<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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以前書いていたブログの記事の中でミャンマーの旅行記を読み直しながら整理しているとサガインヒルの日本パゴダの記述が出てきた。

私は2度目のミャンマー旅行でヤンゴンから列車に乗ってマンダレーへ移動し、さらにそこから船で仏教遺跡の街バガンを訪問した。
サガインヒルはマンダレー滞在中に訪問した場所で、そこには第二次世界大戦で亡くなった日本軍将兵を追悼するいくつかの石碑と、真っ白に塗られ、祖国に帰ることのできなかった多くの人々の名前が刻まれたパゴダが建っていた。
そのパゴダは日本パゴダと呼ばれ、エヤワディ川を見下ろすサガインヒルの最も眺めの良い場所に建てられていた。
川は海へ通じ、海は日本へ通じる、という生き残った人達の亡き戦友たちへ思いを込めて建立されたパゴダなのかと思い、暫しその前で立ち尽くしたことを昨日のように記憶している。
ついでながら、めちゃくちゃ暑かったことも記憶している。

最初のマンダレー訪問で最も記憶に残っている思い出だ。

その日本パゴダに刻まれた日本人の名前の中で、最も驚いたのは日本赤十字社の看護婦さんたちの名前が刻まれていたことだ。
「ビルマの竪琴」だとか「アーロン収容所」といった有名な作品からの情報しか知らなかった私には多くの兵士と共に、多くの女性が亡くなっていたことを知って衝撃を受けたのだった。


(写真:サガインヒルから見た景色)

その後、ミャンマーに関する書籍は探し出しては読みあさったのだったが、どういうわけか日本赤十字の看護婦さんたちの物語については、書籍がなかなか見つからなかったことも手伝って、ほとんど読むということがなかった。

今回、自分で書いたブログの旅行記を読んでいて、
「このままでは永久に知る機会がなくなってしまうのではないか」
と焦燥感がなぜか生まれてきた。
もしかすると、証言者が亡くなって、歴史の彼方に消え去ってしまうかもしれない、と思えるようになってきたからだった。
そこで急いで関連本を探してみたら、ほとんどが絶版になっていたのだった。

宮部一三著「死んでも捕虜にならないで―ビルマ・日赤和歌山従軍看護婦の悲劇 」は書店で見つけることができなかった一冊で、公共の図書館で借りてきて読んだ一冊だ。

ミャンマーに派遣された看護婦さんたちは和歌山だけではないが、とりわけ日赤和歌山から派遣された従軍看護婦さんたちは、その死亡率が極めて高く、帰国できた人はほんの一握りであった。
この書籍には、そんな一握りの生き残りの看護婦さんたちが戦後数十年経過して証言した戦争当時の状況が記された手記がたくさん収録されている。
ひとりひとりの看護婦さんたちが証言する、それぞれの記憶はリアルでかつ、痛々しい。

出てくる地名も「シッタン」「タウンジー」「カロー」「メイミョウ」など、私も旅で訪れたところが多く、数々の風景と、証言される悍ましい情景がダブり、胸がいたんだ。

とりわけ「シッタン川」で多くの看護婦さんたちが川の流れに飲み込まれたり、敵の奇襲で戦死したりする情景は忘れることができない。
なぜなら、シッタン川は著名な観光地であるゴールデンロックへ向かう時には必ず渡る川であり、私は初めてのミャンマーへの旅でも、その後の旅でも幾度と無くこの川を渡ったことがある。

「まるで墨絵のような美しさ」

初めてシッタン川を渡った時、川は雨季の初めの霧雨でまるで水墨画のような美しい景色を呈していたのだった。
だが、本書を読んだ今となっては、美しいなんて感じてはいけなかったのではないか思うえるような、凄惨な記録が本書には記されている。
シッタン川の情景を思い出すたびに、また、見るたびに、多くの人々が亡くなったことを思いだすに違いない。

ということで、この本はミャンマー旅行に行く前に読むべき本だったと、つくづく思う日本の歴史の1ページなのであった。

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