Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第19章:墓地での散策

2011年10月09日 | カトリックとは
第19章:墓地での散策

 聖霊は、常に平和、喜びそして平穏をもたらしますが、悪魔たちはしばしば混乱と障害をもたらします。共産主義者の管轄下で暮らしている人々は、中国共産党が、絶えず政治運動をし、洗脳しようとすることをはっきりと知っています。1957年10月以来、中国共産党は、よく教育を受けた人々は彼らの奴隷になろうとはしないという信念のために、教育者に焦点を当てました。 私たちのカトリック教会は、中国共産党の最大の敵でした。中国共産党が、私たちを攻撃するために厳しい措置を講じることは確実でした。1958年3月から5月に、政府は、レジオ・マリエとカトリック青少年グループの元メンバーを学習班に召喚しました。この命令は、人が勉強したり、働いたり、家にいるか、既に共産主義に降参していたり、逮捕されて仮釈放されているかに関わらず必須でした。政府は、既に学校当局や他の関係機関に対し、カトリック青年の名前がブラックリストに載っていたことを通知していました。

 学習センターは、新閘路五五○号にありました。全カトリック教徒がそこで居住しなければならず、そこから離れることは禁じられていました。外出したい場合は、共産主義者の許可を求める必要がありました。これらの要求は、ほとんど許可されませんでした。この形式の政府の主導は、実際は別の洗脳技術であり、参加を拒否したりトラブルを起こした人は皆、即座に逮捕されました。この目的は、「三自革新愛国協会」の正式な設立でした。三自とは自治、自養及び自伝のことです。

 全カトリック教徒は、自分が教皇に反対したことを宣言し、また信仰のいくつかの基本的な真理を否定しなければなりませんでした。この運動の最中やその後に、多くのカトリック教徒は、学校から追放されるか職を失い、「右派」か「反革命」のどちらかに分類され、逮捕されました。レジオ・マリエの会長であるために私は逮捕され、繰り返し釈放されました。 私はもちろん、彼らが私を召喚するときに何が起こるか知っていました。私たちの意志は強くても、私たちの肉体は弱いのです。それは確かに、罪を犯しやすい機会を避けるのに役立ちました。彼らが私を呼び出した時、始めの私の応答は非常に短いものでした。「再逮捕して下さい。あなたに従います」しかし、彼らは日夜電話を掛けたり、やって来たりし続けました。この迷惑から逃れる方法を見つける必要がありました。どうすればいいでのしょう?ああ、私は何人かの求婚者がいました。求婚者の日一人とデートするのはどうでしょうか?それは非常に賢い方法のように思えました。すべての反カトリック組織は、人がボーイフレンドかガールフレンドを持つことを好みました。この非常に重要な時期に、もし人が誰かと愛し合っていたならば、多くの試練に直面した場合、10人のうち9人は自分の信仰を保つことが出来ませんでした。私は誰よりも弱かったことを自分自身でよくわかっていました。どうして、自分自身が人間的な愛に気を取られることを許せるのでしょう?答えは「いいえ!」でした。中国には、「三十六計逃げるに如かず」という有名な諺があります。でも、どこへ行く必要があるのでしょう?姉と私は他の都市に旅行出来ましたが、家族の面倒を見る必要がありました。唯一の方法は、早朝に家を出で、夕方に帰宅することでした。姉と私は、非常に近くの墓地に関心を持っていました。警察官でさえ、私たちについては来れないでしょう。そこは、その辺りでとても静かで穏やかでした。私たちは、死と審判について、長い黙想を行うことが出来ましたし、煉獄の哀れな霊魂の為に、多くの祈りを唱えることも出来ました。毎朝、私たちは別の墓地に行くために、何個かのケーキやパン、そしてミネラルウォーターを持っていきました。愛国会は、私たちがどこへ行こうとも、私たちを探すために最善を尽くしましたが、彼らは私たちを見つけることが出来ませんでした。

 我々は墓地に入る時、まるで、私たちが自分たちの未来を見たように思われました。死は私たちの生活の中で、最も明確な出来事でした。その時、私たちはまだ二十代でした。ええ、私たちは自然に世俗的な快楽を味わうことを好んでいました。どうすれば、私たちはすべての上に天主様を愛するために、私たちの心を向けることが出来るでしょうか? 1955年9月8日に、私はカルワリオの丘までに私たちの主に従うことを約束していました。今、自分の約束を守るために、自分から思い出す必要がありました。私はこの世を一瞥することもせず、遠くに留まなければなりませんでした。そうです。墓地を訪問することは、私たちにとって賢明な行為でした。墓地に到着すると、すぐに私たちは煉獄の全ての霊魂の冥福を祈って下さるよう聖母にお願いしつつ、ロザリオの五連を唱えました。それから、私たちは墓碑の説明を一行づつ読んでいきました。時々、私たちが晴れた日にそこに行くと、イエズス様の御慈悲が私たちに輝いているように感じました。イエズス様は、煉獄にある全ての霊魂の世話をしていました。私たちが雨や曇りの日に墓地に行った時、雰囲気は非常に重苦しく、霊魂が私たちに彼らの為に直ぐに祈るよう願っているかのようでした。墓地では、私は若くして事故で亡くなった人々に、より多くの注意を払いました。今でも、素早く書き留めたいくつかのメモを覚えています。私が墓地で知った最も奇妙な物語は、反右派運動の最中の1958年に亡くなった労働者でした。彼は出勤する途中に高い建物のそばを通った時、右派のエンジニアが自殺を試みて屋上から飛び降り、そして彼に衝突しました。労働者は即死しましたが、エンジニアは全く無傷でした。エンジニアの家族は、その労働者を記念するために墓を作りました。私たちは、墓地の管理人からこの話を聞かされました。

 また、自分の赤ん坊を産んだときに亡くなった母親がいました。彼女は娘のために彼女の生命を捧げたのです。ですが、彼女の娘が大きくなった後に、見たことが無い母親に敬意を表すだろうかと私は疑問に思いました。そして、一人の若い女性がいました。一枚の非常に美しい女性の写真に、私はとても感銘を受けました。彼女は私と同じ年齢でした。彼女のボーイフレンドの両親が、彼らが結婚することを許さなかったため、彼女は自殺しました。私は彼女のために大変同情しました。天主様の御恵みがなければ、多分私は同じことをしていました。何と私は祝福されていたことでしょう。天主様は、御自分の証し人として私を御選びになりました。もし、私がカトリックの信仰のために死ぬ機会があるならば、私の人生はどれほど価値のあることでしょうか。


聖ピオ十世司祭会本部からの公式発表2011年10月7日

2011年10月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会本部からの公式発表がありました。これを日本語に訳してくださった方がおられますので感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

***



聖ピオ十世司祭会本部からの公式発表

 2011年10月7日、聖ピオ十世会の全責任者たちによる会合がイタリアのアルバノで開かれ、その中で司祭会総長のベルナール・フェレー司教様が、去る9月14日の会合で教理聖省長官のウィリアム・レヴァダ枢機卿から手渡された教義的な前提文書の内容を紹介されました。

 この日、聖ピオ十世会の二十八人に及ぶ責任者たち‐神学校校長及び世界中からやって来た菅区長たち‐がこの会合に出席し、聖パウロによる「Tradidi quod et accepi‐私があなたたちに伝えたことは、私自身受けたことである」(前コ15:3)に倣ってマルセル・ルフェーブル大司教様が彼らに残された訓戒に忠実である為に、信仰を無傷かつ完全に保つという意志に於ける深い一致を表明しました。

 この勉強会議に引き続き、教義的な前提文書‐依然としてその内容は秘密である‐の研究が続けられ、さらに進んで、当前提文書は聖ピオ十世会の顧問会議レベルで、総長並びに二名の総長補佐であるニクラウス・フルーガ神父様とネリ神父様たちにより検討されることになり、ローマの提案に対する回答を、彼らが程よい時期に提出する事が出来ることでしょう。


ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第18章:不思議な日

2011年10月08日 | カトリックとは
第18章:不思議な日

 それは1957年6月に上海の徐匯区拘置所で起きました。その時、警察は囚人のほとんどを釈放していましたが、ある神学生と私はまだ拘留されていました。共産主義者の政策は、それほど厳しくなくなり、食べ物は以前よりも良くなりました。家族は一週間おきに食品を送ることを許されました。私が滞在した牢獄は、以前より明るく大きかったのです。私はすべてに満足しました。

 私は彼らが私を解放するとは思っていませんでした。私は、天主様が御自身の為だけに私を創られたことに気付きました。私がこの牢獄に滞在したことは、天主様の御意志だったのです。

 私は日夜、天主様を賛美し、崇拝することが出来ましたので、牢獄は私の天国のようでした。他に私はどこに行きたいと思ったでしょう?ところが、1957年6月3日の午前9時頃に警察が尋問のオフィスに連れて行きましたので、私はとても驚きました。私は長い間、呼ばれていませんでした。多分、取調官が新たな戦術を用いるのではないかと、私は考えました。私がオフィスに入った途端、役人が非常に簡潔に私に言いました。「胡美玉、私たちは今日あなたを釈放するつもりです」

 それは私にとって全く新しいことでした。逮捕されて以来、100回以上も「厳しい処罰を受ける」、とか「生涯投獄されるだろう」という言葉を耳にしました。その一方で、どうして私はそのような言葉を信じられるでしょう?私は、何の考えも無しに言いました。「冗談を言っているのではないですか?あなたは私のカトリック信仰が、今でも最初に逮捕された時と同じであることを非常にはっきりと知っています。今日は政策が緩やかだから、あなたは私を釈放するのでしょう。もしかしたら、来年は状況が厳しくなるかもしれません。それから、再び私を刑務所に入れるのでしょう。私たちは、ドラマを演じているのではありません。現実に直面するのに、私は上から下になったり、下から上になることは望ましくはありません。今は、私を家まで送らないでください。私はむしろ留まる方が良いと思います」私が言ったことを聞き、取調官は唖然としていました。何分かの沈黙の後に、彼は言いました。 「家に戻る気が無いような馬鹿は、見たことがない」おそらく、彼は私に圧倒されたのでしょう。彼は単刀直入に、「あなたの母親がロビーで待っている」と私に言いました。私は吹き出しました。母は約10ヶ月前に香港に行きました。それは全く嘘でした。私は何度も頭を横に振りました。「私は家に帰ることはありません、以上」「すぐにロビーに行きなさい」私はどうしたらよいでしょうか?突然、賢い考えがが私の心に入って来ました。 「いいでしょう。もし、私がそこで母を見つけたら、私はきっと家に帰ります。そうでない場合、私は牢屋に戻ります」私はロビーに急ぎました。確かに、母とばあやは、辺りを見つめていたのでした。私は遠くから、「お母さん、お母さん」と呼びました。それから、私は取調官に顔を向けて、「私は今すぐ家に行きます」と言いました。私は、いくつかの衣類や、日用品を牢屋に置いていたことを完全に忘れてしまいました。

 母は急いで言いました。「家に帰りましょう」しかし、役員は言いました。「釈放状に署名するためにオフィスに戻り、牢屋から持ち物のすべてを取って来るように」 そこで母は言いました。「私たちは物は気にしないけれど、あなたはとにかく書類に署名しなければ」母たちは、出来るだけ早く家に帰ることが出来るよう待っている間に、2台の三輪車を呼びようにばあやに尋ねました。私は拘置所から出た時、母はもうに三輪車で私を待っていました。母は、言うべきことを知らなかったかのように、興奮していました。母は、自分が一日前に上海に到着したことを私に告げました。

 彼女は何ヶ月もの間、香港にいましたが、姉と私の2人のことを寂しく思わずにはいられませんでした。二番目の兄は、母が戻るのをやめるように最善を尽くしました。それにもかかわらず、母は自分の心を変えることはありませんでした。結局、母は飛行機の切符を買って戻ってきたのです。 母は自分自身で非常に満足し、「もし、私がここに来なかったら、どうして警察があなたを釈放したでしょう」と言いました。私たちは10分以内に家に着きました。私の家族は私の逮捕後に引っ越していました。新しい家は豪華なマンションでした。姉のマリアと私は、まだ1つの寝室を共有しました。その日の夜、私の家族には二重の喜びがありました。母は香港から戻り、私は釈放されたのです。多くの客がやって来ました。蓄音機は、「私たちの家族の再会」という曲を演奏していました。私たちは皆、大きな喜びに浸っていました。しかし、私が何を考えていたかを誰が知っていたでしょうか?様々な考えが頭に浮かびました。私は、喜び、嬉しさ、怯え、そして苦さを感じていました。

 それは実際、私の表現を超えていました。私は再び母を見るのが嬉しく、多くの家族に会うのは、実に心地よいことでした。しかし、私は二回目の逮捕があったらと心配しました。どうして、母がそれに耐えることが出来るでしょう?そのような快適な生活から、再び去らなければならないと考えると、苦い感じがしました。私は家にある全ての物や、私に仕える三人のお手伝いさんが好きでした。私は全ての世俗的な幸福を享受出来ましたが、自分の信仰を否定する必要がありました。天主様は、私が自分の信仰を否定するか、それとも永遠の命を得るために完全に自分自身を否定するかという、私に非常に厳しい選択をお与えになりました。私は天主様に、なぜ何度も決断をお求めになったのかと尋ねました。私は自分の一回目のの逮捕の為に、非常に長い間準備していました。私は天主様の御摂理により、別の選択肢があると考えを持っていませんでした。私は熱心に祈ることと、カルワリオの丘の上まで私たちの主イエズス様に従う必要がありました。

 マットレスは私にとってあまりにも柔らかかったので、夜になると私は堅い板張りの床の上で寝るのを好みました。母は言いました。「それは構わないけれど、獄中で学んだ悪い習慣に従わないように覚えておかなければなりません。ある囚人は、悪い習慣を持っています。私たち家族はよく教育されていることに気を付けて。あなたは多くの聖なる司祭と修道女たちによって育てられたのです。あなたは行儀良くしなければいけません」私はこれらの言葉を、一生涯心に留めました。いつでも、そしてどこへでも、私は常に自分が天主様の子どもであることを念頭に置いています。

 次の日、母は香港へのパスポートを申請するために、公安局に行くよう私に求めました。母は、多くのカトリック教徒が、釈放後にパスポートを取得していたことを知っていました。二番目の兄は、私が出来るだけ早く香港に行くべきで、そうでなければ確実に再逮捕されると主張しました。間違いなく、私はすぐに香港に行けると期待しました。私は翌朝早く公安局に行きました。多くの警察官が私を覚えていました。誰もが私が再び牢獄に入るのかと尋ねました。 今回は私が香港に行くための承認をお願いする時間です、と私は笑顔で答えました。彼らは私のリクエストに驚きました。彼らは、私がほんの前日に刑務所から出て来たのに、次の日に香港に行くのは馬鹿馬鹿しいと思っていました。彼らは、ほとんどの場合では娘は母と一緒に滞在したいのではないかと思い込んでいたのです。

 6月4日から8月30日まで、私は何回公安局に行ったか覚えていませんが、彼らは繰り返し私のパスポート申請の承認を拒否しました。彼らは母が僅か3ヶ月間だけ中国に滞在するのを許可しました。もし、三ヶ月以上滞在するならば、別のパスポートを申請しなければなりませんでした。再びパスポートを得ることができなかった場合、母は再び中国で苦しむでしょう。私は母が香港に戻るように話をしなければなりませんでした。私は母に、「お母さんは先に行って。私が承認を得られたら、自分独りで行きます。国境で2番目の兄が私を迎えに来さえすればいいのだから」と言いました。

 8月30日に、母は私が間も無く香港にいるという希望を持って上海を去りました。しかし、私は政策がより厳しくなっていたので、行ける可能性が無いことをはっきり知っていました。ここに留まる人は、刑罰の為に牢獄に閉じ込められるのを待っていたのです。

 この時が、私が空港で母を見た最後でした。母は甘い夢を見ていましたが、私は別の考えを抱いていました。2回目の逮捕を歓迎することは、非常に困難でした。私は、人間の尊厳とあらゆる虚飾を含めた自分の周りの全ての世俗的な物を、失っては得て、また失うのです。私は女優ではなく、メロドラマを演じる為のステージ上にはいませんでした。それは現実でした。私は自宅で快適なソファに座った時、自分が持っていたものを見回すと、それが自分の家であると気付きました。私は家の所有者の一人でしたが、それは我が家ではありませんでした。警察がいつ来るかを誰が知っていたでしょう?そして、私は再び囚人となるのです。1955年に最初の逮捕の為に、私は長年にわたり準備していました。天主様は私に無限の御恵みを与えて下さいました。しかし1957年には、非常に多くの司教、司祭、そして無数のカトリック教徒が、苦しみを避けるために自分たちの信仰をあきらめたのです。(訳者注:この年に中国天主教愛国会の前身である「中国天主教友愛国会」が結成された)私は彼らの方法に従うのでしょうか?いいえ、絶対に駄目です。私たちの家は天国にあるのですから。

 この移りゆく人生はとても速く過ぎ去ります。もし、私がこの世去ることを躊躇って信仰を失うならば、どうして自分の裁きの日に天主様と顔を合わせることが出来るのでしょうか?私たちは、2人の主人に兼ね仕えることは出来ません。ですから、私は自分に何が起ころうとも、何よりも天主様に仕えることにしました。私は熱心に祈り、毎日自分の2回目の逮捕を待っていました。


カトリック教会のためのロザリオの十字軍、現在11,094環のロザリオが集まりました

2011年10月08日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 愛する兄弟姉妹の皆様にはご心配をおかけしました。デンゲ熱でイロイロの病院に入院しましたが、ただいまマニラに戻っております。血小板が普通は最低15万なければならないのが、8.9万にまで落ちてしまい、イロイロのお医者さんであるヴィライ先生が、入院して点滴を受けるようにアドバイスをしてくれました。そのおかげで、軽度(2度)ですみました。
 その後、血液検査によれば、白血球の数が少なかったのですが、正常値に戻りました。
 黙想会、入院と長い間マニラを留守にしておりましたので、仕事は溜まっていますが、本調子に戻るには少し時間がかかりそうです。ご心配をおかけしました。お祈りに感謝します。


 さて、2011年の復活祭からフェレー司教様が発動した第4次ロザリオの十字軍の報告を申し上げます。
 2011年4月23日から2011年9月31日までの分として、現在日本から、総計
 ロザリオ 11,094 環

 の報告を頂きました。深く感謝します。
 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【お便り】
勝利の聖母修道院長

トマス小野田神父様
 今晩は小野田神父様。デング熱にやられたとの事、一日も早く体調が元通り回復しますように。取り急ぎお見舞い申し上げます。病人の回復聖ヨゼフ、我らと小野田神父様の為に祈り給え。


【お便り】
+アベマリア
小野田神父様、お具合は、もうよろしいのでしょうか?皆で心配しています。お大事になさって下さい。(:_;)

【報告】
アヴェマリア。小野田神父様、9月のロザリオの報告をいたします。
フランシスコ    30環   
モニカ       90環
テレジア     120環  以上です。

小野田神父様、悪魔が私たちの家族や、親兄弟、すべての人にその影響を及ぼすことがないように、聖母マリア様がお守りくださいますように。どうかお祈りくださいませ。本当のカトリックの信仰によって、一致できることが出来ますように。悪魔に打ち勝つことが出来ますように。お祈りください。

教皇様が、もう異端的な諸宗教の集いなどというものをおこなったりすることをきっぱりと止めてくださいますように。私も心からお祈りしています。聖ピオ十世会の願いが聞き届けられますように。

神さまからの祝福とお恵みが、小野田神父様と聖ピオ十世会の上に、教皇様の上にもありますように、お祈りしています。祈りのうちに。デオグラチアス。

【お便り】
アヴェ・マリア!

小野田神父 様
デング熱とは、本当に大変だったことと推察します。
台湾や香港、フィリピンに渡航する際に、最も気がかりなのはデング熱のことでした。回復されて本当によかったと、家族で話しております。

さて、先日はクトウール神父様に御ミサのあと、
私:「このあとどちらの国に行かれるのですか?」と尋ねると、
神父様:「ローマ」 とお答えになりました。
私:「ローマ? 何をしに、ローマに?」 と私が尋ねると、
神父様:「そこには私の家があるから」 という返事でした。
私:「おうち?神父様はカナダの出身と聞いておりますが。。」 と私が尋ねると、神父様:「主は言われた、あなたの家を捨てたのもは何百もの家を与えよう、と。だから私はブラジルにも、シンガポールにも、世界中に何百もの家を持っている。ローマにあるのは、SSPXの家です。」 ということでした。核心をついた発言で、かなり感銘を受けた一瞬でした。

【報告】
+J,M,J,Ave Maria ☆!

小野田神父様、聖務に御忙しいのにブログをありがとうございます。

小野田神父様のご健康のために毎日お祈りしております。
報告が大変遅くなりすみません。

つたないながらロザリオの十字軍の意向でとなえましたロザリオの報告をさせていただきます。

家族の8人で 9月分として399環を御捧げしました
ロザリオの月となりました。もっとがんばらなければ(^^ゞ
あさってはロザリオの聖母の祝日ですね!

至聖なるイエズス様の聖心よ、われらをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、われらのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフよ、われらのために祈りたまえ。


【報告】
勝利の聖母修道院長
トマス小野田神父様

アヴェ・マリア
 これまで唱えてきたロザリオ十字軍宛てのロザリオ数を報告させて頂きます。
5月1日から昨日10月6日までで、382環です(5月1日以前のロザリオの報告は既に済んでおります)。

【報告】
アヴェマリア

てんとうむしクラブ及びみつばちクラブで
9月分 丁度850環お捧げしました。
てんとうむしクラブ約830環
みつばちクラブ約20環程度だったと
思いますが、表が 見つからなくなってしまいました。

霊的指導者のご家族から、ロザリオの量より質についてご指導を受けております。
みつばちクラブの指導者の先生の奥様は、安田神父様からご受洗されたとのことです。先生は、秋田聖母の巡礼に行ってみたいとおっしゃっておられたそうです。
てんとうむしクラブの者たちもそれぞれに困難な状況を背負っています。
引き続き ぜひ お祈りをお願い致します。
お忙しいなか、あたたかい霊的御指導に感謝いたしております。
デオグラチアス

【お便り】
家族解体と専業主婦の全廃→女性はフルタイムで男性と同様に働くべきという女性の解放論者 小宮山洋子の厚生労働大臣就任で・・・配偶者控除などの主婦への優遇策が次々廃止へ。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110925/mca1109251520000-n1.htm

ますます専業主婦はできなくなり、少子高齢化が進みそうです。
配偶者控除廃止で10万円弱の負担増。これにサラリーマン専業主婦の国民年金の免除が見直されると、取られるのが18万円ぐらいですか。両方あわせて28万円。
若いサラリーマンの月収ぐらいあるでしょ。・・・

【お便り】
プーチンがロシア帝国による世界制覇の野望を明らかにする
http://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-9218.html


【報告】
聖母の愛して居られます司祭トマス小野田圭志修道院長様
十主の平安

アヴェ・マリア
神父様、伝解熱!大変でしたね!御治りになられまして良かったですが、もしや、肝機能に障害が残っておられますのでは、どうぞ、御無理をなさいませんように!
11月に日本の聖ピオ十世会の信者の司牧に御出で下さいますのを、とても楽しみにしております♪

遅くなりまして申し訳ありません、フェレー司教様の御意向の9月分の聖なるロザリオの御報告です

*シスター  90環(アッシジでの27日の恐ろしい冒涜の会議が中止になりますように御祈り御願い致します!と御願い致しましたら、はい、と御答え下さいました。レジス・ド・カクレ神父様の抗議の叫びのメッセージ!!中止を!!祈っています!)
*ヨゼフ マリア   58環
*ヨゼフ・パウロ   90環(いつも御祈り有難うございます!お蔭様で元気に暮らしております、夏の猛暑を、クーラー無しで過ごしました!クーラーの部屋で過ごしたら?と申しましたが、・・・)
*マリア    91環(10月から、頑張ります!)
*ヨゼフ     7環
*マリア     7環
*マリア    50環(ほとんど毎日、夕の祈りの後、聖歌を歌っております、とても楽しいです♪)
*バルナバ    1環
*エリザベト  30環 (この環数をお聞きしました時に、とてもしんどそうにしておられました、御祈り御願い致します!)
*テレジア   74環(御存じかと思いますが、妹さん、癌が再発されておられます、御祈り御願い致します!)
*マリア    48環(お友達に、何かある時は、ロザリオを唱え!て言ってるんや♪と仰っていました♪)
*マリア    28環
*マリアちゃん 33環
*マリア    30環
*マリア   106環
*アンナ    30環(御元気に御過ごしになられておられます♪)

以上です、合計773環です、どうぞ宜しくお願い致します♪

あの、秋田の聖母マリア様の讃歌が、英語、ドイツ語、フランス語、韓国語、中国語等に翻訳になりまして、世界で歌われるようになりますれば、本当に素晴らしい事なのでは!!と思いますのですが、、
非常に御忙がしいですのに、たくさんの素晴らしいブログの記事を本当に有り難うございます!!

デオ・グラチアス!!

我らの王たるキリスト・イエズス様
聖なるロザリオの聖母マリア様
聖会の保護者なる聖ヨゼフ様
どうぞ、御恵みの聖ピオ十世会を
トマス小野田圭志修道院長様を
クチュール菅区長様を御護り下さいませ!!

お祈りのうちに  アレルヤ!



+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

========================
いつもこのブログを読んで下さってありがとうございます。

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思った愛する兄弟姉妹の皆様は、
クリックで応援して下さると励みになります。
兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します。
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.


ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第17章:静けさを伴う音

2011年10月07日 | カトリックとは
第17章:静けさを伴う音

 時々、牢獄の中で私はいくつかの中国の古典詩を思い出すのが好きでした。このことは、私がカトリックの美徳を連想させました。昔は、人々は美徳にもっと注意を払い、高齢者にもっと敬意を示しました。しかし共産主義者の政策は、最愛の人への裏切りや不忠実な行為を促進しました。これら共産主義の誤謬によって毒されるべきではないことを、古典的な詩を暗唱することで自分自身に念を押しました。

 私は直線が2点間の最短距離であることを幾何学で学びました。私は、天主様と自分の距離も直線であることを望みました。幼きイエズスの聖テレジアの神秘的生活は、一貫して天主様への直線でした。それは近道のようなものです。私は今まで全聖人のずっと後ろにいました。私は塵のように価値がありませんでした。私は、あたかも両親と一緒に歩く方法を学び始めたばかりの幼子のように、聖テレジアを模倣する必要がありました。ある人は、歩く方法を学んでいる2人の幼子の例を私に語りました。一人目の幼児は、適切に歩きましたが、石に躓きました。母親は石を取り除きました。その後、その幼子はスムーズに歩き続けることが出来ました。二人目の幼子は歩き始めた途端、震え出しました。躓きませんでしたが、震え続けました。私は自分の霊的な道で何度も躓きました。

 それにもかかわらず、私は多くの躓きの後に天主様が石を取り除き、私を適切に歩ませて下さることを望みました。天主様は私が偉大な使徒であるようにお選びにはなりませんでした。分離された独房に投獄され、天主様の静かな証人であることは、私が背負った最も軽い十字架でした。もし、その十字架を運び続けれるならば、天主様が喜んで下さいます。隔離された独房では、私の心は他の多くの考えに気を取られていませんでした。だから、私はより多くの記憶の空間を持てました。私は辞書や参考書を持っていませんでした。幸いにも、私は多くの英文法の規則を心の中で思い出しました。私たちは中国人が英語を勉強するのは困難です。私は異なった英文法の規則を収集し、編集しました。そして、中国人が英語をマスターするための新しい方法を見出しました。1957年に釈放された後、私は自分の記憶を思い出して「第二外国語として英語を学ぶための新しい方法」と題した何冊かのノートを書きました。

 30年後、私は高校の英語教師になりました。私の新しい英語学習法は、大変効果がありました。私の学生の多くは、様々な大会で優勝しました。私は3年間で2回、自分の街で今年最高の教師に選ばれました。誰も私が沈黙の中で英文法を学んだことを知りませんでした。天主様だけが、それを私にの上に起こすことが御出来になりました。

 私は天主様の為に自分の青春の多くを費やしたという後悔はありません。私は人生の早い時期に名声や富、そして虚飾を否定しました。信仰を失った人々にとって、そこには日夜壁に面と向かう以外には何もありませんでした。分け隔てられた独房に投獄されていることは、正に楽園なのです。天主様を愛し、天主様はあなたを愛します。私はとても祝福されていますし、天主様を永遠に賛美することでしょう。


聖ピオ十世会本部からの公式発表 2011年10月6日

2011年10月07日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会本部からの公式発表がありました。これを日本語に訳してくださった方がおられますので感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

***


聖ピオ十世会本部からの公式発表

 今月ロザリオ月の間、また特に先日のローマからの提案を検討する為、聖ピオ十世会の長上たちが会合を持つ10月7日、ロザリオの聖母の祝日という機会に、ベルナール・フェレー司教は、全ての司祭及び信徒たちが2011年の御復活祭に始まっており、2012年の聖霊降臨祭に終了するロザリオの十字軍への寛大な参加度を増すよう求められました。

 9月29日、ドイツのシュトゥットガルト(Stuttgart)で行われたインタビューで、司祭会総長第一補佐であるニクラウス・フルーガー神父様は、「私たちは自分の利益についてそれほど心配していません。ルフェーブル大司教様が私たちの保護にお委ねになられた<霊的>財産を再び全教会が手に入れる事が出来るようにしたいと私たちは考えているからです。... つまり私たちは[自分の利益よりも]カトリック教会を心配しているのです。大司教様と声を合わせ、私たちもまた[聖パウロの言葉である;コ①11:23参照]「Tradidi quod et accepi」‐私(たち)自身授かったものを伝えました。」と申し上げたいと思います。

 10月1日にフランスのヴィルプルー(Villepreux)で行った講演の中で、フェレー司教様がはっきりと述べています<引用が続く>:「シスター・ルチアは、聖母がこの祈り[ロザリオ]に、全ての問題を解決する事が出来る程の特別な効力を付された事をフエンテス神父様に打ち明けています。良く聞いて下さい、全ての問題ですよ!皆さんはそれを信じるべきです。...」「聖主はこう仰っています:『もしあなたたちに芥子種ほどの信仰があるなら、この山に向かって、ここからあそこに移れ、と言えば、それは移るでしょう(マ17:19)。』ですからこの信仰を、つまりこの芥子種ほどの信仰を求めて下さい。」

「さらに加えて、皆さんがロザリオの十字軍を増大するのを私たちは期待しているところです。偉大なる恩寵を求めて共にやって来る公教会のどの肢体からの祈りであれ、善き聖主にとりましては心地の良いものであるだけではなく、聖主を褒め称えると共に、聖母をも褒め称える事は絶対に間違いないのです。」「ですから、出発しましょう!そして善き聖主に対する信仰と信頼を持ってこの十字軍を継続しましょう。」

2011年10月6日、メンツィンゲンにて


聖ピオ十世会フランス管区長レジス・ド・カクレ神父著『アシジに於ける躓きの繰り返し』

2011年10月07日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 以下の聖ピオ十世会フランス管区長レジス・ド・カクレ神父著『アシジに於ける躓きの繰り返し』という文章は、聖ピオ十世会総長フェレー司教様の認可を受けて発表されたものです。これを日本語に訳してくださった方がおられますので、ふかく感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

 フランス語原文は、12 sept 2011. Abbé de Cacqueray : le renouvellement du scandale d'Assiseにあります。
 英語訳は、Renewing the Assisi Scandal にあります。
 イタリア語訳はIl rinnovo dello scandalo di Assisi di Don Régis de Caqueray Superiore del Distretto di Francia della Fraternità Sacerdotale San Pio X にあります。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)






聖ピオ十世会フランス管区長レジス・ド・カクレ神父著
『アシジに於ける躓きの繰り返し』


Errare humanum est, perseverare diabolicum.
(間違う事は人間的である、それに留まる事は悪魔的である)

 2011年10月27日には、一体何が行われるのでしょうか?善意ある人々による単純に友好的な集いなのでしょうか?それとも、キリストとその教会の神性についての取り留めのない討論なのでしょうか?いいえ、そうではありません、それは在位中の教皇ベネディクト十六世による、先任者教皇ヨハネ・パウロ二世が1986年10月27日に犯した前例のない躓きの繰り返しなのです。

 何が2011年10月27日に起るのでしょう?カトリック信仰に改宗するようにとの呼びかけでしょうか?教皇による幾つもの宣言が、この日が何であるかを明確に理解させてくれます。それは、平和祈願の為に(1)全ての人が招かれる考察の日に、教皇自身によって呼びかけられた、偽りの諸宗教の代表者たちによる集会です。

 確かに、第一回目のアシジ集会とは違い、そこでの祈りは、たとえ前面に押し出されてはいますが、無言のままでなければならないようです。しかしこれら偽りの諸宗教の代表者たちは、沈黙のうちにどんな神に祈るのでしょうか? 教皇は彼らに「自らの宗教的信条」(2)をより深く生きるようにと明白に招いているのですから、彼らは偽りの神以外のどんな神に祈るのでしょうか?イスラム教徒たちは、モハメッドの神以外の誰に向かって祈るのでしょうか?精霊信仰者たちは、自分たちの偶像以外の誰に対して祈りを向けるのでしょうか?従って、教皇が偽りの諸宗教の代表者たちを、諸宗教の代表者の資格で、個人的祈りの日に参加するよう招く事を我々はどうやって理解したらいいのでしょうか? 教皇によるこの行為は、その事実それ自体により、天主に対する凄まじい冒涜となり、更には、世界中の人々にとっては躓きの機会となるのです。


三位一体にして御託身された天主に対する侮辱

 「我は汝の主なり。我を唯一の天主として礼拝すべし」(3) と命じる第一戒に著しく背くこの諸宗教の見本市を、他にどうやって形容したらいいでしょうか?

 御自分の御子を十字架に架けて、三位一体の天主を否定する祖先たちに忠実なユダヤ教徒たちの祈りに天主が喜ぶとどう想像するのでしょうか?
 キリスト教徒たちを絶えず迫害する弟子たちのアラーへの祈りを、天主がどうして聞き入れるというのでしょうか?
 御子の開かれた脇腹より誕生した御自分の教会を否んだ、全ての異端者、離教者、さらに棄教者たちの祈りを、天主はどうやって快諾してくださるのでしょうか?
 ありとあらゆる精霊信仰者たちや汎神論者、そしてその他の偶像崇拝者たちがその偶像に捧げる崇拝によって、天主はどう称えられるのでしょうか?
 「私によらずには、だれ一人父のみもとにはいけない」(4)という正反対の真実を御子が私たちに明示されたのですが、如何にして天主は以上の祈りを聞かれるというのでしょうか?

 誠実な霊魂たちが、異端、あるいは不信仰のうちに天主に祈るという事は、別のことです。天主は彼らの祈りを認め、彼らを唯一の真の教会へとお導きになることでしょう。しかしこのような人々を、偽りの諸宗教の代表者としての資格で「彼らの宗教的信条」に従って祈るように招く事は、つまり、彼らが信奉する偽りの宗教の精神とやり方に従った祈りをするように彼らを招く事ではないでしょうか。

 それでは、このアシジの集会において、三度(みたび)聖なる<至聖三位一体の>天主の御顔に投げつけられた最高の侮辱を認めずにいることがどうして出来るというのでしょうか?このような躓きを目にして、深く憤慨しないでいられるというのでしょうか?共犯であることなしに、どうして沈黙を守ることが出来るでしょうか?

変質したキリストの平和

 この重大な罪は、同時にイエズス・キリストの平和をも著しく傷つけます。教皇は平和のために祈るように招いています。

しかし教皇が求めているこの平和とは一体何でありましょうか?世界を血で染める紛争の停止でしょうか?
しかし、偽りの神々に対する祈りが、天罰ではなしに、全く人間的な平和という福利を得させてくれる功徳のあるものであると本気で信じているのでしょうか?旧約の時代にあったノアの大洪水を忘れてしまったのでしょうか?不信仰な霊魂たちの不信仰の罪よりは軽かったソドムとゴモラの破壊の記憶を失ってしまったのでしょうか? (5) 天主の民が犯した罪の値であるエルサレムの惨(むご)たらしい破壊を、福音と歴史から消し去ってしまったのでしょうか?

 そもそも自分の霊魂を失ってしまうなら、束の間の平和を買う事が一体私たちにとって何の役に立つのでしょうか?「体を殺しても、そののち、それ以上なにもできない人々をおそれるな。(...)殺したのち、ゲヘンナに投げいれる権力あるお方をおそれよ。」(6) 他方で、この平和を求める祈りの中に、世俗の平和に対して全人類が抱く正当な熱望から、おそらく無意識ではあっても邪悪な、エキュメニズムを意図した方向転換をどうして認めないことができるでしょうか?

いいえ、違います。キリストによりもたらされる平和は、この世の平和、つまり良心の自由により封印されたフリーメーソンの平和ではあり得ないのです。

 と言いますのも、現実に、現在の教皇によってその到来が祈願されている平和とは、単なる現世的平和のことではないからです。それは特に、歴代の諸教皇により何度も排斥された、信教の自由(7)や良心の自由のことであるからです(8)。これが、教皇の示した祈りの意向であり、教皇によって祈願されている平和なのです。即ち、良心の自由により獲得される現世的平和であります。

 そこにはイエズス・キリストの平和があるでしょうか?御自分の天主であることを断言するために十字架の上で死去された方の平和があるのでしょうか?キリストの平和とは、全く別です。愛徳と「博愛」とが違っているように、キリストの平和はフリーメーソンの平和とは全く別物です。キリストの平和とは、天主との平和であり、天主の御子の御血により霊魂が贖われ、人間が罪を放棄することの実りです。キリストによって市民社会に伝えられた平和とは、カトリック信仰と愛徳とに満たされたキリスト教的文明の実りに他なりません。


公教会に対する耐え難い辱め

 しかしながら、もし仮に三位一体の天主とキリストの人性がこの罪への招きによって酷く傷つけられるとすれば、キリストの汚れ無き淨配つまりキリストの唯一のカトリック教会は、公衆の面前で辱められています。

 使徒や教皇たち、教父や諸聖人、殉教者たち、さらにカトリック君主並びに英雄たちは愚弄され、「異郷の国の神々はみな悪魔である」(9) という彼(か)の詩篇作者ダビドの教えは愚弄され、また異端者たちに挨拶なすべからず(10)という聖ヨハネの厳格な命令は無視され、良心の自由とは「狂気(deliramentum)」だとするグレゴリオ十六世又はピオ九世による教え(11)も無視され、教皇レオ十三世(12)及びピオ十一世(13)による諸宗教間での集会の開催、もしくはそれへの参加に対する厳禁も無視され、偶像への燔祭を拒絶する聖ポリュエウクト(St. Polyeuctus)の殉教は愚弄され、プロテスタント異端の改宗を目的として『論争』を著したサレジオの聖フランスシスコの模範は踏み躙(にじ)られ、異教徒たちの霊魂を救わんが為に全てを放棄した無数の宣教師たちは無視され、イスラム軍をポワチエ(Poitiers)にて阻止したシャルル・マルテル(Charles Martel)や、槍と剣を以って実力でエルサレムに入城したゴドフロワ・ド・ブイヨン(Godefroy de Bouillon)という方々の英雄的行為は無視され、天主冒涜を罰する聖ルイ王の栄誉は踏み躙られるのです。

 アシジの精神で一杯になったカトリック教徒は、「公教会の外に救いなし」という教義にどうやってまだ賛同出来るのというのでしょうか?どうやってカトリック教会において、唯一無二の救いの箱舟を見るというのでしょうか? 更にひどいことには、あたかもこのような集会の深刻さだけではまだ足りないかのように、地上に於ける最高の宗教権威者から、つまり、イエズス・キリストの代理者自身から、この躓きが由来しているのです。

それは教皇をして、この集会の司会に、つまりカトリック教会の頭ではなく、国際連合の「教会」の頭に、あらゆる宗教を統合する一宗教つまり宇宙の偉大なる建築家のフリーメーソン的崇拝と本質的には何ら変わらない宗教に属する primus inter pares (同輩たちの中の第一者)に、してしまうのではないでしょうか?それこそペトロに託された使命の悪魔的腐敗ではないのでしょうか?キリストはペトロに向かい「兄弟たちを信仰に於いて固めよ」と命じ、御自分の羊たちを牧するように荘厳に命じましたが、ペトロの後継者は、宗教無関心主義と相対主義おいて自分の兄弟たちを固めに行くのですから。


計り知れない躓き

 さらに恐ろしい冒涜を超えて、教皇のこの個人的決定はカトリック教徒並びに非カトリックたちの霊魂に計り知れない躓きを引起すことになります。全ての偽りの宗教の代表者たちを一つにまとめる教皇の映像を前に、大部分の方々の反応とは、真理と宗教をもう少し更に相対化する事でしょう。

 教皇ともあろう方が、良心の自由の為に祈るようにと非カトリックたちを招くのを見る時、この非カトリックの方々の永遠の救いは大丈夫だ、と安心するように誘惑に駆られない人がどこにいるでしょうか。カトリック教会の頭たる方が諸宗教をパンテオン<万神殿>に一つに集めるのを知る時、どんな非カトリックが、他の全ての宗教を除外してカトリック宗教だけが唯一の真の宗教であると認めるというのでしょうか?教皇による相対主義には譲歩しないようにとの勧告(14)を、真理においてあるというよりは誠実である事こそが重要なのだと考える事による以外に、人はどのように解釈するのでしょうか?

 その反対に、出来るだけ自分の宗教を実践するようにとの教皇聖下によるこの明瞭な招きを、どうやったら相対主義的意味合いにおいて解釈しないでいられるのでしょうか?「...来る10月にわたしは聖フランシスコの町に巡礼を行います。そして、この巡礼に、諸教派のキリスト教の兄弟の皆様、世界のさまざまな宗教伝統の代表者の皆様、そして精神的な意味ですべての善意の人が参加してくださるよう招きます。それは、(...) あらゆる宗教の信者が自分の宗教的信仰を平和のための奉仕として実践するという約束を荘厳なしかたで更新するためです。」(15)

 1986年に、あるジャーナリストは次の意味深い結論を発表しています。「教皇が諸宗教の国際連合を招集してその司会を務める。永遠を信じる人々、八百万の神々を信じる人々、はっきりとした神は何も信じない人々を集めて。何という驚くべき唖然とする光景でしょう!ヨハネ・パウロ二世は、キリスト教信仰は他に存在する諸宗教中の一つでしかないという、信仰の相対性を目を見張るようなやり方で認めたのだ。」(16) この見解が、2011年10月27日の夜、多くの人々によって共有されないなどという事をどう想像するのでしょうか?

 従って、2011年のアシジ集会は1986年のものとは違うなどという理屈で、このような罪について教皇を免罪しようと望む事は、私たちにはまったく奇怪に思えます。

 集会の性質:平和の為に考察し祈るために、一緒に集まるようにと、偽りの諸宗教の代表者たちを招くこと。

 動機:国連により推進される世俗的平和。1986年に既に、ヨハネ・パウロ二世は「国連から平和年として選ばれたこの1986年に、アシジの町に於いて平和を祈る特別集会を促進する為」(17) 全ての宗教を招いた。2011年1月1日の平和に向けたメッセージの際、この日は2011年10月27日の<第三回目のアシジ>集会の告示の日となったのですが、ベネディクト十六世は、次の真理をあらわにするような数行に署名しました。
「 [偉大なる諸宗教による] この初めの経験がなかったなら、諸々の社会を普遍的倫理の原理へと向かわせる事が骨の折れることなのは明瞭でありますし、
1948年の世界人権宣言がその目標 --- 残念ながら依然として無視と反対を受けていますが ---- とするように、基本的権利と自由が十分に認められ、実地に適用され得る国家的かつ国際的な諸条例を制定するのは困難となります。(...) 今申し上げた事の全ては不可欠であり、人格の尊厳及び価値に対する尊重、つまり1945年の国連憲章において地上の諸民族により保障されている尊重と一致しているのです。」 (18)

 1999年開催のアシジの二回目の躓きの際、フェレー司教はヨハネ・パウロ二世に宛ててこう書いたように、「これらの会合が持つ人間中心主義的・現世的・自然主義的なテーマは、カトリック教会をして、永遠かつ超自然である全く神的な使命から、唯一の平和の君である私たちの聖主イエズス・キリストを除いた世界平和というフリーメーソン思想の水準にまで失墜させています。」(19)

 日付:ベネディクト十六世は、アシジの催しから25年目のちょうど同じ日に、この<集会の>音頭を取っています。「2011年は(...)1986年にアッシジで開催した世界平和祈祷集会の25周年となります。この経験の記憶は、全ての信じる者たちが、正義と平和を作り出すものであるとその身に感じて効果的にそうなっていく、未来への希望の根拠となるのです。」(20) それこそ継続性の鮮明な明白な印ではないでしょうか?

(アシジの)聖ペトロ教会内聖櫃上に置かれた仏像による躓きや、聖クララ教会の祭壇上で神々に生贄にされた若鶏たち、ダライ・ラマとKGB支配下のロシア正教会大主教に両側を挟まれて並んでいるキリストの代理者の悲しい思い出を私たちの記憶に蘇らせるやり方ではないでしょうか?





 もしそれとはっきり一線を画したければ、催しの記念日を荘厳に祝うしかないのでしょうか? 何を理由に Ubi et Orbi <ローマと全世界への教皇メッセージ> で「この経験の記憶は、希望の根拠となる」などと宣言するのでしょうか? よく考える人々の裏切りだけが、自分の正体をこのように隠すことが出来るのです。(21)

 あたかも、考えられる曖昧な表現全てを追い払い、第一回アシジの精神に対する忠誠を聞きたがっている人々誰にでも思い起こさせようとしているかのように、 先任者<ヨハネ・パウロ二世>を回想してこう言っています。「今年2011年が尊者ヨハネ・パウロ二世が1986年にアッシジで開催した世界平和祈祷集会の25周年であることを思い起こしました。」(22)

 教皇を擁護しようとする人々までが、正当化し得ないものを正当化しようと試みる目的で同じ説明を用いるのではありません。かつて人々は「祈る為に一緒になる事」と「一緒に祈る事」とを微妙に区別しながら、アシジを擁護していました。今日、共同の祈りではなく、祈りの共同の日なのだ、と言うのでしょうか? さらに沈黙のうちの祈りが同時にあることを拒否することができず、各自は、自分の宗教に従って別々に祈る、というのでしょうか?恰もこれらのもっともらしい区別は、そのための必要を満たすために自分の都合の良いようにでっち上げられなかったかのようです。まるでこれらの微妙な区別は、人々からそろって即座に認められたかのようであります。ただし、彼らには次のことだけしか頭に残らないでしょう。「全啓示を除外した、各自の神に祈るための全ての宗教の集まり、ということです。

 結局は、そして先任者と比べた場合、現教皇による大部分の行為がそうであるように、アシジ2011の躓きは実質的には同じではあっても、アシジ1986ほどの派手さはないでしょう。また、以上の強い言葉故に私たちには愛徳が欠如していると、もう一度非難するだろう人々に対しては、キリストの御言葉を想起させる事にします。「全ての心と、霊と、力を尽くしてあなたの天主なる聖主を愛し、あなたの隣人を自分自身の様に愛しなさい。」冒涜を告発をしないことや、冒涜によって傷ついた人々を非難することが、熱烈な愛でキリストを愛することになるのでしょうか??隣人に迫る大きな躓きについて警告しない事が、この隣人を愛する事になるのでしょうか?そこにキリストから求められる愛があるのでしょうか?
 違います、暗澹(あんたん)とした時代にいた聖ピオ十世は次のように私たちに思い起こさせてくれています。
「カトリック教義は、愛徳の第一の義務は、間違っている信条---それが如何に誠実であれ---を黙認するすることでもなければ、私たちの兄弟たちが誤謬や悪徳にどっぷりと浸かっているのを見ながら理論的あるいは実際的な無関心を保つことでもなく、彼らの物質的福祉を求めつつ同時に、知的かつ道徳的な向上に対する熱意を持つことにある、と私たちに教えています。この同じ教義は、隣人に対する愛徳の源が、共通の父にして全人類家族の共通の目的である天主に対する愛と、イエズス・キリストに対する愛の内にあるとも教えています。そうです、尊敬すべき兄弟の皆様、キリスト教的愛徳の外に真の兄弟愛など存在しません。」 (23)

 それでは、私たちはどちらの教会に属しているのでしょうか?

 異端者マルキオン(Marcion)からマルキオンを認めるかと尋ねられて、彼に対して「その通り、私はおまえを悪魔の長男として認める」と答えたスミルナの聖ポリカルポの教会に属しているのでしょうか?

 私たちの田舎にあった偶像や神木を打ち砕いていた聖マルティーノの教会に私たちは属しているのでしょうか?

 私たちの祖先たちに十字軍を説いていた聖ベルナルドの教会に私たちは属しているのでしょうか?

 ロザリオを祈るだけに留まらず、イスラム教徒たちに対して強力に戦闘をするようにキリスト教君主たちを召集した聖ピオ五世の教会に私たちは属しているのでしょうか?

 私たちは、聖人と殉教者たちを生んだこの教会に属しているのでしょうか、それとも、ピラトの教会、(聖ジャンヌ・ダルクに火刑を宣告したボヴェ市の司教)ピエール・コションの教会、(公教会と国家の分離を通して成人期に達した人類は公教会の守護から開放されるべきであると説いた自由主義者)ラムネ(Felicite de Lamennais 1782-1854)の教会、(物質は霊となり、自然は超自然となり、人類はキリストになるという説を以って進化論的単一主義を主張した)テイヤール・ド・シャルダンの教会、世にへつらう事と、キリストとその弟子たちを、誹謗者たちに引渡す事とに於いては常に素早い教会に、私たちは属しているのでしょうか?

 私たちは、アシジを信仰の目で、歴代の教皇たちと殉教者達の目で判断するのでしょうか?それとも世俗の目で、リベラルの目、近代主義者の目で判断するのでしょうか?

 それ故に、私たちには黙り込む事が出来ませんし、また、教皇がその教皇職中の最も深刻な行為の一つをするために準備をしている間、私たちの憤慨を力強くも公然と絶叫致します。それは、入念に準備されているこのアシジ集会という不幸が行われないよう希望しつつ天に懇願をしながらのことです。
最後に、1999年の教皇宛ての手紙の中でフェレー司教により想起されたルフェーブル大司教の次の言葉をどうすれば思い出さないでいられましょう。
「ルフェーブル大司教は、アシジでの不吉な出来事の内に、聖下による同意のない司教聖別を合法的に行う事を許し、『率直な協力の時は依然として来ていない』と聖下に書き送る事を許している『時の印』を認めました。」(24)それどころか、この躓きを償い、犠牲を捧げる時が到来しました。邪悪の奥義が進展するにも拘らず、『地獄の門は公教会に決して勝てないだろう』との断固たる希望を心に保ちながら。

1683年9月12日、ウィーンに於ける武装したキリスト教徒たちのイスラム軍に対する勝利の記念日である
2011年9月12日、聖マリアの御名の祝日に。
レジス・ド・カクレ(Regis de Cacqueray)神父

---------
(1) :当日の進行及び聖座の公式発表は、この行事にある宗教的次元に関して如何なる疑いも残していない:「教皇聖下は来る10月27日に、世界の平和と正義を求める考察と対話とさらに祈りの日を召集するつもりである。(...)各代表者による祈りと考察のために、ひと時の沈黙が続くことになる。午後になると、アシジに居合わせる全ての人々は聖フランシスコ大聖堂に向かい蛇行する事になる道行きに参列する予定である。これは最終段階として各代表が参加する巡礼となるだろう。このようにして、真理に対する熱心なる探求と、正義及び平和の積極的な構築を目指す人間一人ひとりの道行きを象徴しようとしている。この道行きは、個人的な祈りと黙想とに余地を残しながら、沈黙の内に行われるだろう。」 2011年4月2日の聖座の報道公式発表:『世界平和と正義を求める考察、対話、祈りの日 ---「真理の巡礼者たち、平和の巡礼者たち」(2011年10月27日アシジ)』
英語
フランス語
(2) :教皇より発表された当集会の目的とは、「あらゆる宗教の信者が自分の宗教的信仰を平和のための奉仕として実践するという約束を荘厳なしかたで更新するため」である。
教皇ベネディクト十六世の2011年1月1日土曜日の「お告げの祈り」のことば、聖ペトロ大聖堂広場にて。
(3):第二6:13;マテ4:10。
(4):ヨ14:6。同様にヨ①2:23:「御子を否む者は誰であれ御父をも持たない」を参照。
(5):「<その家の>人々が貴方たちを受け入れず、貴方たちの言葉を聞きもしない時、この家あるいはこの町を出て足の塵を払いなさい:審判の日、ソドムやゴモラの国はこの町よりも寛大な扱いを受けるだろう。」マテ10:15。
(6):ル12:4-5。
(7) :「世界平和の日、現代が人類に出している大きな挑戦について共に考察するのに良い機会であります。今日、劇的に緊急である挑戦の一つが、信教の自由のそれです。それ故に私は、自分のメッセージを今年このテーマの為に捧げたいと考えました:『平和への道なる信教の自由、(…)「世界平和の日」メッセージ』の中で、わたしはさまざまな大宗教が人類家族の一致と平和のために重要な役割を果たせることを強調しました。そして、このことに関連して、今年2011年が尊者ヨハネ・パウロ二世が1986年にアッシジで開催した世界平和祈祷集会の25周年であることを思い起こしました。そこで、来る10月にわたしは聖フランシスコの町に巡礼を行います。そして、この巡礼に、諸教派のキリスト教の兄弟の皆様、世界のさまざまな宗教伝統の代表者の皆様、そして精神的な意味ですべての善意の人が参加してくださるよう招きます。」ベネディクト十六世、2011年1月1日土曜日のお告げの祈り時、聖ペトロ大聖堂広場にて。
(8):「宗教無差別主義のこの毒を含んだ泉からは「すべての人に対して良心の自由が確立され、保証されるべきだ」という誤りかつ愚かなというよりむしろ狂気の原則が流れ出ます。」グレゴリオ十六世、ミラーリ・ヴォス、1836年公布。
(9) :詩95:5。
(10):「もしこの教えをもたずにあなたたちのところにくる者があれば、その人を家に入れず、挨拶もするな。」ヨ②10-11。
(11) :1864年公布のシラブス排斥命題79、デンツィンガー2979参照:「「あらゆる信教(cultus)に法律上の自由を与え、あらゆる意見や思想を何も隠さず公表する全くの権力をすべての人に与えることは、人民の道徳と人心をより容易く腐敗へと導き宗教無差別主義の疫病を伝播させる」というのはまちがっている。」
(12) :1893年に開かれたシカゴの諸宗教会議の機会に
(13) :「ある人達は「宗教的感覚を完全に失ってしまった人は極めてまれである」と確信しています。そして、この確信を基礎に、諸民族を、その宗教の違いにもかかわらず、宗教生活の共通の基礎として認められる幾つかの教義を兄弟的に認めあうまでもって行くことが、容易にできるという希望を養っているようです。ですから、彼らはかなり多くの聴衆者が出入りする会合、集会、講演会などを開いています。彼らは全ての人々を区別無く、ありとあらゆる種類の不信者、信者、更に不幸なことにキリストから離れ苦々しくそして頑固にキリストの神性とその使命を否定するものまでもその公演に招待しています。このような骨折りにたいして、カトリック信者はいかなる賛同をも与えてはなりません。何故かというと、彼らの活動が“全ての宗教は、たとえ形は違っていても、全て等しく、私たちを天主に導き、私たちをして天主の力の前に尊敬を持って屈めさせる自然の生まれつきの感情を表している”という意味で“どの様な宗教でも、多かれ少なかれ、良いものであり称賛すべきである”という、間違った考えに基づいているからです。彼らは、ただ単に誤謬のうちに迷い込んでいるだけではありません。この誤りを支持しつつ、彼らは、宗教に関する本当の観念を歪め、同時にそれを拒んでいるのです。そうして彼らは、[どんな宗教でも同じだという]宗教に関する誤った考えを持ち、少しずつ[真の宗教に関する問題よりも、この地上のことを重視する]超自然否定主義(naturalism)そして、[真の宗教も、真の天主もないのだという]無神論へと歩んでいます。ですから、このような誤った教えの賛同者となり宣伝者に合同することは、天主によって啓示された宗教[すなわちカトリック教]を全く打ち捨てることであるということは完全に明らかです。」ピオ十一世、モルタリウム・アニモス(Mortalium animos)、1928年1月6日公布
(14) :これは「自分に固有のアイデンティティを放棄することなく、又は宗教混合主義のいかなる形態へも譲歩することなしに」行われ得るだろう。聖座による2011年4月2日の公式発表:世界の平和と正義に向けた考察と対話、そして祈りの日「真理の巡礼者たち、平和の巡礼者たち」(アシジ、2011年10月27日)
(15) :ベネディクト十六世、2011年1月1日土曜日のお告げの祈り時、聖ペトロ大聖堂広場にて。
(16) :ル・フィガロ誌、1986年10月31日号、p.69。
(17) :オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙、27-28面、1986年10月31日。
(18) :教皇聖下ベネディクト十六世による2011年1月1日、世界平和の日のミサ聖祭中に与えられたメッセージ、no.12。
(19) :ローマで1999年10月28日、アシジの躓きの繰り返しに抗議するフェレー司教様のヨハネ・パウロ二世宛ての書簡。
(20) :教皇聖下ベネディクト十六世による2011年1月1日、世界平和の日のミサ聖祭中に与えられたメッセージ、no.7と11。
(21) :Seule la trahison des bien-pensants peut permettre de se voiler ainsi la face. 「誇りを超えて身を高めることは美しい事です。ともあれ、それに届かなければならないのならば。私には世俗が言うところの名誉について自由に語る資格は御座いませんし、それは私の様に哀れな司祭にとりまして会話の主題ではありませんが、時に人々は名誉を余りにも気安く取り扱っていると思うのです。ああ!私たちは皆、泥の中に横たわって眠る事が出来ますし、泥は疲れ切った心にとって清清しく見えるのです。また不名誉ですが、お分かりでしょうか、それは有触れた睡眠であり、重く圧し掛かる眠りであり、そして夢なき酔いであります。もしも高慢の最後の残りが不幸な者を立ち上がらせなければならないのなら、何故人々は仔細に眺めるのでしょうか?」ベルナノス(Bernanos)著、田舎主任司祭の日記(Journal d’un cure de champagne)、プロン出版、1936年、p.245。
(22) :ベネディクト十六世、2011年1月1日土曜日のお告げの祈り時、聖ペトロ大聖堂広場にて。同様に聖座による2011年4月2日の公式発表を参照:世界の平和と正義に向けた考察と対話、そして祈りの日‐「真理の巡礼者たち、平和の巡礼者たち」(アシジ、2011年10月27日)
「この巡礼のイメージは、執り行われる予定の行事が有する趣旨を要約し、次の公式発表を遵守させるのです。アシジに於ける最初の集会から2002年1月のそれに至るまでに歩んだ道のりのいろいろな段階を追憶すると同時に、善意ある全ての男女たちと一緒に、急激な変化を遂げる世界にあって、対話と兄弟愛の道行きを歩み続けるという意向と共に、未来に目を向けるつもりです。」 既に2007年には、ナポリの諸宗教の日に当たって、ベネディクト十六世はアシジの第一回目の集会を後悔しているということについてあらゆる幻想を一掃した。ベネディクト十六世によれば、このナポリの集会は「私たちを1986年の精神に連れ戻すのです。この年に、私の尊敬する先任者ヨハネ・パウロ二世が、聖フランシスコの丘に、平和を祈願する為に高位の宗教代表者方を招き、この状況にあって、人類のこの基本的善の為にある鋭い感性と本物の宗教的態度とを結び付ける内属的な絆を強調しつつ、(...) 異なる諸宗教にある違いへの配慮に於いて、私たちは皆、平和の為に働くよう召されています。」ベネディクト十六世、「2007年10月21日、平和国際会議に参列した宗教指導者たちへの演説」DC、n. 2391(2007年12月2日)、p. 1037-1038。
(23) :マテ12:30
(24) :聖ピオ十世、フランスの大司教および司教たちに宛てたシヨン運動に関する教皇聖ピオ10世の回勅 Notre Charge Apostolique 『私の使徒的責務』1910年8月25日付け、聖ピオ十世教皇文書(Documents pontificaux de S. S. Saint Pie X)、第二大冊、クリエ・ド・ローム出版(Publications du Courrier de Rome)、1993年、p.259。

ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第16章:天は自らを助ける者を助く

2011年10月06日 | カトリックとは
第16章:天は自らを助ける者を助く

 1956年、私は未だに投獄されていましたが、刑を宣告されてはいませんでした。ある小学校の先生は、同じ牢獄に私と一緒に滞在しました。彼女の夫は(共産党政府は、完全に彼らの政策または思想に同意しない者は誰でも反革命分子と呼びました)反革命分子だったため、彼女は逮捕されました。そして、彼女は夫の「犯罪」を暴露しなかったため、罪を犯したとして糾弾されました。彼女の夫は懲役7年を言い渡されました。彼女の学校の上役は、彼女が批判し、自分の夫から離婚するように奨励しました(訳者注:共産主義者は人に自分自身が刑務所から解放されるように、友人や親戚の反共産主義の行為を公に批判するよう要求しました)。

 学校は、非常に大きな批判闘争大会を開きました。彼女はすべての批判を拒否し、しっかりと、私の夫は国や誰かに何も悪いことをしたことがない非常に正直な人です。どうして、私は彼を非難出来るでしょうかと述べました。その後、彼女の学校は夫と離婚するように彼女を説得する人を彼女の家に送りました。彼女は、「七年は長すぎることはなく、私は彼のために待ち続けます」と言いました。彼女はとうとう、反革命である彼女の夫を庇ったために逮捕されました。

 私は彼女が私に言ったことに心を動かされました。人々は利己的あるべきではなく、最愛の人が困っているときに共感を示すことを知っています。しかし、現実には、特に共産主義者の支配下では、私は多くの囚人が同時に二つの裁判の文書を手に入れるのを見ていました。一つは、彼らの投獄の条件についてであり、もう一つ彼らの離婚の合意書でした。

 ある囚人は、自由と家族を失うことを読み取った途端、気絶してしまいました。中国共産党の政策の下で反革命分子の親戚であることは、同じ様に苦しい仕事をし、最低賃金しか受け取れないという酷い扱いを受けることを意味しました。誰がこのような悲惨な生活を喜んでするでしょうか?そして、これから抜け出す唯一の方法は、離婚することでした。前に述べたこの奥さんは、大きな嵐に立ち向かうほど勇敢でした。彼女は実に良い模範でした。

 その後、私は彼女に「天は自らを助ける者を助く」という話をしました。「ある時、仲間と一緒にヒマラヤ山脈を登っていた若者がいました。天候は非常に寒く、厚い雪は山道を覆っていました。彼らは歩くのに非常な困難が伴いました。彼らが洞窟の入り口に近づいたときに、彼らは雪の上に何か黒い物を見ました。彼らが近づいたとき、それが人間であることがわかりました。彼の体は凍ってほとんど死んでいるようでしたが、鼻から少し息を出していました。

 若い男は、瀕死の人を助けようと思いました。それにもかかわらず、彼の仲間は- もしこの重荷を運ぶのならば山を過えることは出来ず、その後に自分たちの命を失うことになると言って止めました。

 若者は雪の上で凍りついた体を見ました。彼はその人を進んで無視することはありませんでした。彼は雪からその人を救け出さなかったら、その人は雪の中で死ぬだろうと考えました。若い男は少しの間ためらいましたが、とうとうその人を運ぶことにしました。彼の仲間は別れを言うと、自分の道を歩いて行きました。

 若者は、自分の背中に瀕死の男を運んで旅を続けました。動き続けるのに、彼は自分の全ての力を費やしました。徐々に彼の体温は上がっていき、凍った体を温めました。瀕死の男は再び生き帰りました。瀕死の人を運ぶために全ての体力を費したので、彼は冷たさを感じずに汗を流し始め、さらに暖く感じるようになりました。すぐに、彼ら2人は一緒に歩きました。彼らは歩きつつ互に励まし合い、互いに温め続けました。

 彼らが前に自分たちを置き去りにした仲間に追いついたとき、彼は雪の中で死んで横たわっていました。学校の先生は私の話を聞いた後、しばらく黙ったままでした。彼女は、自分が決めたことを絶対に後悔しないと述べました。彼女は夫の帰りを待つ過酷な生活を送るための準備をしていました。私は20年以上後になって、彼女を訪問しました。彼女の夫は18年間投獄されました。彼は7年間の刑を宣告されましたが、その後も帰宅を許されませんでした。それは中国共産党の政策で、その人々は、元囚人と呼ばれていました。

 囚人と元囚人の違いは、後者が低い月給と1年おきに10日間の休暇を得たことでした。彼女の夫は労働改造所にいたので、長年の間、彼女は自分の家族を維持するために彼女が出来る事を全てやりました。彼女は多くの苦難に耐え、人生に大きな苦しみを抱えました。幸いにして娘は成長し、彼女の家族は、その完全な状態を保ちました。

 私は、妻がすぐに夫と離婚し、家族が離れ離れになってしまった他の多くの家族を見ていました。彼らの子供たちは母親が幸せな家庭を壊したために非難しました。その小学校の先生は、数年前に脳卒中にかかりました。彼女の夫は彼女に献身的に世話をしました。彼女は私が彼女に伝えていた話を覚えていました。彼女は言いました。ええ、天は自らを助ける者を助く。それは私たちの日常生活でも同じです。私が夫に忠実でなかったら、だれが今私を助けに来たでしょう?


姉妹笹川の見た怖しい夢

2011年10月06日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 アシジの諸宗教の集いの日が近づいています。私は、秋田の聖母マリアのシスター笹川が1974年6月10日に見た夢の話を思い出します。安田神父様は、それについて次のように書いています。
 主よ、我らを憐れみ給え!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

***


 六時からのミサのため司祭館から聖堂に向かった私は、二階に並ぶ修室の一つの窓に布団が干してあるのに気づいた。早朝にこれまで見かけぬ干し物なので、目を引かれたのであった。だが、べつに問いただすほどのことでもなし、そのままミサを挙げ、朝食、礼拝といつもの午前中の日課をすませた。
 昼食のとき、ひとりの姉妹から、姉妹笹川の見た怖しい夢、という話題がもち出された。興味を引かれて私がその委しい話を求めると、彼女は恐るおそるという感じで語りだした。

 「今朝ひどい迫害を受ける夢を見て、目がさめてもしばらく動悸がおさまらないくらいでした。
 私の前に大勢のそれぞれ宗教家とおもわれる一団が立っていました。それを率いる頭のような、ねずみ色の服のカトリック神学者とみえる外人が進み出て、私にこういう言葉をあびせかけてきました。
『三位一体の神がなぜ唯一であるのか。われわれはキリストが神であると信じることはできない。カトリックの教えの山はどこにあると思うのか。おまえが神を信じ、神に仕える者であるなら、なぜわれわれと同じく、八百万の神々を神とみとめないのか。神を信ずる者だというなら、われわれ同様に、八百万の神々を信じろ。そうすれば、われわれも皆でカトリックになろう。われわれの仲間になれば、われわれのように面白おかしく人生をたのしんで生きられるものを。お前たちは好きこのんでそのような生活をしている。そんなお前を見るのがかわいそうだ。いまお前ははっきりと、三位一体の神が唯一の神ではない、八百万の神々も神と信じる、ということを、われわれの仲間に言ってくれ。でなければ、この苦しみを受けよ!』

 そういって杖のようなものをふり上げましたが、見るとそれは大きな蛇で、私の体に巻きついてきました。恐ろしさに声も出ないほどでしたが、必死に答えました。『三位一体の神だけが唯一の神です。そのほかにいかなるものも神と信ずることはできません。キリストが神である、と信じられないなら、カトリックになることはできないでしょう。カトリックの山は、キリストが神であり、人である、ということだと思います』

 すると相手は
『キリストが神だというのか。いや、われわれはそれを信じることはできない。お前たちはキリストの復活を信じて、カトリックになったのであろう?』
 と念を押すので、
『はい、その通りです。そしてキリストが神であり人であることを信じて、カトリックになりました』
 と答えると、蛇が一だんと強く巻きついてきて、身動きもできなくなりました。蛇はときどき赤いするどい舌をチロチロと出しながら、その口を私に向けて寄せてきます。怖ろしさと身を締められる苦しさで、あとは同じ質問をくり返しなげかけられても、答える元気もなくなってきました。ただ夢中でロザリオを握ってその祈りを唱えていました。蛇が赤い舌を顔に寄せてくる時だけは、ロザリオをふり上げて追いはらっていましたが、その力もだんだん弱ってきました。助けを求めて見まわすと、右側には仲間の姉妹たちが並んでいます。どう助けることもできず、ただオロオロしているのが、手にとるようにわかります。眼が合うと『わたしたちがついているから、がんばってね』とそれぞれの眼ざしが言うだけです。日ごろ頼りにする長上も皆そろってお姿が見えるのに、だれからも救いの手は伸ばされません。

 もう疲れはてて、蛇の頭をはらいのける力もつき、祈る声も出なくなったとき、ふいに安田神父様が目の前にとび出して来られました。『聖父と聖子と聖霊の御名によって、アーメン』と大きく十字架の印をしてから『彼女の言うように、われわれは皆、三位一体の神が唯一の神であると信じている。それを信じることができない者は、カトリック信者になってもらわなくてもよい』と声高くおっしゃいました。すると、まず左側の気味わるい一団の先頭に立って私を責めたてていた頭分が、たじたじとなって退き、つづいて私に巻きついていた蛇も離れました。

 ヘナヘナとくずれおちた私をようやく姉妹たちが助けに来てくれました。私は神父様にお礼をいう力もないほど、弱りきっていました。汗がふき出るように流れるけれど、それをぬぐう気力も出ないでいると、守護の天使が現れてふき取ってくださいました。

 そこで目がさめたのですが、実際に全身が汗びっしょりでした。ああ、夢でよかった、と起き上がろうとしましたが、胸がまだ締めつけられるように苦しくて、すぐには起きられませんでした。手足もつめたくなっているし、隣室の姉妹を呼ぼうとおもっても、喉が締められたなごりで声も出ません。枕もとの時計をみたら、午前四時半を過ぎたところでした。

 やっと起き上がってみると、ねまきはもちろん、ふとんまで体のかたちに汗が滲み通っています。それで、まだ陽も出ていないけれど、窓に干したのでした。
 お聖堂に行っても、祈りのうちにも夢がまざまざと浮かんでくるので、一心にお助けを願いました。共同の祈りになっても、まだ体に力がなくて、声が出ませんでした。

 この夢の話はだれにもしないつもりだったのに、あまりにも怖ろしかったので、つい隣席の姉妹に、こわい夢をみた、と口をすべらしてしまいました。どんな…と聞かれましたが、朝食中だったので、あとで、とことわりました。食後、お礼拝のあとで、その姉妹が私のへやまでわざわざ聞きに来られたので、一部始終を話しました。そしたら『こわかったでしょう。ほんとに、ふとんはまだ濡れている』と、おどろかれたようでした。
 それで、いま、神父様にも判断していただくように、この話題をもち出されたのだとおもいます」
 という報告であった。

 聞き終わった私は、姉妹一同の物問たげな表情を見まわしながら、ただの悪夢とは思えない、と前おきして、自分なりの解釈を述べてみた。──
 これは笹川さんだけに関する事ではない。現代の教会の姿、その動向をも暗示しているように考えられる。教会は、宣教の旗じるしのもとに、次第に異教、多神教への接近をこころみる傾きがみられる。同時に、他宗教と妥協する傾向をたどり、信仰の生き方を、この世的に考えて比較的楽な方向に向けて行く。現在すでにそのような安易さへの迎合が、教会の指導層に見えてきている。そういう風潮に流されぬように、私たちも心をひきしめて、神のみ言葉を誠実に守る使命につくさなければならぬと思う。……
 この意見を姉妹たちはうなずいて聞いていたが、中には、たかが夢に過ぎないことを…と、まじめに受け取る気にならない者もいたようであった。ともかく、これで一場の夢ものがたりとして、けりがついたかたちであった。

 ところが、その夕方のことである。晩の聖務に先立つロザリオの終わったとき、姉妹笹川があわただしく寄って来て「神父様、となりのへやに蛇がいます」と告げた。立って行き応接間の戸を少し開けてみると、奥の壁ぎわに大きな蛇がとぐろを巻いている。姉妹たちも背後から目にしたらしいので、私はまず一同を落ちつかせるために、今は祈りの途中であるから続けるように、と命じて戸をしっかり閉めた。やがて晩の祈りの終わったところで、蛇を応接間から玄関口へ追い出し、戸外で始末したのであった。

 あとから姉妹笹川の説明によると「ロザリオの終わりに“いと尊きロザリオの元后、われらのために祈り給え”と唱えているとき、守護の天使が現れて『いま隣りのへやに蛇がいるから、神父様に伝えなさい。あなたの夢の話をかるがるしく聞いた人があるので、それを正すためです。神父様がよく導いてくださるでしょう』と言って姿を消されました。おどろいて、先唱をちょっとやめて、境の戸をそっと開けてのぞいてみたら、夢に見たと同じような大きな蛇が丸くなって鎌首をもたげて、舌をチロチロ出しているので、いそいで神父様にお知らせしたのです」ということであった。

* * *

 これは今から思えばもう十二年前の、一つの悪夢とそれにつらなる出来事であるが、あらためて吟味すると、いろいろな警告がふくまれているように思われる。さらに、近い将来にあてはまる重大な示唆がみとめられるようである。
 姉妹笹川を責めたてた神学者めいた頭目の言い分を、とり上げてみよう。
その第一は、三位一体の神がなぜ唯一の神なのか、という詰問である。天地創造の神を信じてきたユダヤ教にしても、神は唯一とみとめても、三位一体の秘義は知らなかった。この三位一体の秘義の啓示を受けなければ、イエズス・キリストが唯一の神の子であることも、信じることはできないわけである。迫害者は「われわれはキリストが神であると信じることはできない」と宣言しているが、この問題は今に始まったことではなく、唯物論の抬頭と科学主義時代の幕明きと同時に、人間精神を揺すぶってきた課題である。今や教会の中にも、多種多様の形で婉曲な唯物思想やヴェールをかぶった無神論が入り込んでいることは、蔽いようのない事実である。

 この夢では、ひとりの神学者が唯物思想をもって、戦いをいどんでいるが、これはまた現代精神の滔々たる趨勢を、表徴しているごとくである。
 彼の主張によれば、八百万の神々、すなわち昔から日本にあった在来の神々を信じれば、われわれも皆カトリックになる、という。これは妥協による容易な福音伝道をめざす、安易な宣教活動の態勢と合致するものである。
 結論としては「われわれの仲間になれば、人生をおもしろおかしく、楽しく生きられるものを」と憐れむごとく誘いをかけ、信仰を現世的生活の享楽の補充とさえしているのである。つまりは、この世に生きる人間生活が大事なのであって、崇高なる神の次元に結びつく超自然の生活を否定するのである。
 ここに、たかが夢の話として軽視できぬものを、私は感じとったが、実はやがて彼女の受けるべき試練の前知らせのようなものであったと思われる。そのような意味がふくまれる故にこそ、天使が先の治癒の予告にさいして「今朝の食卓で夢のことが話題となったでしょう。心配することはない」とわざわざ言及されたのであろう。そして、夢を軽んじた者のために、現実に蛇を目に突きつけて、反省をうながされたのであろう。


お祈りをお願いいたします

2011年10月05日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日、クチュール神父様から連絡があってこれからローマに行くそうです。10月7日に管区長などの会合があるとのことです。聖ピオ十世会の将来に関わる大切な会合です。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをよろしくお願いいたします。

 またロザリオ十字軍の報告もお待ちしています!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第15章:遅すぎた出会い

2011年10月05日 | カトリックとは
第15章:遅すぎた出会い

 1956年、私は投獄されていましたが、まだ最後の判決を下されてはいませんでした。牢獄は80平方フィートで、そこで六人から八人が一緒にいました。排泄のための木製のバケツが一つあり、私たちは皆、セメントの床の上に眠りました。

 誰もがバケツの近くで寝ることを全く好みませんでした。ですから、新入りが次の人が来るまでバケツの近くに寝るのは、ほとんど規則となっていました。共産党の役人は、私たちのカトリック教徒を他の人間よりもひどく扱いました。彼らは各牢屋に1人だけのカトリック信者しか許さず、私たちは運動をしたり、集まったりするために外出することを認めませんでした。各牢屋では、たいてい天主様の証し人として良い模範を示すカトリック信者がおりました。そして、カトリック教徒は多くの場合、バケツの近くで眠ったのです。

 ある日、警備員は、私たちの部屋に綺麗で良い教育を受けたように見える女性を連れてきました。決まり事として、私たちのグループの担当していた人が、彼女に告げました。「あなたはバケツの近くで眠ること」その女性は不満を述べました。「私は新入りではありません。私は別の部屋から移されました」彼女がこの取り決めを受け入れることを望んでいないのは明らかでした。そこで、私は言いました。「そこで眠るのには慣れていますから、そこで眠らせて下さい」 数日後、彼女は私を見て「あなたはカトリックですか?」と聞きました。「どうして分かりましたか?」私は答えました。彼女は言いました。「隣の部屋に、いつも沈黙を守り、自分から一番過酷な仕事を引き受けた若い女性がいました。彼女はあなたのようでした。いつもバケツの近くで眠りました」私はその若い女性が誰かを推測しました。彼女はわずか18歳で、二度逮捕されていました。彼女はカトリックの家族から来たのです。私たちカトリックの囚人は、暗闇に住んでいた人々を照らし、苦しんでいた人々を慰めるランプのようなものでした。私は褒め言葉を受け取ったとき、私ではなく、私たちの母なる教会にそれを帰したのです。一人の顕著な例は、別に何でもありません。一本の木で森全体を成すことはなく、一本のバラは春をもたらすことはないのです。一人一人のカトリック教徒による良い模範だけが違いを生みます。道理で、私たち1950年代に逮捕された囚人が、皆一致してカトリック教徒の偉大な美徳を認めても不思議ではありません。

 留置所の規則によれば、家族は月毎に私たちの基本的な必需品を持ち込むことが出来ました。既に刑を宣告された人々は、彼らの家族と15分間話をすることが出来ます。まだ刑を宣告されていない人々は、物質的な支給を得られるのみでした。ある日、私は小包を受け取りました。その時、母は寝込んでしまい、非常に病気でした。兄と義姉は、すでに新聞で私たちの縁が切られていることを発表していました。誰が私に小包を送ったのでしょうか?それは長い話になります。私が逮捕された時、私の家で働くお手伝いさんは5人いました。そのうち二人はすでに40年以上も働いていました。 1953年に、母はメキシコ映画「生まれる権利」を見に連れて行ってくれました。映画の中では、主要な役は実の母親だけではなく、非常に主人公を愛した養母でした。母はとても感動しました。私たちのばあやは還暦に近づいていました。

 母は姉と私に言いました。「その人は私が結婚した時以来ずっと一緒でした。18歳の時に彼女は私たちの家族になりました。それから42年が経ちました。彼女の夫は彼女を見捨ててしまい、彼女は子供がいません。今、還暦が来ようとしています。私は彼女があなたたち2人のための母親になってくれるように計画しています。今後は、心を尽くして彼女を尊重するように。彼女を傷つけることは何もしないで。彼女と私の間に違いは無いはずです。そうでなければ、自分が乳母にすぎないのだから、2人共本当に自分を愛していないのではと思うでしょう。あなたたちは、彼女の心を傷付けないことを約束しなければなりません。私は彼女があなた達と同じ家柄ではないとか、裕福ではない等と考えて欲しくはありません」母はまだカトリックではありませんでしたが、母は彼女に偉大な寛大さを示しました。どうして私たちは彼女の要求を拒否することが出来るのでしょう?ばあやの誕生日に、私たちは一緒に映画を見に行きました。母は誕生日の贈り物として、ばあやに私達2人を示しました。ばあやは泣き出し、「あなたの二人の娘は家族の中で最も優しい人です」と言いました。

 ばあやは、刑務所の建物内に私に生活必需品を送る度に、多くの障害を克服しなければなりませんでした。最初、彼女は品物を送ることが出来るように、前もって警察署から承認を受ける必要がありました。次に、刑務所の建物と私の家は長い距離がありました。彼女は2つのバスに乗り、早朝に刑務所の建物の入り口で待たなければなりませんでした。彼女は私のためにとても大きな苦しみをして進んで受けました。彼女が最も苦しんだのは、私の最後の判決を受ける前に私に面会するのが許されなかったことでした。

 この時、彼女は一足の靴を持ってきました。彼女は自分の手縫いで靴底を作ったのです。最愛の人からそのような貴重な贈り物を受け取ったら、どのして感謝せずにいられるでしょうか?私が前に述べたその高い学歴の女性は、静かに私を観察していたようでした。ある日、他の人が運動するために外出していた時、彼女は中で留まって私と会話することが出来るよう、頭痛があるふりをしました。彼女は、自分が現代作家の蘇青で、当時中国で最も有名な女流作家の張愛玲の親友だと私に語りました。蘇青は多くの小説や戯曲を書いていたと言い、今は自分が書いたもの中でいくつかの歴史的背景の問題があったという非難を受けて逮捕されていました。

 最初、彼女は精神的な崩壊を起こし、人生に自信を失っていました。彼女は数回自殺を試みました。多くのカトリック教徒の囚人に出会った後、彼女は人生の中での希望を取り戻しました。翌日、刑務所の看守が私を呼び出しました。私は、おそらく裁判所の裁判だと思いました。警察は、私を徐匯区人民法院に連行しました。しばらくして、私は母と兄が待合室に入って来たのを見ました。

 私は母を見るたびに、言葉で言い表せないほど悲しい気持ちがしました。私は留置所で多くの挫折があり、そして天主様が私の耳元で何度もささやきました。誰でも家や兄弟、姉妹、父母、子供や土地を私と福音のために捨てるものは百倍の報いを受け、永遠の世界受け継ぐだろう(マルコ第10章:29-30節)私は既に自分の死までイエズス様に従って信仰を保つよう決心をしていました。

 私は、母が天主様の御手にあり、私たち天の御母の御加護の下にあることを確信していました。裁判所での公判は、10分の会話の後に始まりました。裁判官が尋ねました。「胡美玉、反革命分子である龔品梅についてどう思いますか?彼はあなたを毒しているのではありませんか? 私は大声ではっきりと答えました。「彼は私の司教です。彼は私を毒したことはありません」これを聞き、母は倒れてすぐに気を失いました。裁判官は、裁判を中断し、待合室に行くように私たちに命じました。数分後、母は当時の政策がより柔軟になっていることを私に言いました。多くの人々は自由となり、家に帰されました。役人は私が自分の犯罪を告白し、将来償いをするのならば直ちに釈放されると母に約束していました。私はまだ以前のように頑固でした。母は、もし彼が刑罰を私に宣告した場合、自分が自殺することを裁判官に語りました。私は母が裁判官と私のどちらを脅していたか分かりませんでした。 私は、「天主を持つ人には何も欠けたものがない。天主のみで足りる」というアビラの聖テレジアの有名なモットーを唱えていました。

 生き生きとした信仰とは何でしょう?それは、暗闇の瞬間でも天主様に信頼を置くことです。どうして、私たちの天の御父が、そのような重大な瞬間に御自分の子供を見捨てられるでしょうか?私は冷静に母に話しました。 あなたたちは、天主様のためにそれほどまでに苦しんでいます。天主様はあなたに報いられるでしょう。あきらめてはいけません。良い木が悪い実を結ぶことは決してありません。最後に私の兄は言いました。「しばらくの間、香港に母を連れていく。ここに留まるならば、心が平安になることはないだろうから」

 私は刑務所に戻った時、私の同室の者は興味深そうに朝に私に何が起こったのかを尋ねました。私はあまり話すことができませんでした。後で、私は蘇青に全てを伝えるための機会を見つけました。彼女は非常に心を動かされてこう言いました。私は信仰のためにすべてを放棄した若者のグループ出会ったことがあります。あなたは、特に裕福な家庭から来ている大学生です。あなたのお母さんと乳母の物語と同様に、今日の裁判の話を聞いたら、あなたに特別な美徳を見出すことが出来ます。作家としてこれ以上特筆に値するものは何もありません。私の住所を書き留めて下さい。いつか、あなたは私の家に来ることが出来るし、そうしたら、私はあなたについての小説を書くつもりです。ただ一つ後悔していることは、私たちが出会ったのが遅すぎたことです。

 私は彼女が描写しているように完璧だと思ったことはありません。それは、彼女に良い模範を示した信者です。私は彼女と一緒に過ごしたのはたった約40日間でしたので、彼女に公教要理を教えるのに十分な時間がありませんでした。何年か後、私は彼女を探そうと試みましたが、彼女の住所では見つけることができませんでした。彼女の隣人は彼女が数年前に亡くなったと私に言いました。彼女の葬式には親族はいたのみで、友人や読者はいませんでした。彼女が亡くなろうとする時、かつて私が語った私たちの主がどうして私たちのために十字架の上でお亡くなりになったかについて彼女が覚えていたことを願っています。もし、私が天の王国に入るのならば、どんなに彼女に再会したいと願っていることでしょう!

ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第14章:彼女は地の塩でした

2011年10月04日 | カトリックとは
第14章:彼女は地の塩でした

 刑務所では、私は全信者の中で最年少であり、異教徒の家庭に生まれたので、彼らは私によく面倒を見て下さいました。それらの人々の間で、陳マザーは最も印象的でした。

 逮捕後、私は徐匯区の刑務所に入れられました。 9月8日の夜には、そこは満員でした。 9月の一月を通じて、人々は次々にグループになってやって来ました。共産党政府は、10月1日の国慶節の前ごとに決まった手順があり、自分たちの権力を強化するために多くの人々を逮捕しました。司祭、神学生、修道女及びカトリック信者は常に彼らの目標でした。彼らの多くは徐々に逮捕されました。

 私たちの牢屋は僅か50平方メートルで、およそ20人の囚人がいました。夜に私たちが寝た時はすし詰めで、私たちが寝返りを打つ場合、同時に「一、二、三」と言って合図を取りましたし、そうでなければ私たちは全く動くことは出来ませんでした。この牢屋では、20人の囚人の中で2人の信者がおり、1人は修道女でした。修道女は黒い服の非常に格好の良い修道服を着ていました。彼女はしばしば沈黙し続けました。私は彼女に話かけるよう最善を尽くしました。彼女は煉獄援助修道会の修道女であると語りました。彼女の名前は、陳桂娥と言いました。私はそれを聞いた途端、余り考えずに答えました。「あなたの姪、ローズ陳瑞璋は、私の代母です。今、ここで私たちは真実のために殉教者となる機会があるのですから何よりです。直ぐに陳マザーは、私がどれほど無邪気であるかを悟りました。特に、彼女は私が良く取調べのために呼び出されているのを見ており、しかも刑務所での食べ物は非常に劣悪で、一日2食の食事は豚でさえ喜んで食べるような物ではありませんでした。最初は、私は何も食べることが出来ませんでしたし、一日中嘔き出していました。時間が経つにつれ、天主様に対する私の熱意が徐々に減って行き、まるでほとんどなくなったかのように見えました。マザーは、私が身体と霊魂の両方が弱くなっていたことに気付きました。彼女は私と話をしたので、警備員が頻繁に叱ったのにもかわらず、マザーはそれを気にも留めず、私を励まし続けて下さいました。彼女はこう語りました。天主様はあなたを証し人になるようにお選びになりました。それはあなたへの天主様の偉大な贈り物です。あなたは、カルワリオへの道はとても長く、曲がりくねっていることをはっきりと知る必要があります。私たちの主が十字架を背負われていた時、3度地面にお倒れになりました。あなたは、ほんの数年前に洗礼を受けました。あなたは天主様にすがらなければなりません。私たちが刑務所にいるのですから、現実には、悪い食べ物、ひどい悪臭や混み合った牢屋、多くの取調べ、囚人間の互いの押し合いへし合い、そして取調べのために座っている長い時間という異なる種類の誘惑に直面しなければなりません。これらの全ての苦しみに対し、あなたが心を尽くして天主様を信頼せず、また自分自身を励まして祈らなれば、誘惑に抵抗するのに十分な強さがなくなるでしょう」私は、どのようにしてこの牢獄で自分自身を励ますことが出来るのだろうかと思いました。そこは全く地上の地獄であり、そして汚れに満ちた場所でした。物質的なことばかりではありません。ある囚人は、実際、素行不良の人々でした。私たちカトリック教徒は、まるで狼の中の子羊のようでした。私は天主様と顔を合わせて話す方法を全く知りませんでした。陳マザーは、このことに対する最善の回答を私に与えて下さいました。彼女は手を取って私に教えて下さったのです。自分の指で幾つかの糸を捩り合わせて私のためにロザリオを作り、少なくとも一日に15連唱えるよう私に求めました。それから彼女は、朝の御ミサ、霊的聖体拝領、十字架の道行、黙想のスケジュールを設定しました。私は義務として行わなければなりませんでしたが、実際はそれが私の一日の糧となったのです。

 水の一滴を通して、太陽がどのようなものであるかを知ることができます。そしてまた、陳マザーの性格がどのようであったかも、いくつかの事実から見出すことができるのです。ある日、とても薄められたスープを飲んだ後、若い囚人が急にトイレに行く必要がありました。しかし、看守は進んで門を開こうとはしませんでした。彼女は大声で泣き叫びました。前にも述べましたように、私たちは決められた時間しかトイレに行くことを許されませんでした。私は刑務所に入れられるまで、この世で最も悲惨なことの一つは、腸が緩いことであるとは知りませんでした。排泄する場所がない所ではなおさらです。囚人は皆、何をすれば良いか分からず、押し黙ったままでした。 陳マザーは少し考えると、彼女の小さな包みから塩の半袋分をさっと掴み出しました。「これを飲みなさい、過度な尿を減らしますから」と彼女は言いました。それは実によく効きました。このような状況下では、塩はフカヒレやロブスターよりも貴重で価値がありました。

 ある日、一人の囚人が自分の指を門の所で怪我をしました。血は流れ続けました。人々は、地面に血の滴が沢山落ちるのを見ました。医者はおらず、薬も全くありませんでした。どのようにすれば、私たちは彼女を助けることが出来るのでしょう?一人の女性が、彼女のところに来て腕を持ち上げ、一枚の紙に彼女の指を押し付けました。陳マザーは何をしていたのでしょうか?毎朝、看守は私たちにコップ一杯のお湯を配っていました。私たちは時々それをすぐに飲みましたが、陳マザーは、たいていは他の用途のためにある分量を残しておきました。その日もいつものようにまだある量のお湯を残していました。彼女はコップを取り出し、そこにいくらかの塩を入れました。次に彼女は塩辛い水で指を洗浄し、細菌を殺すことが出来ると言いました。それから彼女は、使い古した服を引き裂いて、何枚かの細い切れを取りました。最後に彼女は指に包帯をしました。その囚人はマザーの慈悲深い行動に深く感動しました。彼女は、この罪深い世界で、かつ刑務所の中で、霊的な知恵と慈愛に満ちたカトリックの修道女に会う機会を持てたのは素晴らしいことだと語りました。

 私は陳マザーに会うまで、塩の使い方をほとんど知りませんでした。道理でイエズス様は聖書でこう仰せになったわけです。「あなたは地の塩である」(マタイ第5章:13節)陳マザー、あなたは塩の味を保ち続けました。そして、私たちに天主様のための純粋さと熱意をもたらし、私たちに多くの問題を解決するよう助けて下さいました。私はあなたの善い模範を真似てあなたの道に従い、地上で香しい塩になります。

カトリック教会のためのロザリオの十字軍、現在8470環のロザリオが集まりました

2011年10月04日 | ロザリオの十字軍

アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 私は、9月の末にブラザーたちのための黙想会に参加しました。10名のブラザーたちと三名の司祭が参加しました。9月29日には、イロイロで、二名が初誓願を立て、二名が誓願を延長しました。
 愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、その直後、デンゲ熱でイロイロの病院に緊急入院し、ようやく退院、マニラに戻りました。


 さて、2011年の復活祭からフェレー司教様が発動した第4次ロザリオの十字軍の報告を申し上げます。
 2011年4月23日から2011年9月31日までの分として、現在日本から、総計
 ロザリオ 8470 環

 の報告を頂きました。深く感謝します。

 私も、拙いながら、少なくとも9月分として40環をお捧げしました。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【お便り】
小野田神父様へ

香港でもミサをあげられるのですね。
本当に、アジア中を飛び回っていらっしゃり、その活動の広さに驚きます。

さて香港は、1999年に中国に返還されるときに「その将来について」かなり議論されたと記憶しております。それは、「中国が香港化するのか、それとも香港が中国化するのか」ということです。
もう、あれから10年以上の年月がたったのを驚きます。
私は香港は中国化していないと祈りますが、
どのような状況なのでしょうか?
ローズ・フーさんの自伝を読み、推察するのですが、おそらく多くのキリスト教徒の方が、1950年代に香港に移住されたのではないか、と思います。香港の教会は迫害を受けずに済んでいるのでしょうか?


【お返事】
 実は、中国に返還される前の香港とマカオに行った以来、今回、久しぶりの香港でした。香港は、少しずつ中国化しているようです。以前タクシーに乗った時は、香港では廣東話が使われていて、北京の言葉は誰も使っていませんでした。
 今回、空港から香港の中央駅まで新しい電車に乗ったところ、まず廣東話、それから英語、次に北京語でアナウンスがありました。
 香港の方に聞いてみたところ、この頃は北京の言葉を話すのがますます「普通」になりつつあるとのことです。
 ただし、今現在、カトリック教会は大陸のように迫害を受けているわけではありません。

【お便り】
神父様のブログの「ブックマーク」にある「共産主義のモラルは?」を読み、
はっきりと「共産主義の狡猾さと仕組み」がわかりました。
おそらく、10年以上も前なら、文系のどの大学の学部でも、「マルクス主義」を講義する授業は存在したと思います。今でも主要な国立大学の大学の教授の中には、マルクス主義に立った講義をする先生もいるでしょう。
ですが、彼らは哀れなことに「自分が何をしているのかわかっていない」と思います。

早いうちに、このような文章を目にしておけば、多くの若い人は、何がおかしいかわかったと思います。共産主義は、なぜ「破壊」や「闘争」ばかりを口にするのか、よくわかりました。世界を破壊したい「悪魔の存在」が、こんな風に現実の世の中に現れてきて、何万人もの人が犠牲になっているかと思うと、ぞっとします。

天守に栄光を。


【報告】
聖母の愛して居られます司祭トマス小野田圭志修道院長様
十主の平安

アヴェ・マリア
6、7、8月、日本の聖ピオ十世会の信者の司牧の為に御帰り下さいまして
8月は、アンダーソン神父様を御連れ下さいまして金曜日、土曜日、御ミサが2回ずつ本当に、有り難うございました!!

至福の時でした!アッ!という間でしたが、8月は、後、数日浸っておりました、有難うございました

苦しみの玄義は、ずっと跪こうと思っています。
遅くなりまして申し訳ありません、8月の聖なるロザリオの御報告を致します。

*シスター  93環(御元気で御過ごしですので、とても嬉しいです)
*ヨゼフ マリア  57環 御ミサ5回です、
*ヨゼフ・パウロ  93環
*マリア     134環
*ヨゼフ       9環
*マリア      17環
*マリア      50環
*バルナバ      1環
*エリザベト    31環
*テレジア     84環
*マリア     (49環)
*マリア      28環
*マリア・ローザ  22環
*マリア・     30環
*マリア・    108環
*アンナ      32環

合計 838環です、どうぞ宜しく御願い致します。

御忙しいですのに、素晴らしい!大切な!ブログを、本当に有り難うございます!!

救いの聖十字架の主なるイエズス様 
御母聖マリア様
聖会の保護者なる聖ヨゼフ様 
どうぞ、大切な御恵みの、トマス小野田圭志修道院長様を
御忙がしい中、日本に司牧に御出で下さいます、御優しいクチュール菅区長様を
御護り下さいませ!!
  デオ・グラチアス!!  


【報告】
アヴェマリア。小野田神父様、お元気ですか?
遅くなりましたが、ロザリオの十字軍8月分の報告をいたします。
フランシスコ      31環
モニカ        93環
テレジア      120環
  以上です。

ローズ・フーさんの自叙伝、とても感動的です。困難な中で、よく信仰を保ち、強めてこられたこと、尊敬に値します。彼女の両親や兄弟たちに、あんな迫害の中で信仰を伝えうることができたと言うこと、私も見習いたいです。これからどうなっていくのか、掲載していただくのを楽しみにしています。
小野田神父様と聖ピオ十世会の皆様の上に神さまからの祝福とお恵みがありますように。祈りのうちに。デオ・グラチアス。

【報告】
小野田神父様、

お元気ですか。 こちらはだんだん秋になっているですが今日はとてもいい天気 でした。フイリッピノの天気はどうですか。
神父様のご清適はどうですか。ご両親は?
母の今週の手術はよくなって神に感謝!
9月のロサリオのばんは115です。

いつもお急がしのでお体に気をつけてください。
お祈りのうちに、心から、


【お便り】
Ave Maria!

小野田神父 様

先週1週間、仕事でシカゴに行きました。一昨日帰国しました。その間、毎日朝夕のお祈りとロザリオ1環を続けたおかげもあったのだろうと思いますが、大変実りの多い旅でした。シカゴにはsspxの教会があると聞いていましたので伺いました。
シカゴには1つだけSSPXの教会があるのですね。その名も、インマクラータ教会。ただ、ミサの時間には訪問できず、また司祭が常駐されているわけでもないので、どなたにもお話を伺えませんでした。
シカゴダウンタウンから電車で25分のところですが、そこへ行くまで20分間は荒れ果てた黒人の貧困街なので、電車に乗ってくる人も全員黒人なので、大丈夫かな、と思っていくと、25分目に急に白人の街に変身して、そこにありました。隣の駅が有名なOak Parkでした。
写真を送付します。(1つだけは、シカゴダウンタウンでの写真)














【報告】
アヴェ・マリア!
トマス小野田神父様

ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。
8月22日から9月29日22時(日本時間)まで
私と子供2人あわせて70環でした。
小野田神父様に天主様の祝福が豊かにありますように!




+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

========================
いつもこのブログを読んで下さってありがとうございます。

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思った愛する兄弟姉妹の皆様は、
クリックで応援して下さると励みになります。
兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します。
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】