<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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ニュージーランドの地震被害をテレビのニュースで見ていると、海外旅行中に災害に遭遇したらどのように対処したら良いのか、はたまた日本の家族はどうしたらいいのか。
と、考えさせられる。

海外旅行をする時、私は掛捨て型の海外旅行保険をインターネットで申し込んでから出かけるようにしている。
クレジットカードでも旅行特約のついた、1ランク上のものを1枚だけ持っていて、それも所持して出かける。
実のところ、なんの役にも立たないように思うのだが、無いよりはマシで、私自身の安心のためというよりも、留守を預かる家族が多少とも安心するから契約するといっても間違いではない。

実際にいざ災害や事故に直面すると、それらの保険は気休めでしかなく、結局は自分で心して対応しならければならないのが旅先での災難であると思う。

私にはちょっとしたクセがある。
海外の空港に到着して空港から最寄りの市内に向うバスやタクシーの車窓から沿道の景色を眺めると、いつも建物の柱の大きさを観察するというクセなのだ。

建築中のビル。
1階が駐車場のビル。
無人のビル。
などなど。

知らない間に、「あの柱、細いな」などと考えているのだ。

これは大学を卒業してから暫くの間、建築関係の会社に勤めてヘルメットをかぶって現場仕事をしていたことが影響しているのかも知れないが、一番大きな要因はやはり阪神淡路大震災の経験がそういう目で街を観るクセを付けさせているのだろう。

あの日。
阪神大震災が発生した当時、私は大阪府堺市に住んでいた。
神戸から直線距離で40km程度離れているのだが、それでも本棚がひとつ倒れて書籍が散乱。
コレクションしていた模型や置物が壊れた。
大切にしていた宇宙船USSエンタープライズ号のプラモデルが映画と同じように致命的ダメージを受けたのもこの時なのであった。

公共交通が全てストップし、復旧がいつになるのかわからなかったので古い50ccのバイクに跨がり大阪市内の会社に向った。

途中、橋の付け根に段差ができていたり、交通渋滞のすさまじさに驚いたのだが、もっと驚いたのは連絡のつかなかった西宮市内の同僚の安否を確認するために、50ccのバイクで西へ向った時だった。
各所で家が傾き、潰れていた。
甲子園の前の高速道路は橋げたから橋りょうが落下していた。

「日本は地震に強い国であるはずなのに」

と、常識が通用しないことを痛感しながら西に走った。

海外、とりわけ東南アジアを旅していると、ビルディングの柱の細さが気にかかる。
細い柱で5階建て、6階建てといった建物が建設されていて、時折モルタルのはがれた壁面からは心材である赤レンガが見える時がある。

「地震が来たら、一巻の終わりやな」
と考えながら移動をする。

タイのような、地域の中の先進国でもそんな光景を目にするものだから、ミャンマーやベトナムなんかではもっと簡易な建築を目にして「もし」を考えることが多い。

私自身は海外で災害に遭遇したことはないけれども、事故に遭うかもしれないと思ったことは何度かある。
その都度、

「事故に遭ったら、あそこに連絡して、あの街の病院に運んでもらえるようにして、それでもだめならバンコクかシンガポールの日系の病院かに運んでもらって.....」

と順を追って想像するのだが、そんなことがイザと言う時に役立つとも思えないのが難しいところだと思う。

海外では日本なら手すりがついていると思えるような高地でも、手すりがなかったり、猛スピードで自動車が走ったり、バスの天井やトラックの荷台に乗ったりすることもままあるが、そんな状態で事故に遭っても保証はないし、どこでどう措置をしてもらったら良いのか判断に苦しむ時も少なくない。

「この国は地震がありません。」
と言われたり、
「地震ってなんです?」
と訊かれる国も中にはあったりする。

「へー、地震はほとんどないんですか?」
「ありませんよ」

と話していた後で訪れた遺跡に地震の跡があったりするので、やはり判断するのは自分次第。

宿泊するホテルは中級以上の頑丈な建物のホテルにするのか、モルタルボロボロの一泊1ドルのドミトリーにするのかも、自分の責任だ。

もし海外で災害に遭遇したら。
全て自己責任。
というのが、旅行する方も、留守を守るものも心にしなければならない決まりだと思う。

ついでながら、災害に遭ったからといって紛争地への救出任務でもないのに政府専用機を使う、使わせろという話しを持ち出すのは、大いなる筋違いだと思う。

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