<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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ここ数年ひどい肩凝りに悩まされている。
一昨年の春まではスポーツジムに通っていたので、肩がこるとジムに出かけてマシントレーニングをしたら大方治った。
ところが引っ越しすることになりジムを退会してから、肩こりが慢性化してきのだ。
会社の近くの10分間マッサージ屋さんや、タイ古式マッサージに通っては体の凝りを解してもらえるよう努力していたが効果は今ひとつ。
ついに左手にしびれが出てくるようになったので不安になってきた。
肩こりで病気になってしまうのではないだろうか、と思ったのだ。

「鍼灸院へ行ってみたら」

と家人に言われて、不安感も手伝って、「行きたくないな」という重い腰を上げて近所の鍼灸接骨院に出かけた。

ところで、鍼灸院の方には申し訳なかったのだが、これまで鍼灸院といえば年寄りの行くところ、という印象を持っていた。
今回行くことになって最初に感じたのは、

「あ、おれも鍼灸院に行く年齢になったのか。おおお~のぉ~」

という年齢的な不満足感なのであった。

まだまだ私は働き盛りの40代。
鍼灸院なんて無縁なところと思っていたのに、行くことになるなんて。
というのが正直な気持ちだった。

ともかく、そんなこんなで気持ちがあまり進まないまま薦められた鍼灸院へとぼとぼと歩いた。

「絶対混んでるで。かなり待たんならなんで。いややな、めんどくさいな」

と思いながら歩いた。
先述したように、鍼灸院はお年寄りの行くところ、と思い込んでいたため、待合室は老人で溢れ、さながら老人ホームのサロンとなっているのではないか、というイメージができあがっていたのだ。

薦められた鍼灸院に到着して驚いた。

最近、鍼灸医の数はコンビニよりも多いと言われており過剰競争になっている。
そのため、各鍼灸院のサービスや設備は最新のもの、より快適なものを目指しているということで、外観はカフェやブティックのようなところもあったりする。
ところが、私の到着した鍼灸は全く違ったものであった。

木造平屋、瓦葺。
昔の長屋のような雰囲気で、扉は木のガラス引き戸。
入り口には木の板に書かれた鍼灸院の名前が表示されているのだが、毛筆で書かれた文字は柔道場を彷彿とさせた。
まさに、鍼灸院というよりも「ほねつぎ」という感じだ。

「........なんだこれは.......」

実に昭和な鍼灸院なのであった。

ガラガラ。
と扉を開けて中に入ると、ズラッと老人が並んで座っていた、なんてことはまったくなく、待合室は無人なのであった。
一瞬私は「ここ、なんか問題があんちゃうか。患者、誰もいてへんし。家人は私を殺そうとしてるのではあるまいな。」と思った。
「昨日、仕事から帰ったらオレだけケーキなかったし。」と若干悲壮な気分がしたが、首を振って疑念を払拭。
スリッパに履き替え受付窓を覗き込むと、奥から賑やかな話し声が聞こえてきた。

「ハイハイハイハイ」
と受付嬢と思われる老婆が現れ、
「どうしはったんです。はい?肩こり?それはたいへんですね。中へ入ってくださいな。」
と誘われた。

治療室に入ると中は清潔でカーテンで仕切られたベットが数床並んでいた。
もちろん、中も昭和な雰囲気だった。
ベッドのひとつに座って待つよううながらされた。
ベットの横には50年代の米国製B級SF映画で登場してくるようなボタンやダイヤルがたくさん付いた機械が置かれていた。
治療器のひとつだと思われるのだが、なんとなく、フランケンシュタイン博士の実験室から借りてきたマシンという感じがしなくもない。
不気味だった。

奥で治療をうけていると思われる男性の声が聞こえる。

「ん~~~~」
「凝っとるな」
「ん~~~~」

増々不気味なのであった。

昭和レトロな内装とB級SF映画の実験装置。
ふいにメル・ブルックスの「ヤングフランケンシュタイン」を思い出した。
「凝っとるな」
という鍼灸師の声がなんとなく、ジーン・ワイルダー演じるフランケンシュタイン博士の孫のような声に聞こえたのだ。

私の心臓はドクッドクッとは波打つことはなかったものの、これからどのような治療が始まるのか、不安とも期待ともつかない複雑な感情が交錯していたのであった。

つづく

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