場を地方が誘致してはどうでしょうか。大きな工場ではりませんよ。また観光産業なら皆さんを広く、お客さんを広くアジアに求める。エコツーリズムの客を思いきってオーストラリアとかニュージーランドとかという南半球に求める。自治体も頭さえ絞れば、そしてそれを許す財政的支援、裏付け、それに人材、それさえあればできることはいろいろある。私の都市地方間格差の是正政策の根本には、市町村長というものが地域の経営者としての発想を持って、動きやすく、そういう背骨を一本通しております。

申し上げますが、そういう話は霞が関から出ません。総理総裁に求められる力というのは、霞が関に信頼されつつ、かつ違うアイデア、違う発想を突破口を示してやることだと思います。それに必要な総裁の能力とは、あらゆる人にこの人と話したい、話を聞いてもらいたい、アイデアを教えてやりたいそう思ってもらうことであろうと思います。

そして第3は経営者の目を持って、新たな成長戦略を強く押し進めるということであります。成長促進といいますと、すぐ予算をくれという話になります。これが役人の発想だと思います。何か新しい商売を探したり、仕入れの仕方を変えたりして原価をもっと下げたり、これが経営者の発想です。

我が党の政調会長をさせていただいた時でありました。港の通関やら建築申請やらそのために役所に資料を提出しろという法律は数えてみたら5万2100本ありました。それをたった1本の法律を作り、1回でそれもオンラインで手続きが済むようにしました。すさまじい抵抗がありましたが、構造改革とはこういうことをやるのだと思います。

日本経済というもののコストを思い切って下げてやる。そして利幅が増えれば、株の配当、また働く人の給料、いわゆる労働分配率、いろんな難しい言葉がありますけれども共に上がる。こういうやり方はあろうと思います。ただし、役所の縦割りを残していてはできません。強い政治指導者がいてはじめて可能なのであろうと存じます。

外交に話を移します。3つ申し上げたいのは、第1にインド洋の給油活動、第2に今日本の外交が歴史的転換点にあるということ、第3が拉致の解決であります。

インド洋の活動は日本が日本の国益をかけ、自分のためにやっていることです。6年前の9月11日、日本人も24人犠牲になったことを忘れてはなりません。インド洋は日本に油を送るシーレーンの出発点であります。ここをテロリストの勝手気ままにさせてはならない。日本の国益とはその一点に集中していると言っても過言ではありません。これをアメリカのためなどというのは言語道断、もしくは事実誤認も甚だしいと存じます。

ヨーロッパの国々が日本を見直したのはこの給油活動です。それからイラクに送られた自衛隊、盗みの一つ、軽犯罪の一つも犯さず見事な規律を示した自衛隊の若い隊員に対し、イギリスやオランダが驚いた。皆さん日本のGDPは世界の10%を占めます。中国、ロシア、韓国を足したよりまだでかい。それにふさわしい貢献を日本は立派にやっている、こう彼らは心の底から得心した。それで今、我が国の外交は大きくその智慧を広げられました。これが第2の点です。

欧州諸国と一緒になり、東欧諸国、バルカン諸国で自由と繁栄を延ばしていく、こういう政策ができるようになった。安倍総理はインドの国会演説において、自由と繁栄の弧をつくる政策だと紹介をされました。アメリカとオーストラリアと一緒になってアジアや太平洋の安全にもっと責任を持つということ、そういう政策にもつながった。

それらの根も元を正すとインド洋の活動であったのであります。これだけのスケールを持つ活動なのだということを誰かが国民に語り続けなければならないと存じます。私はそれをやってまいる所存です。日米同盟の強化は、こういういろんなルートからもっとできるようになります。

第3は拉致の問題の解決であります。私は新潟の海岸に足を運びました。横田めぐみさんが連れ去られたというその場所にも行きました。鈍く曇る日本海を見ましたが、正直涙がにじみました。断固諦めない。私は日本国の主権をかけ、日本の生命を守るという国家にとって最も重要な任務の遂行のため北朝鮮に解決を迫ります。

私はパレスチナの若者が日本を待っているのを知っています。ホンジュラスの子どもが青年海外協力隊がこしらえた教科書で算数を学び、学校が好きになったということを、カンボジアの民法を日本の若い女性の法律家が作っておるのです。私たちの誇りとする日本はとてつもない力があるんだ、ぜひ私は自分が愛し、誇りとしてやまぬ日本を、日本人の一人ひとりが誇りとして、そして未来に希望を、活力を求めることができる国になるよう、私の命を懸けて頑張っていきたいと覚悟を決めております。

全国の党員・党友ならびに国会議員諸先生の深いご理解をお願い申し上げ、麻生太郎の所見の表明とさせていただきます。長時間のご静聴ありがとうございました。

自民党総裁選:麻生太郎氏の所信発表演説(全文)2007/09/16


聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在4454環のロザリオが集まりました

2009年07月08日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ロザリオの十字軍の報告をご紹介いたします。2009年6月までの分で、7月7日現在の報告の総計は4454環です。7月3日のご報告以来、もう一人「ロザリオの十字軍」に入会された方がありました。

 ところで、一九七五年一月四日、聖母像から三回も涙が流された日に、天使から姉妹笹川に告げられた言葉の中に「聖母の汚れなきみ心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」との指摘があります。

 私たちの祖先の切支丹たちも聖母への信心によって、苛酷な迫害に堪え、殉教をとげる力を与えられていたのでした。そのように、聖母はいつも日本を愛し、日本民族を心にかけてこられました。

 天使は言います。「聖母はおん自ら手をひろげて、恵みを分配しようとみんなを待っておられるのです。聖母への信心を弘めてください。」

 聖母の汚れなき御心の凱旋のためにロザリオを唱えることを恐れないで下さい。

 ファティマの聖母マリア様が約束なさった凱旋が一日も早く来るようにロザリオをたくさん唱えて下さい。

 日本には約40万名のカトリック信徒の方々がいらっしゃいます。そのたった0.1%が、つまり1000名のうちの一人(つまり400名)が、毎日ロザリオの祈りを唱えたなら、一ヶ月で一万二千環が集まります。10ヶ月で十二万環です。

 もしも、愛する兄弟姉妹の皆様のご協力と呼びかけで、カトリック人口の1%、つまり、4000名が、日本の第一の守護者である聖母の汚れなき御心の凱旋のためにロザリオ1環を毎日捧げたなら、1ヶ月で十二万環になります。

 私たちは、愛する兄弟姉妹の皆様のご協力によって、聖母の汚れなき御心に是非十二万環を捧げたいと願っています。聖母マリア様を愛するために、聖母マリア様への感謝のために、愛する兄弟姉妹の皆様のご理解と寛大なご協力をよろしくお願いいたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


 今回は、さらに次のようなご報告をご紹介いたします。

【報告】
ロザリオの祈り (フランシスコ・パウロ)
日々心の糧に拝読させて頂いて居ります。
聖母の汚れ無き御心、ロシアの奉献、聖母の汚れ無き御心の凱旋と教皇様のためにご復活より6月末日まで72環お捧げいたしました。神父様のご壮健を祈りつつ。

【お返事】
 フランシスコ・パウロさん、こんにちは! 以前、「ご意向に沿ってロザリオの祈り」ということで、
  いつも喜びのうちに拝読いたしております。
ご復活後ロザリオは60環です。
というご報告をいただいておりましたから、御復活よりのロザリオの総計のようですので、今回は、差し引き12環をカウントさせていただきます。いつもありがとうございます。

【報告】
トマス 小野田 神父様
耳のお具合はいかがでしょうか。
 昨日(7/3)のブログの記事で、ロザリオの数、私の分10環を計上して下さったとありました。ありがとうございます。6/20以前に、7環は唱えました。6/30までに、17環にはなります。スズメの涙ですが…。
 どうぞお身体御大切になさってください。

【お返事】
 お約束を果たして下さったばかりか、それ以上のロザリオを唱えて下さったことを嬉しく思います。聖母の汚れなき御心は大変喜んでおられると思います。私たちは子供ですから、子供がお母さんのためにやったことは、母にとっては嬉しいことだからです。7環をさらに付け加えてカウントさせていただきます。


【報告】
小野田神父様。
遅ればせながら、4月から6月までのロザリオの御報告をいたします。

4月・・・2環
5月・・・38環
6月・・・35環

 続々と集まってくる報告を見ますと、皆様もがんばっていらっしゃいますね。
ロシアは国家だけでなく、ロシア正教会も厄介です。パパ様は正教会と仲良くしたいようですが、ロシア正教会は自分達で勝手に列聖を行っています。有名な三位一体のイコンを書いたアンドレイ・ルブリョーフや、ロシア革命の犠牲者の皇帝ニコライも(確か)聖人になっています。しかも”列聖”はかなり政治が関わっています。彼らがカトリックに戻った暁には、その「聖人」達はどうなるのでしょう。彼等は自分勝手な列聖を捨てる事ができるでしょうか。
 今の第二バチカン公会議教会にはバラマンド宣言もあります。本当に双方、そして私どもの回心も必要ですね。
また御報告申し上げます。

【お返事】
 ロザリオのご報告を感謝します。私自身も皆さんの報告に励まされています。ギリシア正教会、ロシア正教会、その他が天主様の御恵みによってカトリックに立ち戻った暁には、おそらく教皇様が正教会の「聖人」たちについて賢明なご判断をなさることでしょう。カトリックに帰正するというお恵みの中には、おそらく、それらの問題をうまく解決することのできる聖寵も含まれていることを期待します。

【報告】
アヴェ・マリア!トマス小野田神父様
遅くなり申し訳ありませんが、4/25~6月までのロザリオをご報告致します。
171環です。よろしくお願い致します。

今回のロザリオ十字軍にお友達を誘って下さいとのことですが、添付のようなファイルをお友達に送ってもよろしいでしょうか。
ご協力して頂くかどうかわかりませんが、名誉ある戦いですので多くの方を招くことが出来たら・・と思っております。
益々天主様の豊かな祝福が神父様の上にありますようお祈り申し上げます。

【お返事】
 多くのロザリオの祈りを感謝します。お友達を誘って下さるとのこと深く感謝します。聖母の汚れなき御心の凱旋のため、カトリック教会のため、是非、多くの方をご招待なさって下さい。聖母の汚れなき御心は私たちに必ずや、多くの報いを準備して下さっていることと信じています。

【報告】
こんにちは小野田神父様
ロザリオの十字軍を6月の分で紙に書いてあるだけで5環ありました。
7月分は次回の御ミサの時後に報告しようと思います。
お体に気をつけてください。

【お返事】
 大切な5環、ありがとうございます。7月の分の報告を楽しみにしております!

【報告】
小野田神父様、こんにちは。日々のブログをありがとうございます。
また、大変な労なのに、お説教を書き取ってくださり、また掲載くださった方にも心から感謝いたします。
早速、声を出して家族で読ませていただきました。
ルフェーブル大司教様、SSPXの聖伝の司教様方、神父様方はどんなお説教でも最後には、必ず聖母の御取次ぎを願わなければならないことをおっしゃいますね。イエズス様のたてられた唯一の教会の信仰であると感じます。

いつも報告が遅くなりすみません。聖母の汚れなき御心の凱旋のために、ロザリオの十字軍の意向でつなたくも唱えましたロザリオの報告をいたします。

6月分として
マリア   ・・・238
マリア   ・・・119
マリア    ・・77
アンナ    ・・60

小野田神父様のブログの、ロロ・パウロさんの緊急洗礼についての記事を拝見しました。このような大きな恩恵をいただくなんてこのロロ・パウロさんはなんて幸福な方かと感動しました。
私たちの親戚にもまだ洗礼の御恵みをいただいていない者がおり、ロロ・パウロさんのように、小野田神父様に洗礼を授けていただくのが夢です。母は毎日祈っているそうです。
聖母マリア様の御取次ぎにより、天主様の御憐みをいただけますように祈るばかりです。

エコン、ツァイツコーフェン、ウィノナの3箇所での司祭の叙階式についてのお写真を掲載くださり、また掲載リンクをありがとうございます!多くのお写真を全て拝見いたしました。

特に、SSPXの信者さんでプロカメラマンの方でしょうか?「kleinsmithさんの写真」では、叙階式周辺の細かなところまで写真に撮ってくださっていてあたかも私たちも叙階式に参加させていただいたかのようです。クチュール神父様まで、新司祭からの祝福の列に並ばれていて、その姿に感動しました。

天主の御母なる聖母マリア様、小野田神父様のご健康・ご活動をお護りください。
無原罪の御宿りなる聖母マリア様、御身の汚れなき御心の凱旋のため、
ロザリオと犠牲、徳の花を日々お捧げできますように御力をおあたえください。
私たちの本当の母なる愛する聖母マリア様、弱き罪人なる私達のために祈りたまえ。
イエズス様のいと尊き御血によりて罪びとなる我らを赦したまえ。

【お返事】
 いつもたくさんのロザリオをありがとうございます。
 お説教の書き起こしは、病気で苦しむ或る方がなさって下さっています。この方のために、また病気で苦しむ多くの方々のために、愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りを心よりよろしくお願い申し上げます。

 最近こんなメールをいただきました。
「…とは思うものの、この手がだんだん言う事を聞かなくなって来ました。今までは、多少の痛みや不自由さはあっても、お説教の文字起こしなどのために、集中(熱中^^?)してキーボードを叩いていると、それだけでも気がまぎれてよかったのですが、だんだんと手指が動かせなくなってしまって…。手だけではなく、体中が、発症初期の、まだ診断が付かず何の処置もしていなかった頃の、あの想像を絶する辛い状態が、確実に戻って来つつあります。・・・しかし今は、日々の痛みに耐えきれず、こぼしてばかりいます。寝ても覚めても痛いとなると、ここだけの話、生きるのが辛いと思う事もしばしばです。
 数年前、やはり膠原病のために、乳飲み子をおいて自殺したという人気女子アナがいましたが、その気持ちがよぉ~くわかります。
 もちろん、私はカトリックですから、そのようなことはできませんので、ロザリオの一環毎に、モルヒネ一服、のつもりで頑張っています。でも、せめて、マイケル・ジャクソン邸に残されているであろう、主(あるじ)を失った劇薬級の鎮痛剤を、誰か私に送って~!という感じです;_; (マイケル・ジャクソンも膠原病を患っていたのだそうです、後で知りましたが。)・・・ 」

(書き起こして下さっている方の身分を明かさないように、それでもどれほど犠牲がありどれほどお苦しみの様子かをお伝えすることをお許しください。天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らのために祈り給え! 我らを憐れみ給え!)

追伸:東京都議会議員選挙の投票日は7月12日です。有権者の愛する兄弟姉妹の皆様には、是非、祈りと共に投票に行かれて下さるようにお願いします。

【関連記事】ファチマとロザリオの十字軍

今年の6月29日のエコンの神学校での叙階式の時の入場行列の模様のビデオ

2009年07月07日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年の6月29日のエコンの神学校での叙階式の時の入場行列の模様のビデオです。約6分の短いものですが、是非、ご覧下さい!

http://www.gloria.tv/?media=28754


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!
聖母の汚れなき御心よ、私たちのカトリックの首相と指導者たちのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】こんなロザリオは、ロザリオの十字軍にカウントされますか?

2009年07月07日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ロザリオの十字軍についてのご質問をいただきました。それぞれのご質問にそれぞれお答えするべきですが、もしかしたら同じような疑問を抱いている方々がいらっしゃるかもしれませんから、公開的にお答えするのをお許しください。
 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】
 玄義を黙想しないで、電車の中で指ロザリオ等で数えた一連等でも集計に入れて構わないでしょうか?


【お返事】
 かまいません。但しその意向を聖母の汚れなき御心の凱旋のためという意向で唱えてください。

【質問】
 聖ピオ十世会のいうロザリオって、ラテン語で唱えたロザリオですよね。


【お返事】
 そんなことはありません。日本語でも英語でもOKです。

【質問】
 新ミサに行っている信徒が日本語で唱えたロザリオは、聖ピオ十世会やロザリオ十字軍は、有効なロザリオとしてはカウントしないですよね?


【お返事】
 そんなことはありません。新しいミサに行かれている信徒の方々も是非、ファティマの聖母マリア様の凱旋のためにたくさんのロザリオを唱えていていただきたいと思っています。何故なら、ロザリオは聖ピオ十世会だけのものではないからです。聖母の汚れなき御心の凱旋のために全世界の信徒の皆様の協力が今必要とされています。聖母の汚れなき御心の凱旋のための意向で捧げられた、天主様や聖母マリア様の御目から見てとても大切なものですから、たくさんのロザリオを唱えてくださるようにお願いします。

【質問】
 はじめまして。ロザリオ十字軍について質問がありましたので、メールさせていただきます。
・声を出さないで頭の中で唱えている
・ロザリオを使用せず、指などで数えている
・数を間違えたような気がして念のため多めに唱える
というようなロザリオはカウントされますでしょうか。


【お返事】
 たしかに、祝別されたロザリオの数珠があると特別の恵みがいただけます。しかし、止む終えない事情でロザリオの数珠なしの時もあります。声を出して唱えられないときもあります。そのときでも、もちろん、ロザリオはロザリオですので、ぜひカウントなさって下さい。

 例えば、中国で迫害の時、ロザリオを奪われてしまった信徒たちは、指さえも使えずに、「めでたし」の祈り一つ一つに玄義に合わせたイメージを頭に描いてイメージのストーリーをたどり、最後のイメージになるとああ、10回唱えたのだなとして栄誦を唱えていたのだそうです。(The Rosary without beads

 私たちは機械ではないので、間違いもあります。多めに祈るのは聖母マリア様に確実を求める愛の印です。心配なさらないで下さい。


【質問】
 途中で気が散ってまた始めるロザリオ、何かしながらしているロザリオ、一つの意向で始めて途中で別の意向を考えているロザリオなどは、カウントされますか?


【お返事】
 途中で気が散ってしまうのは、人間の弱さです。気がついたらまた祈りに集中して下さい。これは誰もが経験することです。ですから、いろいろな不完全な祈りであるように思われても、聖母マリア様がイエズス・キリストに捧げてくださるのですから、その聖母マリア様の取り次ぎの力にご信頼なさってください。私たちの欠陥だらけの祈りにもかかわらず、聖母マリア様から提示されるが故に、私たちの主イエズス・キリストは拒み給うことがないのです。

 散歩をしながらロザリオを唱えるとか、病気の人々を看病しながら、付き添いながらロザリオをする、とかロザリオの祈りと両立できるものと、できないもの(たとえばピアノを弾きながらロザリオを唱えるとか・・・)があります。中にはカウントできないものあるかもしれません。

 聖グリニョン・ド・モンフォールによると、すべての功徳を聖母マリア様にゆだねるのは最高の聖母マリアへの信心であると教えてくれていています。その同じ聖グリニョン・ド・モンフォールは、それでも、私たちが誰それのために祈る、何それの意向のためにいのる、ということは、矛盾しないと教えています。

 一つの意向で始めて、途中で別の意向を考えていても、聖母の汚れなき御心の凱旋のためという意向が生きている限り大丈夫です。カウントしてください。

 日本もそうですが、この世の中はますます罪と邪欲に汚れてしまっています。特に青少年たちは保護されていません。けがわらしいものがあちこちにあります。彼らのためにも聖母の汚れなき御心が凱旋しなければなりません。多くのロザリオの祈りをお願いいたします


【質問】
 光の玄義や、玄義を考えずただ唱えているロザリオはカウントされますか?


【お返事】
 光の玄義は、たしかに、聖母マリア様が聖ドミニコに言われたものではありませんし、ロザリオの歴史約1000年のカトリック教会の伝統の玄義ではありません。第二バチカン公会議の新しい教えを黙想するものです。また、ヨハネ・パウロ二世教皇様もこれを義務とはしませんでした。こういう玄義もいかがですかと提案しただけです。私たちとしては神学的な理由からこの玄義を勧めませんが、それでも、もしその玄義であったとしても、ロザリオとしてカウントなさって下さい。

 玄義を考えずにただ機械的に唱えるというのは、私たちの弱い人間性の故に起こってしまうことです。それでも、聖母マリアへの愛のために唱えられたものですので、是非、カウントなさって下さい。


【質問】
 前二回のロザリオの十字軍では、それぞれ「250万環」と「170万環」を達成なさったそうですが、その時も今回と同じく、期間はほぼ一年間だったのでしょうか。


【お返事】
 第1回は、期間はほぼ3ヶ月でした。2006年8月から10月まで。(http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila355.html
 第2回は、期間はほぼ2ヶ月でした。2008年10月末から12月25日まで。

 今回の目標数は「1200万環」ということです。そして期間はほぼ一年間です。2009年5月から2010年3月25日までです。

 日本では、私たちはできるならば、聖母の汚れなき御心に捧げられた数少ない国の一つとして、多くのカトリックの信徒の皆様にご協力を願って、私たちの祖国の主要の守護聖人の凱旋のために、特別に多くのロザリオの祈りを捧げたいと願っています。

 実は、日本では、第2回のためには、約1年(2008年8月から2009年復活祭まで)で一万環を捧げることに成功しました。

 天主様の御助けによって、聖母の汚れなき御心の栄光のために、多くのカトリック信徒の皆様と未信者の皆様のご協力を乞うて、来年3月25日までに、12万環を聖母の汚れなき御心にお捧げしたいと思っています。あと9ヶ月しか残っていません。2ヶ月の間で集まった数は2000環です。是非、是非、多くの愛する兄弟姉妹の皆様のご協力で、聖母の汚れなき御心のために、12万環をお捧げしたいと願っていますので、是非、寛大なご協力をお願いいたします。よろしくお願いします。

【質問】
 未信者の方々や、大罪の状態にいる信徒のロザリオはカウントされますか?


【お返事】
 私たちはマリア様の取り次ぎに信頼しています。
 未信者の方々でも、まだ告解をすましていないかたでも、とにかく多くのロザリオに招待しております。


【質問】
四番目の意向「 ルフェーブル大司教様と4名の司教様たちにかけられた「破門」が全く無効であったと教会法と正義に基づいてこれが撤回されますように 」は本年1月21日に成就されたと認識しておりますので省略させていただいても宜しいでしょうか。


【お返事】
 はい、この意向については省略してかまいません。
 とくに聖母の汚れなき御心の凱旋のため、また、日本での聖伝のミサに与る方が250名になるために、よろしくお祈りをお願いいたします。

【質問】
 もしできましたら、聖ピオ10世会でロザリオを唱えるときの唱え方を教えていただけませんでしょうか。招詞を言うとか、ファティマの射祷を言うとか、サルベレジナで終わるとか、会で唱えるときはどうなさっていますか。


【お返事】
聖ピオ十世会では、国によってロザリオの唱え方の習慣が違うことを尊重して、その国のやり方に合わせています。
私の知っている範囲で申し上げます。全世界で共通なのは、ファティマの祈りを必ず一連の終わりに唱えることです。


【聖ピオ十世会の神学校では】
ラテン語で唱えます。

十字架の印、
使徒信経(1回)
主祷文(1回)
天使祝詞(3回)
栄誦(1回)

玄義を述べる
主祷文(1回)
天使祝詞(10回)
栄誦(1回)
ファチマの祈り(エコンではフランス語)
【5玄義を唱える】

最後に
大天使聖ミカエルへの祈り
聖会の保護者なる聖ヨゼフに向かう祈り(フランス語 日本語は公教会祈祷文にあります
召し出しを求める射祷

【フランスでは】
だいたいは神学校のやり方に準じています。ただしフランス語。

【イギリスやアメリカなどの英語圏】
ロザリオの終わりはレジオ・マリエのロザリオのやり方にそっくりです。
ロザリオの最後に、聖ヨゼフの祈りを唱える前に、サルベ・レジナと小さな祈祷を次のように付け加えます。

Hail! Holy Queen, Mother of Mercy! Our life, our sweetness, and our hope! To thee do we cry,
poor banished children of Eve, to thee do we send up our sighs, mourning and weeping in this
vale of tears. Turn, then, most gracious advocate, thine eyes of mercy toward us; and after this
our exile show unto us the blessed fruit of thy womb Jesus; O clement, O loving, O sweet virgin
Mary.
V. Pray for us, O holy Mother of God.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.
Let us pray.
O God, Whose only-begotten Son, by His life, death and resurrection, has purchased for us the
rewards of eternal salvation; grant, we beseech Thee, that meditating upon these mysteries in
the most holy Rosary of the Blessed Virgin Mary, we may imitate what they contain, and obtain
what they promise, through the same Christ our Lord. Amen.

その後は、
大天使聖ミカエルへの祈り
聖会の保護者なる聖ヨゼフに向かう祈り(フランス語 日本語は公教会祈祷文にあります
召し出しを求める射祷
です。

【ドイツ】
天使祝詞の中に玄義の言葉が入ります。

【韓国】
最初に十字架の印、その後に始まりの祈りがあります。それから
使徒信経(1回)
主祷文(1回)
天使祝詞(3回唱えますが、一回唱えるごとに天主聖父の娘なるマリアに、天主聖子の聖母なるマリアに、天主聖霊の浄配なるマリアに、と言ってから唱えます。
栄誦(1回)

【日本では】
エコンの神学校方式・フランス式で日本語で唱えています。

【質問】
 玄義を自分でもラテン語で唱えたいと思っています、もし聖ピオ10世会で使っておられるものを教えていただけましたらとてもうれしいです。主が神父さまを祝福し、兄弟たちを守られますように。


【お返事】
エコンの神学校では、だいたい次のような感じで玄義を唱えていました。

Mysteria Gaudiosa Rosarii
In primo mystério gaudióso annuntiatiónem Beátæ Maríæ Virgínis contemplámur et humilitátem pétimus.
In secundo mystério gaudióso visitatiónem Beátæ Maríæ Virgínis contemplámur et amórem fratrum pétimus.
In tértio mystério gaudióso nativitátem Dómini Nóstri Iesu Chrísti contemplámur et spíritum paupertátis pétimus.
In quarto mystério gaudióso oblatiónem Dómini Nóstri Iesu Chrísti contemplámur et obœdiéntiam pétimus.
In quinto mystério gaudióso inventiónem Dómini Nóstri Iesu Christi contemplámur et grátiam quærendi Deum in ómnibus pétimus.

Mysteria Dolorosa Rosarii
In primo mystério doloróso agoníam Dómini Nóstri Iesu Chrísti in horto contemplámur et contritiónem pro peccatis nóstris pétimus.
In secúndo mystério doloróso flagellatiónem Dómini Nóstri Iesu Chrísti contemplámur et mortificatiónem corpóris pétimus.
In tértio mystério doloróso coronatiónem spinis contemplámur et mortificatiónem supérbiæ pétimus.
In quarto mystério doloróso baiulatiónem Crucis contemplámur et patiéntiam in tribulatiónibus pétimus.
In quinto mystério doloróso crucifixiónem Dómini Nóstri Iesu Chrísti contemplámur et donum suiipsius ad redemptiónem animárum pétimus.

Mysteria Gloriosa Rosarii
In primo mystério glorióso resurrectiónem Dómini Nóstri Iesu Chrísti a mórtuis contemplámur et fidem pétimus.
In secúndo mystério glorióso ascensiónem Dómini Nóstri Iesu Chrísti in cælum contemplámur et desidérium supernórum pétimus.
In tértio mystério glorióso missiónem Spíritus Sancti in discípulos contemplámur et zelum animárum pétimus.
In quarto mystério glorióso assumptiónem Beátæ Maríæ in cælo contemplámur et grátiam bene moriéndi pétimus.
In quinto mystério glorióso coronatiónem Beátæ Maríæ in cælo contemplámur et fidúciam in María Regína nostra pétimus.

【質問】
 時間がある時で構わないので、ブログ等に書く時間があれば、他の国はどのくらい集まっているのか、日本は何位にいるのか気になるので良かったら教えてください。


【お返事】
 私の今知り得る情報では、2009年7月7日現在、次の環数が計上されています。
フランス語のウェブサイトでは、 178188環
南アメリカのウェブサイトでは、 26136環

【関連記事】ファチマとロザリオの十字軍

皇帝の新しい旗 その5

2009年07月06日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 皇帝フランツヨーゼフは、知的な学者肌でした。皇帝は、このところ物思いにふける時があり、よく帝国の昔話しを思い出していました。

 帝都アモールから遥か離れた東方には、聖マルコと聖パウロと捧げられたマルコパウロ州がありました。今では、新しい帝国旗の後に、いくつかの県になりましたが、マルコパウロ地方の自治体として残っています。この州は、火山地帯であるからか、昔から金の産出が豊かで、今でも或ゴミ焼却場のゴミの土を精製すると金鉱山よりはるかに高い含有率の金が産出されるそうです。マルコパウロ州だけに生息している鳥として金の卵を生む鳥もいました。


 この州の臣民は、昔から勤勉で、真面目で、柔和で、優秀な頭脳に恵まれていました。確かに完璧主義者のきらいがありました。全てが完璧でなければならないのです。それでも、毎日ご飯が食べられること、一日一日が無事に暮らせたこと、つらいことがあってももっと酷くなくてありがたい、ありがたい、と感謝のうちに幸福に楽しく暮らしていました。彼らは、玉の緒の命よりも名誉と誠実を重んじ、キリストの教えに従って、はかない浮き世の栄枯衰勢を後目に、永遠のパラディーソの名誉を求めていたのです。

 元来マルコパウロ州では、カトリック的な家庭生活、助け合い、家庭的な同業者組合、忍耐、質素、感謝、堅実、懸命、誠実、人間らしさ、智恵を大切にしていました。彼らにとって、イエと呼ばれた家族が最も重要でした。また家族らが作る共同体でした。帝国は、この家族らの自律と権威と価値を大切にしていました。帝国があるのは、家族を守るためで、帝国の安全も国防も秩序も、それなくして成り立たない家族らの本当の安定した繁栄のためでした。全ての家族は幸福に自発的に帝国の眼差しのもとで、生活していたのです。家族こそ帝国の繁栄の第一の条件であり基礎でした。天主、天国、来世の幸福、霊的喜び、キリストの神秘体の天主の子供としての兄弟愛、これが彼らの最高の規律でした。彼らは、家族の共同体の共通善のために個人的利己主義や情欲の幻想を犠牲にすることを知っていました。

 マルコパウロ州にはそんな人々が住んでいたのです。

 彼らはまた、完璧を追求するので、学問的に緻密で、特にマルコパウロ州で作られた工業製品は素晴らしいと有名でした。

 以前は、質素で朗らかな性格でしたが、新しい帝国旗が導入され、マルコパウロ州がいくつかの県になった時、ここにも、新しいイデオロギーとして「金儲け」が浸透してきました。彼らは金儲けにも完璧主義者となっていったのです。

 最初に追求したのは金儲けの完璧な個人の「自由」でした。レッセ・フェール主義です。州民は、マルコパウロ州の全体の皆のための共通善を誰も考えなくなってしまいました。

 ただ自分さえ最大の利益を得れば、他はどうなっても構わない、市場を支配し、財産をかき集める、財産を通して権力と名誉を一人占めにする、カネで買えないものはない、富は神々からの祝福のしるしだ、と。自由な競争で最高のサービスと製品が勝ち残るはずだ。規制がなければ、消費者が利益を得る。より安くより良い製品とサービスを手に入れるだろう。全ては市場だ、全てはカネで計られる、と。

 こうして、マルコパウロ州民は、人間に対してオオカミとなっていきました。家庭よりも、地域よりも、個人の利益・収益が重要になったのでした。しかし、同時に、家族や地域という保護と援助とを失い、個人は身を守る手段を失っていきました。自由を追求すればするほど、州民は自由を失ってしまったのです。全てはカネで測られたからです。子供はカネがかかる、障害を持って生まれた子供は負担がかかる、老人も負担だ、弱者は切り捨てて行くしかない、コストカットだ、というスローガンのもとに人々は労働ロボットになってしまったからです。

 フランツヨーゼフ皇帝は、いろいろな実話を思い出しました。例えば、マルコパウロ州を一時覇権していた、A (キャピタルエーとかビッグAとか呼ばれていました) という百貨店の話。小さな小売りが立ち並ぶいたるところの田舎町の商店街の近くに、消費者のための格安大型百貨店が立ち、消費者は安い商品を最初喜んで購入していたが、小売りの商店街は幽霊シャッター街となり、町を捨てて多くの人が大都市に引っ越し、過疎化が進み、ついに格安大型百貨店も客がなくなってたち消えてしまったこと。

 マルコパウロ州の各県経済がうまく行っていたころ、より高い競争性を持つように、彼らがコストカットしやすい派遣法を作ったことをもフランツヨーゼフ皇帝は思い出しました。競争力がつく、良い安価なサービスを提供できるというためでした。しかし、そのために家族は犠牲をしいられました。家族は消費者であるとともに生産者だったからです。皇帝は考えました、彼らのうちで保護を受けるべき人々が保護されなくなってしまったこと、過労、病気、弱者切り捨て、大量のドレイの発生、若者たちが結婚する経済力もなくなってしまったこと、少子化がますます進み、消費者が減少し、市場も縮小し、マルコパウロ州全体の競争性が減少したこともフランツヨーゼフ皇帝は思い出しました。

 際限のない自由の追求のあと、真理や正義よりも、一部の物質的に強いものがますます自由になり、その他の多くは自由を失っていったのです。

 マルコパウロ州でも、この「自由」のイデオロギーの後に控えていたのが「平等」でした。

 マルコパウロ州には、他の州と同様に、莫大な財政赤字がありました。マルコパウロ州の州都があるアソ県の県知事は、「将来の子供たちに莫大な借金を残して、われわれがおもしろおかしく生活してはならない、われわれは将来の世代には、夢と財産を残したい。われわれの財政赤字は、われわれが痛みを受けて処理しよう」と主張しました。

 しかし、堅実で賢明な政策は、マルコパウロ州の多くの良識ある人々にもかかわらず、マスメディアによって、かき消されてしまっていました。マスメディアによれば、今、自分たちがおもしろおかしく生活できれば、子供たちはどうなってもよかったようです。大量生産で大量販売、大量消費、全ての商品化、家族も無い、道徳も宗教も無い、国も無い、人間の顔も無い、過去とのつながるを絶ち切られた、将来の世代のための善と未来を配慮することも無い、今の欲望をあくまで追求することだけをあおりたてていました。

 マスメディアの批判によれば、アソ県の県知事は、漢字を間違える、人事のやり方が上手くない、議会の解散をする時期を逃した(つまりマスメディアの命じる通りにやらなかった)、などなどと、マルコパウロ州の全体のこと以外のことを大問題としていました。

 マルコパウロ州のもと州都アソ県知事フランシスコは、なんとか昔の良いマルコパウロ州の民族性、州民性を回復させたいと思っていました。

 そんなときちょうど七夕の夜、帝国都アモールで、フランツヨーゼフ皇帝とフランシスコ県知事との初めての謁見が持たれることになりました。マルコパウロ州の心ある人々は、この謁見の成功を祈って、短冊に帝国のため、州のための、未来の世代のための願いを書いて、天主の御母聖マリア様の足元に祈りとともに捧げていました。

(続く)

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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