<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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久しぶりに大阪と和歌山を結ぶ国道26号線を自動車で走っていたら大和川に架かる橋の近くにあるはずの富士フィルムの堺現像所の建物が無くなっていた。
学生時代、8ミリフィルムの現像をお願いした思い出の現像所。
つい何年か前まで、世界で唯一シングルエイト方式の8ミリフィルムの現像ができる現像所だった堺現像所がこつ然と消えてしまっていたのだ。

これは映画少年だった私には、かなり大きなショックだった。

あまり知られていないけれども、コダック社と並んで世界的なフィルムメーカーである富士フィルムは「富士」という名前とは裏腹に大阪発祥の会社で、なかでも堺現像所はその創業の場所なのだ。
そんな一般人にはどうでもいいことなのに、なんで私が知っているかというと、通っていた大学の担当助教授の先生から教えてもらったからだった。
私の大学時代の専門は映像だった。
で、『あそこは富士フィルムの重要拠点』と自然に覚えることになってしまった。
ちなみに「難波の南街劇場(現TOHOシネマズ難波)が日本の映画興業発祥の地」というのも、大学の関係で自然に覚えることになった。

話は戻って、その富士フィルムの親会社だったダイセル化学工業はタバコ用フィルタをほぼ独占している会社として知られているが、富士フィルムの堺現像所と国道を挟んで反対側にあるダイセルの堺工場が取り壊されたときでも、ここだけは健在だった。

「さすがに創業の地は潰さない」

と、自社の歴史を守っている(と勝手に私が思い込んだだけだったのだが)企業の文化に好感をもったのだったが、それは思い違いだったようだ。
結局はここも姿を消していたといわけだ。

堺市のキャッチフレーズには「もののはじまり、なんでも堺」というのがあるけれども、茶道や銀座と並んで写真用フィルムもそのひとつだったわけで、富士フィルム発祥の地はその証人でもあったのだ。

私の生まれた街の名物がまたひとつ失われて、非常に寂しい。

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