<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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(写真:バンコクのワットプラケオにあるアンコールワットのミニチュア)

東南アジアではいろんな国を旅をした。
タイ、ベトナム、ラオス、シンガポール、マレーシア、そしてミャンマー。
どの国も良い印象が残っていて大好きだ。

それでもインドネシアとブルネイとカンボジアには未だ足を踏み入れたことがない。
理由は特にないのだが、インドネシアは得意先の社長が仕事で時々出かけたときの話をするので、それで十分なような気がしてしまい、未訪問。
ブルネイも多分にビジネスと天然ガスの匂いがつきまとい、行こうと思えず。
カンボジアはアンコールワットに行ってみたいのだが、テレビや写真で観光客がウジャウジャ群がる光景を見ていると、観光シーズンの明日香村を思い出し、訪問する気が失せてしまう。
雑踏見たらサヨウナラ、と言った感じだ。

尤も、カンボジアには国境まで2kmという地点までせまったことがあり、ともすれば入国することも可能だった。
それは初めてベトナムを訪れたときで、カオダイ教の総本山があるタイニンの街に行く途中、

「あの丘の向こうはカンボジアです」

とガイドさんが教えてくれたので。

「ほー、カンボジアが近いんや」

と何故か感心したことを思い出す。
帰って地図をよく見ると、この付近のベトナムとカンボジアの国境は複雑に入り組んでいて、ややこしい地域なんだと確認したものだ。

ややこしいといえば、カンボジアとタイの仲もややこしい。
ちょっと目を離すと国境線沿いでドンパチを始める中の悪いのがこの二国の関係だ。
1970年代から80年代は紅いクメールに追い立てられた数万の難民がタイ側を占拠。
国税は使わなければならなかったし、治安は悪くなるしでタイにとっては迷惑だった。

私にタイ語を教えてくれていたM先生は、ときどきタイとカンボジアに国際問題が生じると授業中にカンボジア人の悪口を言った。
数年前、タイ人の歌手の発言でタイとカンボジアで揉めたことがあったけれども、そのときも柔らかくではあるが、語彙的には結構厳しくカンボジアのことをこき下ろした。
普段物静かな、いかにもマイペンライなタイ人なのに、と驚いたものだ。

歴史を遡ると、そもそもタイ人はカンボジア人にとっては使用人の身分だった。
10世紀だったか9世紀だったか忘れたが、雲南省あたりに起源を発するシャムの人たちは漢族の侵入に逃亡を余儀なくされた。
中国人は今も昔も周辺民族の厄介者という意味では変わらなかったようだ。
で、シャム人が新天地として逃げてきたのが隆盛を誇っていた大帝国のクメール大国。
今の、カンボジア。
その版図は今のカンボジアはもちろんのこと、ラオス、タイ、マレーシアの一部に南ベトナムなどが含まれる広大なものなのであった。
シャムの人たちは、この繁栄する新天地で底辺から再スタートを切り、王国のかなりの地位まで上り詰める。
そしてついに、分離独立し自分たちの国家を建設。
それが11世紀に建国されたスコタイ王朝なのであった。
やがてクメール王国は衰退し、今のカンボジアへと縮小する一方、シャム(タイ)は隣国のビルマ王国やモン王国なとと覇権を競いながら域内最大の国家に成長。
タイと国名を改めた今は、東南アジアの枢軸国にまで発展した。

歴史上のそのヘンが事実がややこしくしているのだと、私は考えている。
正直、どうっちゃでもええやないか、と思うのだが、民族意識というのは妙なコンプレックスを生むものだ。
アンコールワットの最寄りの街、シェムリアップはシャムを征服した街という意味で、ロシアのウラジオストックを彷彿させる国家の野心と歴史を感じさせる。

ということで、国境紛争のニュースはカンボジアのアンコールワットには是非ともバンコクから2泊3日のバスツアーで訪れてみたいと思っている私にとっては、またまた当分、カンボジアには行けない状況が生じてしまったというのが、正直なところだ。

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